日本文学の世界

福原麟太郎「天才について」英文学者はなぜ稀代の名随筆家となったのか

福原麟太郎「天才について」英文学者はなぜ稀代の名随筆家となったのか

福原麟太郎さんの随筆集「天才について」を読みました。

随筆文学の真髄に触れたような気がします。

書名:天才について
著者:福原麟太郎
発行:1990/11/10
出版社:講談社文芸文庫

作品紹介

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「天才について」は、福原麟太郎さんの随筆集です。

単行本は、1972年(昭和47年)5月に毎日新聞社から「現代日本のエッセイシリーズ」として刊行されています。

解説の高村勝治さんの解説が素晴らしいので引用します。

福原麟太郎先生は稀代の名随筆家だった。先生のような名随筆家は今後またと現れないであろう。先生の随筆には異常な事柄が語られるわけでもなく、特殊な人物が登場するのでもなく、平々凡々な日常生活が述べられているにすぎない。それでいて、ひとたび先生の随筆を読みだしたら、たちまち、そのとりこになってしまう。途中でやめるわけにはいかない。読み終って、読者はうんとうなって、なるほどと共鳴する。ともかく名文である。どの一篇も、まとまりのある文学作品なのだ。(高村勝治「人間愛―「われ愚人を愛す」」)

あらすじ

福原麟太郎さんの「天才について」は、雑誌や新聞などに掲載された短い随筆を一冊にまとめた随筆集です。

それぞれの随筆は、テーマごとに「あの頃のこと」「大人の文学」「文化の日」「師友」「隣は何をする人ぞ」「わずかの旅」「野方閑居の記」「折り折りの人」という章でまとめられています。

昭和30年代初頭のものが中心ですが、戦前戦後に書かれた作品も多く含まれています。

目次///「あの頃のこと」緑の思い/秋の空は澄んで/読書の愉しみ/二塁手/あの頃のこと/信義/気を紛らされること/猫/詩心の喪失/よき日々の学生/文語/する、しない///「大人の文学」浪費主義/詩の説///「文化の日」古典と人間の知恵/文壇人達/日本の言葉/師弟/鳩山さん/墓標/富貴の家/十月生れ/犬の話/運動会/芸者の系譜/中流家庭の幸福/辞書ブーム/礼状一通/老人の日/三四郎日和/新聞配達の少年達/或る文学者のこと/文化の日///「師友」石川林太郎先生のこと/土田杏村/初春の御祝儀/人の一生/熊谷文/「鎮れ、鎮れ」/竹の屋主人/「雪」/能楽/岡倉天心/天才について///「隣は何をする人ぞ」野方の里/六月の季節/夏の序曲/初秋/亥の子/樽干し場/男ありけり/新しい家/治水/詩人ホジソンの死に際して/トレヴェリアン教授/紳士・吉田健一/散歩/街/『嵐が丘』について/日本の歌人達///「わずかの旅」スペイン/ハイデルベルヒ/河/塩と下駄/京都/宇治/伊豆/初夏二題/英京七日/イギリスの乳離れ/ロンドンの学校///「野方閑居の記」或る日曜日/或る月曜日/或る金曜日/或る土曜日///「折り折りの人」七代目 幸四郎/小山内薫/戸川秋骨/菊池寛/安倍能成/楊草仙/竹友藻風/上田辰之助/ヘンリー・バーゲン/杉村楚人冠///人と作品(高村勝治)/年譜(中村義彦)/著書目録

夢は“二塁手”だった。ささやかな日常、文学、師友、旅、読書、観劇─。著者の“詩魂”が、人生のさまざまな機微を掬い取る。英文学界を領導した第一級の学殖─学問と人間への愛に支えられた秀れた感性が語る真のユーモア溢れる格調高いエッセイの世界。(カバー文)

なれそめ

福原麟太郎さんという英文学者の名前を、僕は庄野潤三さんの随筆で知りました(最近の僕の情報源は、庄野さんの古い随筆が中心になっています)。

福原さんは、庄野さんにとって「心の師」とも呼ぶべき存在であるらしく、そういう意味で、最近の僕は庄野文学のルーツを通して、自分の読書範囲を広げているということもできそうです。

ただし、福原さんの著作は、戦前戦後にかけてのものも多く、また、高名な英文学者の書いた「格調高いエッセイ」というイメージも手伝って、僕には少し敷居が高いような気がしたことも確かです。

ただし、ラーメンの味と同じで、文学は他人の評価ばかりを当てにするのは危険です。

自分で読んで、自分で判断する。

とにかく、僕は福原麟太郎さんの随筆という世界に入ってみようと思いました。

随筆は短いものも多く、面白そうなタイトルのものから読んでいけばいいので、とにかく入門者向きですよね。

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

とにかく浪費である。どんどん読み捨てる。そして結局それが倹約である。

本も容赦なくサヨナラする。面白くなければ読まない。どんな本でも自分に本当に必要であり、本当に良書である限り面白くない筈はないものである。(略)面白くない本は要するに自分に向かないか要らないかの本である。顔を洗って出直せば又面白いかも知れない本である。面白さに従って三頁で止め、十頁で止め、三章で止める。三章位読めば大抵書いてあることは解るものである。(「浪費主義」昭和31年)

これは、福原さんの読書法についての随筆です。

福原さんは、自分の読書を「浪費主義」だと言います。

とにかく、たくさんの本を読むけれど、その代わり、面白くない本は読まない。

面白くない本は、要するに自分に向かないか、自分には要らない本であって、あるいは、顔を洗って出直せば、面白いかも本かもしれしれませんが、とにかく、今の自分が読むべき本ではないということ。

日頃、多くの本を読むことを趣味にしている自分にとって、これは目から鱗の読書法でした。

本は古本屋で買ってくることが多いので、買った以上読まなければもったいないという意識が働いて、多少面白くない本でも我慢して最後まで読むことが多々あります。

だけど、今後は福原式の浪費主義の読書法を真似てみようと思いました。

そういう日にあうと、今でも、今日は三四郎日和だ、などという

あの小説の季節は秋だ。(略)それは幸福な平和な知識人達の世界である。悪い人は誰もおらず、悪いことも起らない。秋のあたたかな日射しが、すべてのものの上に、まぶしく、ぽかぽかと当っていて、空は青く澄んでいる。そういう日にあうと、今でも、今日は三四郎日和だ、などという。(「三四郎日和」昭和31年)

夏目漱石の「三四郎」に関する文学随想ですが、「三四郎」についての解説は一切ありません。

むしろ、「三四郎」は秋晴れの日の形容として引用されているくらいで、すべての読者が「三四郎」を理解していると前提しているところから、この随筆は始まります。

その上で、心地良い秋の陽気を「三四郎日和」と呼んで、夏目漱石の、この代表作が、いかに多くの日本人に愛されているかということを、しみじみと確認していて、殊に「秋晴れのような爽やかさが、あの小説を愛させるのであろう」という言葉は、「三四郎」を評するひとつのベーシックなのではないかと思いました。

「美禰子のような知的な若い女性が、当時果して、いたかどうか解らない」「むしろ漱石の象像の中に住んでいたに過ぎないかもしれない」などという文章は、福原さんもやはり美禰子に対する特別の愛情を持っていたのかもしれないと感じさせます。

夏目漱石の「三四郎」が朝日新聞に連載されたのは、1908年(明治41年)で、福原さんが「三四郎日和」を書いたのは、その48年後の1956年(昭和31年)のこと。

当時20歳で新聞連載を読んだ人たちが、70歳で生きているくらいの時代なので、漱石の「三四郎」は決して古典ではなかったのかもしれませんね(ちなみに、「三四郎」連載当時、福原さんは14歳だった)。

「三四郎」の中で、広田先生は「日本は滅びる」と予言しますが、「現実の日本は、広田先生の言ったとおり、それから四十年の後に本当に滅びてしまう」という福原さんの指摘を読んで、「三四郎」が現代日本とリアルに繋がっているのだという事実を、改めて強く感じました。

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一番心に沁みてロンドンにいる思いをさせてくれたのは、ストランドの通であった

私の通った大学はストランドにあった。(略)バス、自動車、トラック、ロンドンに特有なタクシー、それに、輝く街の灯火、薄く立ちこめた霧、そして歩道を行交う人の流れ、何とも知れぬ巷の雑音。そういう中をくぐっていると、何だか、幸福と淋しさに、私は胸が迫ってくる気がした。そして百余年前に「こんな盛んな、生き生きとした街の姿を見ると、嬉しさが胸に満ち、眼もあやなすストランドの通で、私は、しばしば泪を流すのです」と言ったチャールズ・ラムを、心からしみじみ慕ったものだ。(「街」昭和37年)

解説の高村さんが「このころからラムへの急接近が見られ、先生の随筆も次第にラム的なものになり、やがて、ラムをわがものにされて、「福原随筆」が完成した」と書いているように、福原さんの随筆文学の礎は、イギリスのチャールズ・ラムでした。

それだけに、ロンドンの街でチャールズ・ラムを感じたときの福原さんの感動というのは、決して他者には計り知れないものだったのではないでしょうか。

それでも、人々の生きる声が聞こえてくる街・ロンドンのざわめきは、福原さんの随筆からもしっかりと伝わってきます。

この随筆を読んだとき、僕もロンドンへ行ってみたいと思いました。

チャールズ・ラムが愛した街並みを自分の目で確かめ、そして、そこで生きる人々の息遣いを、自分で体験してみたいと思ったのです。

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読書感想こらむ

福原さんの「天才について」という随筆集を読み終えた後、僕は、しばらく読後の余韻に浸っていました。

小説であればともかく、随筆集を読んだ後に、こんなにも余韻を引きずるなんていうことは、もしかすると初めてかもしれません。

この余韻は、一体何の余韻なんだろう。

「天才について」の中には、僕に福原さんを読むきっかけを与えてくれた庄野潤三さんに関する随筆もありました(「或る月曜日」)。

それは、アメリカ東部オハイオ州のガンビアという小さな村に関するもので、福原さんは、庄野さんの「ガンビア滞在記」という作品によって、ガンビアの地理について詳しい知識を身に付けたそうです。

文学の世界というのは、本当に繋がっているものなんだなと思いました。

「天才について」というタイトルは、本書に収録されている一篇の随筆の題名であって、本書全体が「天才について」書かれているものではありません。

本当の随筆文学を知りたいと考えている方に、ぜひお勧めしたいと思います。

まとめ

福原麟太郎さんの「天才について」は、日本の随筆文学の傑作です。

随筆文学とは何か?ということを知りたい方に。

読後の余韻が凄いです。

著者紹介

福原麟太郎(英文学者)

1894年(明治27年)、広島県生まれ。

東京教育大学教授(現在の筑波大学)として活躍。

「天才について」刊行時は78歳だった。

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。