庄野潤三の世界

【文学散歩】庄野潤三の墓参りで塚原駅から長泉院まで歩いてみた

【文学散歩】庄野潤三の墓参りで塚原駅から長泉院まで歩いてみた

庄野潤三の長編小説『ピアノの音』(1997)の中に、存命の庄野さんが墓を建立した話が出てくる。

一休みしてから長女の車で去年の夏に建てた長泉院のお墓を見に行く。去年七月の暑い日に長男一家、次男一家が集まって、ゲストとして畑のばらをよく届けて下さる近所の清水さんと阪田寛夫に来てもらって神奈川庄野のお墓の披露をしたとき以来である。(庄野潤三「ピアノの音」)

2009年(平成21年)9月21日に88歳で亡くなった後、約束どおり庄野さんは、このお墓で安らかな眠りについているという。

夏休み、お盆時期でもあることから、この機会に庄野さんのお墓参りに出かけてみた。

箱根ロマンスカーに乗って小田原へ

行き先は、神奈川県南足柄市にある長泉院というお寺である。

グーグルで調べると、長泉院は箱根大雄山線の塚原駅から2.4キロのところにあるらしい。

塚原駅へ行くには、まず小田原駅まで行かなくてはならない。

庄野さんの長女・夏子さんは南足柄市に住んでいて、実家のある生田までは箱根ロマンスカーを使って行き来していたことが、『ピアノの音』の中にも書かれている。

今回、我々も初めて箱根ロマンスカーに乗って、小田原まで移動することにした。

新宿駅午前9時発の「スーパー箱根1号」は、夏休み中とあってか、さすがに満席。

指定席は先頭車両の一番前の席で、運転手と同じような目線で、進行方向の様子を見ることができるが、眺望を楽しむなら、普通に横の窓の大きな席の方が良かったかもしれない。

午前10時、小田原着。

小田原駅で、大雄山線1日フリー乗車券「金太郎きっぷ」を買って、大雄山駅行きの列車に乗り込む。

ここから先は、あまり観光客もいないらしく、列車には地元客がちらほらと乗っているだけ。

のんびりと走って、やがて塚原駅に到着。

ここは、庄野さんの長女・夏子さん宅の最寄駅になっている。

『ピアノの音』の中では、夏子さんが大怪我をしたとき、庄野夫人が夏子さんを見舞うために塚原駅で下車する様子が描かれている。

土手から落ちて顔を打った長女の見舞いに南足柄へかやく御飯や食パンを詰めたボストンバッグをさげて出かけた妻が、夕方帰宅する。妻の話を聞く。向ヶ丘遊園から10時9分の前に9時56分発のロマンスカーがあり、それに間に合って小田原へ。大雄山線の塚原駅前で電話をかけたら、長女が出た。(庄野潤三「ピアノの音」)

塚原駅は、駅前に目立った商店街などのない、とても静かな駅だ。

ここから庄野さんのお墓のある長泉院までは約2.4キロの山道だが、駅前にタクシーの気配はないから、覚悟を決めて歩くしかない。

平地の2.4キロなら30分程度かもしれないが、上り坂となると、時間はもう少しかかるだろう。

ところが、この予測は見事に外れて、お寺までの道のりは想像以上に困難な道のりとなった。

まず、アップダウンのある山道は、猛暑と相まって激しく体力を消耗する。

特に、参道に入ってからの最後の急登は、さすがにキツかった(自動車で登っていくのも大変な坂だと思う)。

そして、坂道以上に歩きにくかったのは、道の端に歩くための歩道がないということだ。

自動車が猛スピードで走り抜けていく山道の脇をトボトボと歩いていくのは、精神的にかなり辛かった。

特にカーブでは、自動車から我々が見えないから、油断すると事故に巻き込まれかねない。

そのため、常に自動車側から我々の姿が確認できるよう、カーブではその都度、歩く車線を変えるように気をつけた(これも余計な運動)。

昔読んだ富島健夫の『これが男の子だ』という長編小説の中で、高校生の男の子が二人、徒歩旅行に出かける話がある。

このとき、二人は「人間が歩かなくなったのは自動車のせいだ」と悟るのだが、「自動車のせい」というのは「利便性が良くなったから」という意味ではない。

「自動車優先社会になって、人間の歩く道が奪われた」ということを批判しているのだが、今回の旅行で、久しぶりに、そんな小説のことを思い出した。

猛暑と蝉時雨と庄野家之墓

結局、ほぼ60分かかって、何とか無事に長泉院へ到着。

体力・精神力ともに消耗が激しかったが、「庄野家之墓」の前に立って両手を合わせていると、これまでに読んだ庄野さんのいろいろな小説のことが思い出されて、疲れが消えていくような気がした。

まわりの林の鳥の声だけが聞える、日当たりのよい墓地で、遠くに小田原の海が見える。長女が玉砂利の草を抜いて、きれいにしてくれてある。庄野家之墓と刻まれた(これは学校で書道を学んだ次男に書いてもらった)新しい墓石の前で、「ゆっくり来ますから」といってお辞儀をして去る。(庄野潤三「ピアノの音」)

人気のない墓地に、太陽の陽射しと蝉時雨だけが降り注いでいる。

蝉の声以外には何も聞こえない、まったく静かな墓地だ。

蝉の声を聴きながら墓地の端っこに佇んでいると、庄野さんが、この場所に墓を建てようと考えた気持ちが分かるような気がする。

庄野潤三の墓がある南足柄市の長泉院庄野潤三の墓がある南足柄市の長泉院

墓石の裏には、墓石建立の沿革が記されている。

神奈川庄野家ノ墓ハ大阪阿倍野ニ在ル。平成六年七月二十二日、潤三之ヲ建テタ。

お墓には、新しいお花と缶ビールがお供えされていた。

のんびりとお墓参りを済ませ、さて、問題は帰り道である。

下り道とはいえ、歩道のない自動車道を歩いていくのは、やはり危険すぎる。

ここは小田原市街までタクシーを利用しようと、いくつかのタクシー会社に電話をするが、いずれも「近隣に空車がないので対応できない」とのこと。

配車アプリを使ってみても反応はなし。

どうやら、この町でタクシーを呼ぶというのは現実的ではないらしい。

結局、安全に十分注意しながら、山道を歩いて行くしかないと悟り、再び炎天下の道を歩き始める。

所要時間40分。

無事に塚原駅まで辿り着き、往路で買ったフリー切符を利用して小田原駅まで戻った。

お寺までの移動に予想以上の時間を費やし、予定していた「うなぎ 柏又」での昼食は叶わなかったが、とにかく念願だった庄野さんのお墓参りをすることはできた。

小田原駅で鯛めしを買って、帰りのロマンスカーの中で簡単な昼食。

思わぬ山登りで日焼けの痕が痛いのも、楽しい夏休みの思い出というやつだろう。

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。