庄野潤三さん繋がりで、小沼丹さんのエッセイ集「小さな手袋」を読みました。
心温まる「小さな物語」がいっぱいです。
書名:小さな手袋
著者:小沼丹
発行:1994/7/10
出版社:講談社文芸文庫
作品紹介
「小さな手袋」は、小沼丹さんのエッセイ集です。
単行本は、1976年(昭和51年)に小沢書店から刊行されています。
日々のささやかな移ろいの中で、眼にした草花、小鳥、樹木、そして井伏鱒二、木山捷平、庄野潤三、西条八十、チエホフら親しんだ先輩、知己たちについてのこの上ない鮮やかな素描。端正、精妙な、香り高い文章で綴られた自然と人をめぐる、比類なく優しい独得のユーモアに満ちた秀抜なエッセイ。(背表紙の紹介文)
あらすじ
本書「小さな手袋」には、全部で72篇の短いエッセイが収録されています。
全体が4部構成で、「Ⅰ」として身の回りのこと、「Ⅱ」として文壇の交友関係のこと、「Ⅲ」として文学や芸術に関すること、「Ⅳ」として旅行に関すること、といった作りになっているようです。
(目次)Ⅰ/猿/喧嘩/型録漫談/老夫婦/小さな手袋/テレビについて/地蔵さん/名前について/外来者/トト/むべ/梅檀/登高/鶯頬/白障子に映る影/炉を塞ぐ/犬の話/竜胆山/鳩/庭先/百人一首/野茨/月桂樹/コタロオとコジロウ/濡縁の小石/小鳥の話/雨の夜/枇杷/リトル・リイグ/後家横丁///Ⅱ/長距離電話/ステツキ/のんびりした話/白樺/寒竹/断片/井伏さんと将棋/マロニエの葉/大先輩/木山さんのこと/木山捷平/夾竹桃/西条さんの講義/お墓の字/庄野のこと/或る友人/十年前///Ⅲ/母なるロシア/片片草/想い出すこと/チエホフの葬式/古い本/チエホフの本/国語の先生/歌の本/複製の画/辛夷/草木瓜/珍本/好きな画///Ⅳ/特急/古い地図/神戸にて/駅二、三/倫敦の屑屋/倫敦のバス/ウオルトンの町/夜汽車/ウヰスキイ工場/アダムの日本語/蒸気機関車///人と作品/年譜/著書目録
なれそめ
最近になって全著作読破に挑戦中の庄野潤三さんの作品には、小沼丹さんの名前が頻繁に登場します。
「第三の新人」と呼ばれる文学グループ仲間の中でも、庄野さんと小沼さんとは特別に仲が良かったのだろう、庄野さんの作品を読んでいると、そんなことを感じます。
小沼さんが亡くなった後、庄野さんは小沼さんのエッセイ集を読み返し、故人を偲ぶ場面があり、僕も小沼さんのエッセイ集を読んでみようという気持ちになりました。
調べてみると、講談社文芸文庫でも小沼さんの著作がいくつも刊行されていて、人気のある作家だったことがうかがわれます。
もっとも、ほとんどの作品は既に入手困難みたいで、古本屋で見つけた「小さな手袋」を最初に読んでみることにしました。
本の壺
心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。
男は落物を受取ると、それをカウンタアの上に乗せた。
男は落物を受取ると、それをカウンタアの上に乗せた。小さな赤い毛糸の手袋の片方である。それからまた外套のポケットをがさがささせていると思ったら、包装紙と一緒にもう片っぽの手袋も出て来たから、やれやれと思う。(「小さな手袋」)
表題作である「小さな手袋」は、酒場で出会った酔っ払いの話で、酔男と酒場の女性とのやり取りをさりげなくドラマ仕立てで描いています。
ボブ・グリーンのようなアメリカン・コラムで良く見られるスタイルを思い出しました。
ボブ・グリーンほどシニカルでもセンチメンタルでもないにしろ、子供に買った手袋を「お孫さんのですか?」と訊ねられたり、買ってもすぐに失くしてしまうと言いながら、買ってきたばかりの手袋を酒場に忘れて帰ってしまったりとか、どこかほのぼのとした視点が漂っています。
ラストシーンで酒場の女が「あたしにもね、このくらいの子供がいたのよ、二年前に死んだけど…」と打ち明ける場面は、ますますこの短いエッセイを、完成されたひとつの物語に仕上げていると思いました。
庄野の手紙はなかなかいい。
庄野からときおり便りをもらう。庭の鉄線の花や梅や小鳥や近況なぞ、そのときどきに応じて書いてある。そう云う葉書を貰うと、気持が伸びてほっとする。(「庄野のこと」)
親友・庄野潤三さんに関するエッセイも収録されています。
冒頭は、小沼さんがロンドンに滞在している頃、庄野さんからたびたび手紙をもらっていたエピソードで、小沼さんは「庄野の手紙はなかなかいい。いいから困ることもある」と書いています。
鰻屋で鰻を食べておいしかったとか書かれていると、鰻を食べたくなるけれど、ロンドンではそれは叶わないので、こういう手紙は困るということみたいです。
庄野さんは、奥さんと一緒に高田馬場駅近くの「ユタ」という喫茶店へ行って、ホットケーキを食べている、なんていうことも紹介されていて、まるで庄野さんの作品を読んでいるかのような気持ちになりました。
女房は死んだよ、と教えてやったら小僧は「嘘ですよ」と笑った。
女房が急に死んで間も無い頃、こんちは、と洗濯屋の小僧が御用聞にやって来た。娘二人は学校へ行って留守だったから、睡い眼をこすって出て行くと小僧は変な顔をした。女房の替りに、今迄出て来たことも無い亭主が現れたから面喰ったのだろう。女房は死んだよ、と教えてやったら小僧は「嘘ですよ」と笑った。(「十年前」)
奥さんに先立たれた当時のことを回想する「十年前」は、とても切ないお話です。
「女房は死んだ」と教えられたクリーニング屋の店員さんが、「嘘ですよ」と笑ったというシーンは、小説以上に切ない。
二人は「本当だよ」「嘘ですよ」を繰り返しますが、店員さんの笑顔を見ていたら「何だか可笑しくなって此方も笑った記憶がある」という一文には、妻に先立たれた夫の悲しみが、とてもさりげなく描かれていると思いました。
この短いエッセイを書けるようになるまで、もしかして作者は10年という時間を必要としたのかもしれませんね。
読書感想こらむ
小沼丹さんの「小さな手袋」は、最近読んだエッセイ集の中でも、特に優れた作品だと思います。
文学的な随筆とはどういったものかということを、「小さな手袋」はしっかりと教えてくれるからです。
特に、身の回りで起こった些細な事柄を、まるで映画のワンシーンのような物語に仕立てあげているところは、本当に素晴らしいなあと感心しないではいられません(こういう人をストーリーテラーと言うのかもしれませんね)。
早稲田大学の学生時代、西条八十の講義に潜り込んだ話とか、谷崎精二から墓石の字を井伏鱒二に書いてもらうよう依頼される話とか、独特のユーモアに富んだエピソードが、たっぷり盛り込まれているので、小沼さんの作品を読んだことがない人でも(つまり僕です)、十分に楽しむことができます。
こういうエッセイ集を読むと、次は小説を読んでみたいなあという気持ちになりますよね。
読んでみたいと思える作家が、またひとり増えました(笑)
まとめ
小沼丹さんのエッセイ集「小さな手袋」には、さりげなくて感動的な物語がたくさんあります。
これから先もずっと繰り返し読んでいきたいと思える作品です。
著者紹介
小沼丹(小説家)
1918年(大正7年)、東京生まれ。
1969年(昭和44年)、「懐中時計」で読売文学賞受賞。
「小さな手袋」刊行時は58歳だった。