オードリー・ヘップバーンの映画で世界的に有名な「ティファニーで朝食を」ですが、原作小説を読んだことのある人って、意外と少ないのではないでしょうか。
映画とは全然違うけど、「ティファニーで朝食を」は大人に超絶お勧めの名作小説ですよ。
書名:ティファニーで朝食を
著者:トルーマン・カポーティ
翻訳者:龍口直太郎
発行年月日:1968/7/1
出版社:新潮文庫
作品紹介
「ティファニーで朝食を」は、1958年(昭和33年)に出版されたトルーマン・カポーティの中編小説です。
原題は「Breakfast at Tiffany’s」。
一般的な短編よりは長いですが、長編小説と呼べるほど長くはありません。
日本では龍口直太郎さんの翻訳によって、1960年(昭和35年)に新潮社から出版されました。
邦訳としては、この龍口直太郎さんの訳が定番ですが、2008年(平成20年)には村上春樹さんによる翻訳版も出版されています。
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なれそめ
僕がこの小説を読んだのは、オードリー・ヘップバーンの映画を観たことがきっかけです。
併せて「ティファニー」というブランドにとても興味があったので、ティファニーのことをもっと良く理解することができるかもしれないと考えて、この小説を買いました。
読んでみたくなるタイトルなんですよね、「ティファニーで朝食を」という日本語訳のタイトルは。
僕が初めて読んだ、トルーマン・カポーティの小説でもあります。
その後、ここまでカポーティにハマることになるなんて、全然予想もしませんでした。
あらすじ
舞台は第二次世界大戦の初めごろのニューヨーク。
東70丁目にある古い集合住宅で「私」はホリー・ゴライトリーと出会います。
ホリーは19歳に2か月足りない18歳の少女で、毎夜街に出ては男たちからお金をせびる暮らしを続けていました。
従軍中の弟フレッドに似ているという理由で、ホリーと「私」は急速に親しい仲となっていきます。
多くの男性が彼女に近付いてきますが、彼女は「いつか金持ちになりたい」とは考えているものの、自分自身まで捨てるつもりはなく、「たとえティファニーで朝食を食べるようになっても、自分自身を失いたくはない」と考えていたのです。
やがて、そんなホリーの謎の過去が明らかになるにつれて、物語は大きな展開を見せていきます、、、
本の壺
ホリーのライフスタイル
「ティファニーで朝食を」は、ホリー・ゴライトリーという一人の女性のライフスタイルが、大きなテーマになっています。
野良猫のように自由で、鳥籠に入ることを嫌い、気ままに恋愛を楽しながら、自分の居場所を探し続ける。
そんな彼女の姿は、まさしく新しい時代の女性像だったことでしょう。
まだ18歳(もう少しで19歳)なのに、毅然と自分自身を持っている姿はとてもクールで、世の女性たちが憧れたというのも頷けます。
「ティファニーで朝食を」を読むときは、ホリーの生き方に注目です。
名前のない猫
すごく意外な感じがしますが、「ティファニーで朝食を」では、ホリーの飼っている「猫」が重要な存在となっています。
彼女の部屋の「猫」には名前がありません。
何かに縛られることを極度に嫌がる彼女は、「猫」に名前を付けることさえ恐れていたんですね。
ある意味で「猫」は彼女のライフスタイルを象徴する存在として登場していると言えそうです。
その「猫」が作品の中でどのようになっていくのかを考えることは、ホリーの生き方を考察する上で、とても重要な意味を持ってくることになりそうです。
特に、ラストシーンで、ホリーと「猫」との生き様を考えていくと、なかなか夜も眠れませんよ(笑)
冬の寒い、晴れた、ある日曜日の午後、やっと彼を見つけ出したのだった。両わきに小ざっぱりしたレースのカーテンが下がっている、鉢植えの草花のあいだに、彼はうずくまっていた。見るからに温かそうな部屋の窓わくの上であった。彼にどんな名前をつけられたのかしら、と私は思った。安住の場所を得た彼に名前のついていないはずはなかったからだ。アフリカの掘立小屋だろうがなんだろうが、ともかくホリーにもどこか安住の地があってほしいもんだ、と私は心に祈った。(トルーマン・カポーティ/瀧口直太郎訳「ティファニーで朝食を」より)
ティファニー宝石店
「ティファニーで朝食を」最大の見せ場は、やはり「ティファニー」です。
実は、作品中に「ティファニー」が登場するのは、ごく一部分だけで、物語としては決して重要な存在とは言えません。
それでも、「ティファニー」はホリーのライフスタイルを表現する上で、非常に効果的な小道具となっています。
結局、自分で見つけたいちばんいい方法というのは、タクシーに乗ってティファニーの店に出かけること、そうすると、すぐに気分が落ち着いてくるのよ。あたりのシーンとした静けさや、誇らしげなお店のようすでね。あの立派な洋服を着た親切な人たちを見たり、銀とワニ革の財布の気持ちのいい匂いをかいだりしてると、ひどく悪いことなんかとても起こりそうもないのね。
だから、あたしをティファニーの店にいるような気分にさせてくれる本物の生活のできる場所が見つかりさえしたら、あたしは家具でも買い入れ、この猫に名前をつけてやるわ。(トルーマン・カポーティ/瀧口直太郎訳「ティファニーで朝食を」より)
翻訳者の瀧口直太郎さんは本作の翻訳にあたり、ニューヨークのティファニー本店を訪れ、「ここに食堂はありますか?」と訊ねたそうです。
もちろん「ティファニーで朝食を食べること」は、カポーティ一流の比喩なのですが、当時の日本人にとって、ティファニーはまだまだ手の届かない憧れのブランドだったようですね。
といっても、あたしがお金持ちになり、有名になることを望まないというんじゃないの。むしろ、そうなることがあたしの大きな目的で、いつかまわり道をしてでも、そこまで達するようにつとめるつもり。ただ、たとえそうなっても、あたしの自我だけはあくまで捨てたくないのよ。ある晴れた朝、目をさまし、ティファニーで朝食を食べるようになっても、あたし自身というものを失いたくないのね。(トルーマン・カポーティ/瀧口直太郎訳「ティファニーで朝食を」より)
それにしても「ティファニーで朝食を食べる」という発想は、今考えても凄いと思います。
読書感想
「ティファニーで朝食を」は、非常にテーマのしっかりとした純文学作品です。
先に映画を観ていたので、てっきり「恋愛小説」とか「ラブロマンス」みたいな物語だと思っていました(笑)
主人公ホリー・ゴライトリーの複雑な境遇を背景に、現代アメリカ社会が持つ闇のような部分を、著者カポーティはザクザクと切り刻んでいきます。
タイトルにある「ティファニー」だけではなく、「名前のない猫」「弟のフレッド」「あのいやな赤」など、象徴的なキーワードが散りばめられていて、ホリーという一人の女性のライフスタイルを描きながら、実はアメリカ全体を描いているという、非常に壮大な物語。
ドラマチックなストーリーを追いかけるというよりは、ホリーの人生を深く掘り下げることで、文明社会のリアルに迫っていきます。
緻密で美しい文章は、カポーティの才能をいかんなく発揮しています。
ちなみに、物語の語り手「私」には、作者であるトルーマン・カポーティの影が感じられて、非常に興味深いと思いました。
センシティブで、ちょっと気難しくて(逆切れしてホリーをボコボコにしてしまう)、そして、中性的ゆえに女性とも友人関係を保つことができる「私」は、まさしくカポーティそのものなのではないでしょうか。
映画とは全然違ったけれど、映画よりも全然おもしろい原作小説でした。
いわゆる「良い意味で裏切られた小説」です。
短いので、初めてカポーティを読む人にお勧めの歴史的名作ですよ。
まとめ
小説「ティファニーで朝食を」は映画とは全然違う作品であり、映画よりもずっと深みのある作品。
エンターテイメントではなく純文学作品として読みたい。
トルーマン・カポーティの入門編としてお勧め。
著者と翻訳者
トルーマン・カポーティ(作家)
「ティファニーで朝食を」の著者トルーマン・カポーティは、1924年(大正13年)生まれのアメリカの小説家です。
「ティファニーで朝食を」映画化の際、カポーティはマリリ・モンローこそが主演女優としてふさわしいと考えていたそうです(同感です)。
「ティファニーで朝食を」を完成させたとき、彼は34歳でした。
村上春樹さんも、「ティファニーで朝食を」を翻訳した際、あとがきの中で「カポーティは明らかに、ホリー・ゴライトリーをオードリー・ヘップバーンのようなタイプの女性としては設定していない」と指摘しています。
瀧口直太郎(アメリカ文学研究家)
「ティファニーで朝食を」の翻訳者・瀧口直太郎さんは1903年(明治36年)生まれのアメリカ文学研究家です。
映画版「ティファニーで朝食を」については、「映画「ティファニーで朝食を」は、小説「ティファニー」とかなりちがったものになっている。一言でいえば、 映画化の場合よくそうであるように、あまり感心できない通俗化が行われたのである」と批判的なコメントを残しています。
カポーティの「ティファニーで朝食を」を翻訳出版したのは、57歳のときでした。
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