村上春樹の世界

村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」マーロウとギャツビーに捧げる80年代の集大成

村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」あらすじと感想と考察

村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」読了。

本作「ダンス・ダンス・ダンス」は、1988年(昭和63年)に講談社から刊行された長編小説である。

この年、著者は39歳だった。

1980年代を締めくくる総決算的な長篇小説

なんだかんだ言って、僕は、この『ダンス・ダンス・ダンス』という小説が大好きだ。

この小説には、1980年代の村上春樹が持っていたあらゆるエッセンスが詰め込まれている。

作品の位置づけとして『ダンス・ダンス・ダンス』は、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』という、いわゆる<鼠三部作>に連なる完結編であり、物語の筋書きとしては『羊をめぐる冒険』の続編ということができる。

端的に言えば、村上春樹にとって、1980年代を締めくくる総決算的な長篇小説ということになるのだろう。

村上春樹の次の長編小説は、1992年(平成4年)に刊行された『国境の南、太陽の西』。ここから先の村上春樹は、1980年代の村上春樹とは違う作家である。

34歳の主人公<僕>は、『羊をめぐる冒険』で突然に姿を消したガールフレンドを探す旅に出かける。

彼女を探すうちに、<僕>は昔の友人と再会したり、殺人事件に巻き込まれたりする。

主人公の職業を私立探偵に置き換えると、これは完全に「ミステリー小説」ということになるだろう。

本格推理小説と違っているのは、事件の謎を解くのは、霊媒的な力を持った美しすぎる女子中学生<ユキ>であり、事件の背景を形作っているものは、いわゆる犯罪でなく、<僕>の内的な自己核だ、という点である。

行方不明のガールフレンドを探す旅は、主人公にとって自分探しの旅でもあった、ということなのだろう。

細部に目を向けると、『ダンス・ダンス・ダンス』は、いかにも村上春樹らしいレトリックによって構築された小説である。

「でもどうしてそんなにボーイ・ジョージばかり目のかたきにするのかしら?」とユキは言った。「どうしてだろう?」「本当は好きだからじゃないの?」(村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」)

随所に登場するロックバンドやミュージシャンの名前は、村上春樹的レトリックの最たるものだろう。

古い時代の音楽と現代の流行音楽とは、そのまま1960年代と1980年代との対比となっていて、時代の移り変りに伴う社会の変化を暗示している。

<僕>が乗っている中古のスバルと、五反田君のマセラティ。

懐かしい<いるかホテル>と、現代的な<ドルフィン・ホテル>。

時代の新旧対立は、この物語が提示する大きなテーマの一つだが、新しい時代にうまく馴染むことのできない<僕>の生きづらさは、激動のバブル時代という高度資本主義社会を生きる人々の生きづらさでもあった。

「トレンディーじゃないんだ」「カードなんて見たこともなかった」「文化的雪かき」「異議なし」「汚いに二票、動議採択」「『かっこう』とメイが言った」「さて、と僕は思った」「さてさてさてさてさてさてさてさて……」「それでは次のニュース」──

楽しいレトリックの数々。

小説におけるレトリックの楽しさというものを、僕は、この小説で覚えた。

当時、付き合っていた女の子と二人で『ダンス・ダンス・ダンス』ごっこをするうちに、ほとんどの文章が、頭の中に刷り込まれてしまったくらいだ(馬鹿みたいだけど、ユキ的に言って)。

最初から最後まで、あたかも気楽なエッセイでも綴るかのように、この小説の文章は実に伸び伸びとしている。

肩の力を抜いて書かれた作品だからこそ、この小説は村上春樹らしさに溢れていたのだろうか。

そして、中学校時代のクラスメート・五反田君との交流は、レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』における、<フィリップ・マーロウ>と<テリー・レノックス>との友情を思わせ、F・スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』における<ニック・キャラウェイ>と<ジェイ・ギャツビー>との友情を思い起こさせる。

もしも、<僕>が現代のマーロウであり、ニックだとしたら、五反田君は現代のテリーであり、ギャツビーだった。

我々はどちらも三十四歳で、それは十三歳とはまた違った意味でとても難しい年齢だった。二人とも年をとるということの本当の意味を少しずつ認識し始めていた。そして我々はそれに対してなにがしかのものを準備しはじめなくてはならない時期にさしかかっていた。(村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」)

『長いお別れ』でも『ギャツビー』でも、二人の友情は永遠ではない。

永遠ではないからこそ美しい友情もあるのだということを、『ダンス・ダンス・ダンス』は伝えたかったのかもしれない。

ある意味で『ダンス・ダンス・ダンス』は、フィリップ・マーロウとグレート・ギャツビーに捧げるオマージュ的な作品だった。

自分の中の<羊男>と踊り続けている

『羊をめぐる冒険』に続いて、札幌が主要な舞台のひとつとなっているところもいい。

僕は札幌の駅につくと、ぶらぶらいるかホテルまで歩いてみることにした。風のない穏やかな午後だったし、荷物はショルダー・バッグひとつだけだった。街の方々に汚れた雪がうずたかく積み上げられていた。(村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」)

<ドルフィン・ホテル>に勤める若き女性<ユミヨシさん>は、この作品の中では調和を維持するためのバランサーとしての役割を果たしている。

物語が違う方向に流れていきそうなときに現われて、ストーリーを正しい方向へと導いていく。

物語の最初と最後にユミヨシさんが登場することで、この長篇小説のまとまりある構成が保たれているのだ。

そして、もう一人の<僕>自身とも言うべき<羊男>の存在。

「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい? 踊るんだ・・・・踊り続けるんだ・・・・・・・。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ」(村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」)

あれから僕は「踊り続けるんだ」という言葉をつぶやき続けながら、その後の人生を生きてきたような気がする。

意味なんてことは考えちゃいけない。

とにかく、踊り続けるんだと、自分に言い聞かせながら。

人はみな、自分の中の<羊男>と折り合いをつけながら、自分だけのステップを踊り続けているのかもしれない。

そして、久しぶりに読んでも『ダンス・ダンス・ダンス』は、やっぱりちゃんとした小説だった。

もしかすると、村上春樹の代表作は『ダンス・ダンス・ダンス』なんじゃないだろうか。

そんな感想を言いたくなるような、1980年代の名作である。

そして、理屈抜きに、掛け値なしで心から「好きだ」と言える、最後の村上春樹作品だった。

書名:ダンス・ダンス・ダンス
著者:村上春樹
発行:1991/12/15
出版社:講談社文庫

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。