日本文学の世界

太宰治「斜陽」上流階級の没落物語は、新しい時代を生き抜く再生の物語でもあった

太宰治「斜陽」あらすじと感想と考察

太宰治「斜陽」読了。

本作「斜陽」は、1947年(昭和22年)7月から10月まで『新潮』に連載された長篇小説である。

この年、著者は38歳だった(翌年6月に自殺)。

単行本は、1947年(昭和22年)12月に新潮社から刊行されている。

最後まで貴族のまま死んでいった直治の弱さ

本作「斜陽」は、戦後日本のヒットメーカー・太宰治の代表作である。

単行本はベストセラーとなり、「斜陽族」なる流行語まで生まれた。

一般に「斜陽」は、上流階級の没落を描いた物語と言われているが、「上流階級の没落」が、どうして多くの読者に支持されたのだろうか。

ポイントは、死んだ弟<直治>への共感であり、生き残った姉<かず子>への共感である。

破滅的な人生を歩んでいた直治は「姉さん。だめだ。さきに行くよ」という遺書を残して自殺してしまう。

直治は、どうして自殺したのか。

直治は、貴族ゆえに自殺したのである。

麻薬中毒で苦しんでいた頃に書いた『夕顔日誌』に、直治の苦悩が克明に綴られている。

僕が金持ちのふりをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡な奴だと噂した。けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しいふりを装っていると噂した。どうも、くいちがう。(太宰治「斜陽」)

貴族という古い価値観を否定し、新しい時代を生きようとした直治は、古い価値観の中で死んだ。

直治が本当に愛していたのは、小説家<上原次郎>の妻<スガちゃん>である。

直治の遺書の中で、上原は「デカダン生活を送る中年の洋画家」としてフィクション的に登場しているが、最も親しかった上原の妻に、直治は激しく恋していた。

古い価値観を否定する世の中にあって、他人の妻を寝取ることは罪ではない。

破滅的な生き方を標榜する直治であれば、なおさら「先生」の奥さんを寝取ることには、退廃的な意味があったに違いない。

しかし、貴族としての誇りを捨てきれなかった直治は、不倫の恋にまで踏み込むことはできなかった。

最後に「姉さん。僕は、貴族です」と書き残して、直治は自殺してしまう。

現代社会に馴染むことのできなかった没落の上流階級。

病死した母の流れを汲むような直治の死は、多くの読者の共感を誘う。

人間は、みな、同じものだ。なんという卑屈な言葉であろう。人をいやしめると同時に、みずからをもいやしめ、何のプライドもなく、あらゆる努力を放棄せしめるような言葉。(略)「へへ、いくら気取ったって、同じ人間じゃねえか」(太宰治「斜陽」)

人間の弱さが、直治にはある。

母がもう亡くなるというとき、「なんにも、いいことがねえじゃねえか。僕たちには、なんにもいいことがねえじゃねえか」と、めそめそ泣いていた直治。

これは、階級を越えた人間の弱さだ。

そして、人間の正しさが、直治にはある。

あらゆる価値観が崩壊する中、死ぬまで自分の中に守り抜いた純粋な愛。

不倫の恋へと堕ちなかったことこそ、直治という人間の美しさだった。

今沈みゆく太陽は、明日、再び上がりゆく太陽でもある

一方、直治が自殺しようとしていたその夜、姉の<私>(かず子)は、上原次郎と不倫セックスの真っ最中で、その結果、上原の子どもを妊娠してしまう。

かず子が求めたものは、上原との結婚ではなく、未婚のままで上原の子どもを出産することだった。

「人間は恋と革命のために生まれて来た」と確信するかず子にとって、シングルマザーとして生きることは、古い価値観に対する革命でもあったのだ。

私生児と、その母。けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。(太宰治「斜陽」)

かず子が闘う相手は、母や直治を死へと追いやった、古い価値観である。

母がいよいよ亡くなるというとき、かず子は「あさましくてもよい、私は生き残って、思うことをしとめるために世間と争って行こう」と誓っていたではないか。

母が死ぬまで毎日メソメソと泣いてばかりいたかず子の意外な強さに、読者は驚き、共感を覚える。

かず子の強さは、混乱の時代を生きる庶民の強さでもあった。

もはや、かず子は貴族の象徴ではない。

クズのような男と不倫セックスをして妊娠し、私生児まで産んでしまおうと決意するかず子は、あらゆる人間の象徴だった。

一般に『斜陽』は「没落貴族の物語」として語られるが、かず子の強さには、没落にとどまらない光が見える。

斜陽とは夕陽のことであり、沈んだ太陽は、再び昇る。

今沈みゆく太陽は、明日、再び上がりゆく太陽でもあるのだ。

だから僕はこの『斜陽』を、破滅と再生の物語として読みたいと思う。

敗戦という破滅の中で、戦後復興という新しい時代を生きる再生の物語。

伊豆の別荘に越してきたばかりの頃、病気から回復した母が「神さまが私をいちどお殺しになって、それから昨日までの私と違う私にして、よみがえらせて下さったのだわ」とつぶやく場面がある。

しかし、実際には母は再生することができなかった。

「日本で最後の貴婦人だった」母は、古い価値観の中で美しく死んでいくしかなかったのだ。

生き残ったかず子に与えられた宿命は、古い価値観に対する復讐である。

それは、私の生まれた子を、たったいちどでよろしゅうございますから、あなたの奥さまに抱かせていただきたいのです。そうして、その時、私にこう言わせていただきます。「これは、直治が、ある女の人に内緒に生ませた子ですの」(太宰治「斜陽」)

直治が愛した上原の妻に、自分と上原との間に生まれた子どもを抱かせる。

しかも、その子どもは、直治の愛した女性の子どもだと偽って。

最初の手紙で「M・C(マイ・チェホフ)」だった上原次郎は、次に「M・C(マイ・チャイルド)」となり、最後に「M・C(マイ・コメデアン)」として終わる。

上原に対する未練は、もはやかず子の中になく、あるのは生き残る強さだけである。

このかず子の生き残る強さこそ、本作『斜陽』の魅力だったのではないだろうか。

上流階級の没落物語。

没落の貴族は、新しい一人の人間として再生する。

そして、その再生は、激動の時代を生き残らなければならない我々に与えられた、現代の宿命でもあるのだ。

作品名:斜陽
著者:太宰治
書名:斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 外七篇
発行:2000/10/10
出版社:文春文庫

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