小沼丹さんの「椋鳥日記」を読みました。
1970年代のロンドンを旅行してきたような気分です。
書名:椋鳥日記
著者:小沼丹
発行:2000/9/10
出版社:講談社文芸文庫
作品紹介
「椋鳥日記」は、小沼丹さんの長編小説です。
清水良典さんの解説「『ロンドン』と『倫敦』」には「小沼丹は53歳のとき、1972年(昭和47年)4月より、当時教授であった早稲田大学の在外研究員として、半年間ロンドンに滞在した」「帰国後、小沼丹はロンドン土産というべき随想をいくつか発表したが、それらとは別に、二年後の74年4月『文藝』に「椋鳥日記」は発表された」「同年6月には河出書房新社から刊行され、翌年の「平林たい子賞を受賞している」とあります。
ライラックの蕾は膨らんでいても外套を着ている人が多い4月末の
あらすじ
清水さんは解説「『ロンドン』と『倫敦』」の中で、「『椋鳥日記』は八篇からなり、訪英直後から帰国直前までの時間軸に沿った見聞や人物についての話題が並んでいる。いうまでもなく通常のジャンルに分類すれば「随筆」であろうし、さらに分類しても「紀行」ということになるだろう。しかし、日本近代文学において、ことに小沼丹のように「私小説」的作風の作家において、「随筆」と「小説」の境界は、ときとしてきわめて曖昧である」と指摘しています。
一見、随筆や紀行、あるいは日記の形態を借りながら、物語性に富んだ小説を成立させている、というのが、この「椋鳥日記」ではないかと思います。
作者の見たこと感じたことを淡々と綴っているようでありながら、ひとつひとつの物語がきちんと展開していく様子は、決して偶然の産物だとは思われないからです。
長編小説ですが、各章が独立した物語として構成されているので、連作短編集のように読むことも可能です。
ロンドン旅行の実際のエピソードをマテリアルとして、効果的な配列で構成された物語だと考えると、一つ一つの章におけるドラマ性の完成度の高さも納得いくような気がします。
目次///ウエスト・エンド・レイン/クラブ・アップルの花/テムズの灯/アダムとカルメン/移民局と歯医者/老人の家/緑色のバス/落葉///解説(清水良典)/年譜(中村明)/著書目録(中村明)
なれそめ
前回読んだ庄野潤三さんの小説「野鴨」の中には、ロンドンに滞在している友人と手紙をやり取りするエピソードが登場します。
手紙の相手は、当時渡英中だった小沼丹さんで、その小沼さんも英国滞在中の体験を「椋鳥日記」という作品にまとめていました。
僕にとって、小沼丹さんは、庄野さん繋がりで広がった読書の輪の中の一人です。
この「椋鳥日記」は、庄野潤三の友人という背景を忘れて、純粋に一人の中年男性の渡英体験記として読んで、十分に満足できる文学作品です。
ただの日記で終わることのないように、隅々まで文学的配慮に満ちた、やたらと手のかかっている旅行日記、そんな印象です。
本の壺
心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、僕の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。
音も無く雨が降るから、雨になっても気が附かない。
或る日の午后、街に出ようと思って窓から外を見ると、舗道が濡れている。音も無く雨が降るから、雨になっても気が附かない。部屋に坐っていて、レエスのカアテン超しに外を見たぐらいでは雨が降っているかどうか判らない。倫敦の天気についての悪口は承知していたが、成程、気紛れで当にならない。(「老人の家」)
「椋鳥日記」の魅力のひとつは、そこで描かれているロンドンの街並みでしょう。
旅行者の視点というよりは、その街で暮らす長期滞在者としての視点で切り取られたロンドンの街が、無駄な装飾を用いることなく綴られていきます。
1970年代の物語ではありますが、漢字を多用する小沼さんの文章が、現実以上にロンドンの街を遠い存在へと導いているようです。
此方は倫敦に来たからと云って、別に特別のことはしたくない。
湖水地方を車で廻ってから英吉利の田舎が気に入ったが、別に遠くに行かなくてもいい。バスに乗ってちょっと倫敦を出るともう田舎で、家並が総括り無くだらだらと続いてどこ迄が町でどこから田舎か判らないと云うことは無い。バスの窓から、巨きな樹立の続く並木路とか、緩やかな起伏を持つ牧場、花の咲く小さな村、森陰に覗く町の教会の尖塔、或は岐路の角にぽつんと一軒ある鄙びた居酒屋とか、そんなものを見ているだけで愉しかった。(「緑色のバス」)
「椋鳥日記」は、イギリス滞在記ですが、観光ガイドとしての役割は、ほとんど果たさないと思われます。
現地に溶け込むというふうでもなく、第三者として客観的に記録するというふうでもなく、ただ自然体でロンドンを体験し、イギリスを体験している—そのくらいナチュラルな姿勢で、著者はロンドンの街で暮らし、イギリス国内を旅して巡っているからです。
「此方は倫敦に来たからと云って、別に特別のことはしたくない。郷に入っては郷に従えと云うから、郷に従ってのんびり暮らせたらいいと思っている(「クラブ・アップルの花」)」というロンドン滞在を実践している様子を綴ったものこそが、このイギリス滞在記なのかもしれませんね。
古い建物の並ぶ町並への愛惜の情は、旅人の暢気な感傷に過ぎないのかもしれない。
倫敦ではあちこちで、古い家を壊して新しい家を建てているのを見掛けた。古めかしい風情のある煉瓦や石の家を壊して、新しい現代風の家を造るから気持がちぐはぐになる。しかし、酒屋の親爺や床屋の親爺に云わせると、若い連中は明るくて便利な住居を求めているから仕方が無いと云うことらしい。(略)古い建物の並ぶ町並への愛惜の情は、旅人の暢気な感傷に過ぎないのかもしれない。(「老人の家」)
古いものを長く大切に使うことで有名なイギリスにあってさえ、著者は時代の移り変わりというものを目の当たりにして驚きます。
一方で、「古い建物の並ぶ町並への愛惜の情は、旅人の暢気な感傷に過ぎないのかもしれない」と、街並みが移り変わってゆく時代の波をも、自然体で受け入れようと努める姿勢を見せます。
寂しいことではありますが、そうやっていくつもの時代が築かれてきたことを知っているからこそ、小沼さんは新しい時代の波にさえ寛容でいようとしたのではないでしょうか。
読書感想こらむ
ハラハラワクワクするような物語ではないけれど、時々ハッとさせられるような小さな仕掛けが、あちこちに組み込まれている—「椋鳥日記」は、そんな小説だと思います。
一見、普通の随筆の体を装っているから、なおさらタチが悪いというか、筆者の巧みな罠に何度も引っかかってしまい、その都度「これは現実世界(リアル)ではなく小説(フィクション)なんだ」と、自分自身に言い聞かせたくらいです。
リアルにしては都合の良すぎるような気がするけれど、と言って、決して嘘くささがあるというわけでもない、というところに、この小説の成功があるのではないでしょうか。
この辺りは、随筆を文学作品としての完成度にまで高めたイギリス文学の影響を、極めてさりげない形で実践しているとも言えるし、日本的私小説の器を借りて、イギリス風のエッセイを持ち込んだと解釈することも可能のようにも感じます。
そして、小説と随筆とのギリギリのところで作品を見事にまとめ上げたという部分で、この作品は確かに歴史に残るべき名作だと思います。
とりあえず、イギリスが好きな人だけではなく、幅広く見聞を広めたいと考えている人には格好の文学作品だと、お勧めしておきます。
まとめ
「椋鳥日記」は、小沼丹のイギリス滞在体験を元にした長編小説です。
随筆風に描かれた私小説と考えると理解しやすい。
古き良き時代のロンドンを、平均的日本人としての目線から楽しむことができる。
著者紹介
小沼丹(小説家)
1918年(大正7年)、東京生まれ。
1954年(昭和30年)、「白孔雀のいるホテル」が芥川賞候補となる。
「椋鳥日記」刊行時は56歳だった。