小沼丹「ドビン嬢」読了。
本作「ドビン嬢」は、1977年(昭和52年)7月『群像』に発表された短篇小説である。
この年、著者は59歳だった。
作品集としては、1978年(昭和53年)に講談社から刊行された『木菟燈籠』に収録されている。
青春時代の女性をめぐるちょっとしたトラブル
小学館のP+D BOOKSから、小沼丹の『緑色のバス』が発売された。
P+D BOOKSでは、これまでに庄野潤三の作品が9作品刊行されているが、庄野さんの盟友だった小沼さんの作品は、これが初めてのシリーズ入りとなる。
小沼さんの作品は、講談社文芸文庫に入っているものが多いということもあるかもしれないが、価格的にもより入手しやすいP+D BOOKSに入ることの意義は小さくないと思う。
この『緑色のバス』は、いわゆる作品選集で、もとは、1984年(昭和59年)に構想社から刊行されていたものである。
『緑色のバス』では、既刊の作品集から、それぞれいくつかの作品を選定・収録していて、本作「ドビン嬢」も、1978年(昭和53年)の『木菟燈籠』に収録された作品である。
小沼丹の短篇小説というと、懐かしい人を回想する物語が多い。
多くの場合、主人公は既に故人で、亡くなっている人を偲ぶニュアンスが、作品からは感じられる。
横町の素人下宿だつたと思ふが、狭い階段を上つて二階の中村さんの部屋に這入つたら、肘掛窓の外に紫の桐の花が咲いてゐるのが見えた。その窓の所に勉強机が置いてあつて、壁際に本棚が二つあつて本が竝べてある。何となく本棚を見てゐたら、中村さんがその一冊を抜いて、「──これ、知つてますか?」と訊いた。(小沼丹「ドビン嬢」)
中村さんが取り出した本は、萩原朔太郎の詩集『青猫』で、物語の語り手(小沼さんだろう)は、友人<高田>と一緒に入った文芸部で、文学青年らしい中村さんと知り合ったのだ。
本作「ドビン嬢」の主人公は、この中村さんである。
萩原朔太郎の「猫町」が『セルパン』に発表された翌年頃とあるから、おそらく、1936年(昭和11年)くらいのことだったのだろう。
中村さんは、二人を一軒の喫茶店へ案内してくれる。
別に話も無いから、ぼんやりレコオドを聴いてゐたら、「──どうです、あのひと?」と中村さんが低声でわれわれに訊くのである。何のことか判らなかったから、何ですか? と訊き返したら、あの若い女性をどう思ふかと云ふことだと判つた。(小沼丹「ドビン嬢」)
中村さんは、その女性のことが好きだったようで、「ドガの画の女に似ていませんか?」とも言った。
もっとも、その女の子に話しかけるときも、中村さんは何となく恥ずかしそうだったとあるから、二人の関係は、ほとんど進展していなかったらしい。
ところが、友人の高田が、この女性を映画に連れ出したことが中村さんに分かってしまったことで、彼らと中村さんとの間は、没交渉となってしまう。
青春の頃には、よくあるところの、女性をめぐるトラブルの一つだったのだろう。
冷たく突き放してみせる、小沼丹流の青春回想録
高田は、ドガの画の女性の名前にちなんで、喫茶店の女の子を「ドビン」と呼んでいたが、やがて時が経ち、仲間たちは、みな過去の中へと消えてしまう。
物語の語り手が、再び中村さんに会ったのは、それから三、四年経った頃で、場所は新宿駅のプラットフォームの階段へ向かう途中のことだった。
兵隊姿の中村さんは、「──本当に懐かしいなあ……」を何度も繰り返し、高田の話などにも触れたあとで、快活に電車の中へ乗り込んでいったという。
そのとき、高田は療養所へ入っていたから、中村さんと会ったことを手紙で知らせてやると、俳句を始めたらしい高田は、いくつかの俳句を送って寄越した。
ドビンがどうとかいう句があって、何だか川柳みたいでおかしかったとある。
次に、中村さんに会ったのは、戦争の終わった年で、そのとき、中村さんは、道端の爺さんから昆布だか若布だかを買っているところだった。
何気無く、買つてゐる男を見て、おやおや、と思つた。草臥れた洋服を着てゐる男だが、どこかで見た顔だと思ふ。途端に記憶が甦つて、「──中村さん……」と声を掛けたら、その男と一緒に爺さんも此方を見た。(小沼丹「ドビン嬢」)
ところが、振り向いた中村さんは、何の反応を示すこともなく、そのまま立ち去ってしまう。
爺さんは「──人違だね……」と言ったが、著者には納得がいかなかった。
それは、中村さんに間違いなかったからで、理由の分からないところに、戦争だか人生だかの暗い影を読み取ることができる。
友人の高田は二年前に死んでしまっていて、既にこの話を知らせてやることもできないという場面では、青春時代を語る友のいないことの寂しさが、ほんのりと感じられた。
最後に、著者は、或る百貨店で見たドガの展覧会のことを紹介している。
展示品の中には、青い服を着た若い女の斜め横を向いた顔を描いた肖像画があった。
絵の前に立ちながら、著者はドビン嬢をめぐる青春の日々を思い出している。
画の前を離れるとき、画の題を見たら、ちやんと「ドビニ嬢」と書いてあつた。ドビンじやなくてドビニだ、と呟いたら、いや、ドビン嬢だ、高田が怒つてそう云う声がどこかで聞えた。(小沼丹「ドビン嬢」)
つまり、本作「ドビン嬢」は、あの頃は良かったなあという青春回想記なのだが、古い思い出の話が、全然感傷的でなくてベタベタとしていない。
ドガの作品の前に立って、懐かしいドビン嬢を思い出しながら、「真物を観たら例の娘さんを想ひ出したのはどう云ふ訳か知らない」と、大切な思い出に対してまで、冷たく突き放してみせるのが、小沼丹流の青春回想録なのだ。
この、ちょっと距離感を置いたところに、読者は、青春の切なさを共感することができる。
少しだけ調べてみると、読売新聞社主催のドガ展は、1976年(昭和51年)に西武美術館で開催されていた。
小沼さんは、きっと、このドガ展を観ながら、中村さんや高田のことを思い出したのだろう。
そして、ドビン嬢にスポットライトを当てて、青春の日の断章を一つ一つ取り出しながら、短篇小説としての構想を組み立てていったのだ。
きっと、そうに違いないと思う。
小沼さんはやっぱりいいなあと、つい呟いてしまったとき、横にいた嫁が、ちらりとこちらを向いたけれど、何も言わなかった。
作品名:ドビン嬢
著者:小沼丹
書名:緑色のバス
発行:2024/01/16
出版社:小学館 P+D BOOKS