日本文学の世界

河上徹太郎「旅・猟・ゴルフ」白洲次郎や井伏鱒二が登場する文学エッセイ集。

河上徹太郎「旅・猟・ゴルフ」あらすじと感想と考察

河上徹太郎「旅・猟・ゴルフ」読了。

本作「旅・猟・ゴルフ」は、1961年(昭和36年)12月に講談社から刊行された随筆集である。

この年、著者は59歳だった。

白洲次郎と白洲正子

タイトルだけ見ると、呑気な娯楽エッセイのように思うけれど、決してそんなことはない。

遊びの中にも、文芸評論家らしい社会批評が刻み込まれている。

児島明子さんがミス・ユニバースに当選したとき、戦後日本の文化水準の向上について、河上徹太郎は敗戦のおかげだと指摘している。

ではなぜ水準に達したか? 私は率直にいってそれは敗戦のお陰だと思う。つまり敗戦によって国民が素直さを取りもどしたのだ。それがわれわれの自信になり、 恆の心になったのだ。それを思うとわれわれは何と占領直後の卑屈と自棄とから立ち直ったことだろう。(河上徹太郎「敗戦の功徳」)

この随筆が「風神」に発表されたのは昭和34年で、敗戦から14年しか経っていない。

国民生活は、まだ敗戦の延長上にあったのだろう。

戦後史に名前を残す白洲次郎は、河上徹太郎の良き仲間だった。

私の友人の青山二郎が白洲次郎のことを「メトロ」とあだ名をつけた。それどういう意味だい、と聞くと、ホラ、メトロの活動にあるじゃないか、いきなり字幕にライオンが出て来て、ウオー、ウオー、って吠えるの、あれさ、という。全く白洲の人づき合いにはそういうところがある。いきなり噛みついて、人を試すのだ。(河上徹太郎「メトロのライオン、白洲次郎氏」)

しかし、二声吠えると、もうライオンは消えて、普通に映画が始まるのが、白洲次郎という人だったらしい。

仲良しだから、白洲次郎の話題は多い。

或る時白洲次郎のうちでこんな風な話が出た時、彼はいった。「おい、イギリスじゃ、この人が、といって傍にいる人を指さして外の人に何か説明したりするのは大変失礼なことになっているが、何故だか知ってるかい? これも鉄砲から来てるんだ」私はロンドンへ行った時人を指さないように大変気をつけたのを思い出したが、その時座にいた正子夫人がむきになって抗議した。「だって、次郎さん。あなたよく私のことを、こいつが、って指さして人に話すわよ」(河上徹太郎「指さす」)

白洲正子の抗議に、白洲次郎は「そりゃ、憎しみの時は別!」と吐き出すように言ったそうである。

井伏鱒二と太宰治

井伏鱒二が登場するいくつか話もある。

私も時に天狗振って、今迄幾人か友人を連れて歩いた。私の猟場は丘陵地帯で足場がよく、宅へ帰って一杯やるサービスもついている。中で一番傑作だったのは井伏鱒二で、下駄ばきでもじりの和服姿で現われたのには驚いた。それに彼は一寸した坂道にも息が切れるのである。窮余の挙句、私は犬に綱をつけて彼に渡した。犬は血気にはやっているから、ぐいぐい引っ張って登るので、井伏は大満悦だった。(河上徹太郎「私の猟」)

この随筆が「小説新潮」に発表された1957年(昭和32年)、井伏さんは59歳だった。

「猟犬」という随筆には「井伏鱒二がいつか、「釣の名人は皆助平だ」といっていた」という、井伏さんの名言も紹介されている。

本人は登場しないけれど、「文学碑めぐり(嘉村磯多)」にも、井伏さんのエピソードが登場している。

一昨年秋、彼の故郷山口に文学碑ができたので、河盛好蔵氏等と一緒に除幕式に出かけた。着いた晩記念講演会でしゃべらされたが、井伏鱒二氏も同道するはずのところ、急病で行けなくなったので原稿を書いて河盛氏に託した。河盛氏はそれを代読することで、自分の話の代りにお茶を濁したが、その内容は要するにただ山口県人の悪口で、しかも会場大笑いするような原作と河盛氏の演出であった。(河上徹太郎「文学碑めぐり(嘉村磯多)」)

言ってみれば内輪話なんだろうけれど、井伏鱒二、河上徹太郎、河盛好蔵といった仲間たちの様子が伝わってきて楽しい。

井伏鱒二の弟子だった太宰治の命日に集う桜桃忌の話は、現代文壇に対する厳しい批判となっている。

突然一角にただならぬ嬌声が起った。太宰に因んで桜桃が配られようとすると、女子学生が争って手を出し、まるで節分の豆まきの騒ぎである。そのあおりを食って、床の間の花瓶にさしてあった枝付の枇杷の実が忽ちなくなった。これは青柳瑞穂君が自宅の庭になったのを折って来て供えたものであった。(河上徹太郎「桜桃忌」)

文学ファンとも思われない若い男女学生の登場によって、太宰の墓参りは、賑やかな騒ぎの場となってしまったのだ。

この年、1959年(昭和34年)、三鷹禅林寺集まった墓参者は300名近くにもなったらしく、「本堂ギッシリで身動きも出来なかった」と、著者は綴っている。

『週刊新潮』にも「庇を貸して母屋をとられた桜桃忌」という批判記事が載ったらしいが、これも文壇が芸能界と化したひとつの結果だったのだろう。

なお、巻末に、福原麟太郎が文章を寄せているところも、自分の気に入った部分である。

書名:旅・猟・ゴルフ
著者:河上徹太郎
発行:1961/12/10
出版社:講談社

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。