日本文学の世界

今日出海「私の人物案内」上戸も下戸も酒が繋いだ文学仲間たちの青春

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今日出海「私の人物案内」読了。

本書は、1951年(昭和26年)に刊行された今日出海の随筆集である。

書名のとおり、著者の交友関係を丁寧に紹介した内容となっているが、その交友関係が実に多様で楽しいものとなっている。

今日出海の交友関係を大雑把に整理すると、大きく東大仏文科の流れと、鎌倉文士の流れとがあるが、その縦糸と横糸が複雑に絡み合って多くの文学者たちが登場してくる。

冒頭に収録されている「辰野門下の旦那たち」は、東大仏文の流れにある人たちを紹介したもので、その一番最初に登場するのが、盟友の小林秀雄である。

小林秀雄の才能を発掘したのは恩師の辰野隆で、辰野先生はフランスから届く新刊書をページも切らずに小林に貸し与えていたという。

昭和三年に卒業した「昭和三年組」には小林秀雄のほか、中島健蔵や三好達治らがいたが、彼らは歴史的な大恐慌の中、ましてフランス文学なんかを専攻していたため、満足に就職口を探すことさえできなかった。

今日出海が新婚旅行から戻ってきたとき、新居には、その家を準備してくれた三好達治と佐藤正輝が泊まり込んでいて、新婚夫婦が帰って来た後も、三好達治は酒を飲み続けて泊まり込んでいった。

関西弁でまくしたてる河盛好藏は実に才気のある人間で、河盛が「売れまっせ」と言ったものは本当に売れるというので、戦後は、売れる本屋の後ろには河盛がいると言われたそうだ。

俳句第二芸術論を提唱して俳壇と揉めた桑原武夫は、フランス文学に心から心酔している人間だったから、「彼の眼中には、敗戦後四等国になった日本の文学などは第四芸術ぐらいに見えるかも知れぬ」と、著者は綴っている。

意外にも井伏鱒二もこの流れに属する人で、井伏さんは、辰野先生が早稲田に仏文で代講を受け持ったときの学生だったそうである。

酒が繋いだ鎌倉文士たちの絆

一方で、鎌倉文士の流れの方は「英雄部落周遊紀行」に詳しい。

「久保田万太郎が酒を止めた」という噂を聞いたとき、著者はさすがに体調を案じたらしいが、再会したとき、既に万太郎は上機嫌で「酒は止めたがウイスキーは飲むよ」とサントリーを傾けたという。

吉井勇が結婚したとき、祝いに駆け付けた久米正雄、里見弴、田中純らが二日半で四斗樽を空にした話は、鎌倉の伝説として伝わっている。

終戦後は、下戸までが酒を飲むようになって、村松梢風が酒を飲み始めると、下戸の標本みたいだった小島政次郎や川端康成までが飲み始めた。

中山義秀、大岡昇平、中村光夫、石塚友二、大佛次郎、高見順、個性的な文士たちが次から次へと顔を見せる。

こうした酒友の流れは、河上徹太郎へとつながっていき、二人の共通の友人である白洲次郎からは「いくら飲んでも前後不覚に酔うのは止めてくれ。君たちは教養ある紳士じゃないか」とたしなめられたという。

当時の文学仲間たちは、酔っては人を攻撃するカラミ酒だったが、殊に小林秀雄、青山二郎、永井龍男の三人は「山繭三人男」と言って恐れられていた(「山繭」は小林秀雄が主宰した同人誌の誌名だが、あまりに絡まれるので同人がいなくなって廃刊とした)。

彼等は出雲橋際の「はせ川」に集まってはカラみ合っていたので、横光利一までもこのカラみ合いを見物に来て「揉んどるですか」と呆れていたほどだ。

酒の付き合いは人の付き合いを広く深くするらしい。

こうした人物案内は、今日出海が友人を語りながら、今日出海その人を語っているものだと考えてもいいようだ。

書名:私の人物案内
著者:今日出海
発行:1985/7/10
出版社:中公文庫

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。