庄野潤三の随筆集「クロッカスの花」を読みました。
穏やかだけれど信念のある、作者の生き方が伝わってくる随筆集です。
書名:クロッカスの花
著者:庄野潤三
発行:1970/6/15
出版社:冬樹社
作品紹介
「クロッカスの花」は、庄野潤三さんの第2随筆集です。
あとがきの中で、庄野さんは「ここに収められた89篇の随筆、文学的エッセイ、短文は、すべて私一個のささやかな心覚え、備忘録のごときものであろうか」と綴っています。
文庫化されていないので、当時の単行本で読みました。
なお、庄野さんには、全部で10冊の随筆集があります(自選随筆集「子供の盗賊」(1984)を含まないで)。
庄野潤三さんの随筆集リスト
①自分の羽根(1968)/②クロッカスの花(1970)/③庭の山の木(1973)/④イソップとひよどり(1976)/⑤御代の稲妻(1979)/⑥ぎぼしの花(1985)/⑦誕生日のラムケーキ(1991)/⑧散歩道から(1995)/⑨野菜讃歌(1998)/⑩孫の結婚式(2002)
「①自分の羽根」「③庭の山の木」「⑨野菜讃歌」は、既に本ブログで紹介済みとなっています。



本書「クロッカスの花」には、主に「自分の羽根」(昭和43年から45年まで)以降に発表された作品が収録されています。
あらすじ
「クロッカスの花」は、新聞や雑誌などに発表された随筆を一冊にまとめたものです。
庄野さんは、あとがきに「一冊の本にまとまると、自分という人間はいったいどんな物に興味を持ち、どんなことを考えながらこの世に生きているかが、分るだろう」「いろいろな書かれたものを通して、月日がたってゆくことが分る」「月日がたつというのは、それだけで何やら心をそそるものがある」と記しています。
目次///《Ⅰ》郵便受け/シュワルツ教授/帝塚山界隈/言いそびれた話/父のいびき/不案内/早稲田の完之荘/島田謹介氏邸/芦花恒春園/このごろ/書状計/犬の遠吠え/「グレート・レース」/佐渡の定期バス/豆腐屋/就寝時刻/冬の日/石狩川/雪舟の庭/日常生活の旅/夏の日記/サッカーと私/笹鳴/イモリの話/アケビ取り/日記と私/はやとうり/日曜日/ひよどり/赤ん坊のころ/多摩丘陵に住んで/吉本先生/板金屋のじいさん/青葉の庭/老年について/都会ぎらい/ひよどり/ラグビー場にて/クロッカスの花///《Ⅱ》本の置き場所/昔からある本/私の古典/世間話のたのしさ/好きということ/詩三つ/日本語の上手な詩人/わが愛する詩/「トロイスラとクレシダ」/チェーホフの言葉/喜劇の作家/漱石の日記/ロンドンの物音/「英語歳時記/春」/一枚の絵/「青木繁」/スタインベック「菊」/内田百閒「夜明けの稲妻」/サローヤンの本/「騎兵隊」/「家族日誌」/「あなただけ今晩は」/「屋根」/「俺たちに明日はない」/摂州合邦辻/私の戦争文学/作品の背景/要約された言葉/一つの縁/舞台再訪/好みと運/私の近況/明るく、さびしい/実のあるもの/海のそばの静かな町///《Ⅲ》伊東静雄の手紙/佐藤先生の顔/中村地平さん/浄福を求めた作家/小山清の思い出/木山捷平「苦いお茶」/中山さん/三浦哲郎の「枯すすき」/箱崎網屋町/「花眼」の作者/坪田さんの油壺/勧工場のこと/隣り村から/「治水」/魚・鳥・井伏さん///あとがき
なれそめ
今年になってから読み始めた庄野潤三さんの作品群。
ここまで文庫本で読むことが多かったのですが、「クロッカスの花」は文庫化されていないようなので、当時の単行本を探して読みました。
庄野さんの作品を全部読みたいと思うようになって以降、古本屋さんで見つけるたびに、庄野さんの著作を買っているので、本棚の中では古い庄野さんの本が、順番待ちをしています(なにしろ著作が多い)。
先日、「ザボンの花」という昭和30年に刊行された長篇小説を読んで感動したので、続けて古い作品を読みたいと思って、この「クロッカスの花」を選びました(と言っても、昭和45年刊行なので、時代はずいぶん違いますが)。
本の壺
心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。
じっとしている自分が、何か海の上に浮んでいる一隻の船のように思える時がある。
毎日、同じような生活をしていると、今日は昨日と大体のところで変りはなかったように、明日も今日と大体のところで変りはないという風に考える。それでも、何かしら、思いがけないいいことがあるかも知れない。ちょっとしたことでも、いいことがあると嬉しい。何といってもそれは思いがけないことであるから、不意うちのよろこびがある。(「日常生活の旅」)
「旅」昭和42年9月号掲載。
庄野文学のポイントは、毎日の暮らしの中にある機微に敏感になることだと、僕は思います。
どんなに平凡で変わり映えのしない暮らしの中にも、必ず喜びや悲しみがある。
人間が営む暮らしである以上、感情を伴わない暮らしはないわけで、人生の大きなドラマよりも、そうした微妙な感情の揺れに着目したのが、庄野さんの作品の特徴なのではないでしょうか。
「先のことが分らないで、みんな生きている。分らないからよいので、生きて行くことが出来る」「「今日の一日もこれで終った」と、ひとりごとをいって、寝床へもぐり込む人は、明日のことを考えないで、そのまま眠るのがいいのである」などの文章を読むと、旅雑誌の短いコラムの中にさえ、庄野文学の芯を感じます。
「私なんかは、一年のうちに数えるほどしか出かけないで、あとはずっと家にいる。それでも、年月が過ぎて行くので、じっとしている自分が、何か海の上に浮んでいる一隻の船のように思える時がある。波がうしろの方へうしろの方へと消えて行くので、静止している自分がどこかへ進んで行っているような気持になる」
庄野さんにとっては、生きることそのものが、壮大な旅行のように感じられていたんでしょうね。
自分の好きな作者というものは、そんなに新しく求める必要はないように思える。
私は本を沢山持っていないし、人に自慢出来るような本も持合わせていないが、現在まで私が失わずに持って来た本で私は大体間に合うのである。自分の好きな作者というものは、そんなに新しく求める必要はないように思える。(「本の置き場所」)
「新刊ニュース」昭和34年5月号掲載。
本書「クロッカスの花」では、読書や文学に対する庄野さんの姿勢を、随所で知ることができます。
「これまで私が愛好してきた作者だけで私は結構足りている。私の一生で私が本当に好きになれる作者というものは、そんなに数は多くなくてもいいのである」などの文章は、生きることに対する庄野さんの姿勢そのものであるような気もします。
あるいは、本当に好きな作者の作品だけを徹底的に読み込むべきだという、小説家からのメッセージなのかもしれません。
乱読がまるで美学であるかのような社会の風潮に、庄野さんは警鐘を鳴らしていたのではないでしょうか。
「世の中はめまぐるしく変るように見えるが、変ると思うのは眼の前だけを見ているからで、三十年近く前に読んだ本が、私の子供の本棚には、やはりちゃんとあるのだ」
本物の文学を時代を超えて読み継がれていってほしい。
むしろ、そうでなくては、それはもはや「文学」とさえ呼べないものなのかもしれませんね。
福原さんの随筆には、数え上げればいくらでも傑作が出て来る。
福原さんの随筆には、数え上げればいくらでも傑作が出て来る。夜空にきらめく星の中からどれがいちばんよく光るか、くらべようというようなものではないか。時々、何でもない折に浮ぶ言葉がある。「訥々として話すのがいいんだ」「出来るだけ愚直に生きよ」「早く年を取れ」みんな福原さんの言葉である。(「治水」)
研究者「福原麟太郎著作月報」昭和43年12月号掲載。
「これまで私が愛好してきた作者だけで私は結構足りている」と言う庄野さんが愛好した作家の一人が、福原麟太郎さんでしょう。
「シェイクスピアの云った言葉でもラムの云った言葉でも、この人の身体を通って出て来ると、もう福原さんの魅力となる」と言うほど、庄野さんは福原さんの書物を敬愛していたようです。
本書「クロッカスの花」には、福原さん以外にも、庄野さんの琴線に触れた言葉が、随所で紹介されています。
「人に物を上げるときは、自分の惜しい気のするくらいの物を上げるのでなくては、意味がありません」という坪田譲治さんの言葉。
「明るいものを書かないといけない。自分もこれから明るいものを書きたい」という中山義秀さんの言葉。
暮らしの中で出会う言葉の一つ一つが、人生の機微であり、人生の醍醐味である。
そんなふうにして、庄野さんは人生を味わっていたのではないでしょうか。
読書感こらむ
読み終えた後で付箋だらけになっている。
「クロッカスの花」は、そんな随筆集です。
昔の人がしたように、本文に赤線を引いていたら、本書は赤線だらけの真赤な本になってしまうのではないでしょうか。
日常のことを書いた炉辺談話も味わい深いし、文学に対する姿勢から学ぶことも大きい。
好きな映画や小説について語るエッセイからは、その作品に対する愛情を感じる。
思うに、これは、一瞬の思いを書き留めた短文だからこその効果であって、初めから一冊の随筆集を書こうと思って書くと、一つ一つの文章も、もっと作為的で整理されたものになってしまうのかもしれませんね。
本書に収録されたそれぞれの短い随筆には、その一瞬の作者の思いが書き留められている。
だからこそ、こういう本には意味があるのではないでしょうか。
庄野さんの随筆集はまだまだあるので、これからも楽しみに読みたいと思います。
まとめ
庄野潤三さんの「クロッカスの花」は、新聞や雑誌に発表された作品を収録した随筆集。
日常生活や読書への姿勢、書評や映画評、文壇仲間の思い出など、昭和40年代前半の庄野さんを知ることができる。
古いけど古くない、そんな随筆がたくさん。
著者紹介
庄野潤三(小説家)
1921年(大正10年)、大阪生まれ。
1955年(昭和30年)、芥川賞を受賞。
本書「クロッカスの花」刊行時は49歳だった。