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斎藤禎「文士たちのアメリカ留学」~アメリカと対峙しなかった庄野潤三

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斎藤禎「文士たちのアメリカ留学」読了。

昭和27年4月8日、サンフランシスコ講和条約の発効により日本の占領時代が終わり、その翌年の昭和28年9月、福田恆存がアメリカへ留学した。

ロックフェラー財団の奨学資金「フェローシップ」による日本の文学者たちのアメリカ留学の、これが第1号で、翌月(昭和28年10月)には、第2号として大岡昇平が渡米している。

財団側の目的は「民主主義国家・アメリカ」「言論の自由の国・アメリカ」を支える「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を肌で感じさせ、帰国後の執筆活動に反映させようということであったという。

本奨学資金では合計10人の日本人文学者が、それぞれ原則1年間のアメリカ留学を行った(結果的に、江藤淳は2年、中村光男は1か月になった)。

福田恆存(昭和28年)、大岡昇平(昭和28年)、石井桃子(昭和29年)、中村光夫(昭和30年)、阿川弘之(昭和30年)、小島信夫(昭和32年)、庄野潤三(昭和32年)、有吉佐和子(昭和34年)、安岡章太郎(昭和35年)、江藤淳(昭和37年)。

その他、候補者としては、三島由紀夫や大江健三郎、井上靖、伊藤整、吉田健一、草野心平、木下順二、竹山道雄、寺田透、幸田文、十和田操、曽野綾子、三好十郎、服部達、佐古純一郎、佐伯彰一など、多くの文学者の名前が挙がっていたらしい。

本書「文士たちのアメリカ留学」では、実際にアメリカ留学を体験した文学者たちの作品などをもとに、ロックフェラー財団「フェローシップ」が日本の文壇や作家に与えた影響を検証するものである。

庄野潤三のアメリカ留学体験は、帰国後すぐに発表された『ガンビア滞在記』をはじめ、後年になって書かれた『シェリー酒と楓の葉』『懐かしのオハイオ』などの長編のほか、多くの短編作品として残されているが、こうした一連の作品をより深く理解するために、本書は良い参考書となってくれるだろう。

庄野は、帝塚山のような自然豊かなところに住んで、その町の一員のようにして暮らしてみたい、といった。

ニューヨークからやって来たファーズ博士や坂西(志保)と国際文化会館で面接した時、庄野は、アメリカではどんなところに行きたいかと聞かれた。庄野は、自らが生まれ育った大阪の帝塚山のことを話した。庄野の父貞一は、大正期に、松林と丘と野原に囲まれた地に創立された帝塚山学院の初代院長であった。庄野は、できれば、帝塚山のような自然豊かなところに住んで、その町の一員のようにして暮らしてみたい、とファーズにいった。(「第六章 庄野潤三と名作『ガンビア滞在記』」)

留学生の選出に当たって、日本側の中心となったのが坂西志保だった。

庄野さんが「ザボンの花」を日本経済新聞に連載したとき、これを愛読していた坂西志保は、「著者の純真さには胸を打たれる」と書評に書いた。

庄野さんのように極めて日本的な作家をアメリカに送り出してみたら、かえって面白いだろうと思わせたのかもしれないと、著者(斎藤禎)は推測している。

こうして庄野さんは、戸数200、人口600人という、極めて小さな大学村ガンビアにある「ケニオン・カレッジ」へ留学した。

庄野の描写には、安岡の『アメリカ感情旅行』にある、肌にまとわりつくような質感はない。

庄野の描写には、安岡の『アメリカ感情旅行』にある、肌にまとわりつくような質感はない。『ガンビア滞在記』には、アメリカをめぐる国際情勢への記述がない。スエズ動乱、ハンガリー動乱以後の世界、水爆実験も、米ソによる人工衛星競争も、庄野の視野には入っていない。ただ、ガンビアの人と風景のみが静かに流れてゆく。(「第六章 庄野潤三と名作『ガンビア滞在記』」)

当時、アメリカへ留学するということは、文学者にとっては、それなりに重い意味を持っていた。

敗戦国の文学者が、戦勝国であるアメリカで生活する(しかも、アメリカ側の資金によって)ということを考えれば、当然のことだ。

そして、第二次世界大戦に勝利して世界の覇者となったアメリカが、人種差別をはじめとして、多くの問題を抱えているということも、やはり事実だった。

だからこそ、安岡章太郎のように、黒人が多く暮らす環境(南部のナッシュビル)を滞在先に選んだ文学者もいたわけだが、庄野さんのアメリカ留学には、そのような社会的な視点がない。

庄野さんは、アメリカと対峙するのではなく、アメリカの中に溶け込んでしまう方法を選択した。

江藤淳の言葉を借りると「このかりそめのかたちに人生そのものの凝縮されたかたちを見て、窓を一枚へだててその外の現実につきあう」ことにしたのだろう。

それは、庄野さんが、留学先として「アメリカらしいアメリカ」を選択するのではなく、日本とあまり変わらないような小さな村にある小さな大学を選んだ時から、実は決まっていたのかもしれない。

「もともと庄野氏のなかに、あの「不安」の視点、つまり人生、或は日常生活をかりそめのものと見る核があったからにちがいない」という江藤淳の考察は、庄野さんの『ガンビア滞在記』と他の作品を並べてみたときに、なるほどと思えるような気持ちになる。

安岡は、留学前、ロックフェラー財団へ提出する英文の願書が書けなくて、庄野に相談に行っている。

安岡は、留学前、ロックフェラー財団へ提出する英文の願書がなかなか書けなくて、庄野に相談に行っている。庄野に「何だ、君はまだアプリケーションを出しとらんのか、そりゃいかんな。願書と一緒に謝り状も書いとけよ」といわれ、安岡は、「庄野は僕よりも一つ年下であるが、いまや僕は教員室に呼びつけられた劣等生の心境になった」と書いている。(安岡章太郎「僕の昭和史」)(「第六章 庄野潤三と名作『ガンビア滞在記』」)

この時、庄野さんは、「背中にケニヨン・カレッジと大きく書いた白い木綿のジャンパーを羽織っていた」という。

庄野さんの家は、当時、東京・練馬にあったが、安岡さんが訪ねた日は朝から雨で、庄野さんは、いたるところから雨漏りしている薄暗い座敷の真ん中に座って、原稿を書いていた。

ジャンパーを羽織っていたのは雨漏りよけのためだったのだろうと、安岡さんは推測している。

本書は、著者(斎藤禎)による考察よりも、関連する作品を整理して検証するところが中心となっているので、庄野さんに関する部分では、江藤淳や安岡章太郎の著作からの引用が多い。

こうした本を入口にして、他の留学生たちの作品を読んでいくと、読書の世界がさらに広がりそうだ。

書名:文士たちのアメリカ留学
著者:斎藤禎
発行:2018/12/13
出版社:書籍工房早山

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。