庄野潤三の世界

庄野潤三「プールサイド小景」夫婦生活と会社生活は油断してはならない

庄野潤三「プールサイド小景」あらすじと感想と考察

庄野潤三「プールサイド小景」読了。

本作「プールサイド小景」は、『群像』1954年(昭和29年)9月号に発表された短編小説である。

この年、著者は33歳だった。

本作によって、庄野さんは、翌年の1955年(昭和30年)に芥川賞を受賞。

単行本では、1955年(昭和30年)に刊行された『プールサイド小景』に収録されている。

夫婦生活の危機は不倫から始まる

初期の庄野文学では「夫婦生活の危機」が最大のテーマとなっていた。

「プールサイド小景」は、初期庄野文学の一つの到達点であり、長い庄野文学の歴史の上では、区切りを付けるという意味で一つのピリオドのような作品であった。

実際、「プールサイド小景」には、当時の庄野さんが書きたいと考えていただろうエッセンスが、いくつも詰め込まれている。

最も基本となっているのは、表面的には幸福そうに見える家庭生活も、内情では深刻な苦悩を抱えているものだという、家庭生活の光と影である。

殊に、表面からは見えない家庭生活の影の部分に、庄野さんは大きな関心を持っていたらしい。

次に、現れてくるのが、平穏な夫婦生活の脆さである。

最初の衝撃が通り過ぎたあと、彼女の心に落着きが取り戻された。すると、何の不安も抱いたことのなかった自分たちの生活が、こんなにも他愛なく崩れてしまったという事実に、彼女は驚異に近い気持を感じた。(庄野潤三「プールサイド小景」)

会社をクビになった夫が、公金を使いこんでいた理由は、美しい女のいる酒場へ通うためであった。

退職とともに、夫の浮気の形跡が浮かび上がってきたときに初めて、妻は自分たちの夫婦生活が、極めて危ういものであったことを知る。

初期の庄野文学において、夫婦関係の危機をもたらすものは、大抵の場合、夫婦のどちらかの浮気だった。

配偶者の不倫は、初期の庄野文学にとって、それほど大きな関心ごとだったのである。

サラリーマン生活の光と影

もう一つ、見逃してはならないのが、サラリーマン生活の不安定な現実である。

会社へ入って来る時の顔を見てごらん。晴れやかな、充足した顔をして入る人間は、それは幸福だ。その人間は祝福されていい。だが、大部分の者はそうではない。入口の戸を押し開けて室内に足を踏み込む時の、その表情だ。彼等は何に怯えているのだろう。(庄野潤三「プールサイド小景」)

「プールサイド小景」を発表したとき、庄野さんは、まだ普通のサラリーマンだった(昭和30年8月に朝日放送を退社)。

家庭生活と同様に、一見安定して見える会社生活にも光と影があることを、庄野さんは感じていたのだろう。

「プールサイド小景」では、一組の夫婦を支えている家庭生活と会社生活の両面から、微妙なバランスの上で生きている人間の生活を描き出している。

印象的なのは、やはりラストシーンである。

夕風が吹いて来て、水の面に時々こまかい小波を走らせる。やがて、プールの向う側の線路に、電車が現われる。勤めの帰りの乗客たちの眼には、ひっそりしたプールが映る。いつもの女子生徒がいなくて、男の頭が水面に一つ出ている。(庄野潤三「プールサイド小景」)

女子生徒で賑わう晴れやかな冒頭とは対照的に、物語は、男の頭が水面に一つ出ているところで終わっている。

夕暮れの不気味な静けさに、夫婦の未来が暗示されているのだろうか。

プールを眺めているのは、始まりでも最後でも、電車に乗ったサラリーマンたちだった。

みな平穏そうに見えて、満員電車の中のサラリーマンは、その実、誰もが危機を孕ませながら毎日を必死に生きているのだ。

作品名:プールサイド小景
著者:庄野潤三
書名:プールサイド小景・静物
発行:2002/5/25 改版
出版社:新潮文庫

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。