イラストレーター沢野ひとしさんが綴る漫画と文章の物語。
主人公は普通のサラリーマンで、普通のサラリーマンの喜怒哀楽を、沢野さんの漫画は淡々と描いていく。
これは、サラリーマンとして生きていく男たちに贈る「沢野ひとしの流儀」である。
書名:トコロテンの夏
著者:沢野ひとし
発行:1994/4/25
出版社:角川文庫
作品紹介
「トコロテンの夏」は、イラストレーターの沢野ひとしさんによる漫画エッセイです。
正確に言うと、エッセイとエッセイの間にマンガが挟まっている感じですが、そのエッセイが、エッセイなのかフィクションなのかさえ、実はよく分かりません(笑)
テーマは非常に幅広くて、少年時代の回想から、サラリーマンをしていた頃の教訓、妻へのメッセージなど様々ですが、基本的に沢野ひとしという一人の人間を軸とするエッセイ集だと、僕は受け止めています。
1988年3月に若林出版企画から刊行された『新サラリーマン物語』という単行本を、文庫化にあたって改題したもので、本書で描かれるサラリーマンやサラリーウーマンの姿は、まさしくバブル景気時代の人々のそれです。
(目次)///「夏の憧憬」~少年と夏/海の光/太陽がいっぱい/夏はトコロテン///「休日」~木工道具に心惹かれる/スキーに行きたい/走る芸術/秋葉原///「わがままな女性たち」~顔/酒/色/髪///「新サラリーマン物語」~夏の日々/出会い/結婚/別れ///「愛する人へ」~ウイスキーを飲む女/悪女―小品集/愛の夢/別れ話が好きな女///「妻への手紙」~紺色のスカート/男の気持ち/身勝手な父親をゆるして下さい///あとがき/文庫のあとがき/解説(長谷川健悦)
初出は『週刊求人タイムス』(学生援護会)連載。
『週刊求人タイムス』は、1989年に『デューダ』としてリニューアル。
バブルの時代を、沢野さんの個性的なイラストとともに振り返るのに最高ですよ。
なれそめ
沢野ひとしさんと言えば、椎名誠さん。
二人は千葉高校の同級生だったそうですが、椎名誠さんのエッセイの中に沢野さんが登場しているのが、僕が沢野さんを知るきっかけとなりました。
なお、椎名誠さんについては、別記事「椎名誠『岳物語』親子であり、友人同士でもあった、二人の男たち」で紹介しているので、併せてご覧ください。

椎名隊長率いる「怪しい探検隊」隊員の「ワニ眼の沢野(ワニ眼画伯)」さんは、椎名誠さんの著書にイラストを描いているイラストレーターというくらいの知識しかなかったけれど、やがて沢野さんのイラストを目にするたびに、沢野さんに対する興味が大きくなっていきました。
そのうち、沢野さん自身の著書もあると知り、椎名さん系の流れから読み始めたのが、沢野さんのエッセイを読み始めたなれそめです。
もっとも、椎名さんのアウトドア系エッセイとは異なり、児童出版社で15年も勤務して、取締役営業部長まで務めた沢野さんのサラリーマンエッセイは、サラリーマン諸氏に贈る指南書のようでもあり、時代を綴るサブカルチャー系エッセイのようでもありました。
でも、15年間もサラリーマンとして働いてきた先輩の話というのは、やはりどこかに自分の教訓となるヒントが隠れているものです。
漫画とともに描かれるサラリーマン群像と向き合いながら、僕はそんなことを考えていました。
あらすじ
トコロテンを毎日食べていた中高生時代。やり手の会社員だった頃。そして、天職イラストレーターとして活躍する今――。沢野ひとしの生活はいつも夢と趣味を軸にまわっていく。旅、音楽、山、スキー、木工、恋愛等、楽しい自由課目に次々熱中する無垢な少年のように。郷愁をよぶイラストとリリシズムあふれる文で綴る「沢野少年」物語。(背表紙の紹介文)
本の壺
心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。
アラン・ドロンのマリンルックに憧れて
そんな時に見たアラン・ドロンのフランス映画は、なにもかも目がくらむほどの眩しさがあった。豪華なヨットもそうだが、まずは服装に憧れた。白いズボン、素足にデッキシューズがとても粋に見えた。(略)白いブレザー、ブルーのシャツ、あるいはマリー・ラフォレの体にぴったりとしたストライプのシャツ、錨のペンダント、そしてモーリス・ロネの帽子。本当に彼らの身につけているものすべてが新鮮で憧れだった。(『太陽がいっぱい』)
アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』は、素敵なマリン・ルックのお手本として、今も多くのファンに支持されている名作映画です。
「喫茶店でニーノ・ロータの『太陽がいっぱい』のサウンドトラックが流れてくると、甘く切なく、やるせない気持ちになる」と、沢野さんも書いているとおり、映画音楽として歴史に残るサントラも素晴らしいです。
もっとも、アラン・ドロンみたいなマリンルックを、現実世界で再現することはほとんどありません。
コスプレで「海の男」を演じるのでなければ、そんな『太陽がいっぱい』みたいなスタイル、できるわけないじゃないですか。
だけど、マリンルックはすべての男性にとって永遠の憧れでもあるので、コーデの要所にさりげなく海の香りを漂わせてみたくなるときはあります。
そんなとき、ネイビーのデッキシューズは最高のアイテムになってくれます。
もちろん、本家本元「スペリートップサイダー」のデッキシューズ。
思い切って白デニムを合わせてみると、まるで海の中にいるみたいに思い切り爽やかです(笑)
転職する場合、28歳くらいがベストだろうなあ
転職する場合、二十八歳くらいがベストだろうなあ。五十歳で転職するってのは仕事もないだろうし、どうかと思うよ。転職するときは準備しとかないとダメね、あらゆることを考えて。その時は同僚にあまり話さない。同僚なんて親身になって相談なんかに乗ってくれないんだから。(『転職』)
僕が転職したのは、25歳のときでした。
正確に言うと、卒業して最初に勤めた出版社を1年10か月で退職して、それから2年近くはアルバイト生活をしていたから、ちゃんと転職できたのは26歳になってからです。
退職するときは全然計画なんて何もなくて、同僚に相談する間もなく、ただ勢いだけで「おれ、辞めますから、こんな会社」的に退職願を提出していました。
上層部の人間性に疑問を感じることが多くて、もちろん、今でいうブラックな企業体質にも我慢できなかったわけですが、僕が辞めた後に雪崩現象的に同期と後輩が次々と退職して、ほんの一か月くらいの間に10人前後の社員がいなくなりました。
会社にとってみると「膿を出し切った」くらいの感覚しかなかったと思いますけれど。
一番仲の良かった一つ年上の先輩が「馬鹿なまねするな」「早まるな」ってすごく説得してくれたけれど、その先輩も10年後にリストラされてしまいました(会社って冷酷)。
もう一人、仲の良かった2歳年上の先輩は今も会社に残っていて、先日、ついにトップにまで上り詰めたから、人生って本当にいろいろだなあと思います。
スポーツなんて別にやってもやらなくてもいいのにね
最近やたらスポーツ熱が高まってるけど、これは時代の流れだから、別にやってもやらなくてもいいのにね。あくまでスポーツは趣味の問題だから、ゲートボールでも卓球でもね。テニス一回やったことがある、くらいでちょうどいいね。(『スポーツ』)
ビジネス社会に入ってからも、体育会系の部活動をしていたという人は強いですよね。
「自分は高校時代サッカーやってましたから」とか言われると、なんか仕事できそうな気がしてきます(笑)
「自分は高校時代俳句やってましたから」なんて言っても、全然仕事で頼れる感じがしないわけで(本当は中学時代からやってました、俳句)。
なので、スポーツ全然やってないっていうのは、ビジネス社会でも印象悪くなりかねないので、一応、何事も経験しておくとベターです。
「自分、スキューバダイビングやったことありますよ」とか「この間、ラフティングやってきました」とかって言えば、たとえ、それが観光客相手の体験プログラムだったとしても、なんとなくアクティブな印象を生むことはできますから。
ただし、沢野さんも書いているように「会話のポイントにおくくらい」が大切で、「あまりつっこまれたら話題を変えればいいんだから」ということを、常に心がけておくこと。
てか、自分はもう全然面倒くさいので、「スポーツ嫌いです」「走ったら目回しますから」とか言って、その手の話題で盛り上がる人々を沈黙させています。
本当に何なんでしょうね、体育会系部活動がマウント取る世の中って(冗談ですよ笑)。
読書感想こらむ
沢野さんのへたうまなイラストによる漫画は、感情を押し殺しつつサラリーマンの喜怒哀楽を表現しているので、かなり面白いです。
そして、沢野さんの描く女性は、簡単なタッチなのに、なぜだか美人で色っぽい。
1980年代後半の作品なので、女性のファッションや髪型が妙にバブリーなのもエロいです。
まとめ
元サラリーマンの沢野ひとしがサラリーマン諸氏に贈る「沢野ひとしの流儀」。
漫画とエッセイで沢野ひとし流の生き方を学ぶことができます。
背景にさりげなく流れている1980年代の空気が好き。
著者紹介
沢野ひとし(イラストレーター)
1944年(昭和19年)、愛知県生まれ。
愛称は「ワニ眼画伯」。
「新サラリーマン物語」刊行時は44歳だった。