福原麟太郎の随筆集「夏目漱石」(荒竹出版、1973年)に収録されている「庄野潤三氏と語る『日本の文壇と英文学—夏目漱石をめぐって』」の中には、庄野さんが影響を受けた文学作品が、いくつも登場していて、庄野文学の背景を探る上での参考となりそうである。
杉村楚人冠の『湖畔吟』という随筆集を読みまして、いいエッセイを書かれる人がいるんだなあと思って印象に残っているのです。
(庄野)
わたしが外語のときに杉村楚人冠の『湖畔吟』という随筆集を読みまして、いいエッセイを書かれる人がいるんだなあと思って印象に残っているのです。その杉村楚人冠が福原さんとこういうふうなつながりがあったということを知って、何か不思議な因縁のようなものを感じたのです。
杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)は、明治から大正にかけて活躍した新聞記者で、外電の翻訳を担当するなど、英語を得意にしていた人らしく、特派員としてイギリスで暮らしたこともあった。
多くのエッセイを手がけ、「湖畔吟」は大正13年からアサヒグラフに連載された名著で、千葉県我孫子市にある「杉村楚人冠記念館」では『湖畔吟 現代表記版 注解付』(全3巻・各600円)を販売しているようなので、今度買ってみようと思う。
それからまた戸川秋骨というのは『朝食前のレセプション』という本がございました。
(庄野)
それからまた戸川秋骨というのは『朝食前のレセプション』という本がございました。この本はわたしは買わなかったのですけれども、買おうか買うまいかと思って、本屋で考えていたので、はっきり覚えているのです。
(福原)
あれやはり戸川さんのエッセイ集としてはとてもいい本じゃないですかね。それからかなり自伝的だし、だから、自分がいかにして英文学に接したかとか、どういう先生に習ったとかいうことをたくさん書いてありましたね。
戸川秋骨は、明治から大正にかけて活躍した英文学者で、島崎藤村や馬場孤蝶らと学友であったことは、以前に読んだ福原さんのエッセイに書かれていた。
随筆家としても著名で、「朝食前のレセプション」は昭和12年に刊行されたエッセイ集。
戦前の本なので、よほど出会いがないと入手が難しそうだけれど、いつか読んでみたい。
やはり戸川秋骨は『トム・ジョーンズ』が好きだったんでしょうね。
(福原)
あの前に『英文学覚帖』というのがあって、その中に『トム・ジョーンズ』の梗概を長々と書いてありました。これはとてもおもしろかったですね。だれが書かしたのか知らないけれども、ひじょうに長く詳しく書いてあるのです。わたしは『トム・ジョーンズ』を読むより先にこの戸川さんの『覚帖』で覚えましたですね。
(庄野)
やはり戸川秋骨は『トム・ジョーンズ』が好きだったんでしょうね。それだけ長い梗概を書かれるくらいですからね。
『トム・ジョーンズ』(トム・ジョウンズ)は、イギリスの小説家ヘンリー・フィールディングの代表作で、サマセット・モームも「世界の十大小説」の一つとして推挙している。
1749年に発表されていて、18世紀のイギリスが舞台となっている。
『トム・ジョウンズ』は朱牟田夏雄の翻訳で、岩波文庫(全4巻)から出ているので、チャンスがあれば読んでおきたいけれど、「全4巻」はなかなかボリュームがありそう…
現代のイギリスのエッセイスト—ガーディナーとか、ロバート・リンドとかルーカスとか、ベロックとか、そういう人たちを集めた教科書だったのです。
(庄野)
わたしが外語に入りましたときに、初めてイギリスのエッセイというものを、その当時上田畊甫という先生がいたのですけれども、その先生がエッセイが好きで、そしてたぶん研究社あたりから出ていた教科書だろうと思うのですけれども、現代のイギリスのエッセイスト—ガーディナーとか、ロバート・リンドとかルーカスとか、ベロックとか、そういう人たちを集めた教科書だったのです。それがひじょうにおもしろかったのです。それでいちばん初めにガーディナーの「ザ・フェロー・トラヴェラー」というのがありまして、こういうおもしろいものがあるのかなあと思って、何か自分の身に合ってるような気がしました。それまで全然文学青年でなくて、岩波文庫なんかも読んだことなかったし、小説というのもあまり好きじゃなかったのですけれども、それを読み出して、それからエヴリマンズ・ライブラリーでチャールズ・ラムの『エリア随筆』を買ってきました。それから『ア・センチュリー・オブ・イングリッス・エッセイズ』というのがやはりエヴリマンズ・ライブラリーにあって、これはもう少したってからですけれども、買ってきてイギリスの文学のエッセイの歴史を眺めるような気持で、全部じゃありませんけれども、自分でおもしろそうなのを、読んだのから一つずつ鉛筆でまるい印をつけながら読んだことがあるのですけれども。
長い引用になってしまったけれど、庄野さんのイギリス文學との出会いが丁寧に再現されている言葉だと思ったので。
岩波文庫から出ている「たいした問題じゃないが—イギリスコラム傑作選」(行方昭夫編訳)には、ガーディナー(ガードナー)やリンドが収録されていて、庄野さんが読んだイギリスエッセイの一部を読むことができる。
これは、庄野文学に触れた後で、そのうち読んでみようと思って買ってあったのが、積読状態になっていた。
ガーディナーの「ザ・フェロー・トラヴェラー」は収録されていないが、20世紀初頭のイギリスエッセイの雰囲気を感じることはできるだろう。
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伊藤整さんの『得能五郎の生活と意見』はスターンを手本にして書かれたそうですね。
(庄野)
伊藤整さんの『得能五郎の生活と意見』はスターンを手本にして書かれたそうですね。
(福原)
そうらしいですね。
(庄野)
あれはわたしは伊藤整さんの作品の中では好きな作品なんです。一つ一つが独立した短篇になっていて、それを積み重ねていって一つの長篇ができ上るという…。
北海道出身の伊藤整の作品はいくつか読んだけれども、『得能五郎の生活と意見』は未読。
「一つ一つが独立した短篇になっていて、それを積み重ねていって一つの長篇ができ上る」という構成は、何だか庄野さんの作風を思わせるところがある。
「スターン」はローレンス・スターンのことで、18世紀のイギリスで活躍した作家だが、その人に『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』という作品があるので、伊藤整が手本にしたというのも、なるほどと思われる。
ローレンス・スターンの方はともかく、まずは伊藤整の『得能五郎の生活と意見』の方を読んでみたい。
ちなみに、夏目漱石も「スターンのトリストラム・シャンディ論」を書いているという話がこの後で登場するが、福原さんと庄野さんとのこの対談のテーマは、そもそも夏目漱石と英文学だったということを、今思い出した。
夏目漱石についての庄野さんの話は、また別に書きたい。
書名:夏目漱石
著者:福原麟太郎
発行:1973/9/25
出版社:荒竹出版