日本文学の世界

石坂洋次郎「記憶の旅の中で」軽井沢のゴルフや文壇交流などの随想集

石坂洋次郎「記憶の旅の中で」読了。

本作「記憶の旅の中で」は、1971年(昭和46年)4月に刊行された随想集である。

軽井沢のゴルフ仲間たち

夏の間、石坂洋次郎は軽井沢の別荘で暮らしながら、夫婦でゴルフに興じていた。

石坂家の別荘の隣には、画家の生沢老、講談社社長の野間省一、外務大臣の三木武夫など、著名人の別荘が並んでいたという。

夏の軽井沢での暮らしを愛した文人は多い。

故人では、正宗白鳥、室生犀星、吉川英治、佐々木茂索などがいて、健在者としては、川端康成、川口松太郎などがいる(石坂洋次郎は、その次あたりの年長者)。

石坂洋次郎より若いゴルフ組としては、丹羽文雄、石川達三、富田常雄、井上友一郎、井上靖、柴田錬三郎、源氏鶏太、水上勉、阿川弘之などの名前が並んでいる。

ゴルフといえば、故人の吉川英治さんも夫人と一緒に私たちと同じころからゴルフを習い出し、ゴルフの健全な楽しみにとりつかれた人であるが、亡くなる二、三年前、仲間とゴルフ場めぐりをしている時、クラブを肩にかついで、「なあ、石坂君。おれたちが死んでも仲間の連中が、晴れた日にはこうしてゴルフ場まわりをしているかと思うと、それだけでもめったに死ねないという気がするな」と呟いた言葉が、いまも印象ぶかく私の脳裡に刻みこまれている。(石坂洋次郎「舞台再訪」)

石坂洋次郎は、軽井沢のコンペで優勝するくらい、ゴルフに打ち込んでいたらしい。

乱行の限りを尽くした葛西善蔵

本随想集には、個別の文学者の思い出も収録されているが、葛西善蔵のことを書いた「相手しだいで」がおもしろい。

大学生の石坂洋次郎が、郷里の津軽出身の先輩文学者・葛西善蔵を、本郷のもの侘しい下宿屋の一室に訪ねたときのこと。

葛西からは「君は女郎買いに行ってるかね? 行ってない? そんなことで作家になれるかね」などと、とりつくシマもない冷淡なあいらいをされた。

さすがに、もう帰ろうかと考えているところに、中年のハンサムな顔立ちの男が入ってきた。

「おお、牧野! ……牧野! ……よく来た。おれはさみしくて困っていたところだ。……つまらない文学書生に来られたりしてな。……坐れ……」中年の客が、私の方をチラと見て、畳に坐ると、葛西はいきなり客の身体に抱きついて、「牧野! ……よく来た! ……牧野! おれはさみしくってなあ! ……牧野!」と、嗚咽してほんとに涙を流した。(石坂洋次郎「相手次第で」)

中年の男性は、やがて自殺する破滅型作家の牧野信一である。

牧野信一は昭和初期に活躍した私小説作家。2003年(平成25年)のセンター試験(国語)で、代表作「地球儀」が出題されて話題となった。1936年(昭和11年)、39歳で自害。

ちなみに、葛西善蔵は後年、郷里の弘前に帰って県立の高等女学校で教師をしている石坂洋次郎を訪ねている。

東京の下宿生活では小説が書けないので、気分転換と称して郷里に戻ってきたらしい。

石坂洋次郎は、知り合いの街一番の旅館の主人に頼んで葛西善蔵を宿泊させてもらうが、葛西は朝から酒を浴びるように飲んで、乱行の限りを尽くしたという。

あるときなどは、女郎屋に泊り続けた挙句、石坂を呼んでこいと言って、石坂洋次郎が授業をしている高等女学校に、女郎を迎えに寄越したくらいである。

「小萩ねえさんが言ってましたよ。あんな滅茶苦茶なお客さん、見たことがないって……。酒の量は多くないんだけど、朝から酒びたりで、盃を持ち上げては飲まずに下に置き、またもち上げる、五、六回もち上げてからやっとガブッと一と口すする。見てるだけでもイライラする。それにかんじんのお床入りをすると、これがまたぐずついて、欠伸が出たくなるんですって。あんな厄介なお客さん、みたことがないってこぼしておりますわ……」(石坂洋次郎「相手次第で」)

このとき、葛西善蔵は一文無しで、宿や酒、女郎屋などの支払いは、分割払いで石坂洋次郎が清算したそうである。

日本は貧乏な国であるし、国民大衆の生活も貧しいのである

文学者以外の話では、映画について綴った「映画雑筆」が印象に残った。

五十を過ぎて老眼が進んだため、読者の量は減ったが、映画はたくさん観ているという話だが、邦画よりも洋画を好んで観ているのは、一口で言って、洋画の方が一般的に面白いからである。

私が日本映画を見ようとして足がすすまなくなるのは、ああまた貧乏くさい生活に直面させられるのかな、と先ばしったことを考えてしまうからである。日本は貧乏な国であるし、とうぜん国民大衆の生活も貧しいのであるが、その貧しさが正しく素直にとらえられていれば救われるのだが、その貧しさの上にあぐらを書いた生活が描かれていたり、その貧しさを公式的に処理していたりする映画を見せられると、どうもサクバクとした気分にさせられてしまう。(石坂洋次郎「映画雑筆」)

この随筆が書かれたのは、1954年(昭和29年)1月のこと。

日本は、まだまだ貧しい敗戦国であった。

全体を通して、良くも悪くも、中間小説作家のエッセイ集だという気がした。

書名:記憶の旅の中で
著者:石坂洋次郎
発行:1971/4/16
出版社:講談社

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。