日本文学の世界

坂口安吾「安吾巷談」無頼派の作家はどのようにして戦後を生きたのか

坂口安吾「安吾巷談」無頼派の作家はどのようにして戦後を生きたのか

坂口安吾さんの「安吾巷談」を読みました。

戦後間もない時代の壮絶な日本の姿が浮き彫りにされています。

書名:安吾巷談
著者:坂口安吾
発行:1973/9/30
出版社:角川文庫

作品紹介

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「安吾巷談」は、坂口安吾さんのエッセイ集です。

川嶋至さんの解説によると、戦後間もない「昭和25年1月から12月まで、本書収録の順に『文芸春秋』に連載された」「この年安吾は45歳、一年余の鬱病による狂躁状態からようやく抜け出し、ほぼ安定をとり戻した年である」ということです。

文藝春秋読者賞を受賞。

あらすじ

解説の川嶋さんは「『巷談』とは字義どおり、ちまたの噂話である」「社会時評とか文明批評というような四角四面のものではなく、あっさり雑文の一種と考えた方が、作者の意図に、よりふさわしいのかもしれない」と書いています。

けれども、内容的には社会批評の視点に立ったルポタージュ的なものが中心で、昭和25年当時の日本社会を理解する上で、非常におもしろいレポートになっていると思います。

目次///麻薬・自殺・宗教/天光光女史の場合/野坂中尉と中西伍長/今日われ競輪す/湯の町エレジー/東京ジャングル探検/熱海復興/ストリップ罵倒/田園ハレム/世界新記録病/教祖展覧会/巷談師退場///解説(川嶋至)/主要参考/文献年譜

麻薬、新興宗教、売春、ストリップ……敗戦によって現出した、百鬼夜行の世相の中に、坂口安吾は何を見、何を感じたか?―旺盛な野次馬根性と不敵な批評精神で、”戦後ニッポン”に体当りし、その諸現象を奔放に論評、文明批評家安吾の真骨頂を示した、名エッセイ。(カバー文)

なれそめ

僕は昭和という時代に非常に惹かれるのですが、とりわけ、気になるのが敗戦直後の昭和20年代という時代です。

歴史的に注目を集める戦時中とも違うし、昭和レトロの昭和30年代とも違う。

あらゆる記録の中から消し去ってしまいたいと考えている日本の黒歴史が、この昭和20年代という時代なのではないでしょうか。

当時の出版物を読むことは、なかなか大変なのですが、そこには現代日本からは窺い知ることのできない謎の文化が横行していました。

戦後好きにはたまらないエッセイ集です。

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

ムシロの上に毛布一枚。そこに一対の男女がまさしく仕事の最中であった。

我々の眼の前に懐中電燈の光の輪がパッとうつった。掘立小屋だ。一坪もない小屋。天井も四辺もムシロなのだ。地面へジカにムシロをしいて、それが畳の代りである。ムシロの上に毛布一枚。そこに一対の男女がまさしく仕事の最中であった。(「東京ジャングル探検」)

「安吾巷談」の中でも、特に読み応えがあったのは、間違いなく「東京ジャングル探検」でした。

戦後の荒廃した夜の街を探検して歩くという、一種のルポタージュですが、新宿も蒲田も非常に物騒この上ない様子が詳細に描かれています。

特に悲惨な有様だったのが上野で、「公園入口に百人ぐらいの人たちがむれている。男娼とパンパンだ」から始まって、「カキ屋」が活躍する共同便所やムシロ敷きの掘立小屋で売春する若い女性などが、次々と登場。

こんな物騒な街を、もちろん気軽に歩けるわけもなく、さすがの安吾さんもパトロールの警察官に同行するというルポタージュで、この章を組み立てています。

弁天様の前の公園では「洋装の女に化けた男娼」が巡査を冷やかし、パトロールに同行中の安吾さんも、パンパンや男娼から盛んに誘いの言葉をかけられます。

無頼派の坂口安吾をして「共同便所から池の端の都電に沿うた一帯の暗黒地帯は、ピストルの護衛がないと、とても常人は踏みこめない」と言わしめた昭和20年代の上野公園の凄まじさ。

これはまさしく「東京ジャングル探検」と呼ぶべきレポートだと思います。

腕力的に負けることなどは、恥でも何でもない。それでお気に召すなら、何度でも負けてあげるだけさ。

戦争などというものは、勝っても、負けても、つまらない。徒らに人命と物量の消耗にすぎないだけだ。腕力的に負けることなどは、恥でも何でもない。それでお気に召すなら、何度でも負けてあげるだけさ。(「野坂中尉と中西伍長」)

戦後5年、東京はまだ戦災の傷痕が日常生活の中に残る敗戦都市でした。

多くの識者が、戦争の非を唱える時代だったと思いますが、安吾さんは「戦争中に反戦論を唱えなかったのは自分の慙愧するところだなどと自己反省する文化人が相当いるが、あんなときに反戦論を唱えたって、どうにもなりゃしない」と至って冷ややか。

むしろ「自主的に無抵抗を選ぶ方が、却って高度の知性と余裕を示しているものだ」と、無関心主義を主張しています。

もっとも、その上で「意識的な無抵抗主義に欠くべからざる一つのことは、国民全部が生活水準を高めるという唯一の目的を見失ってはいけないということだ」と指摘することも忘れていません。

金持ち喧嘩せずというやつで、暮らしに余裕があったら、わざわざ戦争なんか始めたりはしない。

社会全体の生活水準を高めることこそが、最大の反戦だと、安吾さんは考えていたのかもしれませんね。

私が二度目の中毒を起した時、女房の奴、石川淳と檀一雄に電報を打って、きてもらった。

困った時には友達にたのむに限る。私が二度目の中毒を起した時、私は発作を起しているから知らなかったが、女房の奴、石川淳と檀一雄に電報を打って、きてもらった。ずいぶん頼りない人に電報を打ったものだが、これが、ちゃんと来てくれて、檀君は十日もかかりきって、せっせと始末をしてくれたのだから、奇々怪々であるが、事実はまげられない。(「麻薬・自殺・宗教」)

戦後直後、麻薬中毒患者が日本中に溢れて社会問題となりましたが、多くの文学者も麻薬とは深いつながりを持っていました。

「織田作之助はヒロポン注射が得意で、酒席で、にわかに腕をまくりあげてヒロポンをうつ」とか「私は以前から錠剤の方を用いていたが、織田にすすめられて、注射をやってみた」とか「私はアドルムという薬をのんで、ひどく中毒した」とか、麻薬に関する文壇のエピソードが赤裸々に描かれていて、こんな話が雑誌に掲載されるほど、日本の社会は荒廃していたのかなと思いました。

安吾さんが麻薬中毒で意識を失ったとき、作家仲間の石川淳と檀一雄が面倒を見てくれた、持つべきものは友だちであるという話は、一見美しいんですけどね(笑)

ちなみに、無頼派の中でも、手のつけられない暴れん坊だった田中英光については、「女を傷害して、その慰謝料ということで、彼は悪戦苦闘していたそうだが」「田中英光の場合は、友だちに頼めば、なんでもなかったのである。その友だちが居なかった」「こういう田中だから、友達ができなかったのは仕方がない」と誌上でばっさり。

無頼派の作家って、やっぱりハンパないですね。

読書感想こらむ

何気なく読み始めた「安吾巷談」でしたが、読み始めるとあまりに面白くて、つい終わりまで一気読みしてしまいました(普段は3冊の本を少しずつ同時並行式に読んでいます)。

同じ日本とは思われない日本の姿があちこちに出てきて、敗戦がもたらした影響の大きさというものを考えないではいられません。

だけど、こういう苦しい時代を乗り越えて、今の日本があるんだということを知ることは、決して悪いことではないと思います。

むしろ、我々は、この日本の黒歴史を忘れてはいけない。

そう考えることで、明日からまた頑張れそうな気がするのです。

まとめ

坂口安吾の「安吾巷談」は、敗戦後の日本を描いたルポタージュ作品です。

麻薬や売春など、詳細に綴られる日本の黒歴史。

無頼派の作家仲間も登場していますよ。

著者紹介

坂口安吾(小説家)

1906年(明治39年)、新潟市生まれ。

1950年(昭和25年)、「安吾巷談」連載時は45歳だった。

1955年(昭和30年)、脳出血で死去。

ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。