庄野潤三の世界

庄野潤三「南部の旅」長距離バスでメンフィスへ向かう夫婦のロード小説

庄野潤三「南部の旅」読了。

「南部の旅」は、昭和35年1月号の「オール読物」で発表された短篇小説である。

作品集としては、『道』(1962年、新潮社)のほか、傑作選である『佐渡』(1964年、学習研究社)にも収録された。

1957年秋から1958年夏にかけて、アメリカ・オハイオ州のケニオン大学へ留学した庄野さんは、小さな大学町ガンビア村での暮らしを複数の作品で発表しているが、本作もそうした「ガンビアもの」のひとつである。

もっとも、留学中に庄野さんは、ガンビアを拠点としてアメリカ国内を旅行しているが、こうした「国内旅行」の断片的な記録は、短篇小説の形で書かれることが多かったようだ。

この「南部の道」は、庄野さんが暮らすオハイオ州ガンビアからテネシー州メンフィスまで、長距離バスに乗って旅をした際の紀行小説である。

物語の冒頭、庄野さんは「バスは自動車が通る道を走るわけだから、大きな町も小さな町も全部通って行く。町を通る時は、商店などが並んでいる通りを抜けて行く」「乗換や休憩のために停車する時も、町なかで止まる。そのため汽車旅行では見ることの出来ないものが見られる。親しみが感じられる」として、「そんな話を聞いていたので、私も是非一度バスで遠距離の旅行をやってみたいと思った」と、旅の目的を綴っている。

庄野さんが千壽子夫人を伴って南部へのバス旅行に向かったのは、三月三十日のことで、この日から六日間の旅行をするわけだが、「六日間の旅行で、その間ホテルに泊ったのは三晩だけであとはバスの中で寝た」とある。

まさしく「遠距離バスの旅」といった旅行で、この小説にも、ジャック・ケルアックの「路上(オン・ザ・ロード)」を思い起こさせる「ロード小説」的な趣きが溢れている。

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順調に始まったバスの旅だったが、ルイスヴィルで乗り換えをする際にトラブルが生じた。

発車五分前になって乗り場へ行くと、「ルイスヴィル行き」と表示のあるバスがないのだ。

結局「マイアミ行き」に乗ることが分かって、何とか乗り遅れを防ぐことができるが、最後の乗車になってしまったので、危うくすべての座席が埋まって立ったままの長距離移動をしなければならないところだった。

さらに、ようやく座席を確保して安心したところで、庄野さんは、日本から持って来た愛用のカメラがないことに気がつく。

バスの待合室に忘れてきたと知って、庄野さんは「電気を消して暗くしたバスの中で元気をなくした」が、次のように考え直す。

どんなに値段の安いものでも、長年使っていた物を失くすと、がっかりするものだということを私はこの時経験した。私はしかし、写真機を失くした以上は、もうどんな景色や人物を見ても、「これを写しておかなくては」と思ってあくせくする必要がなくなったから、いっそさっぱりして気持がいいと考えることに努力した。(庄野潤三「南部の道」)

庄野文学の味わいを感じさせる名場面だと思う。

緊張感漂う「白人専用待合室」の様子

やがて、メンフィスでバスから降りた瞬間、庄野さんは「ホワイト・ウェイティング・ルーム」と書いてる待合室を見て戸惑う。

この短篇小説の中、最も緊張感のある場面で、「白人専用待合室」の様子が入念に描かれている。

一方で、メンフィスを出発すると、バスの中で道連れになった男性と親しく談笑するなど、寛いだ雰囲気が戻ってくる。

この男性が自分の生い立ちを語る場面などは、庄野さん得意の「聞き書き小説」的な片鱗が垣間見えていると言っていい。

南部の貧しい町を通り過ぎてナチェッツに到着したところで旅は終わる。

読み終えた後で、この「ロード小説」は、『ガンビア滞在記』や『懐しきオハイオ』などといった長編小説の中で、断片的なエピソードとして描くよりも、ひとつの短篇小説として切り取った方がおもしろいのだということを感じた。

自分はやっぱり庄野さんの紀行小説が好きだ。

書名:佐渡
著者:庄野潤三
発行:1964/11/20
出版社:学習研究社

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。