庄野潤三の世界

庄野潤三『前途』登場人物のモデル~島尾敏雄から林富士馬まで

庄野潤三『前途』登場人物のモデル~島尾敏雄から林富士馬まで
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庄野潤三『前途』に続けて、同じく庄野さんの『文学交友録』を読み始めたら、『前途』で読んだばかりのエピソードがいくつも出てきて、ありゃっと思った。

どうやら『前途』は自分の体験をほとんど忠実に再現した、自伝的小説だったらしい(そんなこと、どこにも書いていなかった)。

ちなみに『文学交友録』は、庄野さんと交流のあった人たちを年代順に回想する「文学的自叙伝」だけど、このうち、「三 伊東静雄」「四 島尾敏雄・林富士馬」「五 「雪・ほたる」」が、『前途』と重なっている部分である。

ここまで『文学交友録』を読み終えたところで、改めて『前途』を読み返して、その登場人物を振り返ってみたい。

はじめに、『前途』で主人公の「漆山正三」は著者の「庄野潤三」その人である。

次に、九州大学の先輩で小説家志望の「小高民雄」は「島尾敏雄」、同じく先輩の「室」が「森道男」であり、この3人の交流が『前途』の大きな柱となっている。

著者いわく「カルチエ・ランタン物語」の主人公たちだ。

福岡の文学仲間だった島尾敏雄

久しぶりに会うなり、休み中に小高の読んだ小説の話になる。木山捷平「抑制の日」、佐藤春夫「びいだま・まいやあ」。「『写生旅行』、読んだか」と僕が聞く。「ああ、あれは息をひそめて読んだよ」「面白いなあ、あれは」(『前途』)

漆山と小高とは良き文学仲間で、佐藤春夫の小説を集めることを競い合うなど、文学的な指向も似たようなものを持っていたらしい。

卒業直前、小高は「幼年記」という創作集を製作した。

小高や室との交流は、庄野さんの処女作「雪・ほたる」として、林富士馬の同人誌『まほろば』に掲載されたらしいが、今となっては読むことが難しい作品である。

大筋としては『前途』に含まれているものであり、『文学交友録』にも一部が紹介されているが、いつか読んでみたい作品である。

同じく九州大学で「チャールズ・ラム研究会」を結成した「蓑田」は「猪城博之」で、漆山と蓑田は伊東先生を巻き込んで同人誌『望前』の創刊を目指すが、うまくいかない。

僕が蓑田とその二人の友人と合わないのです。これは文学上の考え方とか好みということで、どちらがよくてどちらが間違っているとはいえないものだけに、よけいに厄介なのです。これでは、創刊号は出しても、とても永く携えてやって行くことは出来ない。(『前途』)

結局、漆山の主張により、同人誌刊行は幻のままで終わってしまう。

蓑田は漆山の作品を読んで「誰の作風に似ているか考えてみたけど、やっぱり漆山の一風独特のものだ。読んでいるうちに鷹揚で悠々としたたのしさに微笑ましくなる。この調子でやって行ったら、大きくなってラムみたいになるか分らんぞ」などと、高く評価していたのだが。

現実と創作とを混同して読むべきではない

伊東先生を通じて知り合った、東京の文学青年「木谷数馬」は、後の文芸評論家「林富士馬」で、福岡の漆山と東京の木谷は、手紙を通じて文学的な交流を深めていく。

木谷君の同人誌仲間である「貴志武彦」は、『前途』の中では実名で登場、さらに「桜岡孝治」も「藤岡良修」の名前で登場している。

ある程度の人間関係を把握した上で『前途』を読んでいたら、内容理解も一層深まっていたかもしれないが、率直に言って、『前途』はあくまでもフィクションの小説として読みたい気持ちがあったから、順番としては『文学交友録』を後にして良かったと思う。

庄野さんの家族小説シリーズも同じだけれど、あまり現実世界に引っ張られすぎると、小説を客観的に読むことが難しくなるような気がする。

たとえ現実世界を素材にしているとしても、小説は小説として読むべきであって、現実と創作とを混同して読むべきではない。

庄野文学のように、日常生活を小説として仕立てている作家の場合、特に注意が必要だと思った。

これは、庄野さんの作品を読むようになってからの、僕の感想である。

書名:前途
著者:庄野潤三
発行:1968/10/12
出版社:講談社

ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。