日本文学の世界

富島健夫「制服の胸のここには」文学的な色彩が濃い青春小説

富島健夫「制服の胸のここには」あらすじと感想と考察
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富島健夫「制服の胸のここには」読了。

集英社文庫のコバルトシリーズだから、1980年前後の作品かと思ったら、1966年(昭和41年)の作品だという。

そう言われてみると、ベトナム戦争を語る場面があったり、「期待される人間像」の引用があったりと、素材としては随所に古臭いものが使われていたが、ほとんど違和感なく読み終えることができたのは、本作のテーマが普遍的な男女の恋愛感情にあったからだろう。

主人公は高校一年生の男女で、中学生の頃から仲の良かった二人は、主人公・竹中京太の交友関係を原因に仲違いしてしまう。

進学校に入ってからも続く二人の冷戦が、本作の主要なテーマとなっているのだが、個性溢れる登場人物との関りも含めて、一度しかない青春時代を大いに楽しませてくれるストーリー展開となっている。

興味深いのは、主人公の男女が二人とも文学少年・文学少女である点で、文芸部の顧問となる小谷先生も交えながら、全体に文学的な色彩が強い青春小説と言える。

例えば、ヒロインの森口芙佐子は大変な読書家だが、ベストセラーなどの新刊書は読まない。

新刊書は流行の洋服と同じで、追いかけていたらきりがないと知っているからだ。

それよりも、時代の網をくぐりぬけて今に生きている古典を読むべきだと、芙佐子は考えている。

古典も無数にあるから、一生のうちにそのすべてを読みつくせるものではないが、ある程度までは読んでおかなければならない。

真の教養は流行本から身に付けられるものではなく、そして、もっとも読書にふさわしい季節に、芙佐子は今生きているのだ—。

この辺りの描写は、著者の読書観が、登場人物の生き方の中に、見事に反映されている事例と言っていいだろう。

1960年代の青春小説が、このような読書観の中で育まれていたのだとしたら、それは、ちょっとおもしろいような気がする。

物語のラストシーンで、京太と芙佐子は復縁するのだが、その仲を取り持ったのは、若い感性に理解のある文芸部顧問の小谷先生だった。

「きみたち、意地をすて、きどりをしりぞけて、心をわって話し合ったことがあるか?」芙佐子は顔を伏せていた。弱く、「中学時代は、そうでした」小谷先生は、芙佐子の背に手をかけ、強く押した。「なぜ、いまもそうしないんだ? ある日の一歩の距離が、一年後には千里になる。そしてついには、おたがいに見失ってしまう。大学時代の、ぼくとある女性がそうだった。きみたちにその後悔を味わわせたくない」(富島健夫「制服の胸のここには」)

理解のある大人たちが、若者たちを優しく導いていく。

この作品は、そんな時代の青春小説だと思った。

芥川賞候補作になった「喪家の狗」

富島健夫は、一度だけ芥川賞候補になっている。

早稲田大学の仏文時代に書いた「喪家の狗」がそれで、この作品は、昭和28年/1953年下半期の芥川賞候補作となっているのだが、残念ながら受賞には至らなかった。

このとき、他の候補作品として、庄野潤三「流木」「会話」、小島信夫「吃音学院」、小山清「をぢさんの話」などがあったが、結局、受賞作なしという結果に終わっている。

富島健夫というと、官能小説作家のイメージが強いが、自伝的長篇「青春の野望」などを読むと、早稲田時代に丹羽文雄門下に入ったりと、純文学の道を歩いていたらしいことが分かる。

1960年代には、十代の性を正面から描いた青春小説を多数発表しているが、かつての純文学への志向は、登場人物の中に昇華されていたのかもしれない。

書名:制服の胸のここには
著者:富島健夫
発行:1976/6/28
出版社:集英社文庫(コバルトシリーズ)

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。