庄野潤三の世界

庄野潤三「野鴨」楽しい家族の日常を描いた心温まる昭和中期の物語

庄野潤三「野鴨」楽しい家族の日常を描いた心温まる昭和中期の物語
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庄野潤三『野鴨』読了。

本作は、昨年に一度読了済みのものではあるが、庄野さんの全著作読破後2回目の通読をしてみて、初読では理解できていない部分が多数あることがわかった。

例えば作品冒頭に出てくる「大阪の姪の結婚式」というのは、庄野さんの長兄・鷗一の長女・啓子さん(作品中では民子)の結婚式のことである。

この話の中では、庄野さんの兄弟構成が詳しく語られていて、庄野さんの生い立ちを理解する上で有意義な内容だ。

若くして亡くなった長兄・鷗一の話題も多い。

病気の兄に附き添って病室に泊まったときのエピソードには胸を打たれた。

夫婦の晩年シリーズの中に登場する柿生のだるま市へ行く場面は、なんとこの作品の中で既に登場していて、その歴史の長さに驚かされる。

だるま市の帰路、夫婦が中華料理店で湯麺(タンメン)を食べているところも、夫婦の晩年シリーズと同じで、柿生のだるま市が、庄野夫妻にとって大切な年中行事になっていたことが理解できる。

ちなみに、本作は、1971年(昭和46年)当時の庄野家の日常風景をスケッチした小説である。

食べ物の話でいうと、この頃の庄野さんの作品の中には「残念雑炊」という変わった名前の食べ物が時折登場する。

もっと食べたいくらいにおいしいのに、満腹でもう食べられなくて残念だ、という意味で「残念雑炊」の名前が付いていて、庄野家では豚肉の水炊きをしたときに、この「残念」を食べる楽しみがある。

『野鴨』では、その「残念雑炊」という名前は、家族で出かけたふぐ料理店で、ふぐ鍋を食べた後の雑炊を、店員が「残念雑炊」と呼んでいることにあやかって名付けられたものであることが綴られている。

もっとも、当の庄野さん(作中では井村)も、「残念雑炊」がふぐ料理店から始まっていたなんていうことは、すっかりと忘れていたらしいが。

それから、これも、夫婦の晩年シリーズに登場する、次男・和也(作品では「良二」)の陸上部の友人・大沢たけしが、『野鴨』の中では、農業高校に通う高校生として登場している。

あだ名が「テケシ」というところも変わっていない。

こんなに昔の作品から登場しているのだから、庄野さんの愛着が深いのも無理はないだろう。

日常生活の中で、チャールズ・ラムの『エリア随筆』を思い出したりする場面も庄野さんらしいし、福原麟太郎さんの『永遠に生きる言葉』から引いたりしている場面も、福原さんに対する庄野さんの敬愛ぶりが感じられて楽しい。

作品中で、長男・龍也(作品中では明夫)は(一浪を経て)大学一年生で、次男・和也(良二)は高校一年生。

前年5月に結婚していた長女・夏子(作品中では和子)は、7月に長男・和雄を出産、一児の母として登場している。

作品としては、昭和中期を生きる庶民の日常生活を何気ないスケッチで描いた作品だが、普遍的な人間の営みに着目して書かれているため、時代背景から生じる違和感はほとんどない。

むしろ、のどかな昭和時代の暮らしの中で、庄野一家の人々が生き生きと生活している様子が楽しめるあたりも、本作の醍醐味だと言えるだろう。

『絵合せ』『明夫と良二』に続く五人家族の物語

本作『野鴨』は、1972年(昭和47年)に「群像」で連載され、1973年(昭和48年)に単行本が刊行された長編小説である。

時代的には、昭和46年『絵合せ』(短篇集)、昭和47年『明夫と良二』(長篇小説)に続く、五人家族の物語の中核を構成する作品のひとつであり、長女・夏子(和子)の結婚前後の家庭の様子を描いた作品という意味では、『絵合せ』『明夫と良二』と並べて「三部作」として考えることができるものだ。

この後、庄野さんが描く五人家族のスケッチは、昭和49年『おもちゃ屋』、昭和51年『鍛冶屋の馬』と、若干の実験的要素を盛り込みながら発展していくことになる。

夫婦の晩年シリーズを読んで、庄野一族に興味を持たれた方は、ぜひ、『絵合せ』『明夫と良二』『野鴨』」を三部作として楽しんでいただきたい。

この場合、『絵合せ』は収録作品が再構成された文庫版(講談社文芸文庫あり)がお勧め。

その後で、さらに興味のある方は『夕べの雲』や『ザボンの花』へと遡っていけばいい。

どの作品の、どのページを開いても、待っているのは、のどかで楽しい庄野文学の世界である。

書名:野鴨
著者:庄野潤三
発行:1973/1/16
出版社:講談社

ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。