庄野潤三の世界

庄野潤三が「自分の経験したことだけを書きたい」と誓った昭和34年の正月を振り返る

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庄野さんが名随筆「自分の羽根」を発表したのは、1959年(昭和34年)1月13日の産経新聞だった。

それは、冬休みも終わりに近い小学五年生の長女が「羽根つきをしよう」と、運動不足の父親を誘う場面から始まる。

父娘は家の中で羽根つきを始めるのだが、自分と娘との間を羽根が行きつ戻りつするのを見ていると、最初は木の部分から先に上がっていき、それがいちばん高いところに達するまでに羽根が上、木が下になり、弧をえがいて落ちてくる。

羽根の美しい動きに、庄野さんは「われわれの先祖はたしかにすぐれた美感を持っていた。お正月の女の子の遊びに、羽子板でこういうものを打つことを考えだすなんて。まるい、みがいた木の先に鳥の羽根をつけて、それでゆっくりと空に飛び上っていき、落ちて来るまで全部見えるようにこしらえるとは、よく考えついたものだ」などと考えている。

そして、落ちてくる羽根を何とか打ち返そうとしているうちに、庄野さんは大事なことを思い出した。

それは、自分が打ち返すときに、落ちてくる羽根を最後まで見る、ということだった。

「私は自分の経験したことだけを書きたい」という誓い

庄野さんがこのことを発見したのは、二年前の冬で、誰もいないテニスコートで、ボードを相手に一人で練習していた時のことだという。

球を最後まで見ることを心がけて打つと、自然とラケットの真ん中に当たることが分かったと、庄野さんは回想している。

それから庄野さんは、このことを文学についても考えてみた。

私は自分の経験したことだけを書きたいと思う。徹底的にそうしたいと考える。但し、この経験は直接私がしたことだけを指すのではなく、人から聞いたことでも、何かで読んだことでも、それが私の生活感情に強くふれ、自分にとって痛切に感じられることは、私の経験の中に含める。(庄野潤三「自分の羽根」)

この「私は自分の経験したことだけを書きたいと思う」という精神を、庄野さんは生涯を通して貫くことになるということは、現在の読者が知っているとおりだ。

随筆はさらに続く。

私は作品を書くのにそれ以外の何物にもよることを欲しない。つまり私は自分の前に飛んで来る羽根だけを打ち返したい。私の羽根でないものは、打たない。私にとって何でもないことは、他の人にとって大事であろうと、世間で重要視されることであろうと、私にはどうでもいいことである。人は人、私は私という自覚を常にはっきりと持ちたい。(庄野潤三「自分の羽根」)

ちなみに庄野さんは、この随筆を発表した翌月に38歳となる年齢だった。

家族と一緒に(昭和34年元旦、石神井公園)家族と一緒に(昭和34年元旦、石神井公園)

この後、庄野さんは3月に『ガンビア滞在記』を単行本書下ろしで刊行。

さらに翌35年6月、代表作となる「静物」を群像に発表することになるのだが、「自分の羽根」で進むべき方向を見つけてから「静物」を書き上げるまでの道は、決して平坦なものではなかった。

「私は自分の前に飛んで来る羽根だけを打ち返したい」という強い決意は、小説家としての庄野さん自身を苦しめることにもなったのかもしれない。

バットの真芯でとらえた名作「夕べの雲」

しかし、自分の前へ飛んで来た羽根だけは、何とかして羽子板の真中で打ち返したい。ラケットでもバットでも球が真中に当った時は、いちばんいい音を立てることを忘れてはならない。そのためには、「お前、そんなことを書いているが、本気でそう思っているのか」と自分に問うことにする。その時、内心あやふやなら、その行は全部消してしまい、どうしても消すわけにはゆかない部分だけを残すこと。(庄野潤三「自分の羽根」)

やがて、庄野さんは昭和40年1月に名作「夕べの雲」を完成させて、自分自身にとってど真ん中のストライクゾーンをとらえることに成功する。

ヒットではない、大ホームランを記録するのだ。

どうせ大したことは見も、感じもできるわけではないということを胸に刻みこむこと。その代わり、「当り前のことで、何も珍しいことではないかも知れないが、自分はいっておきたいことがある。どうもよくは分らんが、自分には話すだけの価値のあることのような気がするから。別に誰が聞いてくれなくてもいいことだが」ということは、しっかりと書きたい。つまり、そいつこそ私の打つべき羽根に間違いないだろうから。(庄野潤三「自分の羽根」)

ベストセラーを書くことを目標にしていたら、「別に誰が聞いてくれなくてもいいことだが」なんていうことは言っていられない。

「当り前のことで、何も珍しいことではないかも知れないが、自分はいっておきたいことがある。どうもよくは分らんが、自分には話すだけの価値のあることのような気がするから」ということを書き続けて、庄野さんは庄野さんにしかできない文学の道をまっとうしたのではないだろうか。

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。