井伏鱒二「乗合自動車」読了。
本作「乗合自動車」は、『別冊文藝春秋』1952年(昭和27年)4月号に発表された短編小説である。
この年、著者は54歳だった。
作品集では、1952年(昭和27年)の『乗合自動車』(筑摩書房)に収録されている。
戦後・日本の縮図だった乗合自動車
本作「乗合自動車」のテーマは、全体主義批判である。
戦時中から戦後にかけての、バスは木炭バスで非常にトラブルが多かった。
エンジンが発火しないときなどは、乗客がバスを押して、エンジンが動き出すまで何キロでも歩いたという。
この物語の語り手<私>も、他の乗客と一緒にバスを押す羽目になるが、一組のカップルだけがバスから降りてこない。
運転手は「一致団結ちゅうこと、知らんのかね、阿保だま」と、二人を罵るが、他国の者と思われる若い男女は、バスを押そうとしない。
とうとう怒りに任せて、運転手は若い男を殴り飛ばしてしまうのだが、意地でもバスから降りようとしなかった若いカップルの姿は、戦時中であれば「非国民」と罵倒されたものだろう。
理屈的には、「高い運賃とって、おまけに無駄な労働させてやがる」という、殴られた男の主張の方がもっともに思われるのだが、運転手は「みんな自発的に押しとるのが、わからんのか」と言って、他の乗客と一緒にバスを押すことを強要する。
戦争が始まったときも、結局、こんな雰囲気だったんだろうなあと、思わせられる物語である。
この運転手、実は戦時中には車掌だった男で、当時は、現在の車掌が運転手をしていた。
しかし、戦争中にとても威張っていたということで、運転手から車掌へと格下げされてしまったのだ。
「あのちょび髭は、戦時中から戦争直後にかけて、お客にやかましく云いすぎたもんですからな。この沿道の民衆が、追放だ追放だと云うて、会社へ盛んに投書しましたのでな」(井伏鱒二「乗合自動車」)
戦後に格上げされて運転手になった男が、今度は「民衆の声」や「世論」を理由にして、若いカップルを責めている。
「おい、そこの図々しい客」と運転手は、くわえ煙草で云った。「いま、そとのお客が云うたのを聞いたろう。あれは民衆の声じゃと思え。世論を聞いとけ。よい加減にして、お前も降りて押せ」(井伏鱒二「乗合自動車」)
一体、何が正義なのか分からなくなっているのが、この小説の面白いところだと思う。
乗合自動車は、すなわち、戦後の日本という国そのものの縮図だったのだ。
さりげなく描かれる庶民の暮らし
いささか重いテーマを扱っている「乗合自動車」だが、いたって笑えるユーモア小説に仕上がっているのは、数々の細かな仕掛けが工夫されているからだ。
例えば、一緒にバスを押している疎開画家は、水車小屋のある山奥の村で出会った子どもたちの話を聞かせてくれる。
田舎の子どもたちは物見高いから、絵を描いている間に、鼻水を垂らした子どもたちが、たくさん集まってくるらしい。
その子どもたちのことを、同じく乗客のモンペ姿の娘さんが解説してくれる。
「縄釣瓶のように、右と左と、かわりばんこに引っこんだりします」と、娘さんが云った。「このへんでは、あんな洟を”蜂の子”と云っています。あんな子は丈夫に育ちます」(井伏鱒二「乗合自動車」)
「あんな洟を”蜂の子”と云う」とか「あんな子は丈夫に育つ」とかいった小さな言葉が、実は、この物語を俄然おもしろくさせてくれているのである。
こんな芸当ができるところが、つまり「井伏節」ということなのだろう。
その疎開画家は、物見高い子どもたちを追い散らす方法を紹介してくれる。
大勢の子供のうちから乱暴な子を見つけ、その子にチューブの古いのを一つやって「君は偉いから、みんなを追っ払ってくれ」と頼むのである。その子は自分の選ばれた地位に満足して、仲間の子供が近よると棒ぎれで追い払う。罪かもしれないが、これは先輩の画家から教わった非常手段だそうだ。(井伏鱒二「乗合自動車」)
運転手と若いカップルとの争いの中に、田舎で暮らす庶民の姿がさりげなく描かれている。
素材は重いかもしれないけれど、口当たりは軽くて、ふくらみのある味わい。
それが「乗合自動車」という物語の読後感だ。
ユーモアとペーソスとは、こんな物語を読んだときに味わえるものなんだろうなあ。
作品名:乗合自動車
著者:井伏鱒二
書名:井伏鱒二自選全集(第四巻)
発行:1986/1/20
出版社:新潮社