日本文学の世界

中上健次「路上のジャズ」60年代の新宿から届く青春時代への鎮魂歌

中上健次「路上のジャズ」60年代の新宿から届く青春時代への鎮魂歌

マイルス・ディビス、ジョン・コルトレーン、アルバート・アイラー。

1960年代の新宿に、ジャズの嵐は激しく吹き荒れていた。

これはモダンジャズに激しく魅せられた若者の、青春時代に対する追悼文だ。

書名:路上のジャズ
著者:中上健次
発行:2016/7/25
出版社:中公文庫

作品紹介

「路上のジャズ」は、中上健次のジャズのすべてを1冊にまとめた文庫本です。

ベースになっているのは、1983年に出版された「破壊せよ、とアイラーは言った」(集英社文庫)ですが、前半に中上健次が様々な出版物で発表したエッセイを掲載するとともに、詩「JAZZ」、小説「灰色のコカコーラ」を収録。

後半では、「破壊せよ、とアイラーは言った」などのジャズ評論のほかに、ジャズ評論家である小野好恵さんによるインタビューも掲載されています。

基本的には1960年代に20歳前後の青春を過ごした著者が、ジャズに魅せられていた日々を克明に描き出す内容となっています。

1960年代の新宿の荒廃した空気感を背景に描かれるモダンジャズの持つエネルギッシュな魅力が、中上健次の凄まじい文章で再現されているかのよう。

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今もスマホでジャズを聴きながら、この原稿を書いています [/chat]

ミュージシャンとかジャズの歴史とかを語る資格も術もなく、ただ「ジャズっていいよねー」と曖昧に共感するだけの極めてライトなジャズファンとでもいうか。

だから、古本屋で「路上のジャズ」を見つけたときも、「中上健次ってジャズが好きだったんだ」と思ったくらいで、まあ、ジャズについて書かれたエッセイが入っているなら読んでみようかなといった気持でした。

ジャズの雰囲気が好きで、エッセイを読むのが好きという自分の嗜好が、何となく、このジャズ本を手にした、本当にささやかな理由でした。

本の壺

エッセイを読む

僕が「路上のジャズ」を買った目的は、ジャズに関するエッセイを読むため。

正直に言って、中上健次の小説なんてよく分からないし、ジャズに関するエッセイくらいは理解できるだろうと思っていました。

本書では、そんな中上健次のジャズに関するエッセイが9本収録されています。

初出は「スイングジャーナル」や「大阪読売新聞」など様々ですが、書かれているのは、いずれも東京で暮らし始めた18歳から23歳にかけての青春時代の物語

新宿のジャズ喫茶「ジャズ・ビレッヂ」に入り浸ってチンピラグループに仲間入りし、鎮痛剤でハイになりながらマイルス・デビスを崇拝していた、そんな青春時代。

鼓膜がおかしくなるくらいジャズばかり聴いていた中上健次にとって、ジャズはそんな街の中で生きながら聴くべき「生きた音楽」だったようです。

2020年の現代に共感できるエピソードではないかもしれませんが、1960年代という時代や新宿という街、そして、モダンジャズが持っていた圧巻の力を、中上健次の文章は余すところなく伝えてくれます。

小説を読む

本書に収録されている小説は、「早稲田文学 1972年12月号」に発表された「灰色のコカコーラ」という短編小説です。

1960年代に20歳前後を過ごした著者の凄惨な青春がリアルに描かれています。

新宿、1960年代、学生運動、鎮痛剤と睡眠薬、煙草とアルコール、そして、ジャズ喫茶。

「人間が犬のように暮らしている一千万人の人口の街」東京で、主人公の「ぼく」は様々な刺激に囲まれて暮らしますが、「なにもかもうんざりだった。なにもかもぼくを熱中させはしなかった」と語るように、どこまで行っても満足を得ることはできません。

荒廃した時代が描かれていますが、荒廃していたのは、果たして時代なのか、街なのか、あるいは人間なのか。

いつの間にかジャズを離れて、1960年代のカルチャーを疑似体験しながら、人間が人間らしく生きていた時代に、想いを馳せていました。

ジャズ評論を読む

本書後半に収録されている「破壊せよ、とアイーラは言った」は、中上健次によるジャズ評論です。

取りあげられているミュージシャンと作品は、アルバート・アイーラ「ゴースト」、テルオ・ナカムラ「マンハッタン・スペシャル」、マイルス・デビス「リラクシン」、アーch-・シェップ「ブラック・ジプシー」、ジョン・コルトレーン「クル・セ・ママ」、エルヴィン・ジョーンズ「ヘヴィ・サウンズ」、セロニアス・モンク「サムシング・イン・ブルー」。

一連の評論は「週刊プレイボーイ」誌上で、1979年3月から7月にかけて連載されたもので、中上健次が敬愛するフリージャズのミュージシャン、アルバート・アイラーを基軸に描かれています。

それは、中上健次が訪れているニューヨークの街で、アイラーの遺体が発見されたというハドソン川を見たことがきっかけとなって、ジャズにのめり込んでいた青春時代を次々と回想しながら、あの頃に愛したジャズ・ミュージシャン一人ひとりのスポットを当てていくというストーリー。

著者の青春時代を追体験するようにジャズ・ミュージシャンへの思いが展開されていくことから、純粋なジャズ評論というよりも、青春時代を告白するするようなエッセイといった感じです。

そういう意味では、ジャズに詳しくない人にも親しみやすい内容になっているのではないでしょうか。

読書感想

読み始めたとき、あまりの凄まじい展開に、ちょっと頭がクラクラしました。

1960年代の新宿に実在したというジャズ喫茶「ジャズ・ビレッジ」を舞台に繰り広げられる青春のドラマが、2020年に生きる人間の頭にはすんなり入って来なかったから。

わずか半世紀でまったく異なるカルチャーを織り成す日本という国の不思議さというよりも、戦後から現在に至るひとつの過程が1960年代の新宿という場所が持つ特殊性だったのかもしれませんね。

そう頭を切り替えることで、ようやく中上健次がモダンジャズに対して抱く信仰のような思いを理解することができるようになりました。

「ロックは小ブルの物のような気がする」と言う著者は、アルバート・アイラーの「スイングしたサックスのうねりから、貧しくて腹一杯飯を食うことも出来ずにいる少年が見える」と言います。

そして、そんなジャズ音楽であっても、現在の自分の部屋のステレオで聴くジャズは絶望的だと感じます。

ジャズは「ジャズ喫茶で聴くべきもの」「路上で聴くべきもの」であり、「自分の小市民的生活の背景音楽になど似合っていない」というのが、著者・中上健次の結論だったわけです。

などというような文章をフムフムと読みながら、本書に登場するジャズミュージックをApple MusicでBGMに聴いているというのは、もしかすると、中上健次に対する冒涜かもしれないなと、ちょっと思ったりもするわけですが、、、

でも、本書を読むことで、ちょっとジャズに対する理解が深まったような気がするのは、正直に言ってうれしいです。

都会的に洗練されたオシャレなジャズではなくて、マイノリティの音楽としてのジャズに、ちょっと興味がある方に、どうぞ。

音とは祈りである、とコルトレーンを見てそう思い、書くこととは祈りである、と私は、思った。祈りのように書くのではない。祈りのように書いて一体どうなろう。書くことは祈りだと思うのは、ズタズタに自分を切り裂き、骨をすら切り刻むという決意であった。(中上健次「路上のジャズ」より)

まとめ

1960年代の新宿で過ごした若者の青春時代への鎮魂歌。

エッセイも小説も評論も、中上健次のジャズに対するすべてが集結。

理屈では感情で綴るジャズエッセイは心に響きます。

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。