日本文学の世界

井伏鱒二「広島風土記」郷土福山と被爆地の戦争を綴ったアンソロジー

井伏鱒二「広島風土記」あらすじと感想と考察

井伏鱒二「広島風土記」読了。

本作「広島風土記」は、井伏鱒二作品の中から郷土・広島に関するものを集めたアンソロジーである。

2023年(令和5年)6月、中公文庫オリジナルとして刊行された。

なお、著者の井伏鱒二は、1993年(平成5年)7月、95歳で没している(今年は没後30年ということになる)。

一人の日本国民の目からとらえられた敗戦

本作「広島風土記」は、井伏鱒二と広島をたっぷりと体感することのできる作品集である。

井伏鱒二は広島県福山市の人だった(本人は「備後の山奥の生まれ」と言っている)。

本作を大雑把に区別するなら、戦争に関する話と、風土に関する話の二つに分けることができるような気がする。

もちろん、その両方を備えた話もあるだろう。

例えば、「広島風土記─早廻り記」は、戦後の広島を周遊したときの旅行記だが、そこには戦争の記録も生々しい。

同行の記者が爆心地へ行くときも、「私はあの荒廃の趾はもう見たくなかった」と言って、一人宿に残るが、帰ってきたカメラマンから「爆心地の趾でケロイドの出た瓦を売る店を見て来た」と聞かされて、自分が持っている瓦のことを思い出す。

昨年の五月、私はその店で瓦を買って来たが、水素爆弾のビキニの灰が降るようになってから、急にその瓦が怖しくなって庭の手水鉢の根元に棄てた。今でもそのままになっている。瓦のケロイドは無釉陶器の自然釉とは違って、瓦土そのものから何やら噴きだした感じで荒い土肌を見せている。(井伏鱒二「広島風土記─早廻り記」)

これは、1955年(昭和30年)7月『小説新潮』に発表された紀行文だが、当時の広島を原子爆弾と切り離して考えることは、もちろんできなかっただろう。

短編小説「かきつばた」や随筆「『黒い雨』執筆前後─被爆25周年にあたって」なども、被爆地・広島を克明に語る記録的な作品と言うことができる。

戦争物としては、疎開中の体験を綴った「疎開日記」や「疎開余話」もいい。

八月十五日 正午からラジオの重大放送あり。陛下の御放送拝聴。ラジオの調子わるく不明なりしは残念なり。福治さんが駆けつけて来て「敗けたんですぞ」と知らせてくれた。(井伏鱒二「疎開日記」)

作家というより、一人の日本国民の目からとらえられた敗戦が、そこには描かれている。

林芙美子と「サヨナラダケガ人生ダ」

一方で、戦争を離れたときの井伏鱒二の旅行記もいい。

「因島半歳記」は、瀬戸内海に浮かぶ因島で暮らしたときの思い出を描いたものだが、最後に、林芙美子と一緒に、尾道から三の庄へと回ったときのことが綴られている。

やがて島に左様ならして帰るとき、林さんを見送る人や私を見送る人が十人たらず岸壁に来て、その人たちは船が出発の汽笛を鳴らすと「左様なら左様なら」と手を振った。林さんも頻りに手を振っていたが、いきなり船室に駆けこんで、「人生は左様ならだけね」と云うと同時に泣き伏した。(井伏鱒二「因島半歳記」)

井伏鱒二は、後に于武陵の「勧酒」という詩を日本語で訳しているが、「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」と和訳したのは、このときの林芙美子の言葉が元になっているということである。

因島の話では、警察の大捕り物に付き合わされてしまう短編小説「因ノ島」も楽しい。

おかみさんは、言葉を切って「それにしても、いろいろと人間は、何ですわねえ、ともかく、何ですわ」と云いながらお銚子をとりあげて、私の盃に酒をつぎたした。しみじみと云って、静かにつぐのである。(井伏鱒二「因ノ島」)

酒を切り上げて蚊帳の中へ入っていく<私>が、おかみさんの言葉を意識してか、「なかなか今日は、それにしても何ですわ、ともかく何ですわ」と独り言をつぶやくところなんかは、まさに井伏鱒二という感じがする。

人生というのは、まさしく「それにしても何ですわ、ともかく何ですわ」というやつなのだ。

その他「半生記──私の履歴書(抄)」や「おふくろ」「ふるさとの音」「故郷の思い出」「在所言葉」など、井伏鱒二の福山をたっぷりと堪能することができる、このアンソロジー、読まない手はない。

表紙に使われている井伏さんの写真もいい。

庄野さんや小沼さんが存命だったら、さぞかし喜んだことだろう。

書名:広島風土記
著者:井伏鱒二
発行:2023/06/25
出版社:中公文庫

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やまはな文庫
アンチトレンドな文学マニア。出版社編集部、進学塾講師(国語担当)などの経験あり。推しは、庄野潤三と小沼丹、村上春樹、サリンジャーなど。ゴシップ大好き。