大型連休といってもコロナ禍の自粛生活で旅行へ出かけるわけにもいかない。
いつもの週末と同じように部屋で読書をしているだけだが、気分だけでも変えるつもりで旅行記のようなものを読んでみる。
角川書店に『真珠の小箱』というシリーズがあった。
毎日放送系テレビで放映された「真珠の小箱」という番組を書籍化したもので、第5巻の「伊勢・志摩の春夏」に庄野潤三さんが登場している。
ここに掲載されているということは、かつて、テレビの紀行番組に、庄野さんも登場したということなのだろう。
その日は早く寝んで、翌朝、まだ暗いうちに宿を出て神島燈台をたずねました。
(庄野)海の水がとてもきれいなので驚きました。その日は早く寝んで、翌朝、まだ暗いうちに宿を出て神島燈台をたずねました。燈台は島の東北の台地にありますので、対岸渥美半島の突端、伊良湖岬の右手の太平洋から昇ってくる朝日が真正面に見えます。なかなか美しうございました。(庄野潤三「早春の神島」)
庄野さんが訪れたところは、三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台となったことでも有名な、伊勢湾の入口にある小さな神島である。
ちょうどスズキの一本釣りの時期で、庄野さんも「おかげで宿で大変おいしいお魚をいただいただいた」と満足そうな様子だ。
島の漁師は、スズキをマタカというふうに呼んでいて、おもしろい呼び方だと、庄野さんのコメントが付されている。
その当時島の人は誰も作家とは気づかず、都会から療養に来ているのだろうとうわさしたそうである。
洗濯場から坂道を少し登ったところに、元漁業組合長だった寺田宗一さんの家がある。この家の二階四畳半の部屋に、昭和二十八年の春と秋、三島由紀夫は止宿し、島の人たちに気やすく話しかけ、海女やこどもといっしょに泳ぎ、蛸船にも乗った。その当時島の人は誰も作家とは気づかず、都会から療養に来ているのだろうとうわさしたそうである。(庄野潤三「早春の神島」)
三島は水産庁に、文明から隔絶下した、人情の素朴な、美しい島を紹介してくれるように頼んだところ、金華山沖の某島と神島とを推薦したので、検討の末に神島に決め、そうして『潮騒』が書かれたのだという。
庄野さんは、「あの頃の三島さんはほんとうに健康でしたね。そして、神島は、健康だった三島さんの気持ちによく応えたように思いますね」とコメントしている。
芭蕉の『笈の小文』のなかに、伊良湖岬が出てきて、有名な俳句が吟じられておりますね。
(庄野)三島さんの『潮騒』のなかの大事な場面の一つになっているのですが、ずいぶん眺めがよろしいですね。伊良湖岬がすぐそこに見えます。芭蕉の『笈の小文』のなかに、伊良湖岬が出てきて、有名な俳句が吟じられておりますね。「鷹ひとつ見付てうれしいらご埼」。また、それを織りこんだ詩が佐藤春夫さんにありまして、私は好きで学生の頃から愛誦しております。(庄野潤三「早春の神島」)
『潮騒』のクライマックスの舞台となった監的哨跡地で、庄野さんは松尾芭蕉の俳句から佐藤春夫の詩を思い出してみせる。
佐藤春夫が芭蕉の俳句を題材して書いた「伊良古鷹」は、詩集『東天紅』に収録されている。
神島の旅を終えて、庄野さんは「人の気持ちもなごやかですし、私にははじめての神島でしたが、お魚もおいしくて大変楽しい気持ちで過ごしました」と、番組を締めくくっている。
機会があれば、観てみたいけれど、難しいだろうなあ。
ちなみに、本書には、庄野さんの実兄で児童文学者の庄野英二さんも「鯨の太地」の中で登場しているので、参考までに。
書名:真珠の小箱 伊勢・志摩の春夏
編者:角川書店
発行:1980/3/31
出版社:角川出版