日本文学の世界

開高健「私の釣魚大全」 日本を代表する釣りエッセイ本の名言とは?

開高健「私の釣魚大全」 あらすじと感想と考察

釣魚エッセイとして独自無類の本著。まずミミズより説きおこし、国内の河川大海はもとより遠く異国の湖沼までその足跡を残す釣人・開高健の探求と釣果。釣魚を語って卓抜な文明批評とユニークな自然観をも展げ、その多彩な描写と、無垢なる愉しみにはまず類がない。1969年刊行の原本に大幅に加筆。図版を加え決定版となす。(開高健『私の釣魚大全』 説明より)

書名:私の釣魚大全
著者:開高健
発行:1978/8/25
出版社:文春文庫

作品紹介

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釣り好き文豪として知られる開高健を代表する釣りエッセイ集です。

釣りエッセイはたくさん出版されていますが、ここまで文学的要素に富んだ釣りエッセイはなかなか見つからないと思います。

自分の体験をもとに文章を書いていくので、エッセイというよりはルポタージュに近い作品集です。

(目次)「Ⅰ」まずミミズを釣ること/コイとりまあしゃん、コイをとること/タナゴはルーペで釣るものであること/ワカサギ釣りは冬のお花見であること/カジカはハンマーでとれること/戦艦大和はまだ釣れないこと/タイはエビでなくても釣れること/根釧原野で《幻の魚》を二匹釣ること/バイエルンの湖でカワマスを二匹釣ること/チロルに近い高原の小川でカワマスを十一匹釣ること/母なるメコン河でカチョックというへんな魚を一匹釣ること/おわりにひとことふたこと 初版あとがき/「Ⅱ」井伏鱒二氏が鱒を釣る/ツキの構造/高原の鬼哭 駒込川のイワナ/探求する 最上川河口のスズキ/遂げる 嬬婦岩のオキサワラ/古拙の英知 古代釣りの愉しみ/後期完本・私の釣魚大全・あとがき

『釣魚大全』のタイトルは、もちろん、アイザック・ウォルトンの歴史的名著『釣魚大全』に由来したものです。

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なれそめ

僕が初めて開高健の作品を読んだのは、この『私の釣魚大全』だったかもしれません。

きっかけは、もちろん自分が釣りにハマり始めていたからです。

文学の好きな人が釣りを始めたら、真っ先に読む本。

それが『私の釣魚大全』という本でしょう。

読むと、ますます釣りが大好きになり、ますます釣りに行きたくなります。

もしかすると、この本との出会いが、僕の釣り好きを決定的なものにしてくれたのかもしれませんね。

本の壺

本書を読んで、僕の壺だと感じた部分を3か所だけご紹介します。

北海道の釧路川で75センチのイトウを釣りあげる

名人は顔じゅう皺になって微笑する。みんなは口ぐちに魚の大きさを嘆賞して、珍しいとか、みごとだとかいってくれた。私はおびただしく疲れ、虚脱してしまい、腰がぬけたとつぶやく。タバコに火をつけようにも手がふるえ、肩がすくんで、どうにもたわいないこと。カッと巨口をひらいたまま息をひきとりつつ肌の色がみるみる変っていく二尺五寸(75センチ)のイトウに、いいようのない恍惚と哀惜、そして、くっきりそれとわかる畏敬の念をおぼえる。(根釧原野で《幻の魚》を二匹釣ること)

『私の釣魚大全』の中で、一番好きなエッセイが『根釧原野で《幻の魚》を二匹釣ること』です。

もちろん、北海道の釧路川へ「幻の魚」と言われているイトウを釣りに出かけたときのルポタージュなのですが、このとき、開高健はなんと初挑戦にもかかわらずイトウを2匹も釣りあげてしまいます。

しかも75センチの大物。

この後、著者は60センチ級を1匹釣りあげ、さらに3回、ヒットしたものの手許で逃げられるというのもやっています。

地元の釣り名人・佐々木栄松さんがガイドについているとは言え、これはすごい。

釧路川がイトウ釣りのメッカとして知られるようになったのは、あるいは、この作品がきっかけなのかもしれませんね。

矢口高雄さんの『釣りキチ三平』が北海道の釧路川でイトウ釣りをする話も、相当に大きな影響をもたらしたと思われますが(笑)

井伏鱒二とニジマス釣りへ出かける

拠点へわれわれは午後六時、アケの客として入り、夜の十二時過ぎにハネの客として出た。おびただしい酒精を吸収してその六時間か七時間、のべつ釣りの話だけをし、アノコ、アノコといいつづけ、笑ってはしゃいだ。老師は釣った鱒を一匹ずつ店のおかみさんや知人の客などにプレゼントし、そのたびに「荻窪のイーさんを知らねえか」とニコニコ顔で凄む。(『井伏鱒二氏が鱒を釣る』)

元祖釣り好き文豪と言えば井伏鱒二。

『川釣り』という名随筆集でも知られる井伏鱒二の釣り好きは非常に有名で、著者は編集者らを交えて、井伏鱒二とニジマス釣りへ出かけます。

具体的な場所は控えられていて「あの湖(こ)」という隠語が飛び交います。

夕まずめまで昼寝しているとき、井伏鱒二が一人だけで抜け駆けして釣りに出かけ、湖に落ちてしまうエピソードは微笑ましくも、井伏鱒二の釣りに対する執念を感じさせます。

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釣りは大小じゃないよ。小さくても一匹は一匹さ。

ある小さな淵でニジマスが三匹遊んでいるのを見たが、ひどく小さかった。ニジマスの幼稚園児というところであった。「釣りは大小じゃないよ、石井君。一匹は一匹だ。小さくても一匹は一匹さ。女は女だ」(『高原の鬼哭』)

井伏鱒二の名著『川釣り』に憧れた釣り師は少なくありません。

それは大作家である開高健とて同じことで、あるとき、著者は井伏鱒二の随筆に登場する山へイワナ釣りに出かけます。

しかし、時代の変化か、イワナはそう簡単に釣れる魚ではありません。

開高健の釣りエッセイは、大物を釣り上げる成功体験が多いけれど、僕は、釣れなかったときの釣りエッセイも嫌いではありません。

むしろ、釣れない釣りエッセイにこそリアリティを感じます。

NHK-BSで放送していた「釣り紀行」みたいな番組は、そもそも釣れないことの方が多くて、それがおもしろかったほど(笑)

釣りっていうのは、そんなに簡単なものじゃないっていうことなんですよね。

読書感想こらむ

僕の中には、昭和時代に対する憧れのようなものがある。

それは、日本が戦後の混乱を克服し、高度経済成長の波に乗って、世界の大国のしての仲間入りを果たさんとしていた「昭和40年代」への憧れだ。

1960年代から1970年代にかけて、日本は文字どおり「激動の時代」を乗り越え、「レジャーブーム」とか「観光ブーム」とか呼ばれる「庶民の時代」を迎えていた頃のことで、「日本列島改造論」で急速に変貌しつつある中、日本にはまだまだ日本らしい魅力に溢れていた。

国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが始まったり、「秘境ブーム」なる謎の秘境人気が出たり、日本人はとにかく日常生活から逃れようと、「まだ見ぬ日本」を探し続けていた。

グーグルアースで世界の隅々まで見渡せてしまう時代、もはや我々に「秘境」は残されていない。

唯一残された秘境があるとすれば、それは「本」の中にある秘境だ。

開高健の『私の釣魚大全』は、あの頃の日本人の高揚を余すところなく伝えてくれる、まさしく秘境の名著だ。

まとめ

開高健の『私の釣魚大全』は、日本の釣りエッセイの最高峰だ。

釣り人は大いに文学を語るべし。

釣る前に読むか、読んでから釣るか、それが問題だ。

著者紹介

開高健(小説家)

1930年(昭和5年)、大阪生まれ。

ベトナム戦争からグルメまで、優れたルポタージュ文学の名手として知られる。

本書発行時は48歳だった。

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。