読書感想文

石寒太「宮沢賢治の全俳句」文人俳句を超えた「一行の詩(ポエム)」

賢治の俳句を知っていますか?

詩人・童話作家の宮沢賢治のつくった俳句は、一行の詩であり、付句もまた彼の詩の一部である。

賢治の偉大な創作活動を理解すれば、この一行詩は、貴重な資料である。

従来のハイクではなく、賢治独自の詩としての、新しい世界が立ち顕れてくる。

(以上、本の帯より)

書名:宮沢賢治の全俳句
著者:石寒太
発行:2012/6/5
出版社:飯塚書店

作品紹介

本書は、詩人・童話作家として有名な宮沢賢治が生涯に製作した全俳句作品を収録・解説したものです。

もとより宮沢賢治は俳人でなく、その俳句作品の多くは公式に発表されたものではありません。

下書きの詩稿の裏面に書かれたものや、詩稿の上に毛筆で重ね書きされたものが、賢治の俳句でした。

時には、他者の作品を改変したものさえあります。

本書には、そんな宮沢賢治の俳句作品一句ごとに、俳人・石寒太さんの詳細な解説が添えられて構成されています。

宮沢賢治の俳句の紹介というよりも、俳句を通して宮沢賢治という人間を分析しようと試みている。

そんな本と言ってもいいでしょう。

宮沢賢治の俳句は、宮沢賢治の他の分野の作品とも深いつながりを有しています。

宮沢賢治の文学を理解する上で、彼の俳句もまた、重要なヒントになるということなのです。

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なれそめ

僕は「文人俳句」が好きです。

文人俳句とは、俳句を主な生業としていない文学者が作成した俳句のことで、いわば、文学者たちの余技としての俳句のことです。

夏目漱石や芥川龍之介、永井荷風などの俳句はつとに有名ですが、その他多くの小説家や詩人が、専門分野ではない俳句の作品を残しています。

もっとも、詩人であり、童話作家でもある宮沢賢治が俳句を作っていたことは、この本を読むまで知りませんでした。

宮沢賢治の俳句は、公式に発表されているものではなく、原稿用紙の裏などにメモされたものが多いので、実施のところ、本書が出版されるまでは、ほとんど注目されていなかったのではないかと思います。

発表することを目的としていない以上、宮沢賢治の俳句には「俳句としての難」が多く見られます。

そうした「難」の部分も含めて、本書は宮沢賢治を理解するための手掛かりにしようと試みています。

他の作品を引用しての分析も多く、宮沢賢治という文学者を理解する上で、こんなアプローチも楽しいものだなと思いました。

宮沢賢治の俳号は「風耿(ふうこう)」。賢治はよほど「風」が好きだったようですね。

本の壺

今回は、特にお気に入りの作品を3つ、紹介してみようと思います。

おもむろに屠者は呪したり雪の風

宮沢賢治の詩の読者であれば、ピンとくる作品かもしれません。

この俳句は「暮れちかい 吹雪の底の店さきに」という詩の下書き原稿の余白に記されていたものです。

暮れちかい/吹雪の底の店さきに/萌黄いろしたきれいな顔を/すなほに伸ばして吊り下げられる/小さないちはの家鴨の子/……屠者はおもむろに呪し/鮫の黒肉はわびしく凍る……/風の擦過の向ふでは/にせ巡礼の鈴の音(宮沢賢治「暮れちかい 吹雪の底の店さきに」)

詩の中にある「屠者はおもむろに呪し」の言葉が、俳句の中では「おもむろに屠者は呪したり」という十二文字に置き換えられていることが分かります。

宮沢賢治の俳句には、このように詩作品を俳句という形に置き換えるパターンが多く見られます。

詩作の意図を、最も文字数の少ない俳句で表現することによって、自らの作品を一層研ぎ澄ませようとしていたのかもしれませんね。

ちなみに、「暮れちかい 吹雪の底の店さきに」の中の「鮫の黒肉はわびしく凍る……」のフレーズも、「鮫の黒肉(み)わびしく凍るひなかすぎ」という俳句に用いられています。

狼星をうかゞう菊のあるじかな

「狼星」は「シリウス」と読みます。

大犬座のα星「シリウス」の中国名が「天狼星」です。

宮沢賢治の童話作品「ポランの広場」では「まっかな天狼星」という表現が登場しますが、非常に明るい星であるシリウスに、賢治は火のイメージを織り込んでいたものと思われます。

本俳句作品は、当初「狼星をうかゞう菊の夜更かな」という形でしたが、後の推敲によって「狼星をうかゞう菊のあるじかな」の形になったのではないかと、著者は指摘しています。

賢治は「東北菊花品評会」の副賞として贈られる短冊に俳句を書いていて、この「東北菊花品評会」の短冊には「菊」をテーマとする一連の俳句作品が残されています。

なお、星好きで知られる宮沢賢治ですが、星を詠んだ俳句作品はほとんどないようです。

天体に詳しかった宮沢賢治の知識と憧憬……、それがこの一句に結晶したのである。半ば偶然、半ば必然に、天与のごとくこの一句が得られた、そういっていい。(略)ひょっとして、賢治がもう少し長生きして、それでも俳句をつくりつづけていたら、星の俳句群の中に、もっと秀作が生まれた、ということはあるかもしれない。(石寒太「宮沢賢治の全俳句」)

自炊子の烈火にかけし目刺かな

この俳句は、各種の宮沢賢治全集にも収録されていた作品ですが、近年になって、宮沢賢治の作品ではないことが確認されています。

賢治の俳句は、公式に発表されたものではなく、未定稿の詩の原稿の上に重ね書きで、毛筆や墨で記されているものが多く、賢治は、自作の俳句のみならず、お気に入りの俳句をこうして書き記すこともあったと考えられています。

長く賢治の作品と思われていた本句は、明治43年「国民新聞」の俳句欄に投句されたものであることが判明し、現在は宮沢賢治全集から削除されています。

本句の作者は山梨県在住の「石原鬼灯」という医師・俳人で、明治43年4月16日付け「国民新聞」俳句欄に、松根東洋城選で入選したものだということです。

当時の「国民新聞」の俳句欄を俳人の飯田蛇笏が切り抜いていて、そのスクラップをさらに息子の俳人・飯田龍太が保管していたというんだからすごい話です。

平成3年1月当時の「河北新報」や「東京新聞」で、このあたりの経緯が報じられているそうです。なお、発見者である菅原鬨也さんの著作「宮沢賢治―その人と俳句」に詳しい経緯が記されています。

なお、宮沢賢治には「蟇ひたすら月に迫りけり」の俳句が残されていますが、この俳句も俳人・村上鬼城の作品「蟇一驀月に迫りけり」を改変模写したものであることが確認されています。

この俳句も長く宮沢賢治の作品として全集に収録されていましたが、昭和50年代に鬼城の作品であることが確認された後に削除されているそうです。

宮沢賢治は、大正15年刊行の「鬼城句集」を愛読者であり、お気に入りの作品を少し修正して模写したものと思われますが、文学の歴史を修正してきた後世の研究者たちの情熱には鬼気迫るものを感じてしまいます。

ただ、その作品が賢治の作品ではないとしても、賢治本人がその俳句に心を動かされていたことは確かであり、賢治の文学を読み解いていく上で、こうした情報は大きなヒントになってくれそうですね。

読書感想コラム

宮沢賢治の俳句は、まったくもって俳句らしくない。

俳句としての概念にとらわれていないのだから、俳句らしくないのも当然と言えるだろう。

宮沢賢治は俳句らしい俳句を作ろうとしていたのではない。

自分の詩情を俳句の持つ「五・七・五」という枠組みの中で表現してみただけに過ぎないのだ。

だから厳密に言うと「賢治の俳句は俳句ではない」ということになる。

もとより、宮沢賢治は俳人ではないのだから、そんなことに拘泥する必要は全然ない。

賢治の詩や童話を鑑賞するのと同じ目線で、賢治の「俳句」を鑑賞すればよいだけである。

我々は「俳句」を鑑賞するのではない。

宮沢賢治その人を鑑賞しているのだから。

まとめ

宮沢賢治の俳句は、宮沢賢治の詩や童話と密接な関係を持っている。

宮沢賢治の作品を理解する上で、未発表の俳句は重要な鍵となる可能性あり。

石寒太の解説は秀逸。

著者紹介

石寒太(俳人)

1943年(昭和18年)、静岡県生まれ。

加藤楸邨のもとで俳句を学ぶ。

宮沢賢治に関する著書も多数あり。

本書出版時は69歳だった。

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。