外国文学の世界

ハミルトン「サリンジャーをつかまえて」サリンジャーと裁判で争った日々

ハミルトン「サリンジャーをつかまえて」あらすじと感想と考察

イアン・ハミルトン「サリンジャーをつかまえて」読了。

本書は、1988年(昭和63年)に刊行されたJ.D.サリンジャーの評伝である。

原題は『IN SEARCH OF J.D.SALINGER』。

日本語訳は、1992年(平成4年)に文藝春秋から刊行されている。

サリンジャーの伝記作りに挑んだ男の、格闘の記録

本書は、 サリンジャーの伝記作りに挑んだ男の、格闘の記録である。

それを果たして伝記と呼ぶことができるのか否か。

イエスとも言えるし、ノーとも言えるのかもしれない。

本書が刊行された1988年(昭和63年)、サリンジャーは69歳で、社会から姿を隠すように隠遁生活を行っていた。

当然、伝記なんか真っ平ごめんだと考えている。

存命中の本人の協力が得られないところから、この伝記作りは始まった。

当たり前だが、サリンジャーと親しい編集者や、身内などからの協力も得られることはない。

このころ、私はこの書物について尋ねる人びとに対して、次のように答えるのが常だった。「たいした本ではない。伝記とは考えないでくれ。だけど、まったく取り柄がないというわけでもないんだよ」(イアン・ハミルトン「サリンジャーをつかまえて」海保槇夫・訳)

本書の中で、著者は、何度も繰り返し、サリンジャーの伝記を編むことの難しさを綴っている(それは、ある意味でただのグチだが)。

結局、本書にサリンジャーの肉声はない。

引用を厳しく制限された古い手紙と、あまり親しくなかった人々による回想、昔の雑誌に発表した古い短編小説、そして、サリンジャーの作品について書かれた古い書評。

その後まもなく私はランダムハウス社からニューヨークに出頭を命ぜられた。緊急の出頭命令だったので、私の到着が祭日の始まりと重なってしまったほどである。ようやく私が自分の召喚者と連絡をとると、彼は私にサリンジャー側から苦情の出ない程度にまで引用文を削るように命じた。私は一通の手紙からの引用が十語を越えないように、一週間かかって削除作業を行なった。(イアン・ハミルトン「サリンジャーをつかまえて」海保槇夫・訳)

まるで、拾い集めたサリンジャーの影をつなぎ合わるように、本書は頼りなく、不安定だ。

現在、サリンジャーの評伝を読みたいと思ったら、ケネス・スラウェンスキー『サリンジャ――生涯91年の真実』(2010)や、デイヴィッド・シールズ、シェーン・サレルノ『サリンジャー』(2015)を読めばいい。

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1988年という時代、サリンジャーの伝記を書くには、まだ少し早すぎたのかもしれない。

サリンジャーとの裁判記録

本書で唯一、サリンジャー本人が姿を現す部分がある。

それは、本書の刊行に拒絶感を示すサリンジャーから裁判を起こされた最終場面だ。

本書は、評伝というよりも、評伝づくりの経過を綴ったルポルタージュのようなものだったから、「サリンジャーから告訴される」というのは、本書の構成上、実は一番の見どころとなっている。

過去(私生活)を暴く行為を、サリンジャーがいかに嫌悪していたかということを知り得ることができる、貴重な記録だ。

サリンジャーは多少耳が遠かったが、年齢のわりには非常に若く見えた…髪は灰色になり、目鼻だちはいかめしかった。身なりはきちんとしており、運動家らしい体つきだった。作家というより実業家といった印象である。彼は自分が尋問されなければならないことにちょっと苦情を述べた。(イアン・ハミルトン「サリンジャーをつかまえて」海保槇夫・訳)

終盤は、ほとんどサリンジャーとの裁判記録だが、生身のサリンジャーが登場しているだけあって、本書の中で最も迫力のある部分である。

まるで、本人の声を伝えることの大切さを教えてくれているかのように。

もちろん、一般的に知られているサリンジャーの経歴を復習するという意味において、本書は決して意味のないものではない。

まあ、「サリンジャーをつかまえて」という邦題だけは気になるけどね(普通に「サリンジャーを探して」でいいじゃん)。

書名:サリンジャーをつかまえて
著者:イアン・ハミルトン
訳者:海保槇夫
発行:1992/05/30
出版社:文藝春秋社

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。