純文学

原田宗典『優しくって少し ばか』バブル時代前夜のキャリアウーマンと生きることの幸せ

原田宗典『優しくって少し ばか』読了。

本作『優しくって少し ばか』は、1986年(昭和61年)9月に集英社から刊行された短篇小説集である。

この年、著者は27歳だった。

原田宗典最初の作品集で、収録作品・初出は、次のとおり。

「優しくって少し ばか」
1985年(昭和60年)9月『すばる』

「西洋風林檎ワイン煮」
1985年(昭和60年)5月『すばる』

「雑司ヶ谷へ」
1986年(昭和61年)5月『すばる』

「海へ行こう、と男は」
「ポール・ニザンを残して」
「テーブルの上の過去」
1984年(昭和59年)12月『すばる』
※掲載時のタイトルは「おまえと暮らせない」
第八回すばる文学賞受賞

RCサクセション「ボスしけてるぜ」が伝えているもの

本作『優しくって少し ばか』は、原田宗典最初の短篇小説集である。

収録作品のうち、「海へ行こう、と男は」「ポール・ニザンを残して」「テーブルの上の過去」の3編は、「おまえと暮らせない」のタイトルで、第八回すばる文学賞を受賞した作品である。

すばる文学賞受賞作のほか、「西洋風林檎ワイン煮」「雑司ヶ谷へ」は、男と女の関係をめぐるサスペンス・タッチの大人向け小説となっている。

例えば、力作「雑司ヶ谷へ」は、人工中絶をした男と女が雑司ヶ谷霊園へと向かう話であり、「西洋風林檎ワイン煮」は、浮気がバレたかもしれない男と、妙な匂いのするものを似ている女の話(女が似ているのは、あるいは、男の浮気相手の女性の頭だったのではないか?との疑惑が拭えない)。

「ポール・ニザンを残して」は、恋人を殺したかもしれない元カノを空港まで送る話だし、「海へ行こう、と男は」も、泳げない女を海へ連れ出して、沖まで運んでいく物語で(もしかして女性は殺されてしまったのだろうか?)、いずれの話にも、倦怠期を迎えた男と女のほろ苦い関係を、「もしかして、、、」と思わせるストーリー展開で読ませる作品となっている。

しかし、本作品中で、必ず読むべき短篇小説として記憶されるべき作品は、何と言っても表題作「優しくって少し ばか」しかない。

その他の収録作品とは、まるで変わって、本作「優しくって少し ばか」は、サスペンス風味どころか、シリアスな場面がまったくない、バカみたいに明るくて爽やかな青春小説である。

まず、コピーライターをしている主人公の台詞がいい。

「ええと……」必死に思い出すなんだったっけなんだったっけ。「……”いうことナスのハミガキ粉”っていうんですけ……ナスとハミガキが片仮名で」(原田宗典「優しくって少し ばか」)

「歯にも自然を」のコンセプトで開発されたナス味歯磨き粉のキャッチコピーを、電話で上司に伝える主人公の隣で、彼女が笑っている。

そもそも、二人は高熱を出して寝込んでおり(彼女の部屋で)、主人公は、会社を休むことを伝えるために、上司へ電話をかけていたのだ。

彼女はボス、ボス、ボス~」と、忌野清志郎の歌を口ずさむ。

RCの歌だこんな歌知ってるなんてしかもこんなにタイミングよく出るなんてきっといつも蔭で歌ってたなそうにちがいない。”ボス しけてるぜ 次の日仕事さぼって寝てた やる気がしねえ やる気がしねえ だけどボスには腹が痛くてと電話するオイラさ”(原田宗典「優しくって少し ばか」)

句読点がなくて、しかも改行までズレている文章は、この作品の大きな特徴。

RCサクセションの「ボスしけてるぜ」は、1980年(昭和55年)5月に発売されたシングル曲で、中小企業経営者の気持ちに配慮して、一部では放送禁止になったという伝説が残っている。

主人公は、別に「ボスには腹が痛くてと電話」したわけではないのだが、病気で休むという電話さえしにくそうにしている主人公を見て、彼女も清志郎を思い出したらしい。

「……あのひとは今のとこぼくの一番近くにいる大人だからかな」「大人? だから恐いの?」「そう。ぼくは大人が恐い」(原田宗典「優しくって少し ばか」)

どうしてボスが恐いの?と訊かれた主人公は、「ボスは大人だから」と答える。

つまり、この物語は、198年代中期を生きる(大人になりきれない)若きコピーライターを描いた、ささやかな青春物語なのだ。

物語の舞台は、二人が寝込んでいる彼女の部屋がすべてだ(しかも、ほとんどがベッドの周辺のみというミニマリズム)。

ここから一体どんな物語を始められるというのだろうもしせめて二人が十七歳の二人だったならあるいは三十五歳の二人だったならそこにはきっと物語があるはずだとぼくは思うけれど。けれどぼくらは十七歳でも三十五歳でもなく初めての物語はもうとうに過ぎ二番目の物語を始めるにはきっとまだ早いいいかげんそれなりの二人なんだ。(原田宗典「優しくって少し ばか」)

二人の相性が、問題なく一致しているかというと、必ずしもそんなことはなくて、主人公は、主人公なりに、彼女との距離感のつかみ方に苦労している。

彼女のカセットテープ・コレクションにある「キース・ジャレット / ケルン・コンサート」は、二年ほど前に彼女と付き合い始めた頃、メタルテープを奮発した主人公がダビングをして、彼女にプレゼントしたものだった。

しかも二年前のぼくときたらそれだけじゃないんだ電話でさ『君は、大江健三郎の個人的な体験に出てくる火見子って女に感じが似てる』とか言った上でその本まで贈ってるんだよこりゃもうだめ押しと言うしかないまったく/恋は盲目/とはよく言ったもんだ(原田宗典「優しくって少し ばか」)

頭の良い女性(彼女)に対して、頭の良い男性(主人公)という印象を植え付けようとして、彼は、キース・ジャレットと大江健三郎を護符のように抱えて、彼女のこの部屋を初めて訪れたのだ。

ちきしょう/あの頃の彼女ときたらほんとにもう足を/じたばたさせて腕をぶんぶん振り回したくなるくらい/可愛くってさ/ぼくは正直いきなり抱きつきたい自分を抑えるのに必死だった。(原田宗典「優しくって少し ばか」)

足をじたばたさせて腕をぶんぶん振り回したくなるくらい可愛くってさ」というフレーズがすごい。

80年代というのは、こんなにもストレートに、女性に対する愛情を表現できる時代だったのだろうか。

オリジナリティ溢れる話し言葉による地の文章が、この作品の大きな魅力となっていることは間違いない。

それは、<主人公という若者>と<1980年代という時代>とを同時に表現することのできる、素晴らしい文章表現だったのではないだろうか。

バブル前夜と女性の社会進出の時代

本作「優しくって少し ばか」は、しかし、意外にも真面目な物語である。

「……キャリアウーマンも結婚しない女も、素敵だけどさ。でも何か違うような気がするんだよ、ぼくは」(原田宗典「優しくって少し ばか」)

彼女の話によると、雑誌の編集をしている友人(みいちゃん)の恋人が、会社を辞めてカナダへ留学することになったという。

みいちゃんは、恋人と結婚したいと考えているが、雑誌の仕事が面白くなってきているところでもあり、出版社を退職してまで、恋人についていくことはできない。

まして、二人して仕事を辞めてしまったら、二人の将来設計にも影響が出てしまうだろう。

「……でもさ、ほんとは結婚したいって願ってるわけなんだろう? みいちゃんは。なのに、その思いを握りつぶしてまで今の仕事を続けたからって、何なんだよ」「じゃあ結婚すれば何だっていうの?」(原田宗典「優しくって少し ばか」)

1985年(昭和60年)5月に男女雇用機会均等法が成立したとき、日本でも「キャリアウーマン」という言葉に注目が集まった。

女性と男性とは対等であり、女性が必ずしも男性と結婚して家庭に入らなければならないという時代は、このときに終わったと言われている(ある意味で、現在の「少子化」の原点でもある)。

そして、この物語が扱っているテーマは、女性が働くということについて、だった。

なぜ、女性が働かなければならないのか?といった疑問は、どうして人間は働かなければならないのか?といった、根源的な問題にまでたどりつく。

作品タイトル「優しくって少し ばか」は、つまり、働くということについて、主人公が考えた言葉である。

だけど/だけどっていうか/だからさ/ぼくはそんな彼が何だか好きなんだよ彼は/とってもきれい好きで自分の時間に厳格で/おいしいパンを焼きそれを売り切りいつも/にこにこにこにこしている/優しくって少しばかなパン屋。(原田宗典「優しくって少し ばか」)

メロンパンの美味しい『例のパン屋』という名前のベーカリーの主人は、丸顔にげじげじ眉のオジサンで、噂によると独身らしい。

計算のあまり得意じゃないパン屋のオジサンは、どうやら少しバカらしいが(ほんのすこおしだけど)、美味しいパンを売り切っては、いつもにこにこにこにこしている。

一方、 世の中の関心は、女性の社会進出に集まっていた。

「仕事のために結婚しないでさ、死ぬまで働いて働いて働いて……で、何なの?って、そんな感じなんだ。こないだテレビのドキュメンタリーで ”女にとって仕事とは” とかやってたんだけど、そこでインタビューされた女の人がさ、『私の決断が周囲の人たちを動かし、会社を動かし、ひいては社会を動かしていくというダイナミズムですね。仕事というのはそういうものです。男でも女でも変わりません。つまり……社会に参加してるっていう実感なんですね』なーんて答えてたんだよね。ぼくはもうひたすら感心しちゃってさあ」(原田宗典「優しくって少し ばか」)

働くということは、つまり、生きるということでもある。

「仕事のために結婚しない女性たち」の誕生に、主人公は「優しくって少しばかなパン屋」を対比させていた。

「優しくって少しばかなパン屋」は、もちろん、「社会を動かしていくというダイナミズム」や「社会に参加してるっていう実感」のために働いているわけではないだろう。

彼は、ただ、嬉しかっただけなのだ。

自分の焼いたパンが、みんなから「おいしい」と言われて、売り切れていくことが。

ええと/つまり/こんなふうにぼくは思うんだ世間には中途半端な利口が多過ぎるって。もちろんぼくもその一人さだからぼくはぼくがとても嫌いだ時々いやんなっちゃうんだよけいな知識よけいな情報よけいな感情よけいな物ありとあらゆる よけい の中にぼくはどっぷり首まで浸かってもう手も足も出ないどれが大事なことなのかさっぱり分からない/しかも周りの連中ときたらそんな よけい をいくつ懐に入れてるかを現代人の勲章に見立ててえっへんどうだいと競いあってるそんなのって/やっぱりつくづく空しいカタログ文化とかブランド指向とか/目的と手段を取り違えてるとしか思えないよ(原田宗典「優しくって少し ばか」)

「カタログ文化」や「ブランド指向」に対する指摘は、1981年(昭和56年)に田中康夫が『なんとなく、クリスタル』として小説化したものにも通じている(文章スタイルは大きく異なっているが)。

文章表現が、あまりにも個性的だから、つい見逃してしまいがちだが、この物語で、著者が伝えようとしているものは、かなり重たいものだったのではないだろうか。

もちろん、主人公の主張は、働く女性である彼女には通じなかったが(あたりまえだ)。

彼女に理解できたことは、ただひとつ、彼(主人公)が、真に彼女を愛していたということだけだ。

「あのさあ……」まず最初にぼくの頭に浮かんだのは例の『例のパン屋』の主人のことだった。とってもきれい好きで自分の時間に厳格でおいしいパンを焼きそれを売り切りいつもにこにもにこにこしているあの/優しくって少しばかなパン屋。まずそのことを話してみようかなとぼくは思ったんだ/けど/言いかけて口をつぐんでしまった。(原田宗典「優しくって少し ばか」)

あるいは、この作品は、「こんな文体」だったからこそ成立していたのかもしれない。

それは「優しくって少しばか」という、あのパン屋の主人にも相通じる文章スタイルである。

バブル景気前夜の時代(本作品は1985年の発表)、女性の社会進出が進む中で、「人はどうやって生きるべきか」ということを誠実に考える文学作品もあったのだ。

RCサクセションの「ボスしけてるぜ」というサウンド・トラックに乗せて。

今の時代にこそ読み返したい小説としておすすめしたい。

書名:優しくって少し ばか
著者:原田宗典
発行:1990/01/25
出版社:集英社文庫

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青いバナナ
人事系管理職ですが、読書は文学がメインです。好きな作家は、庄野潤三と村上春樹。休日は文学旅行に出かけています。