日本文学の世界

井伏鱒二「釣師・釣場」釣りを通して庶民の生きる姿を描いた優しい随筆集

井伏鱒二「釣師・釣場」あらすじと感想と考察

井伏鱒二「釣師・釣場」読了。

本作「釣り師・釣り場」は、1959年(昭和34年)1月から12月まで『小説新潮』に連載された長編随筆である。

この年、著者は61歳だった。

単行本は、1960年(昭和35年)2月に新潮社から刊行されている。

各地のベテラン釣り師からの聞き書き

本書は、日本各地の釣り場について、各地のベテラン釣り師からの聞き書きをまとめた連載随筆である。

一見すると、魚釣りに関する趣味本のようにも思えるが、井伏文学らしい人間の本質に踏み込んだ、釣りの知識がない人が読んでも楽しめる内容となっている。

例えば、釣りの夜にスタンド酒場で酔った井伏さん、朝になってみると昨夜は確かにあったはずの財布がなくなっている。

旅館の女中まで駆り出して大騒ぎをして探し物をするが、財布は、なんと釣った魚を入れておく魚籠の中から見つかった。

「もういいよ、姐さん。あった、あった。魚籠の中にあった。酔っぱらって、財布と魚を間違って魚籠に入れたんだろう」という、井伏さんの言葉の、何と人間味のあることか。

各地の釣り師の言葉には、各地の風土が現れている。

淡路島の釣り師は「タイは、他の魚もそうだが、器量のよいやつでなくては食べて味が悪い。それから、水から揚げるとき、一と思いに殺さなくては味が落ちる。生きたタイでも、俎の上で三べん跳ねたら味が落ちるのです。よい板前なら、タイの切身を見て、これは俎の上で跳ねたタイの切身だということがわかります」と言った。

旅先で出会う各地の習俗にも注目したい。

最上川までヤマメ釣りに出かけた際には、炭小屋の前で待ち合わせをしているときに、女の子が十人ばかりで隊をつくって、拍子木を叩きながら火の用心に回っているところに出くわす。

「一軒焼けても国の損(カッチカチ)火の用心。竈のまわりを廻りましょう(カッチカチ)火の用心。マッチ一本火事のもと(カッチッカチ)火の用心」という彼女らの声は、澄んだ綺麗な声であった。

女性の話でいうと、外房の宿に泊まった翌朝に港でイワシの水揚げ作業を見学したとき、水揚げに従事しているのは、みな女性であった。

太股までしかない紺絣の着物をきた娘たちが、船のマンホールからイワシを笊で掬い出し、リレー式に次から次へ送って平たい箱へ入れていく。

イワシの水揚げは女でなくてはいけないのだと教えてくれたのは、土地の婆さんだった。

この話が入っている「外房の漁師」には、他にもおもしろい話がある。

タイはお祝いの魚だから、東京のお屋敷に直送するときには、体の曲がりかたに気を配る必要があって、氷を浮かせた槽に入れて尻尾を左に曲げるのが流儀である。

ところが、東京のさるお屋敷から、岸大臣就任のお祝い用に、タイを三尾大至急送ってくれと注文を受けたとき、あんまり急がせるものだから、うっかり尻尾を右に曲げた魚を入れてしまった。

このときは、注文主のお屋敷から大変なお叱言が出て、タイの代金を値切られてしまったということだった。

釣り人たちの話を優しく温かい目で再現

庄内竿で有名な竿師が、生前に一度、自分の非常に気に入った竿をひとつ作ったが、自分で使うことなく、ほんの一度だけその竿に海を見させただけであった。

竿師は、これを「磯見せ」とか「海見せ」と云っていたらしい。

こうしたエピソードは、地域に精通した地元の人間に取材することで得られる聞き書きならではの産物だが、井伏さんは、こうした土地の釣り人たちの話を、いかにも優しく、温かい目で再現してみせる。

ここに井伏文学の神髄があるわけだが、考えてみると、この「釣師・釣場」という随筆集は、釣りを描きながら各地の風土を描き、各地の風土を描きながら各地の庶民を描き出していると言える。

釣りは庶民の生きる姿を描くためのモチーフの一つであって、井伏さんの書きたかったことは、やはり、市井で生きる人々だったのだと考えると、この随筆集が、釣りから離れて読んでみてもおもしろいという理由が分かるような気がした。

釣りを趣味とする人だけでなしに、多くの人にお勧めしたい日本の名作である。

書名:釣師・釣場
著者:井伏鱒二
発行:2013/10/10
出版社:講談社文芸文庫

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。