日本文学の世界

河野龍也「佐藤春夫読本」昔は神様みたいな文豪だった<佐藤春夫>のガイドブック

河野龍也「佐藤春夫読本」あらすじと感想と考察

辻本雄一監修・河野龍也編著「佐藤春夫読本」読了。

本作「佐藤春夫読本」は、2015年(平成27年)11月に勉誠社から刊行された文学案内書である。

なお、佐藤春夫は、1964年(昭和39年)に72歳で亡くなった、詩人・小説家。

佐藤春夫はいかに「凄い作家」だったのか

庄野潤三の自伝的小説『前途』には、<佐藤春夫>の名前が何度も登場している。

晩、九時ごろ、小高が僕の預かっていた江嶋さんの贈り物のお菓子を食べに来た。僕にも食えと云うので、僕も食べた。春夫の本、持っているのを全部見せてくれと云うので、積んであった中から出した。小高はひとつひとつみて、「ええの、持っとるなあ」と何度も云った。(庄野潤三「前途」)

<小高>は、大学時代の仲間だった<島尾敏雄>がモデルで、二人は学生時代、競うように佐藤春夫の著作を読んでいたという。

昭和18年頃の話で、当時、小説家を目指す若者たちにとって佐藤春夫は、神様のような存在だったらしい。

しかし、2023年の現在、佐藤春夫は、一般に読み継がれている作家とは言い難くなっていて、当時の若者たちの感覚にはなかなか共感しにくいものがある。

例えば、毎年夏に行われる「新潮文庫の100冊」のような文庫キャンペーンで、佐藤春夫の名前を見かけることは少ない。

今や佐藤春夫は、文壇史の中で語られる歴史上の作家として、あるいは、文学ゲームに登場するキャラクターの一人として、現代に生き残っていると言っていい。

少なくとも「現代的な作家」とは言えないのが佐藤春夫という作家なのだが、本書『佐藤春夫読本』を読むと、佐藤春夫がいかに「凄い作家」だったのかということを、改めて再認識させられてしまう。

菊池寛の『文藝春秋』が1935年(昭和10年)に創設した芥川賞で、佐藤春夫は第1回から第46回まで選考委員を務めている。

他の選考委員には、川端康成や谷崎潤一郎、室生犀星、横光利一などがいた。

太宰治が芥川賞欲しさに、佐藤春夫に宛てて懇願の手紙を書いたことは有名な話だが、本書『佐藤春夫読本』には、その太宰治の手紙(新書簡)がカラー版で全文掲載されている。

私を助けて下さい。佐藤さん、私を忘れないで下さい。私を見殺しにしないで下さい。いまは、いのちをおまかせ申しあげます。(昭和11年1月28日付け、太宰治が佐藤春夫へ送った手紙より)

太宰治のこういう手紙を読むと、昭和18年に大学生だった庄野潤三が、佐藤春夫を神様のように崇めたてる気持ちも分かるような気がする。

本書『佐藤春夫読本』は、そんな神様みたいな文豪「佐藤春夫」の伝説を一冊にまとめて、さらに専門家による専門的な解説まで加えた、凄い文学案内書である。

この本を読んでしまった後では、きっと次に、佐藤春夫の小説が読みたくなってくるだろう。

佐藤春夫をテーマにしたエッセイ集を読むような気分

本書『佐藤春夫読本』は、「春夫文学入門」「春夫文学のふるさと」「佐藤春夫と同時代人」「佐藤春夫の文学世界」という四部構成となっている。

おおまかに言ってしまえば、佐藤春夫の「文学作品」についての解説と、佐藤春夫という「作家」についての解説が、本書には掲載されている。

だから、佐藤春夫という作家と、その文学作品について知る上で、本書は格好の参考書となってくれる。

写真が豊富だから、作品と作家に対する理解が進むし、いろいろな研究者が原稿を寄せているので、佐藤春夫をテーマにしたエッセイ集を読むような気分で通読するのも楽しい。

例えば、佐藤春夫が横光利一と絶縁する経過を綴った「富ノ澤麟太郎と春夫」(宮内淳子)は、佐藤春夫という作家の性格を、非常によく物語っている。

「(略)意外な気がしたので、「佐藤さんのところへ行くのか」と聞くと、「そうだ、例の件のことで弁明に行く。一方的なことを真に受けて、どうも拙かった」と云った。「しかし、今日は佐藤さんは留守だ」と云うと、「では、手紙にする」と云って」、横光が引き返したという。(「富ノ澤麟太郎と春夫」宮内淳子)

弟子の富ノ澤麟太郎が若くして病死したとき、富ノ澤麟太郎の母親は、その責任を佐藤春夫のせいにした。

横光利一が、その話を真に受けて非難したことで、佐藤春夫は激怒したという。

後になって自分の過ちに気付いた横光利一は、佐藤春夫へ謝罪文を送っているが、佐藤春夫は封も切らずに放置していたらしい(ここがすごい)。

ちなみに、「富ノ澤麟太郎と春夫」で引用されているのは、井伏鱒二の「富ノ澤麟太郎」である。

谷崎潤一郎との確執の原因となった「小田原事件」に取材した「秋風は潮の香り─殉情詩集・秋刀魚の歌・この三つのもの」もおもしろい。

ここでは、未完の小説「この三つのもの」が未完となった理由について考察されているのだが、谷崎潤一郎との「細君譲渡事件」について関心のある人なら、読んでおくべき論考だろう。

失われた団欒の舞台はむろん十字町の谷崎家だが、港に秋刀魚があがり、庭に蜜柑の実る秋の小田原は、海と山がせめぎあうその地形も、丘の古城に守られたその町並みも、不思議と春夫の故郷・新宮を髣髴とさせるものがある。会えなくなった「人妻」への思いは、少年時代を過ごした「ふる里」の思い出と一つになって、決して戻れない過去の世界から、「その男」に潮の香りを帯びた「秋風」を送り届けてくるのである。(「秋風は潮の香り─殉情詩集・秋刀魚の歌・この三つのもの」)

本書『佐藤春夫読本』は、近代文学の巨匠・佐藤春夫の魅力を伝える、貴重な文学案内書である。

できることなら、本書に紹介されている佐藤春夫の作品が、もう少し読みやすい世の中になってくれるとうれしいのだが。

ちなみに、庄野潤三『前途』の主人公(庄野さんがモデル)は、佐藤春夫の『写生旅行』という作品を絶賛しているが、この作品もまた、現在では入手しにくい作品の一つとなっているらしい(講談社『佐藤春夫全集(第12巻)』に収録)。

書名:佐藤春夫読本
監修:辻本雄一(佐藤春夫記念館館長)
編著:河野龍也
発行:2015/10/31
出版社:勉誠出版

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。