庄野潤三さんの「庭の山の木」を読みました。
何度でも読み返したいと思える素敵な随筆集です。
書名:庭の山の木
著者:庄野潤三
発行:2020/2/10
出版社:講談社文芸文庫
作品紹介
「庭の山の木」は、庄野潤三さんの随筆集です。
いとおしい家族、四季折々の自然、おいしいもの、愛読書、人生を味わう随筆集(帯文)
単行本は、1973年(昭和48年)5月に冬樹社から刊行されています。
50年前の本が、今、文庫化されるという、文芸文庫の凄まじさ(笑)
単行本あとがきの中で、庄野さんは「『クロッカスの花』以後に発表された随筆、短文に、それ以前に書かれたものを合せて目次をつくってみた」「全部で七十篇になる」「さまざまな材料を前にして、それがひとつの本の中にうまく融け込んでくれるようにと工夫するのは、張合いがある」と綴っています。
まるで「田舎風のばらずしをこしらえる」ために、すし桶の中に入れた様々の具を「団扇であおいで御飯をさましながら、大きなしゃもじで混ぜ合せる」かのように、庄野さんは随筆集づくりを楽しんでいたようです。
中島京子さんの解説では「新聞や雑誌、あるいは作家仲間の本の解説など、あちこちに寄稿した文章が収められている」「単行本の刊行が昭和48年で、だいたい昭和30年以降のものが集められる形になっている」「庄野家が生田に移り住むのは昭和36年のことだから、タイトルにもなっている『庭の山の木』というエッセイに書かれる『庭』も、「山の上の家」の庭だ」と紹介されています。
なお、庄野さんには、全部で10冊の随筆集があります(自選随筆集「子供の盗賊」(1984)を含まないで)。
庄野潤三さんの随筆集リスト
①自分の羽根(1968)/②クロッカスの花(1970)/③庭の山の木(1973)/④イソップとひよどり(1976)/⑤御代の稲妻(1979)/⑥ぎぼしの花(1985)/⑦誕生日のラムケーキ(1991)/⑧散歩道から(1995)/⑨野菜讃歌(1998)/⑩孫の結婚式(2002)
「自分の羽根」と「野菜讃歌」については、既に紹介済なので、併せてご覧ください。


あらすじ
「庭の山の木」は様々な雑誌や新聞などに掲載された随筆や短文など、計70篇を収録しています。
1ページで終わってしまうような、本当に短いものも含まれています。
目次///【Ⅰ】うちのノラ公/春近し/兄のいた学校/ラインダンスの娘たち/庭の鉄棒/水色のネッカチーフ/三人のディレクター/仙人峠から三陸海岸へ/アメリカの田舎道/年末の授産所/趣味のはなし/ウィルソン食料品店/姪のクロッキー帖/郡上八幡/あらいぐま/庭の山の木/らっきょと自然薯/睫毛/頬白の声/長者の風格/マリアン・アンダーソン/ちいさな漁港の町/近況/春の花・うぐいす///【Ⅱ】つぐみに学ぶ/散歩みち/この夏のこと/ゆとりときびしさ/くつぬぎ/このひと月/好きな野菜/酒屋の兄弟/紙屋の店員/庭のむかご/「舞踏」の時/私の代表作/「回転木馬」/「ピクニック」/吉川幸次郎「人間詩話」/私の取材法/わが子の読書指導/福原麟太郎「本棚の前の椅子」/テレビの西部劇「ねずみの競争」/伊東静雄全集から/「砂上物語」/島尾敏雄「私の文学遍歴」/菊池重三郎「故郷の琴」/「フィクサー」/雨の庭/ド・ウィント「麦畑」/率直、明瞭/わたしと古典/井伏鱒二「早稲田の森」/中村白葉随想集/子供の本と私/家にあった本・田園///【Ⅲ】伊東静雄のこと/「反響」のころ/伊東静雄・人と作品/印象/阪中正夫「熱帯柳の種子」/家の中の百閒/青柳さんの思い出/「肥った女」/風雅の友/少年・蟹・草野さん/清瀬村にて/小判がた///単行本あとがき(庄野潤三)/著者に代わって読者へ(今村夏子)/解説(中島京子)/年譜(助川徳是)
田舎風のばらずしをこしらえるのに、ちょっと似ている―七十編に及ぶ随筆を一冊にまとめる工程を、著者はあとがきでそんなふうに表現した。家庭でのできごと、世相への思い、愛する文学作品、敬慕する作家たち―それぞれの「具材」が渾然一体となり、著者のやわらかな視点、ゆるぎない文学観が浮かび上がる。充実期に書かれた随筆群を集成した、味わい深い一書。(カバー文)
なれそめ
多くの作品が入手困難となっている庄野潤三さんですが、「庭の山の木」は、なんと今年(2020年)刊行されたばかりなので、普通の本屋さんで簡単に入手することができます。
ただし、講談社文芸文庫は在庫がなくなってしまうのも早いので、見つけたときに買っておかないと、あっという間に入手困難になってしまう可能性があります。
実際、文芸文庫シリーズの庄野さんの作品も、全部を入手するのは既に困難な状況。
ということで、文芸文庫の庄野さんの最新刊、買ってきました。
ほとんど50年前に刊行された本の最新刊です(笑)
本の壺
心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。
五十六歳の彼は「そうさ、人生はいいものだよ」といっている
五十六歳の彼は「そうさ、人生はいいものだよ」といっている。本当にそれはいいだろう。せいぜい長生きをしていいものを書いてくれたまえ。(「春近し」)
熊本日日新聞(昭和32年1月26日)掲載。
「そうさ、人生はいいものだよ」とはイギリスの劇作家ノエル・カワードの言葉です。
常夏の国バミューダ島の岸壁に新居を建てて移り住んだカワードの「半ズボンをはいて波打ち際に立っている彼の写真」を見て、庄野さんは「あまりの羨ましさにぼんやりしてしまったほどだ」と書いています。
ちなみに、この年、庄野さんは36歳。
56歳のカワードの「そうさ、人生はいいものだよ」という言葉に、勇気をもらっている様子が伝わってきますね。
もっとも、56歳になって「そうさ、人生はいいものだよ」と言えるようになるためには、それなりに努力をした20代、30代、40代があったということを忘れてはなりません。
56歳の時に「そうさ、人生はいいものだよ」と言えるようになるために、僕も頑張りたいと思いました。
「そんなことをいうな。人生は五十からだ」
大学で年二回のダンス・パーティーがあった翌日、ウィルソン氏が私に、「昨夜、パーディーに行ったか」と聞いた。「いや、学生の間でダンスをするには年を取りすぎた」というと、彼は声を立てて笑って、「そんなことをいうな。人生は五十からだ」と私をたしなめた。(「ウィルソン食料品店」)
中部日本新聞(昭和36年2月25日)掲載。
36歳のとき、庄野さんはアメリカオハイオ州にあるケニオン大学の客員教授として渡米しています。
36歳になって大学生のダンスパーティーに参加するのは恥ずかしいと言うと、近所の食料品店の店主は「そんなことをいうな。人生は五十からだ」と、庄野さんをたしなめます。
おそらく庄野さんは、人生の先輩たちが発する、この手の言葉が好きだったのではないでしょうか。
「そんなことをいうな。人生は五十からだ」という言葉に、少なからず励まされるところがあったに違いありません。
庄野さんのエッセイを読んでいると、年を取ることが怖くなくなるから不思議です(笑)
三十代というと威勢がいいようだが、もう決して若くはない
三十代というと威勢がいいようだが、もう決して若くはない。三十代もはじめのうちはいいが、半分を過ぎると、すぐ目の先に四十の坂が近づいてくる。仕事の難しさ、世間のきびしさが漸く身に沁みて来るころである。(「肥った女」)
講談社「安岡章太郎全集」月報(昭和46年3月)掲載。
「肥った女」は安岡章太郎さんの初期の短編集で、この本を見つけたことから、若い頃の安岡さんとの思い出を回想する話です。
それにしても、庄野さんの文章には、年齢とか年代の話が頻繁に登場します。
庄野さんはきっと、いつでも自分の年齢を意識しながら仕事と向き合っていたのでしょうね。
年齢に見合った仕事に取り組む、ということを意識することは、ビジネスマンにとっても大切なことだと思いました。
読書感想こらむ
「庭の山の木」は、ものすごく充実した随筆集です。
難しい言葉とか表現なんてまったくなくて、多くの作品が1ページからせいぜい数ページの短いものばかりなのに、必ず何か心に残る言葉があります。
庄野さんって、いったい何者だったのだろう?
随筆のテーマも、日常生活のことから文学作品、あるいは作家仲間など幅広く、この引き出しの多さで、一冊の随筆集がものすごく深い作品集となっています。
最初は隙間時間の暇潰しで読み始めた随筆集ですが、「庭の山の木」はしっかりと正対して読む価値のある随筆集です。
いや、しっかりと一文一文を味わわないと、もったいない随筆集です。
僕はきっとこれからも、何度もこの本を読み返すと思います。
まとめ
「庭の山の木」は、庄野潤三さんの随筆集です。
日常生活のことや文学作品、作家仲間のことなど、幅広い話題がたくさん。
人生をしっかりと生きたい、なんて考えている人にお勧めです。
著者紹介
庄野潤三(小説家)
1921年(大正10年)、大阪生まれ。
教員や会社員を経て小説家に転身。
「庭の山の木」刊行時は52歳だった。