外国文学の世界

マンスフィールド「船の旅」母を亡くした少女と暗闇の記憶

マンスフィールド「船の旅」あらすじと感想と考察

キャサリン・マンスフィールド「船の旅」読了。

本作「船の旅」は、1921年(大正10年)12月『スフィア』に発表された短篇小説である。

この年、著者は33歳だった。

原題は「The Voyage」。

マンスフィールドは、翌々年の1923年(大正12年)1月、34歳で病死している。

幼い少女が祖母と二人、一夜の船旅をする物語

庄野潤三は、マンスフィールドの作品が好きだった。

この「船の旅」という作品は、特にお気に入りだったらしい。

どんな作品が好きか考えてみると、主人公が女の子であるのがいい。私は、お母さんが亡くなったので、お祖母さんに連れられて、夜、船に乗り、別の島にいるお祖父さんの家へ行く女の子の旅を書いた ‘The Voyage’ が好きで、時々、読んでみたくなる。(庄野潤三「マンスフィールド」)

『自分の羽根』という随筆集に収録されているこの作品は、1966年(昭和41年)9月に研究社から刊行された『20世紀英米文学案内・マンスフィールド』の月報に発表された(当時の表題は「マンスフィールドと私」)。

庄野さんが紹介しているとおり、本作「船の旅」は、幼い少女が祖母と二人、一夜の船の旅をする物語である。

少女の母親が亡くなったことについて明確な説明はない。

「きっとなにも心配は──」彼女はそう言いかけた。そうして、言葉を飲みこんで、ふたりを見た。黒い服のおばあちゃんが悲しそうであること。それからフェネラの黒いコートとスカーフとブラウス、縮緬の薔薇付きの帽子。おばあちゃんは頷いた。それから「主の思し召しです」と言った。(キャサリン・マンスフィールド「船の旅」西崎憲・訳)

フェネルと祖母の服装から、女性の客室係は二人の身の回りに起きた不幸を読み取ってみせる。

「こういうときにはいつも言うんですけど」と客室係の女の人は自分が考えた言葉のような調子で言った。「遅かれ早かれ、わたしたちはみないかなければなりません。避けられないことです」(キャサリン・マンスフィールド「船の旅」西崎憲・訳)

フェネルがどうして祖母と二人きりで船に乗っているのか、この場面を読むことによって読者は理解することになる。

詩のように美しい文章で暗闇を描く

この物語の特徴は、説明的な文章が、ほとんどないということだろう。

小説というよりも詩のように美しい文章で描写があるだけだ。

旧埠頭通りは暗かった。とても暗かった。羊毛を貯めておく小屋、家畜運搬車、空に突きだしたクレーン、うずくまる小さな蒸気機関車、みんな固形の闇を彫って造ったように見えた。(キャサリン・マンスフィールド「船の旅」西崎憲・訳)

「固形の闇を彫って造ったように見えた」という文章がすごい。

今回、他の翻訳も一緒に読み比べてみたけれど、『郊外のフェアリーテール(キャサリン・マンスフィールド短篇集)』に収録されているものが、一番詩的で良かった(好き嫌いがあるだろうと思うけれど)。

夜の船旅なので、暗闇の描写が多い。

暗い人影がいくつも手摺にもたれかかっていた。パイプの火皿の放つ光が、鼻や、帽子の疵や、驚いたような形の眉を、薄い闇のなかに浮かびあがらせた。(キャサリン・マンスフィールド「船の旅」西崎憲・訳)

そして、こうした風景描写の合間から、読者は母を亡くしたばかりの少女フェネルに感情移入していくことになる。

もちろん、フェネルの心理状況について明確な説明はない。

読者は小説の中の少女に身を置き換えて、自分がフェネルになったつもりで、夜の船に揺られていくだけだ。

僕は、この作品を読んで、村上春樹の短篇小説を思い出した。

どこがどう、というわけじゃないんだけれど。

作品名:船の旅
著者:キャサリン・マンスフィールド
訳者:西崎憲
書名:郊外のフェアリーテール キャサリン・マンスフィールド短篇集
(ブックスならんですわる02)
発行:2022/04/03
出版社:亜紀書房

ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。