「スタンド・バイ・ミー」と言えば、夏の冒険旅行に出かけた無邪気な少年たちの成長物語。
あるいは、大人になった作者が少年時代を懐かしく思い出しているノスタルジックに満ち溢れたお話。
そんなイメージがありますが、原作小説はもっともっと深くて、そして人生の示唆に富んだ「大人のための少年物語」です。
書名:スタンド・バイ・ミー
著者:スティーブン・キング
翻訳:山田順子
発行:1987/3/25
出版社:新潮文庫
作品紹介
「スタンド・バイ・ミー」はホラー小説で人気の作家スティーヴン・キングが1982年に発表した小説です。
作者のキングは「長編でも短編でもない長めの短編、気取って言えば『中編小説』」と解説しています。
原作表題は「THE BODY(死体)」ですが、日本語訳では「スタンド・バイ・ミー」というタイトルに続いて「秋の目覚め」という副題が付いています。
本国アメリカでは1986年に映画化されており、日本でも1987年4月から公開され、大きな話題となりました。
小説の翻訳版は国内での映画公開に合わせて1987年2月、山田順子さんの訳により新潮文庫から出版されました。
映画の存在を知らないと、どうして日本語タイトルが「スタンド・バイ・ミー」なのか謎です(笑)
なれそめ
僕がこの小説を読んだのは、もちろん先に映画を観たことがきっかけです。
爽やかな夏の少年物語を原作小説で読んでみたい。
本好きの方だったら誰もが考えるように、僕も映画を観てから原作を読みました。
本作に限らず、面白いと思った映画の原作はできるだけ読むようにしています。
そして、映画という作品は必ずしも原作に忠実なものではないということを少しずつ覚えてきました。
必ずしも忠実である必要はないんだということも。
そして「スタンド・バイ・ミー」もまた、映画と原作とは異なるものでした。
あらすじ
舞台は1960年9月、アメリカ合衆国メイン州南西部にあるキャッスルロック(架空の田舎町です)。
中学校入学を目前にした12歳の少年4人は、行方不明となっている少年の死体を探すため、1泊2日の短い徒歩旅行に出かけます。
渓にかかるトレッスル(鉄道橋)で貨物列車に轢かれそうになったり、川で水遊びをしているときにはヒルの大群に襲われたり、山の中で野宿をしているときには女性の悲鳴のような声を聞いたり、街でも札付きの不良少年たちと戦ったり。
4人は行方不明になっていた少年の轢死死体を見つけて目的を果たしますが、事件はそれだけでは終わりませんでした、、、
本の壺
心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。
おまえは彼らを救えない。いっしょに溺れるだけだ。
「おまえの友達はおまえの足を引っぱってるよ、ゴーディ。おまえにはわからないのか?」クリスはテディとバーンを指さした。(略)「おまえの友達はおまえの足を引っぱってる。溺れかけた者が、おまえの足にしがみつくみたいに。おまえは彼らを救えない。いっしょに溺れるだけだ」(スティーブン・キング「スタンド・バイ・ミー」)
「スタンド・バイ・ミー」は人生の示唆に満ちた素晴らしい小説です。
物語のどこを読んでも哲学的な啓示に触れることができますが、特に「水の中で足を引っ張る」という表現には注意して読む必要があります。
「おまえは彼らを救えない。いっしょに溺れるだけだ」という言葉は、今も僕の人生訓のひとつになっています。
この「溺れる」という言葉は、この小説のひとつのキーワードで、やがて、テディとバーンが離れていったときにも、「ある者は溺れてしまう、それだけのことだ。公平ではないが、しかたがないのだ。ある者は溺れてしまう」といった表現が登場します。
川はまだ流れている。そしてわたしもまた、そうだ。
左手を見ると、今はもう川幅が狭くなっているが、少しは水がきれいになったキャッスル・リバーが、キャッスル・ロックとハーロウを結ぶ橋の下を流れているのが見えた。上流のトレッスルはなくなったが、川はまだ流れている。そしてわたしもまた、そうだ。(スティーブン・キング「スタンド・バイ・ミー」)
物語は、キャッスル・リバーの描写で終わります。
「川はまだ流れている。そしてわたしもまた、そうだ」の表現から分かるとおり、川は人生そのものです。
多くの友人たちが、川の流れの中で溺れ、沈んで消えていく中、私は今もその川の流れの中を泳ぎ続けています。
「ささいな出来事が、時間を経るうちに、だんだん大きな反響を呼ぶものだとしたら」と作者が書いているとおり、誰が「溺れ死ぬ者」なのか、その選別は「死体探しの旅」の時から、既に始まっていました。
つまり、「死体探しの旅」をしながら、少年たちはそれぞれの運命の道を歩き続けていたということです。
何やら運命論的めいた話ですが、少年たちの未来は、彼らの少年時代の行動によって決定付けられているということが、この作品のひとつの大きなテーマとなっているんですね。
登場人物一人一人のキャラクターに注目して、彼らが将来どうなっていくのかということを考えながら読むと、この作品に対する理解が深まりそうですね(クリスだけは想定外のどんでん返しが待っているのですが)。
読書感想こらむ
すべての物事には原因があり結果がある。
そして、僕たちの人生もまた同じだということを、僕はこの小説から学びました。
物語の語り手ゴードンは「中流階級の家庭で育つ少年」ですが、他の3人は「貧しい下流階級の家庭で育つ少年」です。
じきに彼らは「進学コース組」と「就職コース組」とに選別されて、それぞれに与えられた可能性の中で人生を生きていくしかありません。
物語の中では、何度も「足を引っぱる」という言葉が登場しますが、彼らの「足を引っ張る」のは彼らの友人や教師や家族であり、彼らが生まれ育った家庭環境そのものです。
(クリスは「誰もおれのことを知らない土地へ行けば、スタート前から黒星をつけられずにすむ」と語っています)。
「足を引っ張られた者たち」は、やがて人生という水の中に沈んで溺れ死んでいくしかありませが、「水の中」から抜け出すことの難しさを、この小説は語っているかのようです。
「ある者は溺れてしまう。それだけのことだ。公平ではないがしかたがないのだ。ある者は溺れてしまう」という作者の冷静な視点が、冷酷な感じがして恐ろしいほど。
映画を観たことがない人にも、この小説はお勧めだと思いますよ。
まとめ
小説「スタンド・バイ・ミー」は人生の示唆に富んだ、大人のための少年物語。
すべての結果には原因がある、すべての大人には少年時代があるように。
人生に迷ったときに読みたくなる小説だ。