庄野潤三の世界

庄野潤三「鉛筆印のトレーナー」4歳のフーちゃんは、もう二度と見られない

庄野潤三「鉛筆印のトレーナー」あらすじと感想と考察

庄野潤三さんの「鉛筆印のトレーナー」を読みました。

癒されるために読む本がある、ということです。

書名:鉛筆印のトレーナー
著者:庄野潤三
発行:2020/3/17
出版社:小学館P+D BOOKS

作品紹介

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小学館
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「鉛筆印のトレーナー」は、庄野潤三さんの長編小説です。

孫娘のフーちゃんを主人公に据えた、いわゆる「フーちゃん三部作」の2番目の作品ですが、「あとがき」の中で庄野さんは、次のように説明しています。

フーちゃんのことが本になるのは、『エイヴォン記』(1989年8月・講談社)が最初であった。「群像」に連載されたこの長編随筆の第二章「ベージンの野」に初めて登場したとき、フーちゃんは「満二歳の誕生日を迎えたばかり」の無口ながら活発な女の子であった。次にフーちゃんのことが本になるのは随筆集『誕生日のラムケーキ』(1991年4月・講談社)で、「おるす番」「たき火」「浦島太郎」「花鳥図」「スープ」「大きな犬」の六篇の短文にフーちゃんが登場する。ここでは「フーちゃんは、近所に住んでいる次男の三歳になる孫娘」として最初に紹介されている。(略)「『鉛筆印のトレーナー』に描かれているのは、四歳から五歳になってもう幼稚園に通うになったフーちゃんだ」(「あとがき」)

ちなみに、フーちゃん三部作は、次のとおりです。

フーちゃん3部作
①エイヴォン記(1989年/講談社)
②鉛筆印のトレーナー(1992年/福武書店)
③さくらんぼジャム(1994年/文藝春秋

なお、「エイヴォン記」については、「庄野潤三「エイヴォン記」懐かしの文学案内と孫物語で綴る連作エッセイ」で紹介しています。

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また、随筆集「誕生日のラムケーキ」については、「庄野潤三「誕生日のラムケーキ」どんな小さなことでも、喜びの種子になるものを見つけたい」で紹介しています。

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「鉛筆印のトレーナー」は、1992年に福武書店から単行本が刊行されています。

神奈川県生田の高台にある「山の上の家」を舞台に、庄野家の穏やかな日常を描く日記文学的な長編小説。幼稚園に通う孫(次男の娘)フーちゃんの成長を中心にしながら、「山の下」に暮らす長男と次男の家族、そして足柄にすむ長女の家族らとの濃厚な交わりを丹念に描く。三世代が集う大家族の賑々しさ、季節の風物を届けてくれるご近所さんとの交流など、「古き良き時代」を感じさせてくれる佳作。『エイヴォン記』に続く「フーちゃん三部作」の第二弾。(カバー文)

あらすじ

「あとがき」の中で庄野さんは次のように記しています。

『鉛筆印のトレーナー』は、「海淵」1991年5月号から1992年4月号まで一年間連載された。子供がみんな大きくなって結婚して家を出たあと、夫婦二人きりで暮らすようになってから年月がたった。そこへ近所に住む次男のところの長女―私たちにとってはただ一人の女の子の孫が母親に連れられてやって来る。ときには父親と一緒に来る。この小さな孫娘が私たちの晩年に大きなよろこびを与えてくれるようになった。この孫娘をフーちゃんと呼ぶ。『鉛筆印のトレーナー』は、フーちゃんとわれわれ夫婦がどんなふうにつき合って来たかを書きとめてみようとした作品である。(「あとがき」)

フーちゃん三部作の最初の作品である「エイヴォン記」では、フーちゃんのエピソードと懐かしの読書の思い出とが交互に展開していましたが、「鉛筆印のトレーナー」では、フーちゃんとその周囲の人々のエピソードが中心となっています。

やがて「夫婦の晩年シリーズ」へと続く、庄野文学の「家族の物語」が、「鉛筆印のトレーナー」ではしっかりと形作られていると思います。

なれそめ

「鉛筆印のトレーナー」は、2020年になって小学館の「P+D BOOKS」として復刻されました。

現在「P+D BOOKS」から刊行されている庄野潤三さんの作品は、次のとおりです。

小学館「P+D BOOKS」庄野潤三作品リスト
①「前途」(2017/6/6)
②「水の都」(2018/11/8)
③「エイヴォン記」(2020/2/13)
④「鉛筆印のトレーナー」(2020/3/12)
⑤「さくらんぼジャム」(2020/4/9)

絶版や版元品切れの多い庄野さんの作品を、一般書店で買って読むことができるなんて、すごくうれしい企画ですよね。

もっとも、在庫のあるうちに買っておかないと、こちらもいずれ入手困難になってしまいそうですが、、、

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、僕の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

四歳のフーちゃんのお祝いの余興は、二度と見られないわけであった

せっかく稽古をしてくれていたのに、フーちゃんの入った三人の歌が聞けなくて、最初にいう筈のフーちゃんの挨拶も聞けなくて残念なことをした。この次に、何年かまたたって、もし子供らが今度のように私のためにお祝いをしてくれる日が来たとしても、フーちゃんはもう大きくなっている。四歳のフーちゃんのお祝いの余興は、二度と見られないわけであった。それを思うと、淋しい。(「鉛筆印のトレーナー<1>」)

家族が集まって、庄野さんの古希のお祝いをしたときのこと。

フーちゃん一家三人は「大きな栗の木の下で」を歌う予定でしたが、フーちゃんは恥ずかしがって歌うことができませんでした。

それが「残念で淋しい」と、庄野さんは綴っています。

庄野文学には刹那的な視点があって、「もし子供らが今度のように私のためにお祝いをしてくれる日が来たとしても、フーちゃんはもう大きくなっている。四歳のフーちゃんのお祝いの余興は、二度と見られないわけであった」の部分は、まさしく庄野文学の刹那主義を象徴しているものだと思いました。

この刹那的な考え方があるからこそ、「今この瞬間を大切にしよう」という、庄野さんの前向きな姿勢が生まれているのだと思います。

妻とイタリア映画の「ニュー・シネマ・パラダイス」を観に行った

こちらは昨日の午後、妻と近くの明治大学工学部の教室へイタリア映画の「ニュー・シネマ・パラダイス」を観に行ったことを話す。学生主催の映画の会である。次男は観ていないが、名前は知っていた。「いい映画で、評判になった」という。イタリアの田舎の小さな町の、たった一軒だけの映画館の写真技師の部屋へ、毎日のように入り浸っていた男の子の話である。(「鉛筆印のトレーナー」<6>)

「ニュー・シネマ・パラダイス」は、1988年公開のイタリア映画です。

日本では1989年12月に公開され、大ヒットを記録しました。

庄野さんが「ニュー・シネマ・パラダイス」を観たのは、1991年秋のことになるので、次男の「いい映画で、評判になった」という言葉も間違いないものでしょう。

庄野さんの昔の随筆集には映画の話が頻繁に登場していますが、こうして連載作品の中で、ヒット作品の話題が出ているのを読むと、何となくハッとしてしまいます。

日常生活のさりげないスケッチの中に、文化的な要素がふんだんに織り込まれているところに、庄野作品の文学性の高さがあるのかもしれませんね。

新聞のインタビューを受けているとき、玄関の呼鈴が鳴り、清水さんが来た

夕方、九月に出る二冊の本、『ザボンの花』(福武文庫)と『懐かしきオハイオ』(文藝春秋)のこと、目下、文芸誌に連載中の小説のことで新聞のインタビューを受けているとき、玄関の呼鈴が鳴り、清水さんが来た。エイヴォンほか畑の薔薇をいっぱい持って来て下さる。取材を終った小玉さんに、『エイヴォン記』の清水さんの薔薇ですといって見せる。(「鉛筆印のトレーナー<8>」)

「エイヴォン記」で重要な登場人物の一人となった清水さんは、「鉛筆印のトレーナー」でも頻繁に登場します。

というよりも、清水さんの薔薇は、この「鉛筆印のトレーナー」においても、作品に深みを与える大切な役割を担っていると言っていいでしょう。

日記的な要素ではありますが、庄野さんの著作に関する記述は、やはり気になります。

他にも、次男が「署名をお願いします」と言って「四月に出た私の六年ぶりの随筆集『誕生日のラムケーキ』(講談社)を鞄から取り出す。丸善の包み紙をかぶせてあったから、丸善で買ったらしい」とか、長男に「ザボンの花」を持って来たと言うと「何篇も読んでいます。面白い」と言われたので、「あかね書房の『少年少女の文学シリーズ』で読んだのかもしれない」と考えたりする場面など、庄野さんの作品をめぐる家族のやり取りが描かれています。

考えてみると、庄野さんの作品には庄野文学をますます好きになっていく「沼的な仕掛け」が、あちこちに仕掛けられているのかもしれませんね。

一つの作品を読んでいるだけで、違う作品を次々と読みたくなってしまうのですから。

読書感想ブログ

「鉛筆印のトレーナー」は、家族の日常風景をスナップ写真のようにさりげなく描いた作品です。

普通だったら忘れてしまうような些細なエピソードに対する庄野さんのこだわりが、日常風景を文学作品に仕立て上げているのでしょう。

「本の壺」では取りあげていませんが、本当にどうでもいいような小さな出来事の描写にこそ、ハッとさせられることが何度もありました。

小さな出来事を見逃さずに書き記すという庄野さんの姿勢は、前述した庄野文学の刹那主義から来る作家の視点なのかもしれませんね。

まとめ

庄野潤三さんの「鉛筆印のトレーナー」は、孫娘を主人公に据えた家族の日常物語。

何気ない出来事のひとつひとつに物語が生まれる。

本を読むことで癒される時間があるということを感じた。

著者紹介

庄野潤三(小説家)

1921年(大正10年)、大阪生まれ。

「第三の新人」として活躍。

「鉛筆印のトレーナー」刊行時は71歳だった。

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。