外国文学の世界

サリンジャー「ハプワース16、一九二四」大人の知識と性欲を持つ少年の転生物語

サリンジャー「ハプワース16、一九二四」あらすじと感想と考察

サリンジャー「ハプワース16、一九二四」読了。

本作「ハプワース16、一九二四」は、1965年(昭和40年)6月『ザ・ニューヨーカー』に発表された中篇小説である。

この年、著者は46歳だった。

アメリカ本国では単行本化されていないが、日本では1977年(昭和52年)12月、荒地出版社から原田敬一の訳によって出版されている。

サリンジャーが発表した最後の作品である。

年上の女性の身体に欲情する7歳の少年

本作「ハプワース16、一九二四」は、「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」や「シーモア─序章─」と同様に、作家でグラス家の次男<バディ>が書いた作品という形態を取っているが、バディの書いた文章は冒頭のわずかな部分のみで、作品のほとんどは、幼少時のシーモアが両親に宛てて書いた長文の手紙によって構成されている。

したがって、本作の真の著者は、当時7歳だったシーモアということになる。

「バナナフィッシュにうってつけの日」で描かれているように、シーモアは31歳でピストル自殺する運命を持っているが、自分の運命を当時7才のシーモアは既に的確に予言している。

ぼく個人は少なくとも手入れの行き届いた電信柱ぐらい、つまり三十年も生きることになるだろう。これは別に笑いの種になることじゃないよ。あなたの息子バディはもっと長生きするから、大いに喜んでほしい。(サリンジャー「ハプワース16、一九二四」原田敬一・訳)

およそ、7歳の少年が書いたとは思われない文章だが、前世の記憶さえあるシーモアには、超人的な予知能力があったのだ。

もっとも、シーモアの凄いところは予知能力だけではない。

この手紙の全文にわたって、読者は、シーモアがいかにまとな子どもではなかったかということを思い知らされる。

はじめのうち、それは、キャンプ場で他の少年たちと仲良くなれないという、子どもらしい告白によって示されるが、シーモアとバディが仲間外れにされている理由は、精神年齢の低い周りの少年たち(7~8才だから当たり前だが)を、彼らが軽蔑しきっているということにあった。

少年のみならず、シーモアは、キャンプの運営に携わっている大人たちをも馬鹿にしていて、俗世間の縮図のようなキャンプ場での生活に辟易していることが伝わってくる。

彼の文章が生き生きとしてくるのは、魅力的な大人の女性と出会ったときで、7歳のシーモアは、15歳年上の人妻(しかも妊娠している)に激しく欲情してみせる。

ベッシー、彼女ははからずもあなたと同様、完璧な脚、くるぶし、粋な胸、とてもみずみずしくて可愛いお尻、素晴らしく小さな足とまったく恰好のいい小さな足指という心打たれる遺産を引きついでいる。(サリンジャー「ハプワース16、一九二四」原田敬一・訳)

22歳の妊婦の身体の素晴らしさを、母親ベッシーに報告しているのは、7歳のシーモア少年である。

シーモアは、キャンプ場の付属診療所に勤める看護婦の身体にも興味を示している。

目のさめるようなとか可愛らしいとかいうにはほど遠いけど、よく整った見事な体をしていて、カウンセラーのほとんどの連中、上級組でも一人や二人は大学に戻る前に、何とかして肉体的恋愛をと一生懸命なほどだ。(サリンジャー「ハプワース16、一九二四」原田敬一・訳)

早熟な少年というレベルを超えて、ほとんど頭がおかしい(あたおか)と言っていいレベルだが、シーモアは常人を超越した存在なので、別に不思議なことではない。

前世の記憶を持ちながら生きるシーモアは、つまり現世へ転生した人間であり、この作品は、成熟した大人の知識と欲情を持つ少年を主人公とする転生物語なのである。

シーモアのペンネームは<J・D・サリンジャー>だった

物語(というかシーモアの手紙)の後半は、シーモアがキャンプ場へ送ってほしい本のリストによって占められている。

『アンナ・カレーニナ』(レフ・トルストイ)や『高慢と偏見』(ジェイン・オースティン)などを既に読み終えているシーモアは、チャールズ・ディケンズやトルストイの全集をはじめとする膨大な本を両親へリクエストする。

普通の人間であれば、一生かかっても読み切ることができるかどうかという書籍のリストは、7歳のシーモアが夏休みの読書計画用に考えているものだ。

年上の女性に欲情する場面よりも衝撃的なシーンである。

文中には、シーモアの文学観も詳細に折り込まれていて、もはや「あたおか」とかいうレベルではない。

ムッシュ・モーパッサン、ぼくはあなたを信用してないんだ! ぼくはあなたもその他のどんな歴史的な大作家も、明けても暮れても低俗な皮肉によって売れている人は信用してないんだ!(サリンジャー「ハプワース16、一九二四」原田敬一・訳)

前世で文通していた親友の記事が掲載されている古い雑誌を所望するところで、読者はシーモアが前世の記憶を有する転生の人であることを思い出す。

全体を読んで感じることは、グラス家の人々が尊敬するシーモアの寛容な姿勢が、この作品では見当たらないということである。

「ゾーイー」でフラニーを救った<太っちょのオバサマ>は、7歳のシーモアの中には、まだ生まれていなかったのだろうか。

超人的な能力を有するシーモアにしても、7歳のときには、まだ成熟途中だったのかもしれない。

興味深いのは、シーモアの書いた長い手紙の最後に「J・D・サリンジャー」という署名のあることである。

作中における「J・D・サリンジャー」は、シーモアのペンネームということらしいが、過去の作品を読んできた読者には、この長い手紙を引用しているバディこそが、「バナナフィッシュにうってつけの日」や「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」「シーモア─序章─」といった作品の著者であることを既に知っている。

しかも、シーモアは、やがて31歳で自殺してしまう人間である。

サリンジャーは、なぜ、自分の名前を、幼いシーモアのペンネームとして持ち出したのだろうか──。

こういう謎解きを考えていくと、サリンジャーの作品は、何度でも読み返したくなる作品である。

読み返すたびに新しい発見があり、読み返すたびに新しい解釈が生まれる。

サリンジャーの新作を読むことは、きっともう難しいと思うけれど、遺された作品群を読むだけでも、僕らはまだまだ楽しむことができそうだ。

書名:ハプワース16、一九二四
著者:J.D.サリンジャー
訳者:原田敬一
発行:1977/12/20
出版社:荒地出版社

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。