小山清さんの短篇小説集「日日の麺麭(パン)・風貌」を読みました。
ほぼ無名の作家ですが、他の作品も読みたくなりました。
書名:日日の麺麭・風貌
著者:小山清
発行:2005/11/10
出版社:講談社文芸文庫
作品紹介
「日日の麺麭・風貌」は、小山清さんの短編小説集です。
小山さんは、太宰治との交流を通して文壇に登場した作家ですが、作品数も少なく、決して今日性のある文学とは言えません。
近年、三上延さんの「ビブリア古書堂の事件手帖」で、小山さんの作品が紹介されたことで、再評価の機運が高まりつつあります(ビブリア古書堂の事件手帖 ~栞子さんと奇妙な客人たち~第2話 小山清『落穂拾ひ・聖アンデルセン』(新潮文庫))。
明治の匂い香る新吉原、その地で過ごした幼少期を温かい筆致で振り返る「桜林」、妻に先立たれ、幼い娘を連れておでんの屋台を曳く男の日常を静かに辿った「日日の麺麭」等、清純な眼差しで、市井に生きる人々の小さな人生を愛情深く描いた小説九篇に、太宰、井伏についての随筆を併録。師・太宰治にその才能を愛され、不遇で短い生涯において、孤独と慰め、祈りに溢れる文学を遺した小山清の精選作品集。(カバー文)
あらすじ
「日日の麺麭・風貌」は、小山清さんの短篇小説9作品、随筆2作品を収録した作品集です。
目次///落穂拾い/朴歯の下駄/桜林/おじさんの話/日日の麺麭/聖家族/栞/老人と鳩/老人と孤独な娘///風貌―太宰治のこと/井伏鱒二によせて///解説(川西政明)/年譜(田中良彦)/著書目録(田中良彦)
なれそめ
小山清さんの名前を知ったのは、おそらく太宰治つながりだったような気がします。
戦争中に太宰治が甲府へ疎開したとき、三鷹宅の留守番をしたのが小山さんで、そもそも、太宰に疎開を勧めたのも小山さんだったそうです。
この辺りの事情については、太宰の奥さんであった津島美知子さんの「回想の太宰治」でも詳しく紹介されています。
また、今年になって好んで読んでいる庄野潤三さんの随筆集「クロッカスの花」でも、小山清さんのことが紹介されています(「小山清の思い出」)。
http://syosaism.com/shono-jyunzo-005/
小山さんは戦後、夕張の炭鉱労働に従事した経験を小説に書いていることから、「北海道文学全集」にも作品が収録されていました(第19巻 凝視と彷徨「夕張の宿」)。
古い文学作品を読んでいると、時々名前を見かける作家、それが小山清さんだったような気がします。
本の壺
心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。
彼女は自分のことを「わたしは本の番人だと思っているの」と云ったことがある
彼女は自分のことを「わたしは本の番人だと思っているの」と云ったことがある。彼女は商品の本や雑誌をとても丁寧に取扱う。仕入れた品は店に出す前に一冊一冊調べて、鑢や消ゴムで汚れを拭きとったり、鏝で皺のばしをしたり、破損している箇所を糊づけしたりしている。見ていると、入念に愛撫しているような感じを受ける。(「落穂拾い」)
「新潮」昭和27年4月号掲載。
「落穂拾い」はタイトルどおり、自分の日常生活を落ち穂拾い的にスケッチした短篇小説です。
「こないだF君からハガキが来た」「僕はいま自炊の生活をしている」「僕は一日中誰とも言葉を交さずにしまうことがある」「僕の家から最寄りの駅へ行く途中に芋屋がある」など、取りとめのない話題が、次から次へと、まるで備忘録のように綴られています。
その中でも、大きな柱となっているのは「駅の近くで「緑陰書房」という古本屋を経営している」一人の少女との交流についてのエピソードです。
「僕はいまの人が忘れて顧みないような本をくりかえし読むのが好きだ」という僕は、「ときどき彼女の店に均一本を漁りに行くようになり、そのうち彼女と話を交わすようにもなった」といいます。
「僕」は「他人の家の門口の戸をわが手であけるということが既に億劫だ」とさえ語るほど重症のコミュ障ですが、「彼女の気質が素直でこだわらないので、僕としてもめずらしく悪びれずに話すことが出来る」ようになったのです。
やがて、「僕」は自分が小説書きであることを話し、彼女は「『日日の麺麭』という僕の旧作が載っている雑誌を見つけ出してきて読んだ」あとで「わたし、おじさんを声援するわ」と激励の言葉をかけます。
決して、裕福とは言えない暮らしの中で綴られるささやかな幸せ。
「以上が僕の最近の目録であり、また交友録でもある。実録かどうか、それは云うまでもない」という文章で、小説は終わっています。
末吉はいつか歳月を数えるのにおしげの死から逆算するようになった
おしげの骨壷を抱えて焼場から間借りしていた部屋に帰ってきて、末吉は一瞬ぼんやりしていたが、われに返った時、自分が誰かが来るのを待っていることに、そしてその誰かとは、いまその亡骸を骨にしてきたおしげであることに気づいて驚いた。部屋の中には最早おしげがいなければ埋められない空虚があった。(「日日の麺麭」)
「新女苑」昭和31年4月号掲載。
日雇労務者だった末吉の妻おしげは、「悪阻の時期に悪性の感冒にかかって、それがもとで」死んでしまいます。
「いつか歳月を数えるのにおしげの死から逆算するようになった」末吉は、「おしげの思い出が色濃く纏いついている環境」を離れて暮らすことを決意します。
新しい町で、娘のおしづと二人で暮らし始めた末吉は、家主夫婦の勧めでおでん屋を始めます。
最初の頃は「自分には果たしてこの商売がやってゆけるだろうかと思った」末吉ですが、やがて「案ずるほどのことはなかった」と考えるようになります。
「尋常にやっていれば生活の道はつくものだ」ということを、彼は日々の仕事の中で学んだからです。
「愛想や世辞は必ずしも商売に必要なものではない」「肝心なのはやはり売る品物だ」と考えた末吉は「儲けも貪らないように」して「種や調味料もつとめて良いものを選び」ながら商売を続けました。
妻を失くした中年男性が、幼少の娘と二人で新しい生活を始める、そんなささやかな物語です。
「あなたは、独りぼっちですか」「独りぼっちだ」と老人は微笑を浮べて言った
老人は机の引出をあけて一枚の半紙を取り出した。なにか書いてある。老人はそこを指さした。失語症。笑顔を浮べて。娘は、はっと顔色を変えた。老人は黙っていた。娘が言った、「あなたは、独りぼっちですか」「独りぼっちだ」と老人は微笑を浮べて言った。(「老人と鳩」)
「小説中央公論」昭和37年8月号掲載。
「老人は六十二になった。右半身が不自由だった。」という文章で、この物語は始まります。
50歳を過ぎた頃に病気で倒れてから妻をも失い、彼は一人で生きています。
言葉も身体も不自由でしたが、野桜咲く春や桃の実が鳴る夏、コスモスが咲く秋、日向ぼっこの冬といった四季の移り変わりが、彼の暮らしを支えています。
やがて「ハト」という名前の喫茶店の常連となった彼は、店の「娘」と会話を交わすようになります。
彼が失語症であることを知った後も、娘は時折彼を家を訪ねては短い言葉を交わします。
「新聞、ラジオ、本を売り払った。家には郵便もなかった。さばさばした」という「老人」にとっては、彼女との心の交流だけで、きっと幸せだったのではないでしょうか。
読書感想こらむ
描かれているのは寂しいことばかりなのに、小説は決して寂しくてはなくて、むしろ、心が温まるような気持ちにさえなる。
それが、小山清という作家の作品が持つ特徴だと思います。
日雇労務者、新聞配達夫、妻との死別、失語症…物語を構築するアイテムは、間違いなく重苦しいものばかりなのですが、そこに登場する人物は、決して不幸ばかりを背負って生きているわけではありません。
彼らが感じる幸福は、誰かとの交流であり、小さな心の交流があることで、彼らはささやかな幸せを噛みしめながら生きていくことができる。
小山さんの短篇小説には、そうした人々の心の機微を絶妙に描いた秀作が多いのではないでしょうか。
激動の戦後文壇に名を残すことができなかったとしても、その作品はきっと残っていくような気がします。
まとめ
「日日の麺麭・風貌」は、小山清さんの短編小説集です。
底辺社会で生きる人々の心の交流。
大切なことは、見せかけの豊かさじゃないってことです。
著者紹介
小山清(小説家)
1911年(明治44年)、東京都生まれ。
25歳の時、島崎藤村の紹介で、日本ペンクラブ事務局の書記として就職。
1940年(昭和15年)、29歳で太宰治に弟子入りした。