日本文学の世界

山口誓子「句碑をたずねて」松尾芭蕉と正岡子規の足跡を辿った旅行記

山口誓子「句碑をたずねて」松尾芭蕉と正岡子規の足跡を辿った旅行記

山口誓子「句碑をたずねて」読了。

本書「句碑をたずねて」は、1965年(昭和40年)に刊行された随筆集である。

この年、著者は64歳だった。

自分が見たいと思う句碑しか見ない

全国各地に点在する句碑を訪ねて回った著者の、一種の旅行記である。

いわゆる句碑の案内書と異なるのは、著者は自分が見たいと思う句碑しか見ていない、ということである。

「松島に来たが、松島には見たい句碑が無い」「私はこの句碑を見に来たのではない」「この句碑は見たくない」など、著者の主張は極めて明確で、ガイドブックのように、全国の句碑をコンプリートするつもりは微塵もない。

そういう意味で、かなり著者の主観に委ねられた句碑案内ということになるだろう(そこが本書の魅力となっている)。

全般に、著者の関心は、松尾芭蕉の足跡を辿ることが中心であって、本書で紹介されている多くの句碑が、芭蕉に縁のものである。

句碑案内と一緒に作家や作品の解説にも触れられているから、旅をしながら名句鑑賞できる。

正直に言って、明治以前の俳句を、こんなにたくさんまとめて読むのは、随分と久しぶりのことだった。

「旅に病て」をどう読む。「病んで」か「病みて」か。「かけ廻る」を「かけまはる」と読んでいいか。私は「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」と読みたい。それが一番調子がよい。(山口誓子「句碑をたずねて」)

これは、南御堂の難波別院にある句碑の解説である。

もともと、「旅に病て」の句碑は、北築山に建っていたが、1934年(昭和9年)、御堂前に広い道路ができたときに、御堂筋の東側に移された。

1962年(昭和37年)に現在地へと戻されたのだが、そのときの式典に、山口誓子も参列したらしい。

著者は、この作品について「私はこの句を、芭蕉が生涯の終りに到り着いた最高の句と思っている」と絶賛しているが、「句碑の書はこの句に負けている」と厳しい評価を与えている。

句碑の書は、南御堂列座の歌人・脇坂窓明だった。

あくまでも、主観的な紀行文的句碑案内なので、著者の生い立ちに触れる部分も若干あって、それがおもしろい。

私は、学校を出て大阪の住友本社に勤め、鰻谷東之町の寮から通っていた。電車を四ツ橋で乗替え、土佐堀で下車した。それだから四ツ橋を毎日のように見ていた。その四ツ橋は「摂津名所図会」に描かれているのとそっくりそのままであった。(山口誓子「句碑をたずねて」)

こういうのを読むと、山口誓子という俳人について、もっと深く学びたいという気持ちになってくる。

向井去来ゆかりの落柿舎を訪ねた修学旅行

山口誓子は、自分の句碑を訪ねることも好きだったらしい。

高野山には、山口誓子「夕焼けて西の十万億土透く」の句碑がある。

私のこの句は、ゆかりの地のゆかりの句とは云えぬが、知らぬひとは欺かれる。この句碑の除幕式に、般若心経の読まれたこと、その唱和のリズミカルであったことを思い出す。私は、挨拶のとき、「先程お唱えになった般若心経に『観』という字がありましたが『観』とは眼に見えないものを見る。心眼でものを見ることです。心眼で見れば、十万億土がありありと見えます」と云った。(山口誓子「句碑をたずねて」)

「十万億土」とは、仏教用語で「極楽」のことらしいから、霊山にはぴったりの作品だったようだ。

個人的に懐かしいと思ったのは、京都・落柿舎にある向井去来の句碑。

柿主やこずゑはちかきあらし山 去来

高校の修学旅行、京都での自由時間に、僕は向井去来ゆかりの落柿舎を訪ねた。

今にして思うと、高校生の頃から、マニアックなものが好きだったんだなあ。

もちろん、グループの仲間は、何も分からないままに付いて来ていたんだけど(笑)

書名:句碑をたずねて
著者:山口誓子
発行:1965/11/1
出版社:朝日新聞社

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。