外国文学の世界

レイモンド・チャンドラー「さらば愛しき女よ」最愛の女を探す悲しい男の物語

レイモンド・チャンドラー「さらば愛しき女よ」あらすじと感想と考察

私立探偵フィリップ・マーロウシリーズの長編ハードボイルドミステリー小説第2弾。

最愛の女性を思い続けて刑務所から出所した男を待ちうけていた真実とは?

大人の男と女が織り成す複雑で、ちょっと切ない物語です。

書名:さらば愛しき女よ
著者:レイモンド・チャンドラー、(訳)清水俊二
発行:1976/4/30
出版社:ハヤカワ・ミステリ文庫

作品紹介

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「さらば愛しき女よ」は、アメリカのミステリー作家、レイモンド・チャンドラーの小説です。

ちなみに「女」は「ひと」と読みます(「さらば、いとしきひとよ」)。

私立探偵フィリップ・マーロウを主人公にした長編小説の第2作目で、本国アメリカでは1940年(昭和15年)に刊行されています。

日本では、「別冊宝石」1954年(昭和29年)12月号(第43号)に、清水俊二さんの翻訳で紹介されました。

この時期(1950年代前半)、日本国内でもレイモンド・チャンドラーの作品が次々と紹介されて、読者を少しずつ増やしていったようです。

2011年(平成23年)に、人気作家の村上春樹さんによる新訳版(邦題「さようなら、愛しい女」)が刊行されているので、現在は清水俊二版と村上春樹版を読み比べる楽しみがあります。

原題は「Farewell, My Lovely」。

なれそめ

僕とレイモンド・チャンドラーとの出会いについては、過去記事「チャンドラー『長いお別れ』ダンディに生きたい大人の男の教科書」で詳しく書いているので、ここでは省略します。

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フィリップ・マーロウ3大長編というと、なんとなく『長いお別れ』『さらば愛しき女よ』『大いなる眠り』と相場が決まっていて、特に『長いお別れ』と『さらば愛しき女よ』はチャンドラーの代表作でもあるので、ハードボイルド小説が好きな人にとっては避けることのできない作品です。

僕は未だに数年に1回程度は、マーロウ・シリーズを最初から最後まで読み返しています(1年に1回とまでは言わないにしろ)。

あらすじ

前科者大鹿マロイは刑務所を出たその足で、別れた女を探しに黒人街を訪れた。だが、そこで彼はまたしても殺人を犯してしまう。現場に居合わせたマーロウも取調べをうけた。その後、高価な首飾りをギャングから買い戻すための護衛を依頼されるが、マーロウは自らの不手際で依頼人を死なせてしまう。苦境に立った彼を待っていたものとは……

全篇に流れるリリシズムと非情な目が女と男の哀切な生を鮮烈に描き出す、最高傑作。(背表紙の紹介文より)

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

「怖くなった」と、私は突然いった。

「ぼくは死と失意が怖い」と、私はいった。「暗い海と溺れた人間の顔と眼玉のあとがからっぽのしゃれこうべが怖い。死ぬことと、すべてがむだになること、ブルネットという男に会えないことを怖れる」(『さらば愛しき女よ』より)

物語の終盤、ラスボスのブルネットが潜んでいると思われる船へ向かう中、フィーリップ・マーロウは案内人のレッドに突然こんな弱音を吐き始めます。

一瞬ぽかんとしていたレッドは、「何をいうのかと思ったよ。自分に言い聞かせているんだね」と笑います。

勇敢な私立探偵だけれど、妙に人間くさいところが目立つのが、フィーリップ・マーロウという男性の魅力のひとつでもあるようです。

『さらば愛しき女よ』の中で、僕が最も好きなシーンでもあります。

大切な勝負の前には、どんな人間だって怖くなるんだということを、フィーリップ・マーロウが教えてくれました。

彼女が彼に与えたものは何でしょう?

彼女がグレイルに与えたものは、もう老人といっていい彼が若くて美しくて精力的な妻を持ったという自己満足じゃなかったかな。グレイルはそれほど彼女を愛していたんだ。(『さらば愛しき女よ』より)

刑務所から出所した大鹿マロイが、最愛の女性ヴェルマを探す中、次々と人が死んでいきます。

そして、主人公のフィーリップ・マーロウは、美しい人妻グレイル夫人の誘惑を受けながら、事件の深みへとハマっていくわけですが、そこには大人の男と女の複雑で、ちょっと切ない物語が待ち受けています。

もちろん、『さらば愛しき女よ』はミステリー小説であって、恋愛小説ではありませんが、男と女の中で展開されるドラマは、しばしば僕たちを混乱させてくれます。

タイトルの「さらば愛しき女よ」というフレーズが、一体誰の誰に対する言葉なのかということを考えながら、この物語を読むと、この小説が持つ大きなテーマを理解できるのではないかと思います。

私はブラックのコーヒーを2杯飲んでから、ウィスキーを1杯飲んだ

私はブラックのコーヒーを2杯飲んでから、ウィスキーを1杯飲み、半熟の卵を二つとトーストを一枚砕いて食べ、それから、こんどはコーヒーにブランディを入れて飲んだ。」(『さらば愛しき女よ』より)

最後に、フィーリップ・マーロウのライフスタイルに関する部分をひとつだけ。

『さらば愛しき女よ』の中で、マーロウは盛んにコーヒーを飲みます。

ランドール警部が自宅へやってきたときも、寝起きのマーロウは彼にコーヒーを飲むように勧め、「台所へ行って、湯沸かしに水を入れ、ストーヴにかけ」、それから「荒挽きのコーヒーで、コーヒー漉しを使わない」コーヒーを淹れて、ランドールに「いい匂いだな」と言わせています

コーヒーが好きな人だったら、こんなフィーリップ・マーロウのライフスタイルに注目しながら、物語を読み進めていくと、楽しいのではないでしょうか。

ミステリー小説は、筋書きを追いかけていくだけが本当の読み方ではないと思います。

この小説が刊行された1940年(昭和15年)という時代、フィーリップ・マーロウが暮らすアメリカの街、そして、この小説が日本で初めて紹介された1954年(昭和29年)という時代なんかにも気をつけながら、物語を読んでいくと、かなり多くの(そして幅広い)発見があると思いますよ。

読書感想こらむ

レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』が本国アメリカで刊行されたのが1940年(昭和15年)なので、今年(2020年)で実に80年目ということになります。

80年前に書かれた小説を、何の違和感もなく、現代まで読み続けているというのは、実にすごいことです。

世の中は第二次世界大戦で大混乱していて、日本はアメリカとの戦争を目前に控えて緊張が高まりつつあった、そんな時代に書かれたミステリー小説。

そして大切なことは、この小説が80年という時代を経てもなお、「おもしろい小説であり続けている」という事実です。

ただ古いだけの小説はたくさんありますが、古くて面白い小説となると、時代の洗練を受けた真に素晴らしい小説だけしか残りません。

そういう意味で、レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説は「真に素晴らしい小説だった」ということを、時代が証明してくれたようです。

フィーリップ・マーロウ・シリーズの素晴らしいところは、あっと驚くようなトリックとか、想像を絶するアクションとかではなくて、人間が生きていく上で必然的に紡がれていく人生というドラマをベースにしているところだと思います。

そして、レイモンド・チャンドラーの圧倒的な筆力と表現力が、ただのミステリー小説をアメリカ文学にまで高めてしまっているところも、マーロウ・シリーズの魅力です。

読むのは大変だけれど、薄っぺらいミステリー小説とは違う、文学的なハードボイルドの世界を、ぜひお楽しみください。

なお、レイモンド・チャンドラーのフィーリップ・マーロウ・シリーズについては、別記事「チャンドラー『長いお別れ』ダンディに生きたい大人の男の教科書」でも詳しく紹介しているので、併せてご覧ください。

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まとめ

『さらば愛しき女よ』は、フィーリップ・マーロウ・シリーズの第2弾。

最愛の女性を探す、悲しい男の物語。

マーロウのクールなライフスタイルにも注目です。

著者紹介

レイモンド・チャンドラー(小説家)

1888年(明治21年)、アメリカ中西部のイリノイ州シカゴ生まれ。

1933年(昭和8年)、45歳のとき、探偵小説『脅迫者は撃たない』でデビュー。

『さらば愛しき女よ』刊行時は52歳だった。

清水俊二(翻訳家)

1906年(明治39年)、東京生まれ。

映画字幕の翻訳家としても活躍した。

「別冊宝石」で『さらば愛しき女よ』を初めて日本に紹介したのは48歳のときのことである。

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。