村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」の名言・名場面をまとめてみました。
いかにも村上春樹らしい表現も選んでいます。
なお、「風の歌を聴け」の読書感想については、過去の記事を御覧ください。

「風の歌を聴け」とは?
「風の歌を聴け」は、1979年(昭和54年)6月『群像』に発表された短編小説である。
この年、著者は30歳だった。
第22回「群像新人文学賞」受賞。
単行本は、1979年(昭和54年)7月に講談社から刊行されている。
主人公は29歳の青年だが、学生時代(21歳のとき)を回想する形で描かれている。
1
完璧な文章などといったものは存在しない。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」(村上春樹「風の歌を聴け」)
本作「風の歌を聴け」の最初の文章。
大学生のときに偶然に知り合った作家の言葉として紹介されている。
僕は文章についての多くをデレク・ハートフィールドに学んだ。
僕は文章についての多くをデレク・ハートフィールドに学んだ。殆ど全部、というべきかもしれない。(村上春樹「風の歌を聴け」)
<デレク・ハートフィールド>は架空の作家。
ヘミングウェイやフィッツジェラルドと同時代の作家として設定されている。
もっと暗い心は夢さえも見ない。
「暗い心を持つものは暗い夢しか見ない。もっと暗い心は夢さえも見ない」(村上春樹「風の歌を聴け」)
主人公の祖母の言葉として紹介されている。
エピグラムが非常に多いことが、この小説の特徴となっている。
2
この話は1970年の8月8日に始まり~
この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る。(村上春樹「風の歌を聴け」)
本作「風の歌を聴け」は、ひと夏の物語である。
なぜなら、この小説は、東京の大学に進学した地方都市の大学生が、夏休みに帰省したときのエピソードで構成された作品だからである。
3
「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ」
「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ」(村上春樹「風の歌を聴け」)
主人公の親友<鼠>の言葉。
本作「風の歌を聴け」は、基本的に<僕>と<鼠>との友情の物語である。
ちなみに、鼠はとんでもない金持ちの息子だった。
25メートル・プール一杯分ばかりのビール
一夏中かけて、僕と鼠はまるで何かに取り憑かれたように25メートル・プール一杯分ばかりのビールを飲み干し、「ジェイズ・バー」の床いっぱいに5センチの厚さにピーナツの殻をまきちらした。そしてそれは、そうでもしなければ生き残れないくらい退屈な夏であった。(村上春樹「風の歌を聴け」)
かなり有名な村上春樹節として知られる比喩表現。
80年代当初、文学少年の間で「25メートル・プール一杯分ばかりのビール」とか「床いっぱい5センチの厚さにまきちらしたピーナツの殻」みたいな表現が流行したほど。
これを最初にやったということでは、村上春樹はやっぱりすごいと思う。
「いや、お前のせいさ」
鼠の家にしたところで相当な金持ちだったのだけれど、僕がそれを指摘する度に鼠は決まって「俺のせいじゃないさ」と言った。時折(大抵はビールを飲み過ぎたような場合なのだが)、「いや、お前のせいさ」と僕は言って、そして言ってしまった後で必ず嫌な気分になった。(村上春樹「風の歌を聴け」)
「いや、お前のせいさ」という言葉も、村上春樹ごっこには、よく登場した。
1980年代というのは、こういうクールな表現が好まれる時代だったのではないだろうか。
いろんなことを考えながら50年生きるのは、はっきり言って何も考えずに5千年生きるよりずっと疲れる
「でも結局はみんな死ぬ」僕は試しにそう言ってみた。「そりゃそうさ。みんないつか必ず死ぬ。でもね、それまでに50年は生きなきゃならんし、いろんなことを考えながら50年生きるのは、はっきり言って何も考えずに5千年生きるよりずっと疲れる。そうだろ?」そのとおりだった。(村上春樹「風の歌を聴け」)
酔っぱらった学生の会話なんだけど、内容は意外と重い。
鼠の言葉の後の「そのとおりだった」というのも村上春樹らしい。
ちなみに「はっきり言って」は鼠の口癖ということになっている。
4
「金持ちなのか?」「らしいね」「そりゃ良かった」(村上春樹「風の歌を聴け」)
鼠と知り合った夜(というか、もう早朝だった)、主人公は鼠の自動車に同乗していて、派手な交通事故に遭遇する。
鼠のフィアット600が廃車同然になったときも、鼠は超然として「ねえ、俺たちはツイてるよ」と言ってみせる。
「金持ちなのか?」は少し呆れた<僕>の言葉。
「手始めに何をする?」「ビールを飲もう」
「ねえ、俺たち二人でチームを組まないか? きっと何もかも上手くいくぜ」「手始めに何をする?」「ビールを飲もう」(村上春樹「風の歌を聴け」)
今にして考えてみると、これが「鼠三部作」の始まった瞬間だった。
「手始めに何をする?」「ビールを飲もう」が最高にクール。
「俺のことは鼠って呼んでくれ」と彼が言った。
「俺のことは鼠って呼んでくれ」と彼が言った。「何故そんな名前がついたんだ?」「忘れたね。随分昔のことさ」(村上春樹「風の歌を聴け」)
初めて「風の歌を聴け」を読んだとき、「鼠」という登場人物の名前に全然馴染めなかった。
「何にだって慣れちまうもんさ」という鼠の言葉は、ある意味で真実なのだろう。
5
「何故本なんて読む?」「何故ビールなんて飲む?」
「何故本なんて読む?」「何故ビールなんて飲む?」(村上春樹「風の歌を聴け」)
鼠はおそろしく本を読まない。
一方で、主人公は文学が好きだった。
「生きてる作家になんて何の価値もないよ」
「何故本ばかり読む?」僕は鯵の最後の一切をビールと一緒に飲みこんでから皿を片付け、傍に置いた読みかけの「感情教育」を手に取ってパラパラとページを繰った。「フローベルがもう死んじまった人間だからさ」「生きてる作家の本は読まない?」「生きてる作家になんて何の価値もないよ」(村上春樹「風の歌を聴け」)
「生きてる作家になんて何の価値もない」という理由を、主人公は「死んだ人間に対しては大抵のことが許せそうな気がするんだな」と説明している。
6
放って置いても人は死ぬし、女と寝る。
鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。(村上春樹「風の歌を聴け」)
でも、村上春樹の小説には、セックス・シーンが潤沢に出てくるし、あちこちで人が死ぬんだよね。
「ねえ、人間は生まれつき不公平に作られてる」
「ねえ、人間は生まれつき不公平に作られてる」「誰の言葉?」「ジョン・F・ケネディ」(村上春樹「風の歌を聴け」)
村上春樹の小説には嘘が多いので、これが、本当にケネディの言葉かどうかは不明。
7
「君が山羊、僕が兎、時計は君の心さ」
「君が山羊、僕が兎、時計は君の心さ」僕は騙されたような気分のまま、仕方なく肯いた。(村上春樹「風の歌を聴け」)
小さい頃、主人公はあまりに無口な少年だったため、知り合いの精神科医の家に通わせられた。
山羊と兎の話は、精神科医が話してくれた寓話である。
8
開け放した窓からはほんのわずかに海が見える。
開け放した窓からはほんのわずかに海が見える。小さな波が上ったばかりの太陽をキラキラと反射させ、眼をこらすと何隻かのうす汚れた貨物船がうんざりしたように浮かんでいるのが見えた。(村上春樹「風の歌を聴け」)
作品中に特定の地名は登場しないが、物語の舞台は神戸だとされている。
映画『風の歌を聴け』も神戸で撮影されたが、今観ると、それほどオシャレな街には見えない(ような気もする、、、)。
9
「ずいぶん飲んだ?」「かなりね。僕なら死んでる」
「ずいぶん飲んだ?」「かなりね。僕なら死んでる」「死にそうよ」(村上春樹「風の歌を聴け」)
小指のない女の子の部屋に泊まった翌朝の会話。
質問、答え、感想。
村上春樹の小説には、会話の三段論法が似合う。
10
ひどく暑い夜だった。半熟卵ができるほどの暑さだ。(村上春樹「風の歌を聴け」)
レイモンド・チャンドラー式の比喩表現は、村上春樹の作品に多く見られる。
「みんなの楽しい合言葉、MIC・KEY・MOUSE」
こんな歌詞だったと思う。「みんなの楽しい合言葉、MIC・KEY・MOUSE」確かに良い時代だったのかもしれない。(村上春樹「風の歌を聴け」)
グレープフルーツのような乳房をつけた派手な年上の女性から逃げ出した後、主人公は「ミッキー・マウス・クラブの歌」を口笛で吹く。
「確かに良い時代だったのかもしれない」も、村上春樹的にカッコいい言葉。
11
37度っていえば一人でじっとしてるより女の子と抱き合ってた方が涼しいくらいの温度だ
ところで今日の最高気温、何度だと思う? 37度だぜ、37度。夏にしても暑すぎる。これじゃオーブンだ。37度っていえば一人でじっとしてるより女の子と抱き合ってた方が涼しいくらいの温度だ。信じられるかい?(村上春樹「風の歌を聴け」)
突然に現れたラジオのディスク・ジョッキーの言葉。
小説としては、かなり唐突感があるが、この作品自体、細切れの文章を組み合わせたパッチワークみたいな小説なので、意外と違和感は少ない。
12
犬の漫才師なんてのがいてもいいわけだ
僕は何年かぶりに突然腹が立ち始めた。「じゃあ…ムッ…犬の漫才師なんてのがいてもいいわけだ」「あなたがそうかもしれない」(村上春樹「風の歌を聴け」)
ラジオのディスク・ジョッキーから突然にかかってきた電話。
高校時代、女の子から借りたビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」のレコードのことを思い出す。
15
「たまには習慣を変えてみたいんだ」「一人で変えて」
「じゃあ、何故誘うの?」「たまには習慣を変えてみたいんだ」「一人で変えて」(村上春樹「風の歌を聴け」)
レコード屋で偶然に、小指のない女の子と再会する。
主人公は、彼女を食事に誘うが、あっさりと拒絶される。
「たまには習慣を変えてみたいんだ」の答えはクールなんだけどね。
19
まだ充分に若くはあるが、以前ほど若くはない。
話せば長いことだが、僕は21歳になる。まだ充分に若くはあるが、以前ほど若くはない。(村上春樹「風の歌を聴け」)
21歳の青年にとって、21歳は十分に大人だ。
それは、50歳の大人にとっての21歳とは、まったく違う21歳だからだ。
年を取ったら、みんな分かるよ。
20
貧乏な人間には貧乏な人間を嗅ぎわけることができるのよ
「でも私の家の方がずっと貧乏だったわ」「何故わかる?」「匂いよ。金持ちが金持ちを嗅ぎわけられるように、貧乏な人間には貧乏な人間を嗅ぎわけることができるのよ」(村上春樹「風の歌を聴け」)
「風の歌を聴け」では、「金持ち」という言葉が、一つのキーワードになっている。
その割に、登場人物の誰もが、そこそこ裕福に見える。
金がなければ、ジェイズ・バーでビールを飲むことさえできない。
「君は立派な人間?」
「君は立派な人間?」15秒間、彼女は考えた。「そうなりたいと思ってるわ。かなり真剣にね。誰だってそうでしょ?」(村上春樹「風の歌を聴け」)
「立派な人間になりたい」と考えているのは、小指のない女の子である。
「今、何処にある?」「何が?」「小指さ」
「今、何処にある?」「何が?」「小指さ」(村上春樹「風の歌を聴け」)
八つの時に電気掃除機のモーターに小指をはさんで、彼女は小指を失った。
双子の妹とは、それ以来、間違われることがなくなったという。
手袋をつける時のほか、小指のないことを、彼女が気にしたりすることはない。
22
もし遅れたら全部ゴミ箱に放り込んじゃうわよ
「オーケー、一時間で来て。もし遅れたら全部ゴミ箱に放り込んじゃうわよ。わかった?」「ねえ……」「待つのが嫌いなのよ。それだけ」(村上春樹「風の歌を聴け」)
村上春樹の小説には、しばしば理不尽にわがままな女の子が登場する。
そして、そんな女の子が魅力的に描かれていることも、村上春樹の小説の特徴だろう。
あと、髪の毛がすごく短い女の子とか。
「冷たいワインと暖かい心」
「冷たいワインと暖かい心」乾杯する時、彼女はそう言った。(村上春樹「風の歌を聴け」)
彼女によると、これはテレビコマーシャルの台詞だそうである。
本当にそんなテレビコマーシャルがあったのかどうか、、、
いつも肝心なことだけ言い忘れる
「おいしかった?」「とてもね」彼女は下唇を軽く噛んだ。「何故いつも訊ねられるまで何も言わないの?」「さあね、癖なんだよ。いつも肝心なことだけ言い忘れる」(村上春樹「風の歌を聴け」)
これは、女の子の機嫌を損ねる可能性大。
リスク・マネジメントとしては、食べる前から褒めるくらいが正解。
23
「あなたのレーゾン・デートゥル」
僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを「あなたのレーゾン・デートゥル」と呼んだ。(村上春樹「風の歌を聴け」)
三番目に寝た女の子は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生である。
彼女は、翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。
25
鼠の好物は焼きたてのホット・ケーキである
鼠の好物は焼きたてのホット・ケーキである。彼はそれを深い皿に何枚か重ね、ナイフできちんと4つに切り、その上にコカ・コーラを1瓶注ぎかける。(村上春樹「風の歌を聴け」)
若い頃にこの小説を読んで、いつか挑戦してみたいと思いながら、未だに実現できないでいる。
意外とイケるんじゃないかとは思っているんだけど。
そもそもホット・ケーキが、そんなに好きなわけじゃないので(コカ・コーラも滅多に飲まないし)。
26
若くして死んだ女について語ることはもっとむずかしい
死んだ人間について語ることはひどくむずかしいことだが、若くして死んだ女について語ることはもっとむずかしい。死んでしまったことによって、彼女たちは永遠に若いからだ。(村上春樹「風の歌を聴け」)
つまるところ、この小説は、若い時に自殺してしまった女性のこと、主人公にとっては「三番目に寝た女の子」のことを主題としているのだ。
随所に生と死の話が出てくるのは、彼女を意識しているものなのだろう。
29歳になったとき、主人公は、彼女と自分たちとの距離が、どんどん遠くなっていくことに気が付いたのだろう。
そしてある年の夏(いつだったろう?)、夢は二度と戻っては来なかった
微かな南風の運んでくる海の香りと焼けたアスファルトの匂いが、僕に昔の夏を想い出させた。女の子の肌のぬくもり、古いロックンロール、洗濯したばかりのボタン・ダウン・シャツ、プールの更衣室で喫った煙草の匂い、微かな予感、みんないつ果てるともない甘い夏の夢だった。そしてある年の夏(いつだったろう?)、夢は二度と戻っては来なかった。(村上春樹「風の歌を聴け」)
この小説の主題となっているポイント。
つまり、青春は二度とは戻ってこない、ということだ。
そして、死んだ女の子も。
28
夏が終わりかけてるからかね
「ねえ、鼠はどうしたんだと思う?」「さあね、あたしにもどうもよくわかんないよ。夏が終わりかけてるからかね」(村上春樹「風の歌を聴け」)
秋が近づくにつれて、鼠の調子はひどく悪くなっていった。
「多分取り残されるような気がするんだよ」と、ジェイは言った。
「みんな何処かに行っちまうんだよ」
30
かつて誰もがクールに生きたいと考える時代があった。
かつて誰もがクールに生きたいと考える時代があった。(村上春樹「風の歌を聴け」)
これは、「風の歌を聴け」の中でも、特に好きな文章である。
僕は、この小説を読んで、クールに生きるという生き方があることを学んだ。
つまり、一人で生きる、ということだ。
「もう何も考えるな。終ったことじゃないか」
今、僕の後ろではあの時代遅れなピーター・ポール&マリーが唄っている。「もう何も考えるな。終ったことじゃないか」(村上春樹「風の歌を聴け」)
Peter, Paul & Maryの “Don’t Think Twice, It’s Alright”。
この曲も、「風の歌を聴け」を読んで、知って、聴いて、好きになった。
ランブリング・ジャック・エリオットもいい。
31
「嘘だと言ってくれないか?」
「ひとつ質問していいか?」僕は肯いた。「あんたは本当にそう信じてる?」「ああ」鼠はしばらく黙りこんで、ビール・グラスをじっと眺めていた。「嘘だと言ってくれないか?」鼠は真剣にそう言った。(村上春樹「風の歌を聴け」)
これも、村上春樹ごっこでは定番の決め台詞ですね。
「嘘だと言ってくれないか?」
片岡義男の小説のタイトルにありそうなやつ。
32
「誰もが知っていることを小説に書いて、いったい何の意味がある?」
ハートフィールドはこう言った。「君は宇宙空間で時がどんな風に流れるのか知っているのかい?」「いや」と記者は答えた。「でも、そんなことは誰にもわかりゃしませんよ」「誰もが知っていることを小説に書いて、いったい何の意味がある?」(村上春樹「風の歌を聴け」)
本作「風の歌を聴け」では、文学に対する村上春樹の姿勢が、随所で語られている。
少なくとも、デビュー当時の村上春樹は、真剣に、そんなことを考えていたのではないだろうか。
34
「嘘つき!」と彼女は言った。
「嘘つき!」と彼女は言った。しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった。(村上春樹「風の歌を聴け」)
僕のついた嘘は、「私を愛してる?」と問われた際に「もちろん」と言ったことだ。
結婚したいとか、子どもが何人欲しいとか、そんなことは、あまり重要ではない。
なにしろ、その相手は、一緒に寝ている彼女とは限らなかったからだ。
35
「ねえ、私が死んで百年もたてば、誰も私の存在なんか覚えてないわね」
「ねえ、私が死んで百年もたてば、誰も私の存在なんか覚えてないわね」「だろうね」と僕は言った。(村上春樹「風の歌を聴け」)
小指のない女の子の言葉の向こう側には、「三番目に寝た女の子」の存在がある。
若くして自殺した女の子だ。
つまり、彼女の記憶さえも、日に日に淡いものとなっているということだ。
夏の香りを感じたのは久し振りだった。
夏の香りを感じたのは久し振りだった。潮の香り、遠い汽笛、女の子の肌の手ざわり、ヘヤー・リンスのレモンの匂い、夕暮の風、淡い希望、そして夏の夢……。しかしそれはまるでずれてしまったトレーシング・ペーパーのように、何もかもが少しずつ、しかしとり返しのつかぬくらいに昔とは違っていた。(村上春樹「風の歌を聴け」)
「夢は二度と戻っては来なかった」の部分と同じ内容のセンチメンタルなフレーズ。
まあ、夏の終わりっていうのは、誰だって感傷的になりますからね、、、
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実にいろんな人がそれぞれに生きてたんだ、と僕は思った。
山の方には実にたくさんの灯りが見えた。もちろんどの灯りが君の病室のものかはわからない。あるものは貧しい家の灯りだし、あるものは大きな屋敷の灯りだ。あるものはホテルのだし、学校のもあれば、会社のもある。実にいろんな人がそれぞれに生きてたんだ、と僕は思った。(村上春樹「風の歌を聴け」)
<犬の漫才師>と呼ばれたラジオのディスク・ジョッキーが、最後に再登場する。
それは、病気の女の子から届いた手紙に関するエピソードだった。
僕は・君たちが・好きだ。
ぼくの言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。僕は・君たちが・好きだ。あと10年も経って、この番組や僕のかけたレコードや、そして僕のことをまだ覚えていてくれたら、僕のいま言ったことも思い出してくれ。(村上春樹「風の歌を聴け」)
そして、8年後、主人公は、この物語「風の歌を聴け」を書いている。
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「この街は好き?」「あんたも言ったよ。どこだって同じさ」
「この街は好き?」「あんたも言ったよ。どこだって同じさ」(村上春樹「風の歌を聴け」)
東京へ帰る日の夕方、主人公は「ジェイズ・バー」に顔を出す。
別れの言葉として、このときの主人公とジェイの会話が好きだ。
あらゆるものは通りすぎる。
あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている。(村上春樹「風の歌を聴け」)
ある意味で、この物語の結論。
あらゆる者は通りすぎる。
生きている者も、死んでしまった者も。
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幸せか? と訊かれれば、だろうね、と答えるしかない。
幸せか? と訊かれれば、だろうね、と答えるしかない。夢とは結局そういったものだからだ。(村上春樹「風の歌を聴け」)
僕は29歳になり、鼠は30歳になった。
僕は結婚して東京で暮らしていて、鼠はまだ小説を書き続けている。
相変わらず、セックス・シーンはなく、登場人物は誰一人死なない小説を。
これって、もしかすると、村上春樹の理想像みたいなものなのかもしれないな。
「ハッピー・バースデイ、そして、ホワイト・クリスマス」
原稿用紙の一枚目にはいつも、「ハッピー・バースデイ、そして、ホワイト・クリスマス」と書かれている。僕の誕生日が12月24日だからだ。(村上春樹「風の歌を聴け」)
群像新人文学賞へ応募したとき、この作品のタイトルは「Happy Birthday and White Christmas」だった。
現在も、文庫本カバーの表紙になっている佐々木マキの描いたイラストには、小さな文字で「HAPPY BIRTHDAY AND WHITE CHRISTMAS」と書かれている。
泣きたいと思う時はきまって涙が出てこない。
僕は夏になって街に戻ると、いつも彼女と歩いた同じ道を歩き、倉庫の石段に腰を下ろして一人で海を眺める。泣きたいと思う時はきまって涙が出てこない。そういうものだ。(村上春樹「風の歌を聴け」)
小指のない女の子とは、二度と会うことができなかった。
彼女は「人の洪水と時の流れの中に跡も残さずに消え去っていた」から(この辺りの表現は、さすがに村上春樹も若いなあという感じがする)。
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「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか」
彼の墓碑には遺言に従って、ニーチェの次のような言葉が引用されている。「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか」(村上春樹「風の歌を聴け」)
物語の最後に、再びデレク・ハートフィールドのエピソードが登場する。
ハートフィールドに関する記述は、しつこすぎるくらいに執拗で、知らなければ、この外国人作家が、村上春樹の想像によるものだとは気づかないかもしれない(実際に騙された文芸評論家もいた)。
このハートフィールドに関するエピソードによって、本作「風の歌を聴け」は、多少なりとも立体的な作品として成功しているのではないだろうか。
書名:風の歌を聴け
著者:村上春樹
発行:1982/07/15
出版社:講談社文庫