小澤實「万太郎の一句」読了。
有名で人気もある久保田万太郎の俳句だが、本来、久保田万太郎は小説や戯曲を生業とした作家であり、俳句はあくまでも「余技」に過ぎなかった。
「余技」というスタンスを取ることで、既存概念にとらわれない、自由な俳句を生み出すことができたのではなかっただろうか。
1月28日に「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」の句がある。
著者(小澤實)の鑑賞には「万太郎が愛読した樋口一葉『たけくらべ』の世界が背景にある」「文字が竹馬で遊ぶこどもたちの姿のようにも見える」「不思議な句。永い時間を含んだ句である」と綴られていた。
明治時代の広瀬中佐の軍歌「今なるぞ節」に「いろはにほへとちりぢりに打破らむは今なるぞ」とあるのが本歌らしいが、「いろはにほへとちりぢりに」の上に「竹馬」を乗せてしまうところが、万太郎の妙味であり、余技だからこその余裕だと思いたい。
3月7日「ばか、はしら、かき、はまぐりや春の雪」。
平仮名で並んでいるのは、いずれも貝の名前で、著者は「貝の名が春の大きな雪の質感を表しているような気がしてきた」と鑑賞している。
万太郎が贔屓にした銀座「岡田」の女将・岡田こうは「貝類をよくめし上がり、柱、平貝のわさび、青柳のつけやきなどがおすきでした」と記しているそうだ。
4月18日「時計屋の時計春の夜どれがほんと」には「口語使用も字余りも春の夜の楽しい気分をかもしている」とある。
現在の時計屋の時計は時間に正確なクォーツだから、時計屋の壁にかかった柱時計の時刻がみんな違うというようなことはないだろう。
戦前の時計屋の雰囲気を味わいたい。
5月13日「神田川祭の中を流れけり」。
万太郎の代表句のひとつである。
この祭りは、島崎藤村の『生ひ立ちの記』の冒頭に「昨日、一昨日はこの町にある榊神社の祭礼で近年にない賑わひでした」の一文で登場する榊神社のお祭りで、当時の榊神社は柳橋のところにあった。
神田川は柳橋で隅田川と合流していたらしい。
万太郎は島崎藤村を敬愛していたという。
鑑賞には「祭の喧騒を川の静寂が際立たせている」と書かれている。
5月23日「セルむかし勇、白秋、杢太郎」。
吉井勇、北原白秋、木下杢太郎の三人は、雑誌「スバル」の代表作家たちで、「三田文学」の万太郎は、「新思潮」「白樺」以上に、この「スバル」を意識していたらしい。
鑑賞の「セルを着こなした憧れの群像が回想される」が良い。
ファッションにもこだわりのあった、洒落者の万太郎らしい作品である。
7月24日は芥川龍之介の命日で「芥川龍之介仏大暑かな」の句がある。
東京府立第三中学校で、芥川は万太郎の二年後輩だったが、知り合ったのは後年のことで、万太郎の処女句集『道芝』に、芥川は序文を寄せている。
鑑賞は「ぶっきらぼうな異形の句姿に、一周忌を迎えながらも、なお死の強い衝撃を受け続けているのを感じる」。
8月15日「何もかもあつけらかんと西日中」。
終戦の日の句で、日本の終戦を象徴する文学作品のひとつと言っていい。
「国は破れ、強烈な日と熱とにすべてのものがさらされている」「神秘的なものは何ひとつない」「戦後日本の本質までえぐり出しているような句である」と鑑賞にあり、本作品の持つ深みを感じさせる。
12月28日「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」。
鑑賞には「生きてはいるのだが、『いのちのはて』というところに来ていると認識している」「そこに『うすあかり』を見出している」とある。
愛人の三隅一子が亡くなった後の絶唱。
寒い門前で万太郎の帰宅を待ち続けた夜、一子は倒れた。
愛する女性の死が、万太郎を「いのちのはて」と向き合わせていたのか。
季節感を楽しみながら俳句を味わいたい
本書「万太郎の一句」は、ふらんす堂「365日入門シリーズ」の一冊である。
日めくりカレンダーのように、一日一日に俳句作品と鑑賞が掲載されているから、少しずつ読んでいくことができるし、何より季節感を楽しみながら俳句を味わうことができる。
鑑賞も、専門的で難解なものではなく、初心者が俳句の味わいを感じることのできるように配慮されているし、俳句鑑賞のポイントも分かりやすく示されている。
短いながら作品の背景などの解説も充実しているので、久保田万太郎の俳句を理解するには、最初の一冊として非常にお勧め。
書名:万太郎の一句
著者:小澤實
発行:2005/7/1
出版社:ふらんす堂