庄野潤三の世界

庄野潤三「郡上八幡」徹夜で踊り続ける盆踊りの夏を旅する

庄野潤三「郡上八幡」読了。

「郡上八幡」は、盆踊りの様子を取材した紀行文で、「朝日ジャーナル」(昭和38年8月号)に掲載された。

作品集では、随筆集『庭の山の木』に収録されている。

真夏の郡上八幡の町を歩く

朝日新聞の関通信局長の部屋には「郡上おどり日程」と書いたポスターが貼ってあった。

今年は七月十三日から始まって、翌日(八月十三日)から四日間が、いちばん賑やかな盂蘭盆の踊りになる。

「宿屋はどこも満員です。お寺も満員です。半年前からの予約で詰まっています。普通の民家もなあ、親戚やら何やらでいっぱいになりますから、盆踊りの間は町の人口がふくれ上がります。貸切バスで来て、夜通し踊って帰って行く団体客も大勢おります。どえらい人ですねえ」(庄野潤三「郡上八幡」)

局長のMさんは、郡上出身だった。

「ようあれだけ踊っとると思うくらい踊るからのう」Mさんが続ける。「まだ十二時、一時、二時は人のごった返しでのう。本当の踊り手は寝ておいて、十二時ごろに起きて踊りに行きます。その方が静かになってよく踊れるから。夜明け方がいちばんいい。夜明けのころを見てください」(庄野潤三「郡上八幡」)

郡上八幡の町へ入ると、家の前に竹を組んで朝顔を這わせている家がずいぶん多かった。

町の外はすぐ山で、みんみんぜみの声が聞こえる。

蝉の鳴き方も気ぜわしくなく、「みんみんぜみって、本当にミーンミーンミーンと鳴くんだな」と、庄野さんが感心する場面がいい。

裏通りには、二階の表窓を格子造りにした家が多くて、紅殻塗りの細い格子窓は、庄野さんを喜ばせた。

長良川の支流の吉田川が、八幡を町をふたつに分けている。

家の裏手には小さなどぶ川が流れていて、女の人がシーツの洗濯をしていたり、金網のかごに入れたビールを冷やしていたりする。

どこの家にも、よその町へ行っている息子や娘がいて、そういう連中がめいめい自分の子どもを引き連れて、このお盆に帰ってきているのだろう。

「ここの盆踊りは、戦争前には橋本町だけで町の人が踊っていた」と、宿屋のおかみさんが教えてくれた。

「昔は十字になるほど人は多くなかった。よその人は来なかった」「私らでもお盆になると踊りたいと思って出て行くが、よその人が大勢で、知っている人の顔が見えないから、入りそびれる」「こんなに外から踊りに来るようになったのは、戦争からあとのことです。十年くらいのことです」

昭和38年、郡上八幡の町も、戦後から高度経済成長の時代へと、移り変わりつつあったのだろうか。

NHK「新日本風土記」の「郡上おどり」

先日、NHKの「新日本風土記」で、郡上八幡の徹夜踊りを放送していた(2012年放送の再放送)。

それで、庄野さんの古い紀行随筆を思い出したのだけれど、テレビの映像で観る郡上八幡の盆踊りは、想像以上に華やかなものだった。

十三日の晩の踊りは、愛宕公園のそばの中学のグラウンドであった。私たちが行ったのは十時半ごろであったが、真中にあるやぐらがずいぶん小さく見えるくらいの人出で、これがみんなのよく知っている「かわさき」に変ったとたんに、踊りの輪がみるみるひろがった。(庄野潤三「郡上八幡」)

「私はこんなに大勢の人が一緒になって踊っているのを見るのは、初めてであった」と、庄野さんは続けている。

踊りそのものよりも、周辺部を丁寧に描写していくのは、いかにも庄野さんらしい手法である。

たばこ入れを腰のうしろに吊した一人のおやじさんが、大胆な身ぶりで踊っている。この人も保存会の人だ。自由自在な踊りで、見事なものだ。見ていると、目が離れなくなる。しかし踊りの輪の中にいるゆかたの娘さんや若い衆も、年配の人に負けずにうまく踊っている。娘さんはみんな可愛らしいし、青年たちは派手な模様のゆかたがよく似合って、いきである。(庄野潤三「郡上八幡」)

祭りの輪は、こんなに大きな輪であるのに、一つの音頭でよく揃っていた。

それは動きの激しい「春駒」になっても変わらなかった。

旅行エッセイだけれど、短篇小説の作品集に入っていてもおかしくない。

庄野さんの随筆集には、そんな作品が少なくないと思った。

作品名:郡上八幡
書名:庭の山の木
著者:庄野潤三
発行:1973/5/31
出版社:冬樹社

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。