日本文学の世界

井伏鱒二「小さな町」報道機関への不信と無知で節操のない一般大衆への共感

井伏鱒二「小さな町」あらすじと感想と考察

井伏鱒二「小さな町」読了。

本作「小さな町」は、1933年(昭和8年)6月『東京週報』に発表された短篇小説である。

この年、著者は35歳だった。

『井伏鱒二全集』(筑摩書房)未収録の作品で、2024年(令和6年)1月『新潮』に掲載された。

<週刊新報>に象徴される報道機関への不信

本作「小さな町」は、サーカス団の少女が脱走した事件を通して、新聞報道の在り方に疑問を投げかける短編小説となっている。

事件は<沼野町>という小さな町で起こったもので、物語の語り手は、<沼野町日刊新報>という田舎新聞を通して、サーカス団の事件に係る経過を追いかける。

事件の主人公は、サーカス団の少女や、彼女をめぐる関係者だったが、この物語の本当の主人公は、沼野町の市民に情報を提供し続ける<日刊新報>の社員たちである。

「大入り満員だが、僕たちの新聞に書いたせいだろう」「一龍斎というのは処女かね?」この新聞社員は二人とも町の商業学校を一昨年卒業したばかりの若いものである。彼等は学校にいたときテニスの主将として前衛をつとめ、下級生や町の物好きな若い女たちの間に名前がひろまっているため、それがうれしくて彼等は容易にこの町から出て行こうとしないのだそうである。(井伏鱒二「小さな町」)

彼らは、事件の発生から解決まで、微に入り細を穿って克明な記事を読者へ届けるが、日刊新報の報道は、どこか社会的というよりもゴシップ的な傾向に傾いている。

例えば、サーカス団の団長と町の勧進元との間で、脱走した少女をめぐって激しい喧嘩が起こり、剛腕の勧進元が勝ったとか、少女が逃げ出したときに、木戸番をしていた男が、団長に殴りつけられたとか、事件の本質とはあまり関係のない細部に、記者の力は注がれているように見える。

やがて、少女の行方が知れて事件は無事に解決するが、どうして彼女がサーカス団を脱走することになったのか、その原因や背景について日刊新報は検証できていない。

事件の解決後すぐに、町の勧進元が夜逃げしたという新しいニュースが、社内に飛び込んできたからである。

すべて事件は、次から次に幾らでも起きて来るものである。(井伏鱒二「小さな町」)

一つの事件が総括されぬ間に、新聞社は次のニュースを追いかけなければならない。

こうして、<赤んぼのときから馬といっしょに生活し馬と同様に飼育されていた>サーカス団の少女の身の上について、人々はすぐに忘れてしまったのである。

物語の語り手が、この事件から感じているもの、それは<週刊新報>に象徴される報道機関への不信だろう。

本作「小さな町」は、田舎町の小さな事件を通して、新聞報道の在り方に疑問を呈する、メディア批判の物語だったのだ。

無知で節操のない一般大衆の悲しさ

さらに、考察をもう少し進めていくと、メディアの向こう側にいる一般大衆の姿が見える。

それは脱走者の居所を知りたいならここへききに来いというかのような記事であった。その日の新聞発行数は三百部で、いつもの二倍であった。二人の記者が、配達した残りの百五十部を持って曲馬小屋の木戸口に立っていると、三十部ぐらい売れたのである。(井伏鱒二「小さな町」)

新聞が、ゴシップに重点を置いてニュースを報じるのは、それを求める一般大衆の存在を意識しているからだ。

町の人々は、サーカス団の美しい少女が、半裸体の衣装のままで、小さな町のどこかへ姿を消したということに関心を持っているのであり、彼女がどのような境遇にあって、どのような環境の中で生活しているかということ知りたいのではない。

週刊新報の記者は、そうした市民ニーズを把握しているからこそ、事件の本質に切り込むことなく、下世話で大衆受けしやすい記事を、町の人々に提供しているのだろう。

五日目興業の日に、沼野町日刊新報社では号外を発行した。この新聞社は、この町でちょっとでも変ったことがあると直ぐにガリ版の号外を発行する。商業学校の庭球部が沼野町青年団の有志と競技したときにも、町会議員選挙の開票があったときにも即座に号外を発行した。(井伏鱒二「小さな町」)

おそらく、著者は、何かの事件に関する新聞報道を読んで、疑問を持ったことがあったのではないだろうか。

なぜ、新聞は本質を書かないのだろうか、と。

そして、その理由に思い当たったとき、著者の悲しみは、報道機関への批判から一般大衆への批判へと、方向を転換する。

つまり、本作「小さな町」という短篇小説の根底にあるテーマは、ゴシップ記事を求めながら、新聞報道に踊らされている、無知で節操のない一般大衆の悲しさにあるのだ。

もちろん、著者とて例外ではない。

無知で節操のない悲しき一般大衆の一人であることを、著者自身が認識したからこそ、この作品は完成したと言えるのだから。

そして、小さな町<沼田町>は、日本社会全体の縮図でもあった。

この物語は、事件の本質を見極めるよう、社会へ警鐘を鳴らすものだったのかもしれない。

考えてみると、日本は今も「小さな町」そのままに、何も変わっていないような気がする。

読者の関心を引くための煽情的な見出しを考えることに一生懸命なメディアの使命というものは、いったいどこにあるのだろうか。

作品名:三十男Q・Dの告白
著者:井伏鱒二
書名:新潮(2024年1月号)
出版社:新潮社

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。