庄野潤三の世界

庄野潤三の年譜~バイオグラフィー、ディスコグラフィー

庄野潤三の年譜~バイオグラフィー、ディスコグラフィー

庄野さんの年譜を作成しました。

講談社文芸文庫や「庄野潤三全集(第十巻)」の年譜を底本として、短篇集や随筆集に収録された作品を発表年月ごとに整理しています。

庄野さんの作品には、小説とも随筆とも判然としないものが多いので、随筆集に収録されたものは、すべて「随筆」として記載しています(全集の月報や文庫本の解説なども含めて)。

作品集に収録されていないものは、見つける都度、更新していきたいと思います。

作品案内や読書感想のある作品にはリンクを貼りました(2021/11/21)。

Contents
  1. 1920年代
    1. 1921年(大正10年)0歳
    2. 1926年(大正15年・昭和元年)5歳
    3. 1927年(昭和2年)6歳
  2. 1930年代
    1. 1932年(昭和7年)11歳
    2. 1933年(昭和8年)12歳
    3. 1937年(昭和12年)16歳
    4. 1939年(昭和14年)18歳
  3. 1940年代
    1. 1940年(昭和15年)19歳
    2. 1941年(昭和16年)20歳
    3. 1942年(昭和17年)21歳
    4. 1943年(昭和18年)22歳
    5. 1944年(昭和19年)23歳
    6. 1945年(昭和20年)24歳
    7. 1946年(昭和21年)25歳
    8. 1947年(昭和22年)26歳
    9. 1948年(昭和23年)27歳
    10. 1949年(昭和24年)28歳
  4. 1950年代
    1. 1950年(昭和25年)29歳
    2. 1951年(昭和26年)30歳
    3. 1952年(昭和27年)31歳
    4. 1953年(昭和28年)32歳
    5. 1954年(昭和29年)33歳
    6. 1955年(昭和30年)34歳
    7. 1956年(昭和31年)35歳
    8. 1957年(昭和32年)36歳
    9. 1958年(昭和33年)37歳
    10. 1959年(昭和34年)38歳
  5. 1960年代
    1. 1960年(昭和35年)39歳
    2. 1961年(昭和36年)40歳
    3. 1962年(昭和37年)41歳
    4. 1963年(昭和38年)42歳
    5. 1964年(昭和39年)43歳
    6. 1965年(昭和40年)44歳
    7. 1966年(昭和41年)45歳
    8. 1967年(昭和42年)46歳
    9. 1968年(昭和43年)47歳
    10. 1969年(昭和44年)48歳
  6. 1970年代
    1. 1970年(昭和45年)49歳
    2. 1971年(昭和46年)50歳
    3. 1972年(昭和47年)51歳
    4. 1973年(昭和48年)52歳
    5. 1974年(昭和49年)53歳
    6. 1975年(昭和50年)54歳
    7. 1976年(昭和51年)55歳
    8. 1977年(昭和52年)56歳
    9. 1978年(昭和53年)57歳
    10. 1979年(昭和54年)58歳
  7. 1980年代
    1. 1980年(昭和55年)59歳
    2. 1981年(昭和56年)60歳
    3. 1982年(昭和57年)61歳
    4. 1983年(昭和58年)62歳
    5. 1984年(昭和59年)63歳
    6. 1985年(昭和60年)64歳
    7. 1986年(昭和61年)65歳
    8. 1987年(昭和62年)66歳
    9. 1988年(昭和63年)67歳
    10. 1989年(昭和64年・平成元年)68歳
  8. 1990年代
    1. 1990年(平成2年)69歳
    2. 1991年(平成3年)70歳
    3. 1992年(平成4年)71歳
    4. 1993年(平成5年)72歳
    5. 1994年(平成6年)73歳
    6. 1995年(平成7年)74歳
    7. 1996年(平成8年)75歳
    8. 1997年(平成9年)76歳
    9. 1998年(平成10年)77歳
    10. 1999年(平成11年)78歳
  9. 2000年代
    1. 2000年(平成12年)79歳
    2. 2001年(平成13年)80歳
    3. 2002年(平成14年)81歳
    4. 2003年(平成15年)82歳
    5. 2004年(平成16年)83歳
    6. 2005年(平成17年)84歳
    7. 2006年(平成18年)85歳
    8. 2007年(平成19年)86歳
    9. 2008年(平成20年)87歳
    10. 2009年(平成21年)88歳
  10. 2010年代
    1. 2010年(平成22年)
    2. 2011年(平成23年)
    3. 2017年(平成29年)
    4. 2014年(平成26年)
    5. 2015年(平成27年)
    6. 2016年(平成28年)
    7. 2018年(平成30年)
    8. 2019年(平成31年・令和元年)
  11. 2020年代
    1. 2020年(令和2年)
    2. 2021年(令和3年)
    3. 2022年(令和4年)
    4. 2023年(令和5年)

1920年代

1920年代です。

庄野潤三の幼き日々です。

1921年(大正10年)0歳

2月9日、大阪府東成郡住吉村三五九番地(現在の大阪市住吉区帝塚山東二丁目五六番地)に生まれる。

父・貞一、母・春慧、長兄・鷗一、次兄・英二、長姉・滋子。

父の貞一は、帝塚山学院の初代院長だった。

帝塚山学院は大正6年(1917年)創立。

1926年(大正15年・昭和元年)5歳

4月、帝塚山学院幼稚園に入る。

1927年(昭和2年)6歳

帝塚山学院小学部に入学。

4月14日、香取丸で欧米の教育視察に旅立つ父を神戸港に見送った。

9月、弟・四郎が疫痢で死去。「疫痢」とは小児のかかる急性伝染病で、多くは赤痢菌が原因だった。

12月、父が帰国。

1930年代

1930年代です。

庄野少年の10代の日々です。

18歳のときに、チャールズ・ラムが登場。

1932年(昭和7年)11歳

7月、樽井の臨海学舎で二里の遊泳に合格。

1933年(昭和8年)12歳

3月、帝塚山学院小学部を卒業。

4月、大阪府立住吉中学校に入学。

一年生の時の国語の先生に、後に師事することになる詩人の伊東静雄がいた。

12月、腎臓炎のため、三学期を欠席。蛋白が取れず、一年間休学。

1937年(昭和12年)16歳

4月、次兄・英二が、大阪の部隊とともに北満へ向かう。

7月、長兄・鷗一が、召集を受けて北支へ出征、父母とともに、和歌山県加太の深山重砲兵隊まで兄を送る。

1939年(昭和14年)18歳

4月、大阪外国語学校英語部に入学、主幹は吉本正秋教授。

4月、陸軍少尉の次兄・英二が中支に出征。

チャールズ・ラムなど、イギリスのエッセイを愛読。

中学校の教科書に載っていたラムを翻訳、「ふるさと」という題で<外語文学>に発表。

7月、長兄・鷗一が北支から帰還。

1940年代

1940年代です。

従軍と終戦、高校教師、野球部監督、結婚、長女の誕生、そして小説家へと、庄野さんの生活はめまぐるしく変化していきました。

1940年(昭和15年)19歳

7月、津田英学塾で開催された「第七回日米学生会議」に参加。

この頃、内田百閒や井伏鱒二などを愛読。

俳句に興味を持ち、内藤吐天の主宰する「東炎」を購読、句作を試みる。

キャサリン・マンスフィールドの「理想的な家庭」を翻訳、部内誌「咲耶(さくや)」に発表。

英国の小説では、マンスフィールドのほかに、ウォルポールの「ジェレミイとハムレット」などを好んだ。

1941年(昭和16年)20歳

3月、河出書房から出た『現代詩集』で伊東静雄の作品を読み、堺市北三国ヶ丘の家を訪ねる。以後師事した。

6月、野外教練のあと、風邪がこじれて気管支炎となり、以後、長期欠席。

この頃より、詩に興味を持ち、詩作を試みる。

11月、長兄・鷗一が里子と結婚【夕べの雲】。

12月、繰り上げで大阪外国語学校英語部を卒業。

12月2日、大阪外語の級友・佐伯太郎から、竹久夢二の絵入り詩集『小夜曲』を贈られる【早春】

12月8。日、太平洋戦争勃発。

12月、長兄・鷗一が再度の応召で、加太の重砲兵隊に入る。

1942年(昭和17年)21歳

4月、九州帝国大学法文学部に入学、東洋史を専攻。

一年上に島尾敏雄がいた。

7月、朝鮮を経て満州(現在の中国東北部)を旅行。

奉天とハルビンに叔父を、新京に結婚した姉を訪ね、帰りは大連より船で帰った。

9月、試験休みに帰省、伊東静雄と水無瀬宮に遊んだ。

1943年(昭和18年)22歳

3月、伊東静雄や、東京から来た林富士馬、貴志武彦らとともに、紀州の古座に旅行、潮岬や那智を訪ねる。

帰りは、伊東静雄と二人で伊勢に出て、志摩半島の鵜方の宿に一泊する。

5月、東洋史の学会に出席するため上京、林富士馬に同行して、初めて文京区関口町に佐藤春夫を訪ねる。

8月、友人と父の郷里の徳島を旅行、剣山に登る。

9月、再び朝鮮を経て満州へ旅行、東京城に渤海国の首都の上京龍泉府の跡を訪ねた(「曠野」「秋の日」)。

鏡泊湖から東京城へ戻った日に、法文系学生の徴兵猶予令廃止の新聞記事を読み、ハルピンを回って内地に帰る(「秋の日」)。

11月、徴兵検査を受け、甲種合格となる。

11月、処女作「雪・ほたる」を執筆。

「雪・ほたる」の発表は、翌年4月「まほろば」にて。

12月、広島の大竹海兵団に入団。

12月、静岡県清水市へ兄・鷗一を訪ねる(「石垣いちご」)。

1944年(昭和19年)23歳

1月、武山海兵団にある海軍予備学生隊に入隊。

2月、ジフテリアを発症して病室に入る。班へ戻るまでひと月かかった(「夕べの雲」)。

4月、母と妹が大阪から面会に訪れる(「夕べの雲」)。

7月、館山砲術学校へ移り、対空射撃の訓練を受ける。

10月付けで九州大学の卒業証書が与えられる。

12月、清水市駒越の砲台に隊長として勤務していた長兄・鷗一を訪ねる。

12月、海軍少尉に任官。

1945年(昭和20年)24歳

1月、フィリピン島へ赴任するため、佐世保へ向かう途中、大阪の自宅に一泊する。

アメリカ軍がフィリピンに上陸、マニラへ進攻開始したため、佐世保に集結した南方行きの士官は配置先がすべて変更される。

2月、大竹潜水学校を経て、館山砲術学校附を命ぜられ、庄野隊を編成。

8月、終戦を伊豆半島で迎えて復員。

10月、大阪府今宮中学校の歴史教師として就職。

1946年(昭和21年)25歳

1月、浜生千壽子と結婚。

1月、詩「チェルニのうた」を、藤澤恒夫編集<文学雑誌>創刊号に発表。

5月、島尾敏雄、林富士馬、三島由紀夫らと<光耀>を刊行。

「光耀」は、物価騰貴のため、印刷ができなくなり、三号を出して解散。誌名の「光耀」は、客員の形で援助してくれていた伊東静雄の発案によるもの。

6月、次兄・英二がレンバン島より復員。

7月、「罪」を<午前>に発表【庄野潤三全集・第一巻】。

10月、「貴志君の話」を<光耀>に発表【庄野潤三全集・第一巻】。

11月、「淀の河辺」を<午前>に発表。

1947年(昭和22年)26歳

3月、甲子園大会(第19回選抜中等学校野球大会)に、野球部長(顧問教諭)として出場。

群馬県立桐生中学校と対戦して一回戦敗退。スコアは「6対3」だった。名門の桐生中は準決勝で敗退。

4月、「ピューマと黒猫」を<文学雑誌>に発表【庄野潤三全集・第一巻】。

6月、「青葉の笛」を<午前>に発表。

この夏、チェーホフを愛読。「チェーホフ読書日記」を作る。

10月、長女・夏子誕生。

12月、「恋文」を<新現実>に発表【愛撫】。

1948年(昭和23年)27歳

4月、「銀鞍白馬」を<文学雑誌>に発表。

6月、泉田行夫の主宰する児童劇団「ともだち劇場」のために、ウイリアム・サロイヤンの『わが名はアラム』から「ハンフォードへの旅」を劇化、「巴旦杏の木の下」という題で上演。

6月、学制改革のため、今宮高校から大阪市立南高校へ転勤。

11月19日、長兄・鷗一が死去。

12月24日、千壽子夫人が自殺未遂。

1949年(昭和24年)28歳

1月、「暗い屋上(詩)」を<文学雑誌>に発表。

3月、「冬の夜の星」を<文学雑誌>に発表。

4月、「愛撫」を<新文学>に発表【愛撫】。

「新文学」への掲載にあたっては、島尾敏雄の推輓があった。この作品については、鎌倉極楽寺の中山義秀から葉書をもらうなどの反響があった。

4月、「兄弟」を<文学雑誌>に発表。

5月、「風のいたづら(詩)」を<日本短歌>に発表。

7月、「群像」の創作合評で「愛撫」が取り上げられ、同誌より初めて小説の注文を受ける(翌年2月に発表の「舞踏」)。

合評会のメンバーは、青野季吉、中山義秀、荒正人。

8月、「十月の葉」を<文学雑誌>に発表。

1950年代

1950年代です。

芥川賞受賞、アメリカ留学。

若き小説家・庄野潤三が完成していく過程が見えてきます。

1950年(昭和25年)29歳

2月、「舞踏」を<群像>に発表【愛撫】。

4月、<群像>四月号の創作合評で「舞踏」が取り上げられる。

合評会のメンバーは、宇野浩二、平野謙、高見順。

8月、「スラヴの子守唄」を<群像>に発表【愛撫】。

10月、「メリイ・ゴオ・ラウンド」を<人間>に発表【愛撫】。

10月、父・貞一が急逝。

1951年(昭和26年)30歳

2月9日、30歳となる。

9月、大阪市立南高校を辞職し、朝日放送へ入社(学芸課に配属となり、教養番組の制作を担当)。同僚に、帝塚山学院出身の阪田寛夫がいた。

9月、長男・龍也誕生。長女・夏子は翌10月で4歳になる年のこと。

1952年(昭和27年)31歳

4月、「紫陽花」を<文芸>に発表【プールサイド小景】。

6月、「虹と鎖」を<現在>に発表。

8月、千壽子夫人、長女・夏子と一緒に、三重県・青山高原へ初めての家族旅行【家族旅行の楽しさ】

1953年(昭和28年)32歳

1月、「喪服」を<近代文学>に発表【愛撫】。

3月、国立大阪病院長野分院で療養中の伊東静雄が死去。

4月、「恋文」を<文芸>に発表【愛撫】。

7月、「喪服」と「恋文」の両作が第29回芥川賞候補となる(1回目)。

このとき、芥川賞受賞とはならなかった。受賞作は安岡章太郎「悪い仲間」「陰気な愉しみ」。

7月、随筆「『反響』のころ」を<祖国(伊東静雄追悼号)>に発表【庭の山の木】。

8月、「会話」を<近代文学>に発表【愛撫】。

8月、近藤啓太郎の案内で、安岡章太郎、島尾敏雄、三浦朱門とともに千葉県鴨川へ旅行【若き芥川賞作家たち房総へゆく】

9月、朝日放送東京支社に転勤、東京都練馬区南田中町453番地へ転居。

長女の夏子が6歳、長男の龍也が2歳になる年だった。

12月、「流木」を<群像>に発表【愛撫】。

12月、最初の作品集となる『愛撫』を新潮社より刊行。

12月、「流木」と「会話」が第30回芥川賞の候補作となる(2回目)。

このときも芥川賞受賞とはならず。ちなみに「受賞作なし」で、他の候補者として、小島信夫や小山清、富島健夫らがいた。

1954年(昭和29年)33歳

1月、「噴水」を<近代文学>に発表【愛撫】。

1月16日、東中野<モナミ>にて『愛撫』出版記念会、会費600円(木山捷平『酔いざめ日記』)。

1月、「十月の葉」を<ニューエイジ>に発表【プールサイド小景】。

この頃から、杉並区清水町に井伏鱒二を訪ねるようになる。

2月、「臙脂」を<文学界>に発表【プールサイド小景】。

4月、長女・夏子が小学校に入学。

6月、「黒い牧師」を<新潮>に発表【プールサイド小景】。

6月、「桃李」を<文学界>に発表【プールサイド小景】。

6月、「団欒」を<文芸>に発表【プールサイド小景】。

7月、「黒い牧師」「桃李」「団欒」が、第31回芥川賞の候補作となる(3回目)。

このときも、芥川賞受賞とはならず。受賞作は、吉行淳之介「驟雨」で、他の候補者に小沼丹らがいた。

10月、「結婚」を<文学界>に発表【プールサイド小景】。

10月、随筆「小説 ピューマと一匹の泥鰌の話」を<明窓>に発表。

11月29日、<歌舞伎座>の文芸春秋祭に出席【木山捷平「酔いざめ日記」】。

12月、「プールサイド小景」を<群像>に発表【プールサイド小景】。

12月、「プールサイド小景」が第32回芥川賞の候補作となる(4回目)。

1955年(昭和30年)34歳

1月、「異端糾問」を<近代文学>に発表。

1月、大阪の自宅で、母が脳血栓のため倒れる。

1月、「プールサイド小景」で、第32回芥川賞を受賞。

小島信夫「アメリカン・スクール」との同時受賞だった。ちなみに、他の候補者として小沼丹がいた。

2月、「伯林日記」を<文芸>に発表【プールサイド小景】。

2月、『プールサイド小景』をみすず書房より刊行。

2月18日、中野<ほととぎす>にて、芥川賞祝賀会、会費800円【木山捷平『酔いざめ日記』】。

3月、「鵞ペン」を<別冊文芸春秋>に発表。

3月、随筆「月給と原稿料」を<新聞月鑑>に発表。

3月、<文学界>の同人雑誌現地座談会に出席のため、札幌を訪れる。

4月、「バングローバーの旅」を文芸に発表【バングローバーの旅】。

4月2日、「ザボンの花」を日本経済新聞に連載開始(8月31日完結、計152回)【ザボンの花】。

4月、短篇集『結婚』を河出書房から刊行。

5月、「兄弟」を<新潮>に発表【バングローバーの旅】。

5月、「雲を消す男」を<文学界>に発表【バングローバーの旅】。

5月、随筆「恋愛の問題」を<ニュー・エイジ>に発表。

6月、「帰宅の時」を<別冊文芸春秋>に発表。

7月、「薄情な恋人」を<知性>に発表【バングローバーの旅】。

7月、「海の景色」を<中央公論>に発表。

7月、「三つの葉」を<小説新潮>に発表【旅人の喜び】。

7月、「かの旅、伊東静雄回顧」を<文学界>に発表。

8月、朝日放送を退社。作家として独立する。

9月11日、随筆「宿題」を<朝日新聞>に発表【自分の羽根】。

10月、「ビニール水泳服実験」を<文芸>に発表【バングローバーの旅】。

10月、「緩徐調」を<文芸春秋>に発表【バングローバーの旅】。

10月、「少年」を<小説新潮>に発表。

10月、随筆「憂しと見し世ぞ」を<日本経済新聞>に発表【自分の羽根】。

12月、「無抵抗」を<別冊文芸春秋>に発表【バングローバーの旅】。

12月、随筆「小沼丹」を<文芸>に発表。

この年、母の病気見舞いのために、たびたび帰省した。

1956年(昭和31年)35歳

1月、『プールサイド小景他八篇』を角川文庫から刊行。

1月、随筆「『舞踏』の時」を<群像>に発表【庭の山の木】。

1月、「可愛い人」を<婦人朝日>に発表。

2月、次男・和也誕生。長女・夏子が8歳、長男・龍也が4歳だった。

3月、「勝負」を<文芸>に発表【バングローバーの旅】。

3月、「若い来客」を<高校時代>に発表。

3月、長女・夏子(小学3年生)とともに、母の病気を見舞いに大阪を訪ねる。2週間滞在する。実家の庭の浜木綿を掘って一株持ち帰る(「夕べの雲」)。

3月29日、随筆「私の代表作」を<読売新聞>に発表【庭の山の木】。

4月、「机」を<群像>に発表【バングローバーの旅】。

4月、「セーラの話」を<小学六年生>に発表。

4月、「離れ島」を<小説公園>に発表。

4月、「サラリーマンの休日」を<知性>に発表。

4月、随筆「伊東先生」を<三田文学>に発表【自分の羽根】。

4月、随筆「イルカの親子」を<温泉>に発表。

4月13日、帝国ホテルにて、坂西志保と初めて面会する(「二十年前」)。

4月17日、随筆「兄のいた学校」を<関西学院大学新聞>に発表【庭の山の木】。

4月19日、母・春慧が死去。

5月、「孔雀の卵」を<小説新潮>に発表。

5月、「ヘミングウェイ」を<近代文学>に発表。

5月、「旅人の喜び」を<知性>に連載開始(翌年2月に完結)【旅人の喜び】。

5月、「スカランジェロさん」を<小学六年生>に発表。

5月、随筆「道のそばの家」を<風報>に発表【自分の羽根】。

6月、「ルポ東京新風俗抄 トルコ風呂」を<週刊サンケイ>に発表。

7月、『ザボンの花』を近代生活社から刊行。

7月、「ボクシング・クラブ(新風俗)」を<週刊サンケイ>に発表。

7月26日、随筆「危険な事業」を<毎日新聞>に発表【自分の羽根】。

8月、「黄色いガウン」を<若い女性>に発表。

8月、随筆「ラインダンスの娘たち」を<週刊サンケイ>に発表【庭の山の木】。

8月、随筆「『回転木馬』」を<新女苑>に発表【庭の山の木】。

8月、「「うた日記」の思い出」を<詩学>に発表。

この夏、近藤啓太郎の紹介で初めて、千葉県安房郡江見町の太海へ家族と出かけた。

9月、「夢見る男」を<小説新潮>に発表。

10月、「不安な恋人」を<文学界>に発表。

10月、「会話の練習」を<小説公園>に発表。

10月、「目下、花嫁修業中――東京新風俗抄」を<週刊サンケイ>に発表。

11月、「ハンモック」を<オール読物>に発表。

11月、「梅崎春生論」を<文芸>に発表。

11月、随筆「『ピクニック』」を<新女苑>に発表【庭の山の木】。

11月20日、随筆「息子の好物」を<日本経済新聞>に発表【自分の羽根】。

12月、「太い糸」を<別冊文芸春秋>に発表。

12月、「家族旅行の楽しさ」を<旅>に発表。

1957年(昭和32年)36歳

1月、随筆「うちのノラ公」を<ゆう・もあ>に発表【庭の山の木】。

1月、小倉百人一種を買って帰る(「日記」)。

1月25日、随筆「たつたの川」を<日本経済新聞>に発表【自分の羽根】。

1月26日、随筆「春近し」を<熊本日日新聞>に発表【庭の山の木】。

2月、「ある町」を<群像>に発表。

2月、「独身」を<小説公園>に発表。

この頃から夏にかけて、カミソリ負けによるアレルギー症に苦しむ。

3月、「《読切小説》若い来客」を<高校時代>に発表。

3月18日、随筆「子供の盗賊」を<日本経済新聞>に発表【自分の羽根】。

4月、「グラビア私のスポーツ(鉄棒)」を<知性>に発表。

5月、「青春小説 野こそ我らの庭」を<高校時代>に発表。

5月、随筆「庭の鉄棒」を<レナウン>に発表【庭の山の木】。

5月、「チヤールズ・ラムのこと――思いやりの心」を<月刊保険評論>に発表。

5月2日、随筆「水色のネッカチーフ」を<産経時事>に発表【庭の山の木】。

5月3日、坂西志保の紹介により、ロックフェラー財団のジュライ氏を国立博物館に案内する(「二十年前」)。

5月30日、随筆「私の取材法」を<産経時事>に発表【庭の山の木】。

6月、「父」を<文学界>に発表。

6月、随筆「吉川幸次郎『人間詩話』」を<新女苑>に発表【庭の山の木】。

6月、『バンクローバーの旅』を現代文芸社より刊行。

6月21日、随筆「弟」を<日本経済新聞>に発表【自分の羽根】。

7月、「自由な散歩」を<小説新潮>に発表。

8月、「私のパタシュ」を<新女苑>に発表。

8月24日、坂西志保の招待により、家族と一緒に国際文化会館で昼食を食べる(「二十年前」)。

8月26日、ロックフェラー財団の招きを受けて、夫人とともにクリープランド号に乗船、アメリカに向けて横浜港を出港。

9月初め、サン・フランシスコからロサンゼルス、グランド・キャニオン、シカゴを経て、オハイオ州ガンビアに到着、ケニオン大学の客員として一年間滞在。

東京の留守宅では、妻の母が、三人の子どもたちの世話役を引き受けてくれた。

10月、「相客」を<群像>に発表【静物】。

10月、「詩人・生活」を<文学界>に発表。

11月、「吊橋」を<オール読物>に発表。

12月、ワシントンへ旅行。

1958年(昭和33年)37歳

3月、バスで南部ニュー・オーリンズへ旅行。

4月、長男・龍也が小学校に入学。

6月、ニューヨーク、ボストンを経て、カナダ国境へ旅行。

8月、一年間の留学を終えて、クリープランド号でアメリカから帰国。

8月16日、随筆「米と醤油」を<日本経済新聞>に発表【イソップとひよどり】。

8月25日、随筆「オハイオの新聞」を<週刊読書人>に発表【イソップとひよどり】。

8月29日、随筆「アメリカの匂い」を<産経新聞>に発表【イソップとひよどり】。

9月、随筆「四対一(オハイオ州ガンビアの話)」を<洋酒天国29>に発表。

10月2日、東京会館の巌谷大四『非常時日本文壇史』出版記念会に出席、会費千円。伊馬春部・木山捷平・小沼丹・吉岡達夫などと京橋の呑み屋で二次会【木山捷平『酔いざめ日記』】。

11月30日、宝塚劇場の文芸春秋まつりに出席、会の後、新宿<樽平>で、小沼丹・吉岡達夫などと飲んでいるところ、木山捷平と会う【木山捷平『酔いざめ日記』】。

12月、「五人の男」を<群像>に発表【静物】。

12月、「イタリア風」を<文学界>に発表【静物】。

12月、「アメリカン・ハズバンド」を<婦人公論>に発表。

12月、随筆「会話」を<三田文学>に発表【自分の羽根】。

12月、随筆「梶井基次郎」を<文学者>に発表【自分の羽根】。

12月、随筆「フィリップの手紙(発表時「友人を愛するよろこび」)」を<それいゆ>に発表【野菜讃歌】。

12月、随筆「二つの絵葉書」を<温泉>に発表。

12月8日、随筆「わが子の読書指導」を<週刊読書人>に発表【庭の山の木】。

1959年(昭和34年)38歳

1月、「南部の旅」を<オール読物>に発表【道】。

1月13日、随筆「自分の羽根」を<産経新聞>に発表【自分の羽根】。

1月25日、随筆「兄の手紙」を<日本経済新聞>に発表【自分の羽根】。

1月、随筆「幸福な家庭と不幸な家庭」を<若い女性>に発表【自分の羽根】。

3月、「話し方研究会」を<別冊小説新潮>に発表【休みのあくる日】。

3月、「父母の国」を<婦人之友>に発表【絵合せ】。

3月、随筆「藤沢さんのこと」を<三友>に発表【自分の羽根】。

3月、「若き芥川賞作家たち房総へゆく」を<旅>に発表。

3月18日、随筆「英国生れの女優」を<東京新聞>に発表【イソップとひよどり】。

3月、『ガンビア滞在記』を中央公論社より刊行(書下ろし)。

3月、「群像」の小説を書くため、次兄・英二の友人の住む和歌山県九度山に滞在。

4月、随筆「自由自在な人」を<筑摩書房版『鷗外全集』月報>に発表【自分の羽根】。

4月、随筆「シュワルツ教授」を<音楽の友>に発表。

この頃、十和田操と武蔵嵐山、越ヶ谷に遊ぶ。

5月、随筆「本の置き場所」を<新刊ニュース>に発表【クロッカスの花】。

6月、随筆「三人のディレクター」を<放送朝日>に発表【庭の山の木】。

6月22日、随筆「福原麟太郎『本棚の前の椅子』」を<産経時事>に発表【庭の山の木】。

7月、随筆「父のいびき」を<婦人之友>に発表【クロッカスの花】。

7月、<ブリヂストン・ニュース>の原稿を書くため、岐阜県御母衣へ旅行、ダム工事を見学。

7月22日、随筆「のらくらピクニック」を<東京新聞>に発表【イソップとひよどり】。

8月、家族と太海の海で遊ぶ。

8月24日、随筆「言いそびれた話」を<産経新聞>に発表【クロッカスの花】。

9月、「ニューイングランドびいき」を<婦人画報>に発表【旅人の喜び】。

9月20日、随筆「延長戦」を<日本経済新聞>に発表【自分の羽根】。

9月23日~24日、花巻の台温泉に宿泊、仙人峠から三陸海岸を旅する【庭の山の木】。

10月、「静かな町」を<別冊小説新潮>に発表【道】。

10月、随筆「「騎兵隊」」を<婦人之友>に発表【クロッカスの花】。

11月、「蟹」を<群像>に発表【静物】。

11月、随筆「シュワルツ教授」を<音楽之友>に発表【クロッカスの花】。

11月、「英語は通じるか」を<文芸春秋>に発表。

11月12日、随筆「牛」を<産経新聞>に発表【イソップとひよどり】。

12月1日、随筆「銀行の娘さん」を<婦人文化新聞>に発表【御代の稲妻】。

1960年代

1960年代です。

充実の作品群が並ぶ、作家・庄野潤三の活動期です。

1960年(昭和35年)39歳

1月、随筆「ガンビアの正月」を<風報>に発表【自分の羽根】。

1月、「ガンビアの町の生活(アメリカ)」を<旅>に発表。

2月、随筆「印象深い本」を<婦人の友>に発表【イソップとひよどり】。

3月、「〈ロビイ〉人生ガイド」を<週刊明星>に発表。

4月、長女・夏子が中学校に入学。

4月20日、随筆「病気見舞い」を<産経新聞>に発表【自分の羽根】。

6月、「静物」を<群像>に発表【静物】。

6月、随筆「結婚記念日」を<カトレア>に発表【イソップとひよどり】。

6月、井伏鱒二の紹介で、福山にある小林旅館から古備前の酒甕を譲ってもらう(「夕べの雲」)。

この頃、生田の丘陵の土地を下見する(「夕べの雲」)。

8月、「土人の話」を<小説中央公論>に発表。

8月、「なめこ採り」を<文学界>に発表【道】。

8月、「グァム島の日本兵」を<新潮>に発表。

8月21日、随筆「『ねずみの競争』」を<東京新聞・夕刊新聞>に発表【庭の山の木】。

9月、随筆「名瀬だより」を<群像>に発表【自分の羽根】。

9月、随筆「アメリカの田舎道」を<高速道路>に発表【庭の山の木】。

9月23日、岩手県の台温泉に宿泊する(「仙人峠から三陸海岸へ」)。

10月、「二人の友」を<声>に発表【道】。

10月、「異国の旅・シリーズ(10)旅費節約の方法 」を<旅>に発表。

10月、『静物』を講談社より刊行。

10月31日、随筆「豆腐屋」を<読売新聞>に発表【自分の羽根】。

11月、随筆「仙人峠から三陸海岸へ」を<旅>に発表【庭の山の木】。

11月、「王様とペンギン」を<婦人之友>に発表(12月完結)。

11月22日、東京宝塚劇場の文芸春秋まつりに出席、会の後、新宿<樽平>で井伏鱒二、小沼丹・吉岡達夫と飲む【木山捷平『酔いざめ日記』】。

11月、『静物』により第七回新潮社文学賞を受賞。

12月、「ケリーズ島」を<文学界>に発表【道】。

12月、随筆「檀さんの印象」を<筑摩書房版『新選現代日本文学全集』月報>に発表【自分の羽根】。

12月、随筆「テレビの西部劇」を<近代文学>に発表【庭の山の木】。

12月、「流木」「プールサイド小景」を<筑摩書房『戦後小説集(二)』(新選現代日本文学全集33)>に加える。

12月4日、随筆「年末の授産所」を<東京新聞>に発表【庭の山の木】。

12月12日、椿山荘にて、新潮文学賞祝賀会、会費千円【木山捷平『酔いざめ日記』】。

1961年(昭和36年)40歳

1月、随筆「サザン・パシフィック鉄道」を<JREA—日本鉄道技術協会>に発表【イソップとひよどり】。

1月、「紀行随筆」を<いけ花龍生>に連載(12月完結)。

1月1日、随筆「趣味のはなし」を<新刊ニュース>に発表【庭の山の木】。

1月5日、随筆「今年の仕事」を<朝日新聞>に発表【自分の羽根】。

2月、「湖中の夫」を<新潮>に発表。

2月、随筆「散髪屋ジム」を<群像>に発表【自分の羽根】。

2月、随筆「日記から」を<人文書院版『伊東静雄全集』月報>に発表【自分の羽根】。

2月25日、随筆「ウィルソン食料品店」を<中部日本新聞>に発表【庭の山の木】。

2月9日、40歳となる。

3月、「ことばはる生きてい 土地の言葉」を<放送文化>に発表。

4月、「花」を<小説中央公論>に発表【休みのあくる日】。

4月、<群像>の座談会「私小説は滅びるか」に出席(亀井勝一郎や上林暁と)。

4月、「マッキー農園」を<文学界>に発表【道】。

4月、「グランド・キャニオン」を<風景>に発表【絵合せ】。

4月、「セーラの話」を<小学六年生>に発表。

4月4日、神奈川県川崎市生田9088番地へ転居。

長女・夏子は生田中学校二年生に、長男・龍也は生田小学校四年生に編入。

次男・和也は西生田幼稚園に入園。

4月29日、家開きの宴を行う(井伏鱒二、小沼丹、横田瑞穂、村上菊一郎、河上徹太郎が参加)(「山の上に憩いあり」)。

5月、随筆「当り前のこと」を<装苑>に発表。

6月、次兄・英二が『ロッテルダムの灯』により、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。

7月、<群像>の創作合評に出席(安部公房・三島由紀夫と。9月まで計3回)。

7月6日、<龍生>編集部の蓜島氏とともに、阿佐ヶ谷の青柳瑞穂を訪ねる【自分の羽根】。

8月、随筆「青柳邸訪問記」を<龍生>に発表【自分の羽根】。

8月、家族で太海の海に遊ぶ。

8月、次兄・英二と長野県御代田へ旅行。生田の留守宅を激しい雷が襲った(「夕べの雲」)。

9月、「二つの家族」を<新潮>に発表【道】。

9月、『浮き燈台』を新潮社より刊行(書下ろし)。

この秋、駅前のもぎ取り梨の爺さんから梨を買い始める(「夕べの雲」)。

10月、「リッチソン夫妻」を<群像>に発表。

11月、「一夜の宿」を<文学界>に発表。

11月、随筆「忘れ得ぬ断章」を<週刊読書人>に発表【自分の羽根】。

11月、随筆「『おまえのうちじゃがな』」を<新潮社版『日本文学全集』月報>に発表【自分の羽根】。

11月、随筆「井上さんの印象」を<新潮社版『井上靖文庫』月報>に発表【自分の羽根】。

11月、随筆「昔からある本」を<産経新聞>に発表【クロッカスの花】。

11月、随筆「伊東静雄全集から」を<新潮>に発表【庭の山の木】。

11月、随筆「保険会社」を<文学雑誌>に発表。

11月、アメリカの ”THE LITERARY REVIEW” 誌・秋季号「戦後日本文学特集号」に「プールサイド小景」が掲載される。

1962年(昭和37年)41歳

1月、随筆「豆腐屋のお父さん」を<風報>に発表【自分の羽根】。

1月、随筆「フクロウの声」を<別冊小説新潮>に発表【自分の羽根】。

1月、「Kenyon の一日」を<英語青年>に発表。

1月、柿生の河上徹太郎の自宅にて、新しい書斎と座敷が完成したお祝いの会に参加。出席者には、久保田万太郎夫妻、石川淳、三好達治、吉田健一がいた(「吉田健一」)。

1月15日、随筆「志摩の安乗」を<週刊読書人>に発表【自分の羽根】。

1月24日、随筆「わが小説」を<朝日新聞>に発表【自分の羽根】。

2月、随筆「姪のクロッキー帖」を<こども部屋>に発表【庭の山の木】。

4月、「道」を<新潮>に発表【道】。

4月、次男・和也が小学校に入学。

5月、随筆「天竜川をさかのぼる」を<旅>に発表【イソップとひよどり】。

5月、随筆「ホテルで泣く」を<COOK>に発表。

5月20日、随筆「石神井公園—文学の東京」を<東京新聞>に発表【自分の羽根】。

6月、「雷鳴」を<文学界>に発表【鳥】。

6月、随筆「熊谷守一の回顧展」を<芸術新潮>に発表【自分の羽根】。

7月、「薪小屋」を<群像>に発表【鳥】。

7月、『道』を新潮社より刊行。

8月、家族で太海の海に遊ぶ。

8月、「日ざかり」を<新潮>に発表【鳥】。

8月、「つむぎ唄」を<芸術生活>に連載(翌年7月完結)【つむぎ唄】。

8月、随筆「文学を志す人々へ—ある夏の読書日記」を<群像>に発表【自分の羽根】。

8月20日、随筆「「青木繁」」を<週刊読書人>に発表【クロッカスの花】。

9月、随筆「『家』のお種」を<河出書房版『島崎藤村のすべて』>に発表【自分の羽根】。

9月30日、河上徹太郎夫妻を招いて、月見の宴をする(「山の上に憩いあり」)。

10月、「休日」を<文芸>に発表。

10月、「写真家スナイダー氏」を<風景>に発表【絵合せ】。

10月、随筆「今年のムカデ」を<風報>に発表【自分の羽根】。

10月、宮崎県立図書館主催の講演会に出席するため、宮崎を訪ねる。

11月、随筆「老人」を<新潮>に発表【自分の羽根】。

11月、随筆「黄色い帽子」を<保育カリキュラム>に発表【自分の羽根】。

12月、随筆「方法としての私小説」を<解釈と鑑賞>に発表【自分の羽根】。

1963年(昭和38年)42歳

1月、「橇」を<文学界>に発表【休みのあくる日】。

1月3日、千壽子夫人とともに、河上徹太郎宅を訪問。子どもたちも呼んで、一家で食事をご馳走になる。以降、河上徹太郎宅への年始は、恒例行事となった(「山の上に憩いあり」)。

2月、『旅人の喜び』を河出書房新社より刊行。

3月2日、随筆「わたしの母校」を<週刊読書人>に発表【自分の羽根】。

3月、随筆「チェーホフのこと」を<集英社版『世界短篇文学全集』月報>に発表【自分の羽根】。

4月、長女・夏子が青山学院高校に入学。

4月、早稲田大学文学部の講師に就任、英語の授業を担当(翌年3月まで)。

4月、「島」を<群像>に発表。

5月、随筆「作者と作品」を<新潮>に発表。

5月、中野<ほととぎす>で行われた木山捷平の芸術選奨の祝賀会に出席【自分の羽根】。

5月20日、随筆「木山捷平「苦いお茶」」を<週刊読書人>に発表【クロッカスの花】。

7月、「鳥」を<群像>に発表【鳥】。

7月12日、随筆「帝塚山界隈」を<読売新聞>に発表【クロッカスの花】。

7月、『つむぎ唄』を講談社から刊行。

7月、家族で太海の海に遊ぶ。

7月、長女・夏子が「お父さんっ子」を<週刊現代>に発表。

8月、岐阜県郡上市で郡上おどりを見る(「郡上八幡」)。

8月、随筆「昔も今も」を<新潮>に発表【自分の羽根】。

8月、随筆「ゴーゴリ」を<筑摩書房版『世界文学大系』月報>に発表【自分の羽根】。

8月、随筆「中村地平さん」を<龍舌蘭>に発表【クロッカスの花】。

8月、随筆「郡上八幡」を<朝日ジャーナル>に発表【庭の山の木】。

9月、随筆「中山義秀氏」を<文藝>に発表【自分の羽根】。

9月2日、随筆「はじめての本」を<週刊読書人>に発表【自分の羽根】。

10月17日、随筆「わたしの酒歴」を<読売新聞>に発表【自分の羽根】。

11月、「石垣いちご」を<文学界>に発表【丘の明り】。

11月、随筆「無精な旅人」を<温泉>に発表【自分の羽根】。

11月、随筆「『砂上物語』」を<群像>に発表【庭の山の木】。

11月13日、随筆「『チャールズ・ラム伝』」を<東京新聞>に発表【自分の羽根】。

12月、「『人生は冗談である』―私は思う―」を<論争>に発表。

12月、『阿川弘之・庄野潤三全集』(新日本文学全集1)を集英社から刊行。

12月、ラジオの座談会「エッセイの魅力」に出席。他の参加者に、福原麟太郎、吉田健一、西田正身がいた(「吉田健一」)。

この年、「東へ」を<フルーツのための短い物語>に発表。

この年、随筆「苦労性」を<いんでいら>に発表【自分の羽根】。

この年、随筆「待合わせ」を<いんでいら>に発表【自分の羽根】。

この年、随筆「大食い」を<料理手帳>に発表【自分の羽根】。

1964年(昭和39年)43歳

1月、随筆「多摩の横山」を<新潮>に発表【自分の羽根】。

1月、随筆「渥美清の「おかしな奴」」を<近代文学>に発表。

1月3日、一家で河上徹太郎宅を訪問(「山の上に憩いあり」)。

1月26日、一家で河上徹太郎宅を訪問(「山の上に憩いあり」)。

1月、小沼丹と熱海に玉井乾介を訪ねる。

2月、「鉄の串」を<群像>に発表【絵合せ】。

2月27日、随筆「竹の籠」を<日本経済新聞>に発表【自分の羽根】。

3月、「子供の怪我」を<婦人之友>に発表。

3月、随筆「梅の花」を<新刊ニュース>に発表【自分の羽根】。

3月1日、NHKラジオ第二放送に出演、井伏鱒二「無心状」の解説、河盛好蔵・青柳瑞穂と「ユーモア文学」について座談会【木山捷平『酔いざめ日記』】。

3月16日、第一ホテルの「巌谷大四を励ます会」に出席【ぎぼしの花】。

4月、随筆「小島の手紙」を<集英社版『新日本文学全集』月報>に発表【自分の羽根】。

4月、長男・龍也が中学校に入学。次男・和也は小学3年生。

4月2日、小田原(下曽我)に尾崎一雄を訪ね、<うな八>で鰻を食べる【ぎぼしの花】。

4月6日、ヒルトンホテルで行われた福原麟太郎の芸術院会員と読売文学賞の祝賀会に出席【自分の羽根】。

4月7日、三好達治の通夜に参列【自分の羽根】。

5月、『鳥』を講談社から刊行。

5月、随筆「「家族日誌」」を<婦人公論>に発表【クロッカスの花】。

5月10日、随筆「林の中で」を<読売新聞>に発表【自分の羽根】。

5月、学習研究社の書下ろし作品のために佐渡へ旅行。

5月、NHKの講演会のため、札幌を訪ねる。

5月、長男・和也(中学1年生)が骨折【夕べの雲】。

6月、「蒼天」を<新潮>に発表【丘の明り】。

6月、随筆「不案内」を<東京新聞>に発表【クロッカスの花】。

7月、「曠野」を<群像>に発表【丘の明り】。

7月、随筆「「あなただけ今晩は」」を<近代文学>に発表【クロッカスの花】。

7月5日、随筆「私の小説作法」を<毎日新聞>に発表【自分の羽根】。

8月、家族で太海の海に遊ぶ。

8月14日、千壽子夫人とともに、河上徹太郎宅を訪問【山の上に憩いあり】。

8月25日、随筆「私の戦争文学」を<読売新聞>に発表【クロッカスの花】。

9月、「思い出すこと」を<世界>に発表。

9月、随筆「道」を<学燈>に発表【自分の羽根】。

9月、随筆「ある歌びとの生涯」を<風景>に発表。

9月、随筆「秋元松代さんのこと」を<公演プログラム>に発表【自分の羽根】。

9月6日、「夕べの雲」を<日本経済新聞>に連載開始(翌年1月19日完結、計127回)【夕べの雲】。

10月、『佐渡』を学習研究社から刊行(書下ろし)。

10月、随筆「『交尾』」を<講談社版『日本現代文学全集』月報>に発表【自分の羽根】。

10月9日、新宿<勝烈庵>で、井伏鱒二・小島信夫と飲む【木山捷平『酔いざめ日記』】。

10月19日、随筆「道ばた」を<東京新聞>に発表【自分の羽根】。

11月、随筆「地震・雷・風」を<筑摩書房版『井伏鱒二全集』月報>に発表【自分の羽根】。

11月中旬、家族で小田原へ出かけ、<柏又>で鰻を食べる【ぎぼしの花】。

11月、次兄・英二が、『星の牧場』により野間児童文芸賞を受賞。

12月、随筆「絶版」を<文学界>に発表【自分の羽根】。

12月、随筆「テレビの西部劇」を<近代文学>に発表。

12月25日、河上徹太郎夫妻を招いて、クリスマスの宴をする【山の上に憩いあり】。

1965年(昭和40年)44歳

1月、「つれあい」を<新潮>に発表【丘の明り】。

1月、随筆「あらいぐま」を<プラス>に発表【庭の山の木】。

1月、「静物」を<新潮社『名作集(四)昭和篇・下』(日本文学全集72)>に加える。

1月3日、一家で河上徹太郎宅を訪問【山の上に憩いあり】。

2月、「冬枯」を<群像>に発表【丘の明り】。

2月、随筆「苦手」を<文芸>に発表【自分の羽根】。

2月11日、随筆「夕暮れ」を<毎日新聞>に発表【自分の羽根】。

2月19日、尾崎士郎の墓の除幕式の帰りに、井伏鱒二・吉岡達夫・河上徹太郎らが庄野家を訪れる【山の上に憩いあり】。

2月、『プールサイド小景・静物』を新潮文庫から刊行(解説は阪田寛夫)。

3月、随筆「『毛虫の舞踏会』」を<文芸>に発表【自分の羽根】。

3月、『夕べの雲』を講談社より刊行。

この頃から、<新潮>の長篇に取りかかる。

4月、「行きずり」を<文学界>に発表【丘の明り】。

5月、「影」を<群像>に発表。

5月、随筆「早稲田の完之荘」を<木>に発表【クロッカスの花】。

6月、石川県安宅町へ旅行。

6月、随筆「お裾分け」を<いんでいら>に発表【自分の羽根】。

6月、随筆「ランサムさんの思い出」を<学燈>に発表【自分の羽根】。

6月、随筆「島田謹介氏邸」を<木>に発表【クロッカスの花】。

6月、随筆「思いちがい」を<風景>に発表。

6月14日、随筆「このごろ」を<朝日新聞>に発表【クロッカスの花】。

6月22日、ホテルニューオータニでサントリービール感謝の会に出席【木山捷平『酔いざめ日記』】。

8月、家族で太海の海に遊ぶ。

8月、随筆「梅崎さんの字」を<中央公論>に発表【自分の羽根】。

8月、随筆「芦花恒春園」を<木>に発表【クロッカスの花】。

8月、随筆「書状計」を<文芸家協会ニュース>に発表【クロッカスの花】。

この随筆を読んだ河上徹太郎から「書状秤というのはどこで売っていますか?」との問い合わせあり。渋谷の百貨店で購入したものを河上宅へ送る【山の上に憩いあり】。

8月15日、随筆「虫・ドラム缶乗り」を<朝日新聞>に発表【自分の羽根】。

9月、随筆「三好さん」を<筑摩書房版『三好達治全集』月報>に発表【自分の羽根】。

9月、「梅崎さんの字」を<中央公論>に発表。

11月、「秋風と二人の男」を<群像>に発表【丘の明り】。

11月、随筆「シェイクスピア」を<講談社版『日本現代文学全集』月報>に発表【自分の羽根】。

11月、随筆「『玉突屋』」を<新潮社版『正宗白鳥全集』月報>に発表【自分の羽根】。

11月、随筆「安岡の着想」を<河出書房版『現代の文学』月報>に発表【自分の羽根】。

11月、随筆「郵便受け」を<いんでいら>に発表【クロッカスの花】。

11月23日、随筆「好きな花」を<日本経済新聞>に発表【自分の羽根】。

11月24日、随筆「石売り」を<朝日新聞>に発表【自分の羽根】。

12月、<新潮>の対談「文学を求めて」に出席(小島信夫と一緒だった)。

12月、随筆「『火鉢』」を<岩波書店版『漱石全集』月報>に発表【自分の羽根】。

12月24日、河上徹太郎夫妻を招いて、クリスマスの宴をする【山の上に憩いあり】。

この年、イタリアのポンピニア社から刊行された『現代日本小説集』に「道」が収録される。

1966年(昭和41年)45歳

1月4日、随筆「永遠に生きる言葉」を<週刊とちょう>に発表【自分の羽根】。

1月5日、一家で河上徹太郎宅を訪問【山の上に憩いあり】。

2月、随筆「私の古典」を<いけ花龍生>に発表【クロッカスの花】。

2月、対談「自然と描写」を<文学界>に発表(高井有一と)。

2月、『夕べの雲』により第十七回読売文学賞を受賞。

4月、長女・夏子が短大に入学。

4月、随筆「犬の遠吠え」を<芸術新潮>に発表【クロッカスの花】。

4月、随筆「「グレート・レース」」を<婦人公論>に発表【クロッカスの花】。

5月、随筆「子供と佐藤先生」を<講談社版『佐藤春夫全集』月報>に発表【自分の羽根】。

5月18日、随筆「島尾敏雄『私の文学遍歴』」を<東京新聞>に発表【庭の山の木】。

6月、「まわり道」を<群像>に発表【丘の明り】。

6月、随筆「『猫』・『交尾』」を<筑摩書房版『梶井基次郎全集』月報>に発表【自分の羽根】。

6月、随筆「」を<学燈>に発表【クロッカスの花】。

6月、「わが校わが友〈親身な友の多かった「九大」時代〉」を<高校英語研究>に発表。

7月、随筆「あわれときびしさ」を<暮しの知恵>に発表【自分の羽根】。

7月、随筆「佐渡の定期バス」を<婦人俱楽部>に発表【クロッカスの花】。

7月、随筆「家風――(II)あわれときびしさ」を<暮しの知恵>に発表。

7月、対談「日本の文壇と英文学—夏目漱石をめぐって」を<英語青年>に発表(福原麟太郎と)【福原麟太郎『夏目漱石』】。

8月、家族で太海の海に遊ぶ。

9月、随筆「マンスフィールド」を<研究社版『20世紀英米文学案内』月報>に発表【自分の羽根】。

10月、「流れ藻」を<新潮>に発表【流れ藻】。

10月、「グラビア お久し振り 同じ釜の飯」を<小説新潮>に発表。

11月、徳島へ旅行、眉山の麓にある母方の祖父母を墓を参る。

11月、随筆「就寝時刻」を<ダイヤル>に発表【クロッカスの花】。

11月、随筆「詩三つ」を<新潮>に発表。

12月、「雉子の羽」を<文学界>に連載開始(翌年11月完結)【雉子の羽】。

12月、随筆「烏瓜」を<国立博物館ニュース>に発表【自分の羽根】。

12月、随筆「好きということ」を<外語文学>に発表【クロッカスの花】。

12月15日、随筆「古い、美しい校舎」を<産経新聞>に発表【自分の羽根】。

12月24日、河上徹太郎夫妻を招いて、クリスマスの宴をする【山の上に憩いあり】。

この年、『夕べの雲』がイタリアのフェロ・エディチオニ社から翻訳刊行される。

1967年(昭和42年)46歳

1月、「山高帽子」を<文芸>に発表【丘の明り】。

1月、『流れ藻』を新潮社から刊行。

1月7日、一家で河上徹太郎宅を訪問【山の上に憩いあり】。

2月、随筆「無駄あし」を<風景>に発表【自分の羽根】。

2月、随筆「生牡蠣」を<銀座百点>に発表【自分の羽根】。

2月、随筆「「トロイラスとクレシダ」」を<芸術生活>に発表【クロッカスの花】。

2月、山口・島根へ旅行、津和野、益田、山口を訪ねる。

3月、随筆「冬の日」を<栄>に発表【クロッカスの花】。

3月、『庄野潤三』(講談社版「われらの文学13」)を刊行。

3月、随筆「好みと運」を<講談社版・われらの文学13『庄野潤三』」>に発表【クロッカスの花】。

3月19日、「卵」を<朝日新聞・日曜版>に発表【丘の明り】。

4月、長男・龍也が桐蔭学園高校に入学。次男・和也は小学6年生。

4月、随筆「石狩川」を<北の話>に発表【クロッカスの花】。

4月、随筆「雪舟の庭」(紀行)を<太陽>に発表【クロッカスの花】。

4月、「書評――城夏子著「毬をつく女」」を<政経時潮>に発表。

6月、随筆「漱石の日記」を<河出書房版『日本文学全集』月報>に発表【クロッカスの花】。

6月、『島尾敏雄・安岡章太郎・庄野潤三・吉行淳之介集』(現代日本文学大系62)を講談社から刊行。

8月、家族で太海の海に遊ぶ。

9月、妻と広島の親戚を訪ね、宮島の沖でキスゴ釣りをする。

8月、随筆「わが青春の一冊」を<高2コース>に発表【イソップとひよどり】。

9月、随筆「日常生活の旅」を<旅>に発表【クロッカスの花】。

9月、随筆「一つの縁」を<ちばぎん「ひまわり」>に発表【クロッカスの花】。

9月、随筆「私の第一創作集『愛撫』」を<群像>に発表【イソップとひよどり】。

9月、随筆「旅と人生」を<旅>に発表。

9月13日、随筆「漫画友達」を<日本経済新聞>に発表【自分の羽根】。

10月、「丘の明り」を<展望>に発表【丘の明り】。

10月、随筆「胃腸病院の漱石」を<文芸春秋社版『現代日本文学館』月報>に発表【自分の羽根】。

10月、随筆「日本語の上手な詩人」を<筑摩書房・詩の本>に発表【クロッカスの花】。

10月、随筆「「屋根」」を<批評>に発表【クロッカスの花】。

10月、随筆「伊東静雄の手紙」を<ドリーム出版・手紙の発想>に発表【クロッカスの花】。

11月、随筆「夏の日記」を<扉>に発表【クロッカスの花】。

11月、随筆「箱崎網屋町」を<徳間書店『島尾敏雄初期作品集』附録>に発表【クロッカスの花】。

12月、随筆「シェイクスピア」を<筑摩書房版『シェイクスピア全集』月報>に発表【自分の羽根】。

12月、『丘の明り』を筑摩書房から刊行。

12月27日、河上徹太郎夫妻を招いて、クリスマスの宴をする【山の上に憩いあり】。

1968年(昭和43年)47歳

1月1日、随筆「サッカーと私」を<サンケイ・スポーツ>に発表【クロッカスの花】。

1月5日、一家で河上徹太郎宅を訪問【山の上に憩いあり】。

1月9日、随筆「作品の背景」を<東京新聞>に発表【クロッカスの花】。

1月、随筆「笹鳴」を<芸術新潮>に発表【クロッカスの花】。

1月、随筆「ロンドンの物音」を<文学界>に発表【クロッカスの花】。

1月、随筆「伊東静雄・人と作品」を<新潮社『日本詩人全集』解説>に発表【庭の山の木】。

2月、「星空と三人の兄弟」を<群像>に発表【小えびの群れ】。

2月、『自分の羽根』を講談社から刊行。

2月、『ザボンの花』をあかね書房から刊行。

2月23日、随筆「舞台再訪—『流れ藻』」を<朝日新聞>に発表【クロッカスの花】。

3月、随筆「三浦哲郎の「枯すすき」」を<別冊文芸春秋>に発表【クロッカスの花】。

3月、『雉子の羽』を文芸春秋から刊行。

3月、父方・母方の祖先の墓参りと法要のため、徳島へ行く。

3月、随筆「「俺たちに明日はない」」を<群像>に発表【クロッカスの花】。

3月、座談会「人間学の出発」を<婦人之友>に発表。

4月、長女・夏子が商船三井に就職。

4月、次男・和也が中学校に入学。長男・龍也は高校2年生。

4月、「尺取虫」を<季刊芸術・冬季号>に発表【小えびの群れ】。

4月、随筆「夫のいい分、妻のいい分」を<群像>に発表【イソップとひよどり】。

4月、「プールサイド小景」を学芸書林刊行の『日常のなかの危機』(全集・現代文学の発見5)に加える。

4月1日、随筆「私の近況」を<新刊ニュース>に発表【クロッカスの花】。

5月、随筆「イモリの話」を<学燈>に発表【クロッカスの花】。

5月、随筆「喜劇の作家」を<「雲」公演プログラム>に発表【クロッカスの花】。

5月、随筆「外国と私と文学—要約された言葉」を<文学界>に発表【クロッカスの花】。

5月、随筆「佐藤先生の顔」を<あかね書房『少年少女日本の文学』月報>に発表【クロッカスの花】。

7月25日~29日、南九州旧婚旅行ツアーに夫婦で参加【南九州への旧婚旅行】。

7月、随筆「摂州合邦辻」を<いけ花龍生>に発表【クロッカスの花】。

7月、随筆「佐藤春夫」を<文芸春秋『現代日本文学館』>に発表【イソップとひよどり】。

8月、「前途」を<群像>に発表【前途】。

8月、『国木田独歩・尾崎一雄・庄野潤三』(日本短篇文学全集10)を筑摩書房から刊行。

8月、随筆「チェーホフのことば」を<講談社版『世界文学全集』月報>に発表【クロッカスの花】。

8月、随筆「「英語歳時記/春」」を<朝日新聞>に発表【クロッカスの花】。

8月、家族で広島へ行き、釣りと海水浴を楽しむ。

9月、「湖上の橋」を<文学界>に発表【小えびの群れ】。

9月9日、随筆「明るく、さびしい」を<週刊読書人>に発表【クロッカスの花】。

10月、随筆「フラニーとゾーイー」を<群像>に発表。

10月、随筆「南九州への旧婚旅行」を<旅>に発表。

10月、『前途』を講談社から刊行。

11月22日、随筆「一枚の絵」を<週刊朝日>に発表【クロッカスの花】。

12月、随筆「「治水」」を<研究社『福原麟太郎著作集』月報>に発表【クロッカスの花】。

12月、随筆「焼けあとの校舎で」を<群像>に発表。

1969年(昭和44年)48歳

1月、「秋の日」を<文芸>に発表【小えびの群れ】。

1月、随筆「はやとうり」を<電信電話>に発表【クロッカスの花】。

1月、随筆「スタインベック「菊」」を<英語研究>に発表【クロッカスの花】。

1月、随筆「実のあるもの」を<国語教育>に発表【クロッカスの花】。

1月1日、随筆「アケビ取り」を<毎日新聞>に発表【クロッカスの花】。

1月8日、随筆「日記と私」を<北国新聞>に発表【クロッカスの花】。

1月15日、随筆「赤ん坊のころ」を<毎日新聞>に発表【クロッカスの花】。

2月、『阿川弘之・庄野潤三・有吉佐和子』(日本の文学75)を中央公論社から刊行。

2月、随筆「日曜日」を<電信電話>に発表【クロッカスの花】。

2月、随筆「多摩丘陵に住んで」を<自動車とその世界>に発表【クロッカスの花】。

2月、和也の誕生日に、長女の夏子が星座早見板をプレゼントする(「カーソルと獅子座の流星群」)。

3月、「雨の日」を<風景>に発表【小えびの群れ】。

3月、随筆「ひよどり」を<電信電話>に発表【クロッカスの花】。

3月、随筆「淨福を求めた作家」を<筑摩書房『小山清全集』推薦文>に発表【クロッカスの花】。

4月、随筆「吉本先生」を<文芸春秋>に発表【クロッカスの花】。

4月、随筆「観工場」を<筑摩書房『現代日本文学大系』月報>に発表【クロッカスの花】。

4月、随筆「井伏鱒二聞き書」を<河出書房新社『カラー版日本文学全集』解説>に発表【イソップとひよどり】。

4月6日、一家で河上徹太郎宅を訪問【山の上に憩いあり】。

4月12日、随筆「板金屋のじいさん」を<朝日新聞>に発表【クロッカスの花】。

4月13日、随筆「内田百閒「夜明けの稲妻」」を<日本経済新聞>に発表【クロッカスの花】。

4月30日、随筆「坪田さんの油壷」を<岩崎書店『坪田譲二童話全集』月報>に発表【クロッカスの花】。

5月、「戸外の祈り」を<婦人之友>に発表【小えびの群れ】。

5月、随筆「小山清の思い出」を<ちくま>に発表【クロッカスの花】。

6月、随筆「青葉の庭」を<学燈>に発表【クロッカスの花】。

6月、随筆「隣り村から」を<筑摩書房『河上徹太郎全集』月報>に発表【クロッカスの花】。

6月、随筆「『琉球弧の視点から』」を<文藝>に発表【イソップとひよどり】。

7月28日、随筆「菊池重三郎『故郷の琴』」を<週刊読書人>に発表【庭の山の木】。

8月、家族で広島へ行き、釣りと海水浴を楽しむ。

8月28日、随筆「わが愛するうた」を<読売新聞>に発表【クロッカスの花】。

9月、「紺野機業場」を<群像>に発表【紺野機業場】。

9月13日、随筆「老年について」を<サンケイ新聞・夕刊>に発表【クロッカスの花】。

9月、随筆「「花眼」の作者」を<牧羊社・句集『花眼』附録>に発表【クロッカスの花】。

10月、随筆「中山さん」を<文芸>に発表【クロッカスの花】。

11月、「パナマ草の親類」を<海>に発表【小えびの群れ】。

11月、随筆「世間話のたのしさ」を<国語通信>に発表【クロッカスの花】。

11月、随筆「詩三つ」を<新潮>に発表【クロッカスの花】。

11月、随筆「サローヤンの本」を<悲劇喜劇>に発表【クロッカスの花】。

11月、『紺野機業場』を講談社から刊行。

12月17日、随筆「海のそばの静かな町」を<中日新聞>に発表【クロッカスの花】。

12月27日、河上徹太郎夫妻を招いて、クリスマスの宴をする【山の上に憩いあり】。

この年、随筆「『フィクサー』」を<批評17/18合併号>に発表【庭の山の木】。

1970年代

1970年代です。

安定の作品群が並びます。

1970年(昭和45年)49歳

1月、「小えびの群れ」を<新潮>に発表【小えびの群れ】。

1月、随筆「魚・鳥・井伏さん」を<『潮日本文学』月報>に発表【クロッカスの花】。

1月13日、随筆「都会ぎらい」を<読売新聞>に発表【クロッカスの花】。

1月、『阿川弘之・庄野潤三・曽野綾子・北杜夫集』(現代日本文学大系88)を筑摩書房から刊行。

2月、「年ごろ」を<文学界>に発表【小えびの群れ】。

2月、随筆「印象」を<新潮>に発表【庭の山の木】。

3月、「さまよい歩く二人」を<文芸>に発表【小えびの群れ】。

3月、「十和田操覚え書」を<十和田操作品集>に発表。

3月18日、随筆「ひよどり」を<朝日新聞>に発表【クロッカスの花】。

3月29日、一家で河上徹太郎宅を訪問【山の上に憩いあり】。

3月、『紺野機業場』により第二十回芸術選奨文部大臣賞を受賞。

4月、長男・龍也が予備校に入学。次男・和也は中学3年生。

4月、「野菜の包み」を<群像>に発表【小えびの群れ】。

4月、「海の道」を<朝日ジャーナル>に発表。

4月9日、随筆「クロッカスの花」を<日本経済新聞>に発表【クロッカスの花】。

5月、長女・夏子が、今村邦雄と結婚。

5月、随筆「ラグビー場にて」を<諸君>に発表【クロッカスの花】。

5月、「オピニオン」として<諸君!>に登場。

5月15日、随筆「雨の庭」を<新刊ニュース>に発表【庭の山の木】。

6月8日、随筆「庭の山の木」を<読売新聞>に発表【庭の山の木】。

6月15日、随筆「『燈火頬杖』浅見淵」を<週刊読書人>に発表【ぎぼしの花】。

6月、随筆集『クロッカスの花』冬樹社から刊行。

7月19日、随筆「らっきょと自然薯」を<サンケイ新聞>に発表【庭の山の木】。

7月28日、随筆「頬白の声」を<朝日新聞>に発表【庭の山の木】。

8月、「屋根」を<新潮>に発表【屋根】。

8月、随筆「睫毛」を<風景>に発表【庭の山の木】。

8月、広島の親戚と一緒に山口県の白井田へ行き、釣りと海水浴を楽しむ(長女・夏子は不参加)【蓮の花】【ちいさな漁港の町】。

9月、随筆「長者の風格」を<群像>に発表【庭の山の木】。

9月、随筆「マリアン・アンダーソン」を<ブッククラブ情報>に発表【庭の山の木】。

10月、随筆「ちいさな漁港の町」を<雲母>に発表【庭の山の木】。

10月14日、随筆「ド・ウィント『麦畑』」を<日本経済新聞>に発表【庭の山の木】。

10月、『小えびの群れ』を新潮社から刊行。

11月、「絵合せ」を<群像>に発表【絵合せ】。

11月6日~7日、小沼丹・吉岡達夫・有木勉と、蔵王に新築した玉井乾介の山小屋を訪問【このひと月──酒中日記】。

11月13日、井伏鱒二・三浦哲郎・新本燦(画家)と、小沼丹の家びらきに参加【このひと月──酒中日記】。

12月、「父と子」を<新潮>に発表【屋根】。

12月、河上徹太郎夫妻を招いて、クリスマスの宴をする【山の上に憩いあり】。

12月14日、随筆「近況」を<朝日新聞>に発表【庭の山の木】。

1971年(昭和46年)50歳

1月、「仕事場」を<新潮>に発表【絵合せ】。

1月、「蓮の花」を<文芸>に発表【絵合せ】。

1月、随筆「阪中正夫」を<波>に発表【庭の山の木】。

1月28日、千壽子夫人とともに、初めて柿生のだるま市を訪ねる【野鴨】。

1月29日、随筆「吉田健一『瓦礫の中』」を<週刊読売>に発表【イソップとひよどり】。

2月9日、50歳となる。

2月、随筆「『熱帯柳の種子』」を<皆美社『中村地平全集』月報>に発表【庭の山の木】。

3月、「カーソルと獅子座の流星群」を<文学界>に発表【絵合せ】。

3月、随筆「『肥った女』」を<講談社『安岡章太郎全集』月報>に発表【庭の山の木】。

3月11日、随筆「伊東静雄のこと」を<東京新聞>に発表【庭の山の木】。

3月19日、随筆「春の花・うぐいす」を<サンケイ新聞>に発表【庭の山の木】。

3月28日、一家で河上徹太郎宅を訪問【山の上に憩いあり】。

4月、長男・龍也が成城大学に入学。

4月、次男・和也が多摩高校に入学。

5月、『絵合せ』を講談社から刊行。

5月、『庄野潤三・小島信夫・三浦朱門』(カラー版日本文学全集52)を河出書房から刊行。

5月、『小島信夫・庄野潤三集』(現代日本の文学44)を学習研究社から刊行。

5月、随筆「つぐみに学ぶ」を<小説新潮>に発表【庭の山の木】。

5月、随筆「酔中酔余」を<小説新潮>に発表。

5月25日、随筆「風雅の友」を<青蛾書房『汽船』月報>に発表【庭の山の木】。

7月、『夕べの雲』を講談社文庫から刊行(解説は小沼丹)。

7月、『阿川弘之・庄野潤三・小島信夫』(日本文学全集39)を新潮社から刊行。

7月、「村の道」を<新潮>に発表【屋根】。

7月、随筆「散歩みち」を<週刊文春>に発表【庭の山の木】。

7月末、長女・夏子が、長男・和雄を出産。

7月、随筆「三浦君の小説」を<新潮文庫『結説』解説>に発表【イソップとひよどり】。

8月、「宝石のひと粒」を<文芸>に発表【休みのあくる日】。

8月、対談「『絵合せ』を語る」を<三田文学>に発表(インタビュアー古屋健三)。

8月、随筆「率直、明瞭」を<群像>に発表【庭の山の木】。

8月、随筆「少年・蟹・草野さん」を<無限>に発表【庭の山の木】。

8月、随筆「詩集夏花」を<皆美社しおり>に発表【イソップとひよどり】。

9月、『屋根』を新潮社から刊行。

9月30日、随筆「わたしと古典」を<サンケイ新聞>に発表【庭の山の木】。

10月、「休みのあくる日」を<群像>に発表【休みのあくる日】。

10月、随筆「清瀬村にて」を<講談社『吉行淳之介全集』月報>に発表【庭の山の木】。

10月、姪(庄野啓子)の結婚式に参列するため、千壽子夫人とともに、大阪を訪ねる【野鴨】。

11月、「組立式の柱時計」を<新潮>に発表【休みのあくる日】。

11月、対談「『絵合せ』を語る」(吉屋健三)を<三田文学>に発表。

11月8日、随筆「井伏鱒二『早稲田の森』」を<週刊読書人>に発表【庭の山の木】。

11月10日、随筆「この夏のこと」を<東京新聞>に発表【庭の山の木】。

12月、「短篇ひとつ」を<新潮>に発表。

12月、随筆「はじめて書いた劇」を<劇団ともだち劇場プログラム>に発表【イソップとひよどり】。

12月、随筆「短篇ひとつ」を<新潮>に発表【イソップとひよどり】。

12月26日、河上徹太郎夫妻を招いて、クリスマスの宴をする【山の上に憩いあり】。

12月、『絵合せ』により第二十四回野間文芸賞を受賞。

1972年(昭和47年)51歳

1月、「餡パンと林檎のシロップ」を<文学界>に発表【休みのあくる日】。

1月、「野鴨」を<群像>に連載開始(10月完結)【野鴨】。

1月6日、随筆「ゆとりときびしさ」を<サンケイ新聞>に発表【庭の山の木】。

1月22日、随筆「くつぬぎ」を<朝日新聞>に発表【庭の山の木】。

1月28日、千壽子夫人や長女・夏子とともに、柿生のだるま市を訪ねる。帰りに柚子の樹を買う【せきれい】。

2月、随筆「このひと月」を<小説現代>に発表【庭の山の木】。

3月、随筆「中村白葉随想集」を<新潮>に発表【庭の山の木】。

4月1日、一家で河上徹太郎宅を訪問【山の上に憩いあり】。

4月、『明夫と良二』(岩波少年少女の本16)を岩波書店より刊行(書下ろし)。

4月、随筆「好きな野菜」を<風景>に発表【庭の山の木】。

4月、随筆「家の中の百閒」を<講談社『内田百閒全集』月報>に発表【庭の山の木】。

4月、大阪にて、父・貞一(二十三回忌)、母・春慧(十七回忌)、長兄・鷗一(二十五回忌)の法要を行う。

6月29日、随筆「酒屋の兄弟」を<読売新聞>に発表【庭の山の木】。

7月、随筆「子供の本と私」を<図書>に発表【庭の山の木】。

7月、『明夫と良二』により第二回赤い鳥文学賞を受賞。

8月、随筆「家にあった本・田園」を<『新潮日本文学』月報>に発表【庭の山の木】。

8月、随筆「青柳さんの思い出」を<学燈>に発表【庭の山の木】。

8月、『庄野潤三集』(新潮日本文学55)を新潮社から刊行。

8月、家族で広島へ海水浴に行く。

9月、長女・夏子が、次男・良雄を出産。

10月、随筆「小判がた」を<筑摩書房『中村光男全集』月報>に発表【庭の山の木】。

10月23日、随筆「『忘れ得ぬ人々』鷲尾洋三」を<週刊読書人>に発表【ぎぼしの花】。

11月7日、小沼丹・吉岡達夫・有木勉と四人で、蔵王にある玉井乾介の新築の山小屋を訪ねる【庭の山の木】。

11月13日、井伏鱒二や三浦哲郎、横田瑞穂らとともに、小沼丹の家びらきの小宴に出席する【庭の山の木】。

11月、『明夫と良二』により第二十六回毎日出版文化賞を受賞。

12月22日、随筆「飯田龍太『無数の目』」を<山梨日日新聞>に発表【イソップとひよどり】。

12月24日、河上徹太郎夫妻を招いて、クリスマスの宴をする【山の上に憩いあり】。

12月、『ザボンの花』を角川文庫から刊行(解説は阪田寛夫)。

1973年(昭和48年)52歳

1月、「雨傘」を<新潮>に発表【休みのあくる日】。

1月、「沢登り」を<文芸>に発表【おもちゃ屋】。

1月、随筆「紙屋の店員」を<群像>に発表【庭の山の木】。

1月、随筆「庭のむかご」を<地上>に発表【庭の山の木】。

1月、『野鴨』を講談社から刊行。

3月、随筆「まめで、几帳面」を<群像>に発表【ぎぼしの花】。

4月、「燈油」を<文芸>に発表【おもちゃ屋】。

4月、『ザボンの花』を角川文庫から刊行。

4月、『庄野潤三・遠藤周作集』(増補決定版・現代日本文学全集・補巻40)を筑摩書房から刊行。

4月8日、千壽子夫人とともに、河上徹太郎宅を訪問【山の上に憩いあり】。

5月、「おんどり」を<文芸>に発表【おもちゃ屋】。

5月、随筆「『長良良作作品集』」を<文学界>に発表【イソップとひよどり】。

5月、随筆集『庭の山の木』を冬樹社から刊行。

5月、「作家としての業績」により、第二十九回日本芸術院賞を受賞。

6月、「鷹のあし」を<群像>に発表【休みのあくる日】。

6月、随筆「日曜日の朝」を<泉・夏季号>に発表【イソップとひよどり】。

6月、『庄野潤三全集』全10巻を講談社から刊行開始(翌年4月完結)。

7月、「甘えび」を<文芸>に発表【おもちゃ屋】。

8月、「くちなわ」を<文芸>に発表【おもちゃ屋】。

8月、随筆「くちなしの花」を<いさり火>に発表【イソップとひよどり】。

8月、随筆「忙しい夏」を<群像>に発表【イソップとひよどり】。

8月8日、随筆「海水浴」を<東京新聞>に発表【イソップとひよどり】。

9月、「ねずみ」を<文芸>に発表【おもちゃ屋】。

9月末、飯田龍太らと甲州と信州の辺りを旅行する【飯田龍太「小さな旅」】

10月、「泥鰌」を<文芸>に発表【おもちゃ屋】。

10月、随筆「燈火雑記」を<読売新聞・全4回>に発表【イソップとひよどり】。

10月、随筆「生得のもの」を<国文学>に発表【イソップとひよどり】。

11月、「うずら」を<文芸>に発表【おもちゃ屋】。

11月2日、随筆「私の映画見物」を<毎日新聞>に発表【イソップとひよどり】。

11月、第二回川崎市文化賞を受賞。

11月23日、随筆「母国語について」を<サンケイ新聞>に発表【イソップとひよどり】。

12月、「おもちゃ屋」を<文芸>に発表【おもちゃ屋】。

12月、河上徹太郎夫妻を招いて、クリスマスの宴をする【山の上に憩いあり】。

1974年(昭和49年)53歳

1月、「砂金」を<群像>に発表【休みのあくる日】。

1月、随筆「父と子」を<岩波書店『志賀直哉全集』月報>に発表【イソップとひよどり】。

3月、『おもちゃ屋』を河出書房新社から刊行。

3月28日、随筆「私の机」を<神奈川新聞>に発表【イソップとひよどり】。

3月31日、一家で河上徹太郎宅を訪問【山の上に憩いあり】。

4月1日、「三宝柑」他を<毎日新聞・夕刊>に週一回連載開始(6月24日完結)【休みのあくる日】。

4月10日、随筆「アンドリュー・ワイエス展」を<日本経済新聞>に発表【イソップとひよどり】。

5月、「漏斗」を<新潮>に発表【休みのあくる日】。

6月、「霧とイギリス人」を<文芸>に発表。

6月、随筆「小綬鶏」を<俳句とエッセイ>に発表【イソップとひよどり】。

6月、随筆「霧とイギリス人」を<文藝>に発表【イソップとひよどり】。

7月、「引越し」を<海>に発表【休みのあくる日】。

7月1日、随筆「日を重ねて」を<かわさき>に発表【イソップとひよどり】。

7月15日、随筆「雲雀」を<東京新聞>に発表【イソップとひよどり】。

8月、随筆「竹の柄の傘」を<風景>に発表【イソップとひよどり】。

10月、「葡萄棚」を<群像>に発表【休みのあくる日】。

10月、随筆「庭の雨」を<俳句>に発表【イソップとひよどり】。

10月、随筆「『興福寺の写真』」を<毎日新聞社『高浜虚子全集』月報>に発表【イソップとひよどり】。

10月20日、随筆「『栗の樹』」を<サンデー毎日>に発表【イソップとひよどり】。

11月、随筆「福原麟太郎著作集『人生・読書』」を<筑摩青年>に発表【イソップとひよどり】。

12月、「葦切り」を<新潮>に発表【葦切り】。

12月、河上徹太郎夫妻を招いて、クリスマスの宴をする【山の上に憩いあり】。

1975年(昭和50年)54歳

1月、「五徳」を<文芸>に発表【屋上】。

1月、「やぶかげ」を<海>に発表【屋上】。

1月、「鍛冶屋の馬」を<文学界>に発表【鍛冶屋の馬】。

1月、随筆「ダロウェイ夫人」を<みすず書房『ヴァージニア・ウルフ著作集』内容見本>に発表【御代の稲妻】。

1月13日、随筆「イソップとひよどり」を<サンケイ新聞>に発表【イソップとひよどり】。

2月、『休みのあくる日』を新潮社から刊行。

2月、「かまいたち」を<文学界>に発表【屋上】。

2月、随筆「寒気団・ぎんなん・水中ポンプ」を<波>に発表【イソップとひよどり】。

2月23日、随筆「好きなことば」を<サンケイ新聞>に発表【イソップとひよどり】。

3月、「七草過ぎ」を<文学界>に発表【鍛冶屋の馬】。

3月10日、随筆「庭の水盤」を<毎日新聞>に発表【イソップとひよどり】。

4月、「屋上」を<群像>に発表【屋上】。

4月、「ユッカ蘭の猫」を<文学界>に発表【鍛冶屋の馬】。

4月、随筆「李と桃の花」を<新潮社『井上靖小説全集』附録>に発表【イソップとひよどり】。

4月、随筆「昔の友」を<新潮社『三島由紀夫全集』附録>に発表【イソップとひよどり】。

4月12日、千壽子夫人とともに河上徹太郎宅を訪問【山の上に憩いあり】。

5月、「花瓶」を<文学界>に発表【鍛冶屋の馬】。

5月、随筆「一枚のレコード」を<冬樹社『庄野潤三ノート』>に発表【イソップとひよどり】。

5月、中国人民対外友好協会の招きにより、日本作家代表団の一員として中国各地を旅行。

6月、「草餅」を<文学界>に発表【鍛冶屋の馬】。

6月、随筆「佐々木邦の随筆」を<講談社『佐々木邦全集』月報>に発表【イソップとひよどり】。

6月6日、随筆「中国語の作文」を<日本経済新聞>に発表【イソップとひよどり】。

6月、随筆「佐々木邦の随筆」を<講談社『佐々木邦全集』月報>に発表【イソップとひよどり】。

6月、『ガンビア滞在記』を中公文庫から刊行(解説は坂西志保)。

7月、「ココアと筍」を<文学界>に発表【鍛冶屋の馬】。

7月、随筆「私の写生帳」を<日中文化交流>に発表【イソップとひよどり】。

7月9日、随筆「水浴び」を<東京新聞>に発表【イソップとひよどり】。

この夏、随筆「雉鳩」を<別冊文芸春秋・夏季号>に発表【イソップとひよどり】。

8月、「梅の実」を<文学界>に発表【鍛冶屋の馬】。

8月、随筆「黄河の鯉—中国の旅から」を<文芸>に発表【イソップとひよどり】。

8月、随筆「『彷徨』の作者」を<林泉>に発表【イソップとひよどり】。

9月、「雲の切れ目」を<文学界>に発表【鍛冶屋の馬】。

9月26日、随筆「硯・オノト・小皿」を<サンケイ新聞>に発表【イソップとひよどり】。

10月、「シャボン玉吹き」を<文学界>に発表【鍛冶屋の馬】。

10月26日、随筆「生田小学校の金木犀」を<サンケイ新聞>に発表【イソップとひよどり】。

11月、「納豆御飯」を<文学界>に発表【鍛冶屋の馬】。

11月4日、随筆「附添い」を<毎日新聞>に発表【イソップとひよどり】。

11月24日、随筆「伊馬春部『土手の見物人』」を<週刊読書人>に発表【イソップとひよどり】。

12月、「真夜中の出発」を<文学界>に発表【鍛冶屋の馬】。

12月25日、河上徹太郎夫妻を招いて、クリスマスの宴をする。河上夫妻とのクリスマス会は、この年が最後となった【山の上に憩いあり】。

1976年(昭和51年)55歳

1月、「かたつむり」を<群像>に発表【屋上】。

1月、「家鴨」を<海>に発表【屋上】。

1月、随筆「古備前の水甕」を<東京新聞>に発表【イソップとひよどり】。

1月7日、随筆「オハイオから」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

1月14日、随筆「豆餅」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

1月15日、随筆「萩焼の茶碗」を<日本近代文学館>に発表【イソップとひよどり】。

1月21日、随筆「クロッカス」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

1月28日、随筆「金物屋」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

2月4日、随筆「ひよどり」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

2月18日、随筆「おはじき」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

2月25日、随筆「侘助」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

3月、随筆「磯の小貝」を<新潮>に発表【イソップとひよどり】。

3月、随筆「日記」を<風景>に発表【御代の稲妻】。

3月3日、随筆「こうこ鉢」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

3月10日、随筆「庭の隅」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

3月17日、随筆「歯医者」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

3月24日、随筆「酒屋のおばあさん」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

3月31日、随筆「ノビルと太巻」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

4月、随筆「長女の贈り物」を<俳句>に発表【御代の稲妻】。

4月、随筆「好きな詩」を<俳句とエッセイ>に発表【御代の稲妻】。

4月7日、随筆「つぐみ」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

4月14日、随筆「巣箱」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

4月21日、随筆「一路平安」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

4月28日、随筆「私の散歩」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

4月、『鍛冶屋の馬』を文藝春秋から刊行。

5月、随筆「海からの土産」を<俳句>に発表【御代の稲妻】。

5月、随筆「『王様の背中』」を<文学界>に発表【御代の稲妻】。

5月4日、千壽子夫人とともに河上徹太郎宅を訪問【山の上に憩いあり】。

5月12日、随筆「堤のほとり」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

5月19日、随筆「硝子屋」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

5月26日、随筆「魚屋の兄弟」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

6月、「分れ道の酒屋」を<別冊文芸春秋>に発表【屋上】。

6月、随筆「母の命日」を<俳句>に発表【御代の稲妻】。

6月2日、随筆「水へ来る鳥」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

6月9日、随筆「猫」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

6月16日、随筆「チェーホフ」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

6月23日、随筆「浮世」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

6月29日、随筆「かみなり」を<東京新聞>に発表【御代の稲妻】。

6月30日、随筆「かんぞう」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

6月、随筆集「イソップとひよどり」を冬樹社から刊行。

7月、「菱川屋のおばあさん」を<海>に発表【屋上】。

7月、随筆「葡萄酒の栓」を<俳句>に発表【御代の稲妻】。

7月、随筆「檀さんの思い出」を<ポリタイア>に発表【御代の稲妻】。

8月、随筆「静かな夜」を<俳句>に発表【御代の稲妻】。

9月、随筆「市場から」を<俳句>に発表【御代の稲妻】。

9月、随筆「『村の家』の田口」を<筑摩書房『中野重治全集』月報>に発表【御代の稲妻】。

9月、随筆「『孤島夢』のころ」を<文学界>に発表【御代の稲妻】。

9月12日、随筆「エリア随筆」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

10月、「写真屋」を<群像>に発表【屋上】。

10月、随筆「御代の稲妻」を<俳句>に発表【御代の稲妻】。

10月25日、随筆「『届かなかった手紙』小泉タエ著」を<週刊読書人>に発表【ぎぼしの花】。

11月、随筆「軍鶏」を<俳句>に発表【御代の稲妻】。

12月、随筆「赤飯」を<俳句>に発表【御代の稲妻】。

1977年(昭和52年)56歳

1月、「シェリー酒と楓の葉」を<文学界>に発表【シェリー酒と楓の葉】。

1月、随筆「試合の前」を<俳句>に発表【御代の稲妻】。

1月、随筆「折にふれての詩」を<朝日新聞・計4回>に発表【御代の稲妻】。

1月、随筆「仰臥漫録」を<講談社『子規全集』月報>に発表【御代の稲妻】。

1月、『絵合せ』を講談社文庫から刊行(解説は饗庭孝男)。

2月、「引潮」を<新潮>に発表。

2月、随筆「女の子と魚屋」を<俳句>に発表【御代の稲妻】。

2月10日、随筆「書初め」を<出版ダイジェスト>に発表【御代の稲妻】。

3月、「フィンランド土産」を<文学界>に発表【シェリー酒と楓の葉】。

3月、随筆「水盤」を<俳句>に発表【御代の稲妻】。

3月7日、随筆「汽車の中」を<東京国税局報>に発表【御代の稲妻】。

4月、「林の中」を<文学界>に発表【シェリー酒と楓の葉】。

4月、随筆「鳥・景色・人」を<ハドソン『鳥たちをめぐる冒険』序>に発表【御代の稲妻】。

4月、随筆「長沖さん」を<文学雑誌>に発表【御代の稲妻】。

5月、随筆「お多福かぜ」を<読売新聞>に発表【御代の稲妻】。

5月、随筆「在所言葉」を<波>に発表【御代の稲妻】。

5月、『引潮』を新潮社から刊行。

5月、井伏鱒二、小沼丹を自宅に招く。

6月、「水の都」を<文芸>に連載開始(翌年2月完結)【水の都】。

7月、「ヨークシャーの茶碗」を<文学界>に発表。

8月、「コルクの中の猫」を<海>に発表【屋上】。

8月、随筆「干物と菠薐草」を<オール読物>に発表【御代の稲妻】。

9月、「窓の灯」を<文学界>に発表。

9月、随筆「一本の葡萄酒」を<講談社『三浦哲郎短篇小説全集』月報>に発表【御代の稲妻】。

10月、随筆「サンタフ=鉄道の思い出」を<文芸展望>に発表【御代の稲妻】。

10月、随筆「吉田健一」を<毎日新聞>に発表【御代の稲妻】。

11月、「移転計画」を<文学界>に発表。

11月、随筆「二十年前」を<坂西志保さん>に発表【御代の稲妻】。

11月、随筆「仲人」を<オール読物>に発表【ぎぼしの花】。

11月、「わたしが仲人<グラビア>」を<オール讀物>に発表。

12月、「双眼鏡」を<群像>に発表【屋上】。

1978年(昭和53年)57歳

1月、「割算」を<新潮>に発表【屋上】。

1月、「船長の椅子」を<文学界>に発表【シェリー酒と楓の葉】。

1月、随筆「キャピュレットの召使」を<文体>に発表【御代の稲妻】。

1月5日、随筆「ともしび」を<東京新聞>に発表【御代の稲妻】。

3月、「廃屋」を<文学界>に発表【シェリー酒と楓の葉】。

3月、随筆「はじめて出会った本」を<こどもの本>に発表【御代の稲妻】。

3月9日、随筆「水溜り」を<毎日新聞>に発表【御代の稲妻】。

4月、20年ぶりにオハイオ州ガンビアを訪問、ケニオン大学より文学博士の名誉学位を受ける。

4月、随筆「春浅き」を<朝日新聞社『昭和詩歌俳句史』>に発表【御代の稲妻】。

4月、随筆「創意工夫」を<筑摩現代文学大系『田畑修一郎・木山捷平・小沼丹集』月報>に発表【御代の稲妻】。

4月、『水の都』を河出書房新社から刊行。

5月、「東部への旅」を<文学界>に発表【シェリー酒と楓の葉】。

5月、随筆「卒業証書」を<筑摩書房『草野心平全集』月報>に発表【御代の稲妻】。

6月、随筆「トランク」を<旅>に発表【御代の稲妻】。

7月、「除夜」を<文学界>に発表【シェリー酒と楓の葉】。

7月、随筆「十和田さんの手紙」を<海>に発表【御代の稲妻】。

11月、「ガンビアの春」を<文芸>に連載開始(1980年1月完結)【ガンビアの春】。

11月、『シェリー酒と楓の葉』を文芸春秋から刊行。

12月、日本芸術院会員となる。

12月、随筆「『野趣』」を<中央公論社『藤井孝作全集』月報>に発表【御代の稲妻】。

1979年(昭和54年)58歳

1月、「三河大島」を<群像>に発表【屋上】。

1月4日、随筆「姉おとうと」を<毎日新聞>に発表【御代の稲妻】。

1月10日、随筆「ティペラリー」を<日本経済新聞>に発表【御代の稲妻】。

3月12日、随筆「『子供の絵』」を<朝日新聞>に発表【ぎぼしの花】。

4月、随筆「兄の贈物」を<水墨画>に発表【ぎぼしの花】。

4月、随筆「下山省三『去年の雪』」を<オール読物>に発表【ぎぼしの花】。

4月、随筆集「御代の稲妻」を講談社から刊行。

5月6日、随筆「猫と青柳とみやこわすれ」を<日本経済新聞>に発表【ぎぼしの花】。

7月、「伊予柑」を<海>に発表【屋上】。

7月、随筆「藤沢さんの短冊」を<歴史と人物>に発表【ぎぼしの花】。

10月、国立がんセンターに入院中の河上徹太郎を見舞い、「生田オブザーバー(第一号)」を届ける【山の上に憩いあり】。

10月27日、随筆「『漕げや海尊』阪田寛夫」を<東京新聞>に発表【ぎぼしの花】。

11月、「ある健脚家の回想」を<文学界>に発表【屋上】。

11月、入院中の河上徹太郎に「生田オブザーバー」を送る【山の上に憩いあり】。

11月、長男・龍也が鈴木敦子と結婚。

11月18日、随筆「近況」を<朝日新聞>に発表【ぎぼしの花】。

12月、随筆「正確さとユウモア」を<波>に発表【ぎぼしの花】。

12月、入院中の河上徹太郎に「生田オブザーバー」を送る【山の上に憩いあり】。

12月29日、千壽子夫人とともに、河上徹太郎を自宅に見舞う【山の上に憩いあり】。

1980年代

1980年代です。

イギリス旅行を経て、庄野さんはさらに高いレベルの小説家へ進化を続けますが、突然の病が作家の肉体を襲います。

1980年(昭和55年)59歳

1月、「モヒカン州立公園」を<群像>に発表【屋上】。

2月、随筆「原稿の字と小説の主題」を<新潮>に発表【ぎぼしの花】。

2月、『屋上』を講談社から刊行。

3月、随筆「幼な顔」を<林泉>に発表【ぎぼしの花】。

3月、随筆「早春の神島」を<真珠の小箱 伊勢・志摩の春夏>に発表。

4月、『ガンビアの春』を河出書房新社から刊行。

5月、「失せ物」を<新潮>に発表【葦切り】。

5月、「『ガンビアの春』補記」を<文芸>に発表。

5月、随筆「『ガンビアの春』補記」を<文芸>に発表【ぎぼしの花】。

5月、随筆「『小沼丹作品集』」を<小沢書店『小沼丹作品集』内容見本>に発表【ぎぼしの花】。

5月、夫人とともにロンドンを訪問。

6月、「早春」を<海>に連載開始(翌年9月完結)。

7月、随筆「昔の帝塚山」を<鹿島出版会・大阪今昔>に発表【ぎぼしの花】。

9月22日、河上徹太郎逝去。78歳だった。

9月、一家で河上徹太郎の密葬に参列【山の上に憩いあり】。

10月7日、家族とともに河上徹太郎の告別式に参列【山の上に憩いあり】。

10月、随筆「好奇心と無欲」を<新潮>に発表【ぎぼしの花】。

10月、『明夫と良二』を岩波少年文庫から刊行。

10月、随筆「『明夫と良二』」を<岩波文庫版『明夫と良二』>に発表【ぎぼしの花】。

11月、上林暁追悼文「葉書の文学」を<群像>に発表。

11月、河上徹太郎追悼文「柿生の河上さん」を<文学界>に発表【ぎぼしの花】。

11月、随筆「葉書の文字」を<群像>に発表【ぎぼしの花】。

12月、随筆「ウエバーさんの手紙」を<波>に発表【誕生日のラムケーキ】。

1981年(昭和56年)60歳

1月、「昔の仲間」を<文学界>に発表。

1月18日、福原麟太郎逝去。86歳だった。

2月9日、60歳になる。

2月、随筆「十六歳の入選作」を<講談社版『永井龍男全集』内容見本>に発表【ぎぼしの花】。

2月23日、随筆「侘助」を<朝日新聞>に発表【ぎぼしの花】。

3月、「七草まで」を<文芸>に発表。

3月、福原麟太郎追悼文「福原さんを偲ぶ」を<新潮>に発表。

4月、随筆「チェーホフの映画」を<作品>に発表【ぎぼしの花】。

4月7日、随筆「長女の手紙」を<毎日新聞>に発表【ぎぼしの花】。

4月8日、随筆「四月の雨」を<読売新聞>に発表【ぎぼしの花】。

6月、「福原麟太郎氏追悼特集 野方からの小包」を<英語青年>に発表。

7月31日、随筆「禿木随筆」を<不死鳥>に発表【ぎぼしの花】。

この秋、随筆「尾長」を<ZENON>に発表【ぎぼしの花】。

9月、随筆「井内先生の思い出」を<井内彦三郎追悼録『常夜燈』>に発表【ぎぼしの花】。

10月、「インド綿の服」を<群像>に発表【インド綿の服】。

10月、随筆「朝のコーヒー」を<林泉>に発表【ぎぼしの花】。

10月、随筆「子供と河上さん」を<新潮社『河上徹太郎著作集』月報>に発表【ぎぼしの花】。

10月、夫人同伴で小沼丹夫妻と伊良湖岬の伊良湖ビューホテルを訪ねる。

11月、随筆「休暇中のロン」を<新潮>に発表【ぎぼしの花】。

11月、随筆「歴史と記憶」を<波>に発表【ぎぼしの花】。

1982年(昭和57年)61歳

1月、「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」を<文学界>に連載開始(翌年8月完結)【陽気なクラウン・オフィス・ロウ】。

1月、「おじいさんの貯金」を<文芸>に発表【葦切り】。

1月、『早春』を中央公論社から刊行。

3月、随筆「エドワード・グレー卿」を<海燕>に発表【ぎぼしの花】。

3月9日、随筆「南天の実とクロッカス」を<毎日新聞>に発表【ぎぼしの花】。

5月、随筆「鈴江さんと神戸」を<林泉>に発表【ぎぼしの花】。

5月31日、随筆「箕面の滝」を<読売新聞>に発表【ぎぼしの花】。

6月10日、随筆「『素朴な味』」を<日本経済新聞>に発表【ぎぼしの花】。

7月、随筆「荻野君のくれた手紙」を<海>に発表【ぎぼしの花】。

7月、随筆「菊池さんの手紙」を<新潮>に発表【ぎぼしの花】。

7月1日、随筆「ラム」を<神戸新聞>に発表【ぎぼしの花】。

7月11日、随筆「二羽の鴨とグレー卿」を<日本経済新聞>に発表【ぎぼしの花】。

7月30日、随筆「小綬鶏」を<神戸新聞>に発表【ぎぼしの花】。

8月13日、随筆「洗濯干し」を<神戸新聞>に発表【ぎぼしの花】。

8月26日、随筆「誕生日」を<神戸新聞>に発表【ぎぼしの花】。

9月9日、随筆「水風船」を<神戸新聞>に発表【ぎぼしの花】。

9月25日、随筆「秋扇」を<神戸新聞>に発表【ぎぼしの花】。

10月、随筆「オルフォイスと『小公女』」を<海>に発表【ぎぼしの花】。

10月、夫人同伴で小沼丹夫妻と伊良湖岬の伊良湖ビューホテルを訪ねる。

11月16日、随筆「山百合」を<神戸新聞>に発表【ぎぼしの花】。

12月、随筆「『汽笛と武蔵野の森』」を<新潮>に発表【ぎぼしの花】。

12月、随筆「下曽我へ行った日のこと」を<筑摩書房版『尾崎一雄全集』月報>に発表【ぎぼしの花】。

12月10日、随筆「パリと堺と河盛さん」を<読売新聞>に発表【ぎぼしの花】。

1983年(昭和58年)62歳

1月、「大きな古時計」を<文芸>に発表【インド綿の服】。

1月4日、随筆「花鳥図」を<毎日新聞・夕刊>に発表【ぎぼしの花】。

2月、『水の都』を河出文庫から刊行。

2月4日、随筆「淀川の水」を<河出文庫『水の都』>に発表【ぎぼしの花】。

3月、随筆「本の書き入れ」を<群像>に発表【ぎぼしの花】。

3月、随筆「おかしみ、浄福」を<岩波書店版『志賀直哉全集』内容見本>に発表【ぎぼしの花】。

4月、随筆「父と子」を<林泉>に発表【ぎぼしの花】。

6月、随筆「ヤンダの芹と燕」を<群像>に発表【ぎぼしの花】。

7月1日、随筆「初めて候補になった頃」を<芥川賞全集別冊『芥川賞小辞典』>に発表【ぎぼしの花】。

7月19日、随筆「ぎぼしの花」を<東京新聞・夕刊>に発表【ぎぼしの花】。

9月、「嗅ぎ煙草とコーヒー」を<新潮>に発表。

11月、「泣鬼とアイルランドの紳士」を<文学界>に発表【葦切り】。

12月5日、随筆「大倉山公園の図書館」を<神奈川近代文学館>に発表【ぎぼしの花】。

1984年(昭和59年)63歳

1月、「楽しき農婦」を<群像>に発表【インド綿の服】。

1月25日、随筆「フィンガルの洞窟」を<文春文庫・阪田寛夫『土の器』>に発表【ぎぼしの花】。

2月、「メイフラワー日和」を<海>に発表【葦切り】。

2月、随筆「江嶋さんの作風」を<碌々>に発表【ぎぼしの花】。

2月、『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』を文芸春秋から刊行。

3月、随筆「物売りの声」を<文芸>に発表【ぎぼしの花】。

3月、随筆「ラムの引越し」を<学燈>に発表【ぎぼしの花】。

5月、「山の上に憩いあり」を<新潮>に発表【山の上に憩いあり】。

6月、「サヴォイ・オペラ」を<文芸>に連載開始(翌年7月完結)【サヴォイ・オペラ】。

6月、随筆「チューリップと豆大福」を<別冊文芸春秋>に発表【ぎぼしの花】。

6月、随筆「相性と運命」を<波>に発表【ぎぼしの花】。

9月、随筆「へんちくりん」を<海燕>に発表【ぎぼしの花】。

9月、随筆「ぎんなん」を<四季の味・秋季号>に発表【ぎぼしの花】。

9月、随筆「『百千の』」を<ZENON・秋季号>に発表【ぎぼしの花】。

10月10日、随筆「横浜との縁」を<神奈川近代文学館>に発表【ぎぼしの花】。

11月、「雪の中のゆりね」を<群像>に発表【インド綿の服】。

11月、随筆「赤ん坊と切抜帳と『日本詩歌集』」を<講談社『山本健吉全集』月報>に発表【ぎぼしの花】。

11月、『山の上に憩いあり—都築ヶ岡年中行事』を新潮社から刊行。

12月、随筆「『荻窪風土記』の思い出」を<早稲田文学>に発表【ぎぼしの花】。

12月7日、長女・夏子が、四男・正雄を出産。

1985年(昭和60年)64歳

1月、随筆「雲隠れ」を<新潮45>に発表【ぎぼしの花】。

1月、随筆「百科辞典と福原さん」を<別冊文芸春秋>に発表【ぎぼしの花】。

1月4日、随筆「水盤とオランダの絵」を<読売新聞・夕刊>に発表【ぎぼしの花】。

3月、日比谷の東京宝塚劇場で宝塚歌劇団月組によるブロードウェイ・ミュージカル『ガイズ・アンド・ドールズ』を観劇【エイヴォン記】。

3月、千壽子夫人が銀座の書店で『ブロードウェイの天使』(デイモン・ラニアン、新潮文庫)を購入【エイヴォン記】。

4月、随筆「神奈川と私」を<月刊かながわ>に発表【誕生日のラムケーキ】。

4月、随筆集『ぎぼしの花』を講談社から刊行。

5月、随筆「野々上さんの新著」を<文学界>に発表【誕生日のラムケーキ】。

8月、随筆「会計簿と『チェーホフ読書ノート』」を群像に発表【誕生日のラムケーキ】。

9月5日、随筆「ユニバーシアード讃歌」を<日本経済新聞「スポーツの秋」>に発表【誕生日のラムケーキ】。

10月3日、随筆「慶同ラグビー」を<日本経済新聞「スポーツの秋」>に発表【誕生日のラムケーキ】。

10月18日、随筆「大事なこと」を<神奈川文学振興会『日本の子どもの文学展』パンフレット>に発表【誕生日のラムケーキ】。

10月31日、随筆「コニャック市営競技場」を<日本経済新聞「スポーツの秋」>に発表【誕生日のラムケーキ】。

10月、次男・和也が、冨田操(ミサヲちゃん)と結婚。式場はヒルトンホテル、仲人は藤野邦夫だった。

新婚旅行は、箱根・芦の湯「きのくにや」。

11月、「誕生祝い」を<群像>に発表【インド綿の服】。

11月、随筆「南の島のまどさん」を<波>に発表【誕生日のラムケーキ】。

11月13日、脳内出血のため、川崎市の高津中央総合病院へ入院。

12月2日、虎ノ門病院梶ヶ谷分院へ転院。

12月18日、検温の時間に体温計を落として壊す。

12月21日、三階脳外科病棟でクリスマスの会。

12月27日、退院。

12月、随筆「『丑寅爺さん』と詩碑除幕式」を<新潮社『井伏鱒二自選全集第三巻』月報』>に発表【誕生日のラムケーキ】。

1986年(昭和61年)65歳

1月、「ガンビア停車場」を<文学界>に発表【葦切り】。

1月23日、随筆「病院の早慶ラグビー」を<日本経済新聞>に発表【誕生日のラムケーキ】。

1月、『早春』を中公文庫から刊行(解説は奥野健男)。

2月、随筆「祝辞」を<第一回坪田譲二文学賞授賞式・パンフレット>に発表【誕生日のラムケーキ】。

2月、「講演 好みと仕事」を<英文学>に発表。

2月20日、随筆「病後の私」を<日本経済新聞>に発表【誕生日のラムケーキ】。

3月、随筆「金物屋まで」を<更生保護>に発表【誕生日のラムケーキ】。

3月20日、随筆「日豪ラグビーの思い出」を<日本経済新聞>に発表【誕生日のラムケーキ】。

3月、『サヴォイ・オペラ』を河出書房新社から刊行。

4月17日、随筆「スコットランド応援」を<日本経済新聞>に発表【誕生日のラムケーキ】。

5月、随筆「童心」を<新潮>に発表【誕生日のラムケーキ】。

5月15日、随筆「米国カナダ遠征」を<日本経済新聞>に発表【誕生日のラムケーキ】。

6月12日、随筆「米国ラグビーの将来」を<日本経済新聞>に発表【誕生日のラムケーキ】。

7月、「夏の重荷」を<文学界>に発表【世をへだてて】。

7月10日、随筆「フェアプレー」を<日本経済新聞>に発表【誕生日のラムケーキ】。

7月16日、次男・和也の長女・文子(フーちゃん)誕生。

8月、随筆「一番咲きの薔薇」を<銀座百点>に発表【誕生日のラムケーキ】。

8月7日、随筆「香山蕃『ラグビー』」を<日本経済新聞>に発表【誕生日のラムケーキ】。

9月、「杖」を<文芸>に発表【世をへだてて】。

9月、随筆「聞き手と語り手」を<新潮>に発表【誕生日のラムケーキ】。

9月半ば、長女・夏子から、入院時に大部屋で一緒だった人たちの思い出を聞き取ってノートに書き込む。

10月、随筆「サヴォイ・オペラ年表」を<群像>に発表【誕生日のラムケーキ】。

12月、「北風と靴」を<文学界>に発表【世をへだてて】。

12月、随筆「丹下氏邸—エリア随筆」を<短歌>に発表【誕生日のラムケーキ】。

1987年(昭和62年)66歳

1月、随筆・島尾敏雄追悼文「気儘な附合い」を<新潮>に発表【誕生日のラムケーキ】。

1月、随筆「九州との縁」を<ふるさと日本列島九州沖縄>に発表【誕生日のラムケーキ】。

1月5日、随筆「やきもの好き」を<東京新聞>に発表【誕生日のラムケーキ】。

2月、「大部屋の人たち」を<文学界>に発表【世をへだてて】。

2月、随筆「文章の力」を<沖積舎『福原麟太郎随想集・野方閑居の記』栞>に発表【誕生日のラムケーキ】。

3月、随筆「島尾敏雄を偲ぶ」を<九州大学文学部同窓会・会報第30号>に発表【誕生日のラムケーキ】。

4月、「Dデイ」を<文学界>に発表【世をへだてて】。

6月、「作業療法室」を<文学界>に発表【世をへだてて】。

7月、随筆「昔のノートから」を<筑摩書房『チェーホフ全集第三巻』月報>に発表【誕生日のラムケーキ】。

8月、「同室の人々」を<文学界>に発表【世をへだてて】。

9月、随筆「『丘の橋』」を<福武書店『内田百閒全集』第九巻月報>に発表【誕生日のラムケーキ】。

10月、「足柄山の春」を<群像>に発表【インド綿の服】。

11月、随筆「今年の秋」を<文芸家協会ニュース>に発表【誕生日のラムケーキ】。

11月、随筆集『世をへだてて』を文芸春秋から刊行。

12月、随筆「『グラッ返り』」を<新潮社『三浦哲郎自選全集』第四巻月報>に発表【誕生日のラムケーキ】。

12月、随筆「『少年パタシュ』」を<小沢書店『堀口大学全集』第九巻月報>に発表【誕生日のラムケーキ】。

1988年(昭和63年)67歳

1月、随筆「誕生日のアップルパイ」を<本>に発表【誕生日のラムケーキ】。

1月、随筆「『ブロードウェイの天使』」を<文学界>に発表【誕生日のラムケーキ】。

2月、「インド綿の服」を講談社から刊行。

3月、随筆「歌集『利根川の漣』」を<新潮>に発表【誕生日のラムケーキ】。

4月、随筆「春を待つ」を<正論>に発表【誕生日のラムケーキ】。

4月1日、随筆「喜びの種子見つけて」を<朝日新聞・夕刊「余白を語る」>に発表【誕生日のラムケーキ】。

4月、『夕べの雲』が講談社文芸文庫から刊行。

5月、随筆「井伏鱒二『へんろう宿』」を<群像>に発表【誕生日のラムケーキ】。

5月、随筆「佐藤春夫『お絹とその兄弟』」を<新潮>に発表【誕生日のラムケーキ】。

5月、随筆「『ボタンとリボン』」を<VIKING>に発表【誕生日のラムケーキ】。

8月、「エイヴォン記」を<群像>に連載開始(翌年7月完結)【エイヴォン記】。

8月、随筆「私の夏の愉しみ」を<婦人之友>に発表【誕生日のラムケーキ】。

8月、随筆「山本さんの牛乳」を<俳句>に発表【誕生日のラムケーキ】。

9月、随筆「『古木鐵太郎全集』」を<海燕>に発表【誕生日のラムケーキ】。

10月1日、随筆「梨屋のお嫁さん」を<読売新聞・夕刊>に発表【誕生日のラムケーキ】。

10月、千壽子夫人が、長女・夏子の41歳の誕生日プレゼントとして『レ・ミゼラブル』(全五巻)を贈る【エイヴォン記】。

11月、随筆「大竹さんから聞いたこと」を<大竹次郎個展パンフレット>に発表【誕生日のラムケーキ】。

1989年(昭和64年・平成元年)68歳

1月1日、随筆「能登の毛がに」を<日本経済新聞>に発表【誕生日のラムケーキ】。

3月、「懐かしきオハイオ」を<文学界>に連載開始(1991年4月完結)【懐しきオハイオ】。

3月、随筆「近況」を<阿倍野の杜・住吉中学校卒業50周年記念文集>に発表【誕生日のラムケーキ】。

4月、長女・夏子の四男・正雄が幼稚園に入園【エイヴォン記】。

6月、『絵合せ』を講談社文芸文庫から刊行。

6月24日、随筆「子守りの一日」を<読売新聞・夕刊>に発表【誕生日のラムケーキ】。

7月、随筆「南足柄行」を<新潮>に発表【誕生日のラムケーキ】。

7月23日、随筆「『夕べの雲』自作再見」を<朝日新聞>に発表【誕生日のラムケーキ】。

8月、『エイヴォン記』を講談社から刊行。

9月、随筆「のびやかに明るく」を<短歌>に発表【誕生日のラムケーキ】。

10月、随筆「エイヴォン記」を<本>に発表【誕生日のラムケーキ】。

11月、随筆「藤澤さんを偲ぶ」を<文学雑誌>に発表【誕生日のラムケーキ】。

1990年代

1990年代です。

リハビリ期を経て、後期作品群が登場。

1990年(平成2年)69歳

1月22日、随筆「たき火」を<毎日新聞・夕刊コラム「視点」>に発表【誕生日のラムケーキ】。

1月29日、随筆「驢馬」を<毎日新聞・夕刊>に発表【誕生日のラムケーキ】。

2月、随筆「草野さんを偲ぶ」を<歴程>に発表【誕生日のラムケーキ】。

2月2日、随筆「浦島太郎」を<毎日新聞・夕刊コラム「視点」>に発表【誕生日のラムケーキ】。

2月19日、随筆「荒野の苔」を<毎日新聞・夕刊>に発表【誕生日のラムケーキ】。

2月26日、随筆「長女の宅急便」を<毎日新聞・夕刊>に発表【誕生日のラムケーキ】。

3月5日、随筆「花鳥図」を<毎日新聞・夕刊コラム「視点」>に発表【誕生日のラムケーキ】。

3月12日、随筆「スープ」を<毎日新聞・夕刊コラム「視点」>に発表【誕生日のラムケーキ】。

3月19日、随筆「誕生日のラムケーキ」を<毎日新聞・夕刊>に発表【誕生日のラムケーキ】。

3月26日、随筆「大きな犬」を<毎日新聞・夕刊コラム「視点」>に発表【誕生日のラムケーキ】。

4月、随筆「最初の小説」を<海燕>に発表【誕生日のラムケーキ】。

6月、清水さんと一緒に、南足柄市へ長女・夏子を訪ねる【鉛筆印のトレーナー】。

8月13日、随筆「老いての物語」を<産経新聞・夕刊>に発表【誕生日のラムケーキ】。

10月10日、随筆「おるす番」を<毎日新聞・夕刊コラム「視点」>に発表【誕生日のラムケーキ】。

11月19日、随筆「剣幸の退団を惜しむ」を<毎日新聞・夕刊>に発表【誕生日のラムケーキ】。

1991年(平成3年)70歳

1月、随筆「赤毛のアン」を<新潮>に発表【誕生日のラムケーキ】。

1月、随筆「旅のプログラム」を<別冊文芸春秋>に発表【誕生日のラムケーキ】。

1月、随筆「一枚の写真」を<新潮社・河盛好藏『私の随想選』第一巻月報>に発表【誕生日のラムケーキ】。

1月、随筆「『イースター・パレエド』」を<朝日放送「あんてな」>に発表【誕生日のラムケーキ】。

2月3日、随筆「井上さんを偲ぶ」を<日本経済新聞>に発表【誕生日のラムケーキ】。

2月9日、70歳となる。

2月17日、新宿のヒルトンホテルに子供と孫が集まって古稀のお祝いをしてくれる【鉛筆印のトレーナー】。

3月27日、子供らのお祝いの会を開く【鉛筆印のトレーナー】。

4月、『誕生日のラムケーキ』を講談社から刊行。

4月、随筆「『懐しきオハイオ』」を<阿倍野の杜・住吉中学13期古稀記念文集>に発表【散歩道から】。

4月、長女・夏子の四男・正雄が小学校に入学【鉛筆印のトレーナー】。

4月、次男・和也の長女・文子(フーちゃん)が、みどり幼稚園に入園(二年保育の年中組)【鉛筆印のトレーナー】。

5月、「鉛筆印のトレーナー」を<海>に連載開始(翌年4月完結)【鉛筆印のトレーナー】。

5月、随筆「慈眼」を<日中文化交流・井上靖会長追悼号>に発表【散歩道から】。

5月1日、清水さんと一緒に、南足柄市へ長女・夏子を訪ねる【鉛筆印のトレーナー】。

5月12日、千壽子夫人とともに、フーちゃんの運動会を観戦【鉛筆印のトレーナー】。

6月、随筆「森亮さんの訳詩集」を<新潮>に発表【散歩道から】。

6月2日、清水圭子ちゃんの結納に北京ぎょうざを届ける【鉛筆印のトレーナー】。

6月、次男・和也の長男・春夫が縁側から落ちて骨折。

6月19日、ミサヲちゃんが、フーちゃんの江の島遠足に付いていくので、骨折中の春夫を預かる。

6月20日、長男・龍也の長女・恵子が誕生。

7月、随筆「『夕べの雲』の一家」を<神奈川近代文学館>に発表【散歩道から】。

7月、随筆「紙吹雪」を<大浦みずき『夢*宝塚』>に発表【散歩道から】。

7月30日、フーちゃんの幼稚園の「夕涼みの会」に参加【鉛筆印のトレーナー】。

8月1日、けい子ちゃんの初宮参りで、諏訪神社を訪ねる。

8月12日、千壽子夫人が、あつ子ちゃんやミサヲちゃんらに招かれて、下北沢のフランス料理店で誕生日のお祝いの昼食会に出席【鉛筆印のトレーナー】。

9月、『懐しきオハイオ』を文芸春秋から刊行。

9月、『ザボンの花』を福武文庫から刊行(解説は阪田寛夫)。

9月、随筆「剣幸の魅力」を<「カラミティ・ジェーン」公演プログラム>に発表【散歩道から】。

9月、随筆「檀さんとの御縁」を<『檀一雄全集』内容見本>に発表【散歩道から】。

10月2日、千壽子夫人、阪田寛夫とともに大阪を訪れ、墓参りをする【鉛筆印のトレーナー】。

10月3日、宝塚大劇場で月組の公演を観劇【鉛筆印のトレーナー】。

11月17日、宝塚歌劇団花組の大浦みずきの東京でのさよなら公演を観劇。5歳になるフーちゃんが初めて同行した【鉛筆印のトレーナー】。

12月、『紺野機業場』を講談社文芸文庫から刊行。

1992年(平成4年)71歳

1月、短篇集『葦切り』を新潮社から刊行。

1月、随筆「ロビンソン・クルーソーの傘」を<『子どものとき、この本と出会った』>に発表【散歩道から】。

1月、随筆「わたしのベスト3」を<文学界「アンケート・わたしのベスト3」>に発表【散歩道から】。

2月下旬、千壽子夫人や長女・夏子とともに、小田原・辻村植物公園で、梅見を楽しむ(「さくらんぼジャム」「梅見のお弁当」)。

5月、『鉛筆印のトレーナー』を福武書店から刊行。

6月、随筆「時計屋の景色」を<ふらんす堂通信>に発表【散歩道から】。

6月、随筆「旅先の井伏さん」を<アサヒグラフ別冊「井伏鱒二の世界」>に発表【散歩道から】。

7月、随筆「小沼丹の『清水町先生』」を<文学界>に発表【散歩道から】。

7月はじめ、千壽子夫人と二人で箱根・芦の湯「きのくにや」を訪ねる【さくらんぼジャム】。

7月16日、フーちゃんの誕生日(6歳)に『ドリトル先生物語』(こども世界名作童話)を贈る【さくらんぼジャム】。

7月20日、フーちゃんがみどり幼稚園(年長組)の林間学校で箱根・芦の湯「きのくにや」を訪れる【さくらんぼジャム】。

7月29日、フーちゃんが通うみどり幼稚園の「夕涼みの会」に参加【さくらんぼジャム】。

8月、随筆「井伏さんの『たらちね』」を<ちくま>に発表【散歩道から】。

8月、随筆「蛇笏の一句」を<山梨県立文学館「飯田蛇笏展」図録>に発表【散歩道から】。

8月10日、千壽子夫人や長女・夏子とともに、小田原・御幸ヶ浜で、大病以来初めての海水浴を楽しむ【さくらんぼジャム】。

9月、千壽子夫人が、西三田団地の木谷先生のピアノ教室で、ピアノのおけいこを始める(毎週月曜日の午後、30分だけ)【さくらんぼジャム】。

9月1日、成城の江崎書店で『ドリトル先生のサーカス』(岩波少年文庫)を購入【さくらんぼジャム】。

10月、随筆「『水の都』の縁」を<おおさかの街>に発表【散歩道から】。

10月、随筆「『還暦の鯉』の井伏さん」を<講談社文芸文庫『還暦の鯉』人と作品>に発表【散歩道から】。

10月1日、成城の江崎書店で、長女・夏子の誕生日プレゼント用として『ドリトル先生のサーカス』と『ドリトル先生の郵便局』を、また、自分用として『ドリトル先生航海記』(いずれも岩波少年文庫)を購入【さくらんぼジャム】。

10月3日、千壽子夫人が次男・和也に『還暦の鯉』(井伏鱒二・講談社文芸文庫)をあげる【さくらんぼジャム】。

この頃、次兄・英二が心臓大動脈瘤の手術のため、大阪府立病院に入院【さくらんぼジャム】。

10月6日、千壽子夫人とともに、お墓参りで大阪を訪ねる【さくらんぼジャム】。

10月16日、自宅で次男・和也一家の送別会を開く【さくらんぼジャム】。

10月25日、千壽子夫人とともに、銀座のイタリア料理店で、藤野可奈子結婚披露宴に出席、祝辞を述べる【散歩道から】。

10月29日、次男・和也一家が読売ランド前へ移転【さくらんぼジャム】。

11月、「さくらんぼジャム」を<文学界>に連載開始(翌年10月完結)【さくらんぼジャム】。

11月、カリフォルニア州バークレーのストーン・ブリッジ・プレス社から、庄野潤三作品集「Still Life and Other Stories」(「静物その他」)が翻訳出版される(翻訳はオレゴン在住のウエイン・ラーマズ)【さくらんぼジャム】。

1993年(平成5年)72歳

1月1日、子どもや孫が集まって、お正月のお祝いをする(総勢15名)【さくらんぼジャム】。

1月2日、千壽子夫人とともに、氏神様の諏訪神社へ初詣【さくらんぼジャム】。

2月、随筆「大佛次郎と『苦楽』の時代」を<紅書房『紅通信』>に発表【散歩道から】。

2月5日、千壽子夫人や長女・夏子とともに、小田原・辻村植物公園で、梅見を楽しむ(「さくらんぼジャム」「梅見のお弁当」)。

2月16日、随筆「梅見のお弁当」を<朝日新聞>に発表【散歩道から】。

2月21日、千壽子夫人とともに、フーちゃんのみどり幼稚園のおゆうぎ会を見学【さくらんぼジャム】。

3月、随筆「宝塚との縁」を<読売グラフ「宝塚」>に発表【散歩道から】。

3月、随筆「『さくらんぼジャム』」を<朝日放送社友会会報>に発表【散歩道から】。

3月、随筆「『餘日』の一句」を<俳句>に発表【散歩道から】。

3月、随筆「いきいきと」を<俳句研究>に発表【散歩道から】。

3月17日、次男・和也の長女・文子(フーちゃん)が、みどり幼稚園を卒園【さくらんぼジャム】。

3月26日、千壽子夫人とともに、柳沢有美ちゃん(小学3年生)のピアノ発表会を観に行く【さくらんぼジャム】。

4月3日、「もろもろのお祝いの会」で孫たちが集まる【さくらんぼジャム】。

4月4日、随筆「孫娘の勉強机」を<産経新聞>に発表【散歩道から】。

4月、長女・夏子の次男・良雄が、法政大学(二部)に入学。

4月、次男・和也の長女・文子(フーちゃん)が、西生田小学校へ入学【さくらんぼジャム】。

4月17日、千壽子夫人、長女・夏子、阪田寛夫とともに、お墓参りのために大阪を訪ねる【さくらんぼジャム】。

4月、翻訳作品集「Still Life and Other Stories」(「静物その他」)がペン協会ウエストの翻訳文学賞を受賞【さくらんぼジャム】。

5月、随筆「ふっくらしたもの」を<大浦みずき「ムービング・トーン」プログラム>に発表【散歩道から】。

5月30日、フーちゃん(一年生)の通う西生田小学校の運動会を観戦【さくらんぼジャム】。

この頃、心臓大動脈瘤で大阪府立病院へ入院中の次兄・英二が、一時帰宅できるようになり、電話越しに大きな声で呼びかける【さくらんぼジャム】。

6月、随筆「土佐堀川」を<FRONT>に発表【散歩道から】。

6月、随筆「新宝塚劇場への旅」を<別冊文芸春秋>に発表【散歩道から】。

6月、父の日の贈り物で、長女・夏子から、エジプト綿の半袖シャツをもらう【さくらんぼジャム】。

7月、随筆「旅から帰って」を<中央公論>に発表【散歩道から】。

7月、随筆「和やかに、しみじみと」を<新潮>に発表【散歩道から】。

7月10日、井伏鱒二逝去。94歳だった。

7月12日、随筆「井伏さんを偲ぶ」を<東京新聞・夕刊>に発表【散歩道から】。

7月、フーちゃんの誕生日(7歳)に、『ひみつの花園』(バーネット作、中村妙子訳、集英社)を贈る【さくらんぼジャム】。

7月25日、千壽子夫人や子ども、孫たちと、宝塚歌劇団月組の「グランドホテル」と「ブロードウェイ・ボーイズ」を観劇【さくらんぼジャム】。

9月、随筆「追悼・井伏さんの本」を<群像>に発表【散歩道から】。

9月、随筆「追悼・井伏鱒二『白鳥の歌・水甕』」を<新潮>に発表【散歩道から】。

9月、随筆「海賊の切手」を<白い国の詩>に発表【散歩道から】。

9月、随筆「有美ちゃんのおみやげ」を<紅書房「紅通信」>に発表【散歩道から】。

11月3日、秋の叙勲で勲三等瑞宝章を受章(『貝がらと海の音』『この半年—近況』)。

11月3日、神奈川文化賞を受賞。贈呈式で挨拶(『この半年—近況』)。

11月26日、次兄・英二が死去。

11月28日、次兄・英二のお別れの会で挨拶<兄英二へのおわかれの日に・録音テープより>【散歩道から】。

1994年(平成6年)73歳

1月、「文学交友録」を<新潮>に連載開始(12月完結)【文学交友録】。

1月9日、随筆「誕生日の贈り物」を<産経新聞>に発表【散歩道から】。

1月、神奈川文化賞と秋の叙勲のお祝いで、子どもや孫と一緒に(総勢15名)、箱根芦の湯・きのくにやへ一泊大旅行に出かける(『貝がらと海の音』)。

2月、「さくらんぼジャム」を文芸春秋から刊行。

2月、随筆「福田宏年『バルン氷河紀行』」を<文学界>に発表【散歩道から】。

2月、千壽子夫人や長女・夏子とともに、小田原・辻村植物公園で、梅見を楽しむ(『さくらんぼジャム』)。

3月、阿川弘之からの手紙で、大阪天保山の海遊館にジンベエザメがいることを知る(『貝がらと海の音』)。

3月、随筆「青い蘭の花」を<新刊ニュース>に発表【散歩道から】。

3月、随筆「『ざんねん』とでびら」を<オール読物>に発表【散歩道から】。

3月、長男・龍也の長男・龍太が誕生(『貝がらと海の音』)。

4月、長女・夏子の長男・和雄が、横浜に本社のあるお父さんの会社に就職(『貝がらと海の音』)。

4月、随筆「この半年」を<阿倍野の杜>に発表【散歩道から】。

4月、随筆「『サヴォイ・オペラ』余録」を<英語青年>に発表【散歩道から】。

4月、千壽子夫人や阪田寛夫とともに、お墓参りや宝塚公演観劇のために大阪を訪ねる。大阪天保山の海遊館でジンベエザメを観る(『貝がらと海の音』)。

5月、随筆「英二伯父ちゃんの薔薇」を<文学雑誌・庄野英二追悼号>に発表【散歩道から】。

5月29日、小沼丹氏をかこむ会に出席、祝辞を述べる【散歩道から】。

7月、長泉院に神奈川・庄野家のお墓を建立する(『ピアノの音』)。

8月、「ジンベエざめ旅行」を<現代>に発表。

8月、次男・和也一家が那須へ旅行に行く間、ジップを預かる(『貝がらと海の音』)。

8月、芝公園で郵便貯金ホールでなつめちゃんのリサイタルを観た後、ヒルトンホテルに宿泊(『貝がらと海の音』)。

9月、清水さんから、貝がらとビー玉をもらう(『貝がらと海の音』)。

9月、千壽子夫人が、台所で「赤蜻蛉」を歌う(夕食後のハーモニカ演奏はまだなかった)(『貝がらと海の音』)。

9月、フーちゃんに『オズの魔法使い』を贈る(『貝がらと海の音』)。

10月1日、千壽子夫人とともに、新大久保の東京パナソニック・グローブ座へ、大浦みずきのミュージカル「シーソー」を観劇(『貝がらと海の音』)。

10月2日、千壽子夫人とともに、次男・和也の次男・春夫が通う幼稚園の運動会を観戦(『貝がらと海の音』)。

10月、<群像>の「わが友吉行淳之介」の座談会に出席(阿川弘之や遠藤周作らと一緒に)。

10月、河盛好藏『河岸の古本屋』(講談社文芸文庫)に「あとがき」を掲載【散歩道から】。

10月、随筆「『水の都』の縁」を<おおさかの街>に発表【散歩道から】。

10月、千壽子夫人とともに、大阪を訪ねる(『貝がらと海の音』)。

10月、長女・夏子の誕生日に『マノン・レスコー』(岩波文庫・河盛好藏訳)や『河岸の古本屋』(河盛好藏)、『島と私と娘たち』(ベティ・マクドナルド)、『オズの魔法使い』を贈る(『貝がらと海の音』)。

11月、随筆「をりとりて」を<角川書店『飯田蛇笏集成』月報>に発表【散歩道から】。

11月、庄野夫妻、長女・夏子、あつ子ちゃん、ミサヲちゃん、フーちゃん、清水さん、阪田寛夫、安岡治子の総勢9人で、宝塚月組公演を観劇(『貝がらと海の音』)。

11月19日、フーちゃん(7歳)と春夫(5歳)の七五三のお祝いで、細山神神社を訪ねる(『貝がらと海の音』)。

12月、随筆「ミュージカル『シーソーの記』」を<別冊文芸春秋>に発表【散歩道から】。

12月4日、日比谷の劇場で宝塚星組の公演を観た後、ヒルトンホテルに宿泊(『貝がらと海の音』)。

12月25日、千壽子夫人からクリスマス・プレゼントとして、ハーモニカを贈られる(『貝がらと海の音』)。

1995年(平成7年)74歳

1月、「貝がらと海の音」を<新潮45>に連載開始(12月完結)【貝がらと海の音】。

1月、随筆「福原さんの随筆」を<新潮「アンケート・私の好きな文章」>に発表【散歩道から】。

1月1日、子どもや孫が集まって、お正月のお祝いをする(総勢16名)(『貝がらと海の音』)。

1月3日、随筆「うり坊のはなし」を<神奈川新聞>に発表【散歩道から】。

1月12日、次男・和也一家が栃木県氏家(ミサヲちゃんの実家)へ帰省する間、ジップを預かる(『貝がらと海の音』)。

1月17日、阪神・淡路大震災が発生。『水の都』を書くときお世話になった芦屋の「悦郎」さんの自宅が全壊(『貝がらと海の音』)。

1月28日、千壽子夫人とともに、柿生のだるま市へ出かける(『貝がらと海の音』)。

2月6日、随筆「じいたんのハーモニカ」を<神奈川新聞>に発表【散歩道から】。

この頃、結婚50年記念のお祝いに、子どもたちが書斎の絨毯を贈ってくれる(『貝がらと海の音』)。

3月、『文学交友録』を新潮社から刊行。

3月、随筆「漢文の井内先生」を<ノーサイド>に発表【散歩道から】。

3月、随筆「福原さんの言葉」を<波>に発表【散歩道から】。

3月、千壽子夫人とともに、箱根・芦の湯「きのくにや」で一泊(『貝がらと海の音』)。

3月、千壽子夫人や長女・夏子とともに、辻村植物公園で梅見(『貝がらと海の音』)。

3月13日、随筆「『旅愁』の作者」を<神奈川新聞>に発表【散歩道から】。

4月3日、千壽子夫人のピアノ教室、バイエルの楽譜を終了(『貝がらと海の音』)。

4月10日、長男・龍也の長女・恵子、幼稚園へ入園。

4月17日、随筆「ミッキーマウス・マーチ」を<神奈川新聞>に発表【散歩道から】。

4月19日、千壽子夫人や阪田寛夫とともに、お墓参りのために大阪を訪ねる(『貝がらと海の音』)。

4月21日、千壽子夫人や阪田寛夫とともに、三好達治の詩碑を見学(『貝がらと海の音』)。

5月22日、随筆「お墓参り・達治詩碑」を<神奈川新聞>に発表【散歩道から】。

5月27日、フーちゃん(三年生)の通う西生田小学校の運動会を観戦(『貝がらと海の音』)。

6月26日、随筆「散歩道から」を<神奈川新聞>に発表【散歩道から】。

6月、フーちゃんが、ひと月早い誕生日プレゼントでハムスターのパールを飼い始める(『ピアノの音』)。

7月、次男一家とともに、鎌倉由比ガ浜の海水浴場で海水浴を楽しむ【ピアノの音】。

7月31日、随筆「子供が小さかったころ」を<神奈川新聞>に発表【散歩道から】。

8月13日、庄野夫妻の結婚50年、長女夫婦の結婚25年、長男夫婦の結婚15年、次男夫婦の10年のお祝いとして、長男の勤めているヒルトンホテルの「王朝」で家族の夕食会を開催(総勢14人)【ピアノの音】。

8月、フーちゃん(小学三年生)が、夏休みの読書感想文で『ドリトル先生物語』を採りあげる【ピアノの音】。

8月24日、次男・和也一家が那須へ旅行に行く間、ジップを預かる【ピアノの音】。

8月31日、随筆「この夏の思い出」を<産経新聞>に発表【野菜讃歌】。

9月、随筆集『散歩道から』を講談社から刊行。

9月、フーちゃんが、ピアノのおけいこに通い始める【ピアノの音】。

9月4日、随筆「この夏のこと」を<神奈川新聞>に発表【野菜讃歌】。

9月20日、大阪の池田清明さんから招待券を頂いた上野の一水会展を観覧(『ピアノの音』)。

10月、随筆「宝塚・井伏さんの思い出」を<本>に発表【野菜讃歌】。

10月7日、千壽子夫人とともに、長男・龍也の長女・恵子ちゃんが通う百合ヶ丘の幼稚園の運動会を観戦(『ピアノの音』)。

10月9日、随筆「朴葉みそ」を<神奈川新聞>に発表【野菜讃歌】。

10月18日、千壽子夫人とともに、お墓参りで大阪を訪ねる(『ピアノの音』)。

10月25日、長女・夏子の案内により、大雄山駅前の眼鏡屋「クレチ」で眼鏡を新調する(『ピアノの音』)。

11月、随筆「湧き出るよろこび」を<『入江観作品展図録』>に発表【野菜讃歌】。

11月、随筆「『夕べの雲』の丘」を<新刊展望>に発表【野菜讃歌】。

11月、随筆「『杜子春』」を<岩波書店『芥川龍之介全集』第一巻月報>に発表【野菜讃歌】。

11月14日、随筆「名言」を<神奈川新聞>に発表【野菜讃歌】。

11月19日、東京宝塚劇場へ花組の公演を観劇したあと、ヒルトンホテルに宿泊(『ピアノの音』)。

12月、随筆「近況Ⅰ」を<朝日放送社友会・会報>に発表【野菜讃歌】。

12月10日、家族や清水さんと、宝塚月組の「ミー&マイガール」を観劇(『ピアノの音』)。

12月16日、長男・龍也の長女・恵子ちゃんの通う幼稚園のクリスマス会に参加(『ピアノの音』)。

12月18日、随筆「じいたんのハーモニカ・その後」を<神奈川新聞>に発表【野菜讃歌】。

1996年(平成8年)75歳

1月、「ピアノの音」を<群像>に連載開始(翌年1月完結)【ピアノの音】。

1月1日、子どもや孫が集まって、お正月のお祝いをする(総勢15名)(『ピアノの音』)。

1月2日、千壽子夫人とともに、諏訪神社で初詣(『ピアノの音』)。

1月5日、千壽子夫人とともに、早稲田穴八幡でお参りをして「一陽来復」のお札をもらう(『ピアノの音』)。

1月12日、次男・和也一家が氏家へ帰省する間、ジップを預かる(『ピアノの音』)。

3月5日、千壽子夫人や長女・夏子とともに、辻村植物公園で梅見を楽しむ(『ピアノの音』)。

4月、『貝がらと海の音』を新潮社から刊行。

4月、随筆「野菜讃歌」を<波>に発表【野菜讃歌】。

4月、次男・和也の長男・春夫が、西生田小学校へ入学。

4月、千壽子夫人とともに、清瀬の病院に入院中の小沼丹を見舞う(『せきれい』)。

4月18日、千壽子夫人とともに、お墓参りで大阪を訪ねる(『ピアノの音』)。

7月6日、随筆「梅の実とり」を<産経新聞>に発表【野菜讃歌】。

7月、「父の本棚」を<文学界>に発表。

7月、随筆「『沙翁傑作集』のこと」を<文学界>に発表【野菜讃歌】。

8月3日、随筆「遠藤の新しい本」を<産経新聞>に発表【野菜讃歌】。

9月、「フランス人形の絵」を<新潮>に発表。

9月28日、随筆「井伏さんの『徴用中のこと』」を<産経新聞>に発表【野菜讃歌】。

10月3日、随筆「遠藤から届いた花」を<日本経済新聞>に発表【野菜讃歌】。

10月、水疱瘡にかかる(『せきれい』)。

10月17日、千壽子夫人とともに、お墓参りで大阪を訪ねる(『せきれい』)。

10月26日、随筆「ラムの『エリア随筆』」を<産経新聞>に発表【野菜讃歌】。

11月、随筆「井伏さんのお酒」を<筑摩書房『井伏鱒二全集』第一巻月報>に発表【野菜讃歌】。

11月8日、小沼丹逝去。78歳だった。

11月9日、吉岡達夫から、前日(8日)の昼に小沼丹が肺炎で亡くなったことを知らされる(『せきれい』)。

11月23日、随筆「阪田寛夫と『ノイマン爺さん』」を<産経新聞>に発表【野菜讃歌】。

11月、千壽子夫人や阪田寛夫とともに「くろがね」で、小沼丹の追悼の会と、阪田寛夫の『童謡の天体』(新潮社)の出版のお祝いの会を開く(『せきれい』)。

12月、随筆「フランスの土産話」を<群像>に発表【野菜讃歌】。

12月、冬至の夜、初めて庭で実った柚子を使った柚子湯に入る(『せきれい』)。

12月21日、随筆「庭のブルームーン」を<産経新聞>に発表【野菜讃歌】。

12月24日、クリスマス・プレゼントで、妻からハーモニカを贈られる(二つ目)(『せきれい』)。

1997年(平成9年)76歳

1月、「せきれい」を<文学界潮>に連載開始(12月完結)【せきれい】。

1月、随筆・小沼丹追悼文「小沼とのつきあい」を<群像>に発表【野菜讃歌】。

1月1日、子どもや孫が集まって、お正月のお祝いをする(総勢16名)(『せきれい』)。

1月2日、千壽子夫人とともに、諏訪神社へ初詣(『せきれい』)。

2月、随筆「大根おろしの汁について」を<筑摩書房『中野重治全集』第11巻月報>に発表【野菜讃歌】。

4月、『ピアノの音』を講談社から刊行。

4月、随筆「飯田中尉のこと」を<飯田正武五十回忌・追悼録>に発表【野菜讃歌】。

4月、随筆「わが庭の眺め」を<山と渓谷>に発表【野菜讃歌】。

4月17日、随筆「わが散歩・水仙」を<読売新聞・夕刊>に発表【野菜讃歌】。

6月、随筆「お祝いの絨毯の話」を<本>に発表【野菜讃歌】。

6月、随筆「このごろ」を<阿倍野の杜>に発表【野菜讃歌】。

6月、随筆「われとともに老いよ」を<新刊ニュース>に発表【野菜讃歌】。

6月、随筆「新たなるよろこび」を<ドゥ・ブック>に発表【野菜讃歌】。

6月、随筆「師弟の間柄」を<ちくま文庫『清水町先生』解説>に発表【野菜讃歌】。

10月、随筆「うさぎの話」を<年金時代>に発表【野菜讃歌】。

12月、随筆「近況Ⅱ」を<朝日放送社友会・会報>に発表【野菜讃歌】。

1998年(平成10年)77歳

1月、「庭のつるばら」を<新潮>に連載開始(12月完結)【庭のつるばら】。

1月、随筆「私の好きな花」を<新潮>に発表【野菜讃歌】。

1月4日、随筆「うさぎのミミリー」を<日本経済新聞>に発表【野菜讃歌】。

3月、随筆「日本語の達人」を<臨川書店『定本佐藤春夫全集』内容見本>に発表【野菜讃歌】。

3月、随筆「池田さんとのご縁」を<『池田清明画集』>に発表【野菜讃歌】。

4月、『せきれい』を文芸春秋から刊行。

4月、随筆「あとにのこるは」を<文>に発表【野菜讃歌】。

4月、随筆「王維の山の詩」を<日中文化交流>に発表【野菜讃歌】。

5月、随筆「自然堂のことなど」を<住職>に発表【野菜讃歌】。

5月1日、「私の履歴書」を<日本経済新聞>に連載開始(5月31日完結)【野菜讃歌】。

10月、『野菜讃歌』を講談社から刊行。

10月、随筆「大きな西瓜」を<お達者で>に発表【孫の結婚式】。

10月、随筆「文章の力」を<龍書房・牧野径太郎著『戦場のボレロ』小説集・下巻序文>に発表【孫の結婚式】。

11月、随筆「野菜のよろこび」を<本>に発表【孫の結婚式】。

11月、随筆「崖の坂道」を<お達者で>に発表【孫の結婚式】。

11月、随筆「『豊年虫』」を<図書>に発表【孫の結婚式】。

11月15日、随筆「『夕べの雲』のご縁」を<文芸別冊・須賀敦子特集>に発表【孫の結婚式】。

12月、随筆「鈴虫」を<お達者で>に発表【孫の結婚式】。

この年、随筆「吉本先生のこと」を<大阪外国語大学英語科記念文集・萬華鏡>に発表【孫の結婚式】。

1999年(平成11年)78歳

1月、「鳥の水浴び」を<群像>に連載開始(12月完結)【鳥の水浴び】。

1月、随筆「印象に残った本」を<新刊ニュース>に発表【孫の結婚式】。

4月、『庭のつるばら』を新潮社から刊行。

6月、随筆「歩く」を<阿倍野の杜>に発表【孫の結婚式】。

7月、随筆「臨川書店『定本佐藤春夫全集』第11巻月報」を<週刊新潮>に発表【孫の結婚式】。

8月、随筆「『エリア随筆』『丹下氏邸』」を<新潮>に発表【孫の結婚式】。

10月、『文学交友録』を新潮文庫から刊行(解説は阪田寛夫)。

2000年代

2000年代です。

夫婦の晩年シリーズで、若い女性を中心に静かなブームが起こりました。

2000年(平成12年)79歳

1月、「山田さんの鈴虫」を<文学界>に連載開始(12月完結)【山田さんの鈴虫】。

1月、随筆「孫の結婚式」を<新潮>に発表【孫の結婚式】。

1月、随筆「一九九九年」を<新刊ニュース>に発表【孫の結婚式】。

2月、随筆「父 庄野貞一のこと」を<文芸春秋臨時増刊>に発表【孫の結婚式】。

4月、『鳥の水浴び』を講談社から刊行。

4月、随筆「井上さんとのおつきあい」を<世田谷文学観『井上靖展図録』>に発表【孫の結婚式】。

4月2日、随筆「春のうた」を<日本経済新聞>に発表【孫の結婚式】。

5月、随筆「『光耀』のころ」を<季刊文科>第15号に発表【孫の結婚式】。

5月、随筆「近況」を<住中13期生会会員短信>に発表【孫の結婚式】。

6月、随筆「河盛さんの偲ぶ」を<新潮>に発表【孫の結婚式】。

7月10日、随筆「リハビリ訓練の日々」を<湘南文学>に発表【孫の結婚式】。

9月、随筆「崖の坂道で」を<現代>に発表【孫の結婚式】。

この秋、随筆「夕食まで」を<四季の味・秋季号>に発表【孫の結婚式】。

2001年(平成13年)80歳

1月、「うさぎのミミリー」を<波>に連載開始(12月完結)【うさぎのミミリー】。

2月、随筆「伊東静雄『野の夜』」を<新潮>に発表【孫の結婚式】。

2月9日、80歳となる。

4月、『山田さんの鈴虫』を文芸春秋から刊行。

5月12日、随筆「週刊日記」を<読売新聞・夕刊>に連載(計4回)【孫の結婚式】。

6月29日、随筆「すみだの花火」を<朝日新聞・夕刊>に発表【孫の結婚式】。

7月、『貝がらと海の音』を新潮文庫から刊行(解説は江國香織)。

8月30日、随筆「おじいちゃんの食後」を<週刊新潮>に発表【孫の結婚式】。

9月、随筆「ゆっくり歩く」を<文芸春秋臨時増刊号>に発表【孫の結婚式】。

9月、随筆「わが師の恩」を<小説新潮>に発表【孫の結婚式】。

10月、随筆「律儀で純真」を<神奈川近代文学館『野間宏と戦後派の作家たち展図録』>に発表【孫の結婚式】。

11月、随筆「鈴虫のはなし」を<文芸春秋>に発表【孫の結婚式】。

11月、随筆「林富士馬さんの偲ぶ」を<文学界>に発表【孫の結婚式】。

この冬、随筆「むじな坂のはなし」を<「アイ・フィール」冬>に発表【孫の結婚式】。

2002年(平成14年)81歳

1月、「庭の小さなばら」を<群像>に連載開始(12月完結)【庭の小さなばら】。

1月、随筆「初対面のころ」を<新現実>に発表【孫の結婚式】。

1月25日、随筆「童心と風格」を<週刊読書人、小黒昌一『むべの碁敵』>に発表【孫の結婚式】。

2月、江國香織との対談「静かな日々」を<新潮>に発表【孫の結婚式】。

2月、随筆「井伏さんのかめ」を<文芸春秋>に発表【孫の結婚式】。

2月、随筆「小沼丹」を<新潮>に発表【孫の結婚式】。

2月、小沼丹『小さな手袋・珈琲挽き』を編集。

2月22日、随筆「なつかしい思い出」を<みすず書房・小沼丹『小さな手袋/珈琲挽き』>に発表【孫の結婚式】。

3月15日、随筆「ラムとのつきあい」を<(みすず書房・チャールズ・ラム/山内義雄訳『エリア随筆抄』解説>に発表【孫の結婚式】。

3月、チャールズ・ラム作・山内義雄訳『エリア随筆抄』(みすず書房刊)に解説を掲載。

3月24日、随筆「孫のくれたお祝い」を<日本経済新聞>に発表【孫の結婚式】。

4月、『うさぎのミミリー』を新潮社から刊行。

4月、随筆「『うさぎのミミリー』のこと」を<新潮社テレフォン・サービス「著者は語る」>に発表【孫の結婚式】。

4月、随筆「家族新年会」を<文芸春秋臨時増刊号>に発表【孫の結婚式】。

4月10日、随筆「『インド綿の服』のこと」を<講談社文芸文庫『インド綿の服』著者から読者へ>に発表【孫の結婚式】。

4月25日、随筆「私の週刊食卓日記」を<週刊新潮>に発表【孫の結婚式】。

4月28日、随筆「本との出会い」を<朝日新聞「いつもそばに本が」計3回>に発表【孫の結婚式】。

7月、『インド綿の服』が講談社文芸文庫から刊行。

8月、随筆「ワールドカップ印象記」を<週刊新潮>に発表【孫の結婚式】。

9月、随筆集『孫の結婚式』を講談社から刊行。

11月、「庄野潤三インタビュー」が『anan増刊クウネル』に掲載。

2003年(平成15年)82歳

1月、「メジロの来る庭」を<文学界>に連載開始(12月完結)【メジロの来る庭】。

2月、『庭のつるばら』を新潮文庫から刊行(解説は岩阪恵子)。

4月、『庭の小さなばら』を講談社から刊行。

2004年(平成16年)83歳

1月、「けい子ちゃんのゆかた」を<波>に連載開始(12月完結)【けい子ちゃんのゆかた】。

4月、『メジロの来る庭』を文芸春秋から刊行。

5月、『ピアノの音』を講談社文芸文庫から刊行。

2005年(平成17年)84歳

1月、「星に願いを」を<群像>に連載開始(11月完結)【星に願いを】。

10月、『せきれい』を文春文庫から刊行(解説は小澤征良)。

4月、『けい子ちゃんのゆかた』を新潮社から刊行。

5月、『うさぎのミミリー』を新潮文庫から刊行(江國香織との対談を収録)。

10月、『ガンビア滞在記』をみすず書房から刊行。

2006年(平成18年)85歳

1月、「ワシントンのうた」を<文学界>に連載開始(12月完結)【ワシントンのうた】。

3月、『星に願いを』を講談社から刊行。

5月、『自分の羽根』を講談社文芸文庫から刊行(解説は高橋英夫)。

5月、随筆「ラムとのご縁」を<講談社文芸文庫『自分の羽根』著者から読者へ>に発表【自分の羽根】。

9月、脳梗塞を発症。

12月、『ザボンの花』をみすず書房から刊行。

2007年(平成19年)86歳

4月、『ワシントンのうた』を文芸春秋から刊行。

7月、『愛撫・静物 庄野潤三初期作品集』を講談社文芸文庫から刊行。

10月、『山田さんの鈴虫』を文春文庫から刊行(解説は酒井順子)。

2008年(平成20年)87歳

特になし

2009年(平成21年)88歳

9月21日、自宅にて老衰により死去。

9月28日、千壽子夫人を喪主として葬儀が営まれる。

10月、『けい子ちゃんのゆかた』を新潮文庫から刊行(解説は長女・今村夏子)。

11月8日、南足柄山市の玉峯山長泉院墓所に納骨。

2010年代

庄野さんの作品は、没後も刊行され続けています。

2010年(平成22年)

1月、『野菜讃歌』を講談社文芸文庫から刊行。

2011年(平成23年)

2月、『野鴨』を講談社文芸文庫から刊行。

7月、『逸見小学校』を新潮社から刊行(生前の未発表作品)。

2017年(平成29年)

6月、『前途』を小学館(P+D BOOKS)から刊行。

12月、『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』を講談社文芸文庫から刊行。

2014年(平成26年)

4月、『ザボンの花』を講談社文芸文庫から刊行。

2015年(平成27年)

3月、『鳥の水浴び』を講談社文芸文庫から刊行。

2016年(平成28年)

8月、『星に願いを』を講談社文芸文庫から刊行。

2018年(平成30年)

9月23日、生田の「山の上の家」を一般公開。

11月、『水の都』を小学館(P+D BOOKS)から刊行。

2019年(平成31年・令和元年)

2月、『明夫と良二』を講談社文芸文庫から刊行。

2020年代

2021年に生誕100年を迎えた庄野さんの作品は、今も多くの読者に愛され続けています。

2020年(令和2年)

2月、『庭の山の木』を講談社文芸文庫から刊行。

2月、『エイヴォン記』を小学館(P+D BOOKS)から刊行。

3月、『鉛筆印のトレーナー』を小学館(P+D BOOKS)から刊行。

4月、『さくらんぼジャム』を小学館(P+D BOOKS)から刊行。

2021年(令和3年)

1月、『貝がらと海の音』を小学館(P+D BOOKS)から刊行。

2月9日、生誕100年を迎える。

2月、『世をへだてて』を講談社文芸文庫から刊行。

2022年(令和4年)

1月、『せきれい』を小学館(P+D BOOKS)から刊行。

1月15日から3月13日まで、練馬区立石神井公園ふるさと文化館にて、特別展-生誕100年記念-「作家・庄野潤三展 日常という特別」開催。

2023年(令和5年)

1月、『庭のつるばら』を小学館(P+D BOOKS)から刊行。

9月、『早春』を小学館(P+D BOOKS)から刊行。

ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。