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コロナ・ブックス「作家のおやつ」お菓子が繋ぐ作家と読者との新しい絆

コロナ・ブックス「作家のおやつ」お菓子が繋ぐ作家と読者との新しい絆
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浅草文士の久保田万太郎は、鎌倉名物として有名な豊島屋の「鳩サブレー」が大好物で、「鎌倉の春としまやのはとさぶれ」の句を詠んでいる。

鎌倉由比ヶ浜で寛ぐ万太郎の写真は、文藝春秋新社で写真部に在籍した樋口進が撮影したものだが、こういうプライベートの写真を見ると、著名な作家の人間的な一面を垣間見た気がして、自分の好きな作家がますます好きになってしまうというものだろう。

コロナ・ブックス「作家のおやつ」は、作家が日頃愛したおやつを辿ることで、その内面に迫り、作品理解の一助にしようとするものである。

ここで紹介される作家は、三島由紀夫や手塚治虫、開高健、小津安二郎、川端康成など一流の文化人ばかりで、作家の日常を知ることで、確かに作品理解が進みそうな気がしてくるから不思議だ。

例えば、極度のチョコレート中毒だったと言われる手塚治虫について、「実は興奮剤の代用に、眠気ざましに乱食しているのであって、夜などはこっそり和菓子を買い込んで少しずつ賞味しながら仕事するのが常なのだ」(「和菓子のかわいらしさ」1986年)などという、本人のエッセイを引用している。

手塚治虫の長女は父の死後数年経ってから、仕事用の机の中から父が好んで食べた「明治製菓の板チョコ」を発見したというが、こうしたエピソードは、手塚治虫伝説に残された僅かな空白を彩るものとして、非常に楽しい気持ちになる。

写真家の上田正治の口癖は「なんかないか、なんか甘いものないか」で、「月世界本舗の月世界」や「石村萬盛堂の鶴乃子」など、各地の銘菓を好んで食べたが、地元・鳥取の郷土菓子である「城北たまだ屋のせんべい」は特に大好物で、亡くなる日の朝も食べていたという。

酒も煙草もやらない植田にとって、甘いお菓子が最高の慰みだったが、70歳を超えて軽い心筋梗塞を患ってからは和菓子一辺倒となり、とりわけ、「風月堂」のうっすらと紅色をした白小豆羊羹を愛食したと、長女は懐かしく回想している。

おやつが繋ぐ作家と読者との新しい絆

沢山食べられるお菓子は、だから、上等で無いものに限る。金平糖、氷砂糖、赤く染めた鯛煎餅、そして、おこしの類などは、その意味で、何だか訳が判らぬ程に懐かしくて、懐かしいながら余り美味しくないところから、沢山食べられて、良いものである。(團伊玖磨「おこし」1979年)

「作家のおやつ」の良いところは、最初に写真が豊富なところであって、次に関係者の生の回想に触れられるところ、最後のひとつは様々な作家の随筆の楽しいところを抜粋で読むことができるところだが、随筆やエッセイが好きだという人に、こうした企画物的なムック本は、新しい文学の世界への入り口として、非常にお勧めである。

分野を超えて様々な作家が取り上げられているから、まだ触れたことのない随筆のひとつやふたつは必ず見つかるはずだし、お菓子について綴られた身近な随筆を入口にして、新しい文学の世界に飛び込むことは想像してみただけで楽しい。

そういう意味では、吉田健一や森茉莉、池波正太郎などのように、超一流の随筆家として著名な作家のものよりも、古川緑波や荻昌弘、古波蔵保好などに、ぜひ、原著にあたってみようと思わせられる、大いなる魅力が沸き起こった。

おやつが繋ぐ作家と読者との新しい絆が、本書の上で生まれているのである。

人間理解なくして作品理解は進まない

この真っ白で端正で、表面はやや歯ごたえがありながらもふんわり柔らかで、文字どおり口の中で溶けてしまう銘菓について、私が「白兎のゲッセカイですね」というと、綾子夫人は「そうです、でもツキセカイと読むらしいですよ」と教えてくれた。(巌谷國士「西落合のお茶の時間」)

「作家のおやつ」のもうひとつの効能は、敬愛する作家の意外な一面を覗くことによって、その作家への愛情を一層深くしてしまうということだろう。

近代日本を代表するシュルレアリストとして著名な瀧口修三・綾子夫妻に可愛がられていたというフランス文学者の巌谷國士は、瀧口家で出されて食べた「月世界本舗の月世界」を懐かしく回想する。

「月世界」は瀧口の故郷である富山の銘菓で、瀧口は小包で送ってくれることさえあったというが、こうした心温まるエピソードは、瀧口修三作品との接し方にまで影響を与えてしまいそうな気がする。

もとより、文学や芸術というものが、人間が生産しているものである以上、人間理解をなくして作品理解が進むものではない。

仮に、この人間理解が、おやつを介して行われるとしたら。

「作家のおやつ」は、そんな空想を広げさせてくれる最高の友人となるだろう。

書名:作家のおやつ
発行:2009/1/23
出版社:平凡社(コロナ・ブックス)

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。