庄野潤三の世界

「戦後短篇小説再発見/漂流する家族」庄野潤三「蟹」人生の不安は日常の中に埋もれている

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講談社文芸文庫「戦後短篇小説再発見」シリーズの第4集のテーマは「漂流する家族」。

そもそも、日本の近代文学のなかで、短篇小説は「短いだけの小説」とは異なる、特別な位置を保ってきた。

それは、人生を切り口鮮やかに一瞬のうちに示してみせる言葉の技術であり、一人の人間の複雑な内的世界を丸ごと描いてみせる文章の技量であった。

日本の短篇小説の作家たちは、人間や社会や歴史を、そのままの全体として描き出すのではなく、鏡に映った小さな宇宙として描き出したのである。(「序」)

太平洋戦争の敗北と占領政策の結果、日本の家族制度は大きく変化した。

戦前の家父長的・封建的な「家」の法的基盤は新憲法によって否定されたし、高度経済成長と都市化の流れは、1960年代以後に「核家族」現象をもたらすこととなった。

本巻「漂流する家族」に収録された12の短篇小説は、戦後という時代のなかで、その姿を大きく変えていった家族という社会現象を万華鏡のように映し出しながら、同時に、家族のもつ本質的な、変わらざる人間としての営為を、切り開いて垣間見せてくれる(富岡幸一郎「『家族』はどこへ漂流するのか」)。

本シリーズは、戦後という時代に書かれた膨大な数の短篇小説のなかから、一人の小説家について一作のみを収録するという原則で、これまであまり知られることのなかった「名作」にこだわって、作品が選定されている。

そういう意味では、本書に並ぶ作家陣は「家族」に固執した作品を書き続けてきた文学者が並んでいるといっていいかもしれない。

庄野潤三「蟹」(昭和34年)

二人は漁村のあるこの小さな町まで子供を連れてやって来た。朝はまだ暗いうちから起きて、どの家もまだ眠っている時分に出て来たのである。子供と荷物を汽車に乗せるためには苦労がかかる。何時間も立ち通しでいることのないようにちゃんと席も取らなくてはならない。そのためには駅へ早く来てフォームに並ばなくてはいけない。(庄野潤三「蟹」)

「漂流する家族」には、庄野潤三の「蟹」が収録されている。

昭和30年、短篇小説「プールサイド情景」で芥川賞を受賞した庄野潤三は、戦後を代表する短篇小説作家であり、とりわけ「家族小説」を得意分野として書き続けてきた。

戦後日本の「漂流する家族」を語るうえで、まず欠かすことのできない小説家の一人だろう。

その庄野潤三の作品群から選定されたものが、この「蟹」という短篇小説である。

「蟹」は、昭和34年11月「群像」で発表後、作品集『静物』(昭和35年、講談社)に収録された。

本書「漂流する家族」に、庄野文学の代表作ともいわれる名作「静物」ではなく、あえて「蟹」を収録しているのは、「これまであまり知られることのなかった名作を選び出す」という、編集方針に敵ったものだったからだと思われる。

実際、庄野文学を語る上で「蟹」は決して重要な作品としては扱われてこなかったし、「あまり知られることのなかった名作」という概念を具現化しているという意味で、ここに「蟹」が収録されたことは意義深いことだと思われる(なお、「蟹」は新潮文庫『プールサイド小景・静物』で読むことが可能)。

「蟹」は、子どもの夏休みに泊りがけで海水浴にやってきた5人家族の物語である。

3人の子どもを連れて海へ向かう汽車を駅のホームで待ちながら、父親は「油断は禁物。敏速に抜かりなくやらねばならない。一緒の列にならんでいる人を競争者か敵のような眼で見たり、見られたりしなくてはならない」「ああ、何ということだ。人生はなかなか楽じゃない。楽じゃないにしても、こんな気持でばかり生きているわけではないのに!」と、小市民的な苦悩にとらわれている。

絵描きの来る宿屋の部屋には「セザンヌ」「ルノワール」「ブラック」などといった名前があり、それぞれの部屋に、子どもたちを連れた家族連れが宿泊している。

物語は「セザンヌ」に泊まっている5人家族の休日風景を中心に、ルノワールやブラックの家族の様子を描きながら、日本で生きる平均的な家族の姿を具体的に浮かび上がらせていく。

庄野潤三の戦後文学への登場は、一言でいえば日常性の登場であった。

庄野潤三の戦後文学への登場は、一言でいえば日常性の登場であった。戦争・敗戦という非日常的な状況から出発した戦後文学の流れも、経済復興と「もはや戦後ではない」という生活感覚のなかで、日々の変化のない日常の光景をテーマにすることになった。(富岡幸一郎「『家族』はどこへ漂流するのか」)

庄野さんは日常を描く作家だったけれど、日常とは「何もないこと」ではない。

解説の富岡さんの言葉によれば「作家はこの日常の事柄から、家族や夫婦というものの本質を言葉によって抽出する」「それは抽象的な絵ではなく、そこにあるものの具体性のうちに現われるのである」ということになるだろうか。

もっと簡単に言えば、庄野さんの文学は解説や分析や検証ではない。

具体的な事柄を書くことによって、本質的なものを浮かび上がらせようとしているのである。

しばしば、庄野さんの作品は「日記のようだ」と表現されるが、庄野文学の特徴は、日記のように具体的な事柄を書いていくことにある。

どうしてそうなったのか、その背景に何があるのかなどといった、余計な考察は登場しない。

読者は、まるで日記のように書かれた具体的な事柄から、何かを感じ、そこに自分自身で何かを見つけ出すのである。

それは「日常の中にこそ人生の真実がある」という考え方につながるものかもしれない。

庄野潤三は、日常生活の断片を切り取ることで、人生とは何かということを問い続けてきた作家である。

「蟹」は、まさしく、サラリーマンの父親を中心とする5人家族の日常を(あるいは、夏休みの海水浴旅行というささやかな非日常かもしれない)描くことによって、味わい深い人生の醍醐味を感じさせてくれる作品だ。

日が暮れたとき、初めて外泊する小さい男の子が「もうお家に帰ろう」と泣き出す場面がある。

小学6年生の姉が弟に言い聞かせている様子を見ながら、父親は「我々は宿無しになって歩き出す日があるかも知れないではないか。そんな時は林の中でも川の横でも寝るのだ」などということを考えている。

人生の不安は日常の中に埋もれているということを感じて、ハッとする場面だった。

書名:戦後短篇小説再発見4「漂流する家族」
編者:講談社文芸文庫
発行:2001/9/10
出版社:講談社文芸文庫

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じゅん
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庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。