村上春樹さんの「1973年のピンボール」を読みました。
爽やかでちょっとほろ苦い、青春の味がしますよ。
書名:1973年のピンボール
著者:村上春樹
発行:1983/9/15
出版社:講談社文庫
作品紹介
「1973年のピンボール」は、村上春樹さんの長編小説です。
「風の歌を聴け」で群像新人賞を受賞した後に発表された、2作目の長編小説。
「僕」と「鼠」が登場する初期の長編小説は、「鼠三部作」と呼ばれていますが、「1973年のピンボール」は「風の歌を聴け」に続く第二弾で、後の「羊をめぐる冒険」へと続いていく、過渡期の作品と言えるでしょう。


「群像」(1980年3月号)に掲載された後、単行本は1980年6月に講談社から刊行されています。
さようなら、3フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との<僕>の日々。女の温もりに沈む<鼠>の渇き。やがて来る一つの季節の終り―『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く三部作のうち、大いなる予感に満ちた待望の第二弾。(カバー文)
あらすじ
「これはピンボールについての小説である」
物語の序章で、著者はそのような言葉を読者に投げかけています。
ただし、これが本当に「ピンボールについての小説」と言えるかどうかについては、議論があるところかもしれません。
物語の中で、ピンボールは確かに重要な素材として登場しますが、そこで描かれているのは、「僕」と「鼠」という二人の若者の、甘酸っぱくてちょっとほろ苦い味のする、青春の傷みのようなものだからです。
デビュー作「風の歌を聴け」と同様に、細切れのエピソードをパズルのように組み合わせて作られた物語です。
なれそめ
初期三部作の中で、「1973年のピンボール」は、最もリピート回数の少ない作品だと思います。
ひとつの作品を何回読んだかいちいち数えているわけではありませんが、感覚的に「1973年のピンボール」は、「風の歌を聴け」や「羊をめぐる冒険」に比べて、間違いなく少ないと言えます。
「風の歌を聴け」を1年に1度(つまり毎年)読み返しているとしたら、「羊をめぐる冒険」は2年に1度くらいで、この「1973年のピンボール」は3年か4年に1度読むかどうか。
そういう意味で、久しぶりの「1973年のピンボール」は、とても新鮮な感覚で読み返すことができました。
記憶の中に残っていないフレーズもあったりして、それはそれでお得感がありますね。
本の壺
心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、僕の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。
どんなに月並みで平凡なことからでも必ず何かを学べる。どんな髭剃りにも哲学はあるってね。
あたしは四十五年かけてひとつのことしかわからなかったよ。こういうことさ。人はどんなことからでも努力さえすれば何かを学べるってね。どんなに月並みで平凡なことからでも必ず何かを学べる。どんな髭剃りにも哲学はあるってね。どこかで読んだよ。実際、そうしなければ誰も生き残ってなんかいけないのさ。
「ねえ、ジェイ」と、鼠はグラスを眺めたまま、ジェイに語りかけます。
「俺は二十五年生きてきて、何ひとつ身につけなかったような気がするんだ」
それに対するジェイの答えが「あたしは四十五年かけてひとつのことしかわからなかったよ」でした。
「どんなに月並みで平凡なことからでも必ず何かを学べる。どんな髭剃りにも哲学はあるってね。どこかで読んだよ」は、モームの「剃刀の刃」という小説のことで、村上さんはエッセイの中でも「どんな髭剃りにも哲学はある」ということについて触れています。

よっぽど、お気に入りのフレーズだったんでしょうね。
人間てのはね、驚くほど不器用にできてる。あんたが考えてるよりずっとね。
おそろしく静かな何秒かが流れた。十秒ばかりだろう。ジェイが口を開いた。「人間てのはね、驚くほど不器用にできてる。あんたが考えてるよりずっとね」
「ねえジェイ、人間はみんな腐っていく。そうだろ?」と、鼠は語りかけます。
どのみち腐ってしまうだけなのに、それでも人は変わり続ける。
「どんな進歩もどんな変化も結局は崩壊の過程に過ぎない」「だから俺はそんな風に嬉々として無に向おうとする連中にひとかけらの愛情も好意も持てなかった。…この街にもね」
そんな鼠にジェイが言った言葉は「問題は、あんた自身が変ろうとしていることだ」でした。
そして、悩み続ける鼠に、ジェイは「人間てのはね、驚くほど不器用にできてる。あんたが考えてるよりずっとね」と語りかけるのです。
この小説、なんだか鼠とジェイの物語みたいだなあと思いました。
時々あたしはあんたと二十歳も歳が離れてるのを忘れちまうんだよ
「ま、いろいろあったものね」ジェイは戸棚に並んだグラスを乾いた布で拭きながら何度も肯いた。「でも過ぎてしまえばみんな夢みたいだ」「そうかもしれない。でもね、俺が本当にそう思えるようになるまでにはずいぶん時間がかかりそうな気がする」ジェイは少し間をおいて笑った。「そうだね。時々あたしはあんたと二十歳も歳が離れてるのを忘れちまうんだよ」
やっぱり、この小説は「鼠」と「ジェイ」の物語と言って良いようです。
むしろ、「ジェイ」の物語と呼んでも良いかもしれないくらいに、ジェイの存在感が大きく感じられます。
それでは「僕」はいったい何をしているのか?
「僕」は、双子の女の子と暮らしながら、友人と翻訳事務所を経営し、懐かしいピンボール・マシーンを探します。
時々、ジェイと鼠のことを思い出しながら。
読書感想こらむ
久しぶりに読み返した「1973年のピンボール」を読んだ感想は、そう言えば、こんなストーリーだったなということ。
「風の歌を聴け」のようにピュアな青春小説でもなく、「羊をめぐる冒険」のようなストーリー小説でもない。
「風の歌を聴け」の作風で、ピンボールのことを書いてみようと思った、そんな小説。
文庫本のカバー文には「大いなる予感に満ちた第二弾」とありますが、おそらく、この小説は、やがて「羊をめぐる冒険」を書くために必要な過程だったのかもしれません。
「大いなる予感」だけを残して物語は終わってしまうからです。
そんな小説も、たまには必要なのかもしれませんね。
まとめ
「1973年のピンボール」は、鼠三部作の第二弾。
村上春樹的オシャレなムードが満載。
読みやすいので初心者にもお勧め。
著者紹介
村上春樹(小説家)
1949年(昭和24年)、兵庫県生まれ。
「1973年のピンボール」発表時は31歳だった。