庄野潤三の世界

庄野潤三「せきれい」静かだけれど、本当に豊かな暮らしがここにある

最近、何かと気になる作家・庄野潤三さんの「せきれい」を読みました。

読みながらも、そして、読み終わった後も、幸せな気持ちになることのできる作品です。

書名:せきれい
著者:庄野潤三
発行:2005/1/7
出版社:文春文庫

作品紹介

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「せきれい」は、庄野潤三さんの長編小説です。

「単行本あとがき」によると、庄野さんには「もうすぐ結婚五十年の年を迎えようとしている夫婦がどんな日常生活を送っているかを書いてみたいという気持ち」があって、その最初の作品が「新潮45」に連載された『貝がらと海の音』であり、2作目が「群像」に連載された『ピアノの音』だったそうです。

そして、さらに3作目として「文学界」(1997/1-12)に連載されて、1998年に書籍化されたものが、今回の『せきれい』ということになります。

ちなみに、庄野さんの「夫婦の晩年シリーズ」は、『貝がらと海の音』から『星に願いを』まで、全部で11作品が刊行されています。

庄野潤三「夫婦の晩年シリーズ」のラインナップ
①貝がらと海の音/②ピアノの音/③せきれい/④庭のつるばら/⑤鳥の水浴び/⑥山田さんの鈴虫/⑦うさぎのミミリー/⑧庭の小さなばら/⑨メジロの来る庭/⑩けい子ちゃんのゆかた/⑪星に願いを

あらすじ

四季を彩る庭の花、賑やかな鳥たちの訪れ、食卓を賑わす旬のもの、懐かしい歌とピアノの音色、善き人びとの去来……。

変わるものと変わらぬもの。

静かだけれど、本当に豊かな暮らしがここにある。

子供たちが独立し、山の上のわが家に残された老夫婦が送る、かけがえのない日々を透徹した視点で描く傑作長篇。

(背表紙の紹介文)

なれそめ

庄野潤三さんのエッセイを読んでおもしろかったので、小説作品も読んでみようということで、最初に読んだ作品が、この「せきれい」です。

どうして「せきれい」だったのかいうと、古本屋さんにあった本が「せきれい」だったからです。

終わりまで読み終えてから「あとがき」を読んで、この本が、庄野さんが晩年に取り組んでいた「夫婦の晩年シリーズ」の第3作目となる作品であることを知りました。

どうせだったら、第1作目から順番に読めば良かったかなと思いましたが、本を読むときには事前の予備知識なしに読むことが多いので、これもやむなしです(笑)

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

ラムケーキよりアップルパイがいいような気がして来た。

毎年、二月の私の誕生日には、南足柄の長女からラム酒を利かせたラムケーキが届く。(略)ところが、妻は前からアップルパイを送ってもらっている。今度のアップルパイを食べてみると、ラムケーキ(これもおいしい)よりアップルパイがいいような気がして来た。(庄野潤三「せきれい」)

「せきれい」はいくつも定型的なエピソードで構成されていますが、「長女が焼いたアップルパイを食べておいしかった」という話も、繰り返し登場するエピソードのひとつ。

夫婦の会話とか庄野さんの感想とかも定型的なものが繰り返されているところから、平穏な暮らしぶりが伺えます。

アップルパイに限らず、美味しいものを食べた話はとても魅力的で、「山形牛のフィレステーキの鉄板焼き」とか「ガスの天火で焼いたじゃがいも」とか「大阪グランドホテルの「竹葉」のうなぎ」とか、何度も出ててくるので、思わず食べたくなってしまいます。

基本的に、庄野さんが楽しいと感じたことが綴られているので、必然的においしい食べものの話も多くなるんでしょうね。

「何ていう曲?」「せきれい」

午前中のピアノのおさらいをしていて、弾いていた妻が笑い出す。(略)「何ていう曲?」「せきれい」妻の話を聞くと、だんだん下がって来るところがうまく弾けない。それで、つい笑ってしまったのという。(庄野潤三「せきれい」)

「せきれい」は、ブルグミュラーの練習曲で、この曲名が単行本の表題となっています。

本書では、庄野夫人の「ピアノのおけいこ」も、本文を構成する重要な素材のひとつになっていて、課題曲をひとつずつクリアしていく様子を描くことで、庄野夫人のピアノが上達していく様子が描かれています。

ブルグミュラーの「せきれい」は、庄野夫人がなかなか手こずっていた課題曲のひとつで、苦労した分だけクリアしたときの喜びはひとしおだったのではないでしょうか。

小沼が、むかしの宝塚の「モン・パリ」の主題歌を歌うところがいい。

阪田寛夫の「七十歳のシェイクスピア」は、雑誌が届いたときに読んだが、亡くなった小沼のことが出て来るところを探して読み返す。「くろがね」で小沼が、むかしの宝塚の「モン・パリ」の主題歌を歌うところがいい。(庄野潤三「せきれい」)

「せきれい」の中では、親友である阪田寛夫さんや小沼丹さんの話題が頻繁に登場します。

特に、小沼丹さんは「せきれい」連載中に逝去されており、最後の随筆集となった『珈琲挽き』を読む場面が何度も登場してきて、「小沼が死んだので、もうこんなユニークなことを書いた随筆にはお目にかかれないと思うと、さびしい」と綴っています。

童謡「サッちゃん」の作詞者である阪田寛夫さんとは、一緒に宝塚歌劇公演を観劇する友達で、毎晩夫婦でハーモニカ演奏する場面にも、阪田さんの話題が頻繁に登場します。

居心地の良い我が家と庭の木や野鳥、おいしい食べもの、仲の良い家族に親しい友だち、温かいご近所づきあい。

庄野さんの日常は、そんな幸せで包まれていたんでしょうね。

読書感想こらむ

読み始めたとき、最初の正直な感想は「あれ、この作品、確か小説だよね?」という戸惑いでした。

これは庄野潤三さんの作品に共通する特徴らしいのですが、庄野さんの作品は、自分が体験したことを丁寧に再現する手法を採っているため、日記や随筆との境界線が非常に微妙なところがあります。

そして、日常生活を丁寧に再現しているために、同じような場面が何度も何度も繰り返されます。

庭の木や花や鳥に関すること、庄野夫人のピアノ練習に関すること、毎晩夫婦でハーモニカ演奏を楽しむことなどは、それに対する筆者のコメントや夫婦の会話も含めて、本当に同じような情報が頻繁に繰り返されます。

そして、宝塚公演や大阪旅行など時折発生するイベントの内容も、何度も繰り返されるもので、およそドラマチックな展開や奇想天外なトラブルなどといったものとは無縁の筆者の穏やかな生活が淡々と描かれているのが、本書最大の特徴と言えるのではないでしょうか。

けれども、同じように繰り返される平穏な毎日の中にも、季節の移り変わりや家族のささやかな成長といった微妙な変化が物語の中にはあります。

一見平板に見える道も、実は目には見えない起伏の繰り返しであるのと同じように、庄野さんの作品は、穏やかな日々の中にある微妙な起伏を敏感にとらえて、ひとつの作品としてまとめあげているのです。

もうひとつ指摘すると、庄野さんは日々の暮らしの中の楽しいことだけに焦点を当てて、この物語を紡いでいます。

決して幸福なことばかりではない現実の日常生活の中で、庄野さんの作品を読むことは心の癒やしになっていると、僕は感じました。

まだまだたくさんある「夫婦の晩年シリーズ」を、これからも読んでいきたいと思います。

まとめ

庄野潤三さんの「せきれい」は、夫婦の晩年を描いたシリーズ3作目の作品。

平凡な毎日の中の「楽しいことだけ」を取り出して綴った、随筆みたいな日記みたいな小説です。

嫌なことばかりの毎日を忘れたい人に向けた、心の処方箋として。

著者紹介

庄野潤三(小説家)

1921年(大正10年)、大阪生まれ。

1955年(昭和30年)、「プールサイド小景」で芥川賞受賞。

「セキレイ」刊行時は77歳だった。

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。