日本文学の世界

庄野潤三「ピアノの音」洗練された家族小説の行方

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庄野潤三『ピアノの音』読了。

久しぶりに、庄野さんの「夫婦の晩年シリーズ」を読んだ。

「夫婦の晩年シリーズ」というのは、庄野文学の後期を代表する作品群のことで、現在もなおファンが多く、庄野文学の「静かなブーム」を支える存在となっている。

第28回講談社エッセイ賞を受賞した『野蛮な読書』で、平松洋子さんは、本作『ピアノの音』を紹介している。

そのとき指がもとめる本のうちの一冊が、庄野潤三『ピアノの音』である。老境をむかえた夫婦の日常が、家族との交流や四季折々の変化、小鳥や小動物、近所のひとびととの往来を織り交ぜながら淡々と綴られてゆく。簡潔で平明な文章が朝の時間に、日暮れのひとときに静かな光を注ぎ、そしてまたつぎの日も反復される。その日常に響くのがピアノの音、ハーモニカの音色。(平松洋子「まずいスープはうまい」)

仕事がたてこんででわしない日が続いたときの息抜きに、平松洋子さんは『ピアノの音』を愛読したらしい。

ピアノの音もハーモニカの音色も、十年一日のごとく重ねられる毎日を縫い合わせてゆく糸のようだ。なんというおだやかな日々。そのなかにあって、さまざまな食べものがさかんに行き交う。清水さんの種なし葡萄のピオーネ、伊予のお柿。古田さんの冬瓜のあんかけ。朴葉みそ。焼きたてのフルーツケーキと茹でた栗。誕生日のケーキ。父母の郷里の阿波徳島風のまぜずし「かきまぜ」…(平松洋子「まずいスープはうまい」)

疲れた心を癒す機能が、庄野さんの小説にはあったということなのだろう。

夫婦の晩年を主題にした小説を書きたいという気持が私にある

この数年前から夫婦の晩年を主題にした小説を書きたいという気持が私にある。「新潮45」に連載した「貝がらと海の音」(1996年)は、その始まりであった。「群像」の渡辺勝夫編集長から連載小説を書きませんか、題材は自由ですという有難いお話があったとき、私は、夫婦の晩年を書きたいと思った。子供が大きくなり、みんな結婚して、家に妻と二人だけで暮すようになって年月が経った。孫の数もふえて、賑やかになる。そんな夫婦がいったいどんなふうにして日常生活を送っているかを書いてみたい。(「あとがき」)

結局、この「夫婦の晩年シリーズ」は、庄野さんが亡くなるまで続く、超大作シリーズとなり、一連の作品は今や、庄野文学の代名詞ともなっている。

「夫婦の晩年シリーズ」の作品リストを、単行本の刊行年順に並べてみると、次のようになる。

①貝がらと海の音(1996)/②ピアノの音(1997/③せきれい(1998)/④庭のつるばら(1999)/⑤鳥の水浴び(2000)/⑥山田さんの鈴虫(2001)/⑦うさぎのミミリー(2002)/⑧庭の小さなバラ(2003)/⑨メジロの来る庭(2004)/⑩けい子ちゃんのゆかた(2005)/⑪星に願いを(2006)

1996年の『貝がらと海の音』から2006年の『星に願いを』まで、実に10年以上にわたる連載で、全11冊の書籍を刊行した。

このうち、半数以上の作品が文庫化されており、「夫婦の晩年シリーズ」が、いかに人気があったかが分かる。

「どこかで春が」を妻が歌って、「いい歌だなあ」と二人でたたえる

ハーモニカ。夜、「どこかで春が」から始め、「春」「早春賦」と続ける。やはり「早春賦」でしめくくると、満足する。「どこかで春が」を妻が歌って、「いい歌だなあ」と二人でたたえる。(「十」)

庄野さんの代表作品群であることを知りながら、自分で読むのは『せきれい』『貝がらと海の音』に続いて3作目である。

『せきれい』はシリーズであることを知る前に読み、『貝がらと海の音』はシリーズ1作目ということで読んだ。

間違いなく素晴らしいシリーズだと思ったけれど、このシリーズにハマってしまうと、庄野文学のその先へ進むことができない(過去の作品を読むことができない)ような気がして、あえて、中期の作品から読み進めるようにしてきた。

その方が、「夫婦の晩年シリーズ」を、より深く理解できるのではないかと思ったからだ。

2作目の『ピアノの音』は、1作目の『貝がらと海の音』と較べて、非常に洗練された小説である。

作家の日常体験を素材として、細かなエピソードをまるで縫い合わせるようにして、一つの物語として紡ぎあげている。

それぞれのエピソード(段落)の冒頭には、テーマとなる言葉が、まるでタイトルのように添えられていて、非常に読みやすい(上の引用では「ハーモニカ」がテーマとなってる)。

文章は饒舌にならずに、語りすぎることなく簡潔に、まるで日記の断片のようにあっさりとしているが、決して書き漏らすようなことはない(上の引用は「ハーモニカ」部分の全文となる)。

一見、同じようなエピソードが繰り返されるが、実は、一つとしてまったく同じエピソードはない。

妻のピアノ練習曲や作家のハーモニカ演奏、庭の草花や野鳥は、過ぎてゆく日々の象徴であり、それぞれが「ピアノ日記」や「ハーモニカ日記」「薔薇日記」「野鳥日記」などとして、単独で主題となりうる素材を交互に組み合わせることで、重厚な小説世界を創り上げている。

『貝がらと海の音』や、その前史とも位置付けることができる『鉛筆印のトレーナー』や『さくらんぼジャム』では、同じように作家の日常を素材としていながらも、文章的な装飾は多く、エピソードも、もっと自由に組み込まれていた。

いっそ「小説らしい小説」であったのだけれど、『ピアノの音』では、エピソードの構成やエピソードを語る文章が研ぎ澄まされていて、計算された文学作品という印象を受ける。

おそらく、ひとつひとつのエピソードの置き場所(順番)には、相当配慮がなされているし、特別のこと(大阪旅行や宝塚公演、長女のけがなど)はしっかりと書き込むなど、メリハリを付けることで、小説としてのリズム感を生み出している。

今回、断片的なエピソードをノートに書き出しながら読書してみたが、素材の多さに、改めて驚かされた。

まるで「まぜずし」のような小説だと言われるが、言いえて妙だと思う。

書名:ピアノの音
著者:庄野潤三
発行:1997/4/18
出版社:講談社

ABOUT ME
青いバナナ
アンチトレンドな文学マニア。推しは、庄野潤三と小沼丹、村上春樹、サリンジャーなど。ゴシップ大好き。